粟巣野駅跡(廃駅)

 

 昔、立山駅の手前に粟巣野という駅があったらしいということは以前から何となく聞いていた。粟巣野というのは今でもある地名だが、地鉄の線路からは距離も標高差もかなりあるので、地鉄の駅名としてはどうもピンと来ないのだが。でも芦峅寺駅ほどではないけどね。
 今でも道自体はある様子なので、一度行ってみようかと出かけてみた。

 ちなみに粟巣野駅の歴史は、昭和12年に当時の終着駅として開業、昭和30年に路線が立山まで延長されて終着駅ではなくなり、昭和56年に廃止、ということである。33年前か。

 地図を見てアプローチの見当を付け、例によって原チャリでアクセスしてみた。

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粟巣野駅跡 立山側から岩峅寺方面を見る

 

 よくこんな所に駅なんて作ったもんだ。この辺りの常願寺川左岸は山が急傾斜で河原まで落ち込んでいて、駅どころか線路すらよく通したものだと感心するような場所なのだが(芦峅寺駅跡はまさにそんな地帯のど真ん中にある)、この粟巣野駅周辺は狭いながらもとりあえず「平地」がある。このネコの額のようなところに駅があった、ということになる。山が迫っていてけっこうな圧迫感がある場所である。

 上の写真は立山駅側から下り方面を見ている。つまり右手が常願寺川、左手が山になる。今の粟巣野集落とは標高差で100mくらいあるのではないか。

 右手のホーム跡が顕著だが、左手にもホーム跡がある。ここに2線あった様子なのだが、架橋は付け替えられているのだろうか。

 

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粟巣野駅 岩峅寺側から立山方面を見る

 

 逆側、つまり岩峅寺側から上り方面を見た写真。右側のホーム跡がよく判る。つまりこの時点でこの駅は相対式2線ホーム、と思っていた。

 右手の白い建物だが、他のネット上の記事では変電施設か何かだろうか、という推測をされている。
 実はこれ、地元の人に聞いたのだが温泉を汲み上げている小屋らしい。ここで汲み上げた温泉が上の粟巣野集落に揚げられているのだそうだ。ウエルサンピア(旧厚生年金ホテル)の風呂、そういえば温泉だったわ。ここの湯だったのか。
 比較的最近なって建てられたものだそうだ。

 

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粟巣野駅跡 岩峅寺方面を望む

 

 上写真は駅のちょうど真ん中辺り。下り方面を見ている。
 この左手の階段の用途がよく判らない。ホームを移動する踏切に降りる階段か?とも思ったが、その割には対面のホーム跡に対応する階段もないし。

 

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粟巣野駅跡 山側ホーム跡より

 

 その謎の階段辺りから対面ホーム跡を見た写真。
 かなりしっかりしたホームで、しかも長い。終着駅だったんだものな。

 夏草でぼうぼうだけど、この対面ホーム跡に行ってみた。するとそのホームの向こう側にもう1つホーム跡を発見した。

 

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粟巣野駅跡 川側にさらにホームの痕跡が!

 

 この上の写真がそのホーム跡。コンクリの遺構で辛うじてそれと判る。草ぼうぼうで立派な木まで生えている。
 たった30年あまりでここまで自然に還るのか。
 なんだか「自然保護」とか言ってるのがバカバカしくなるような光景である。
 自然はとてつもなくタフだ。人間が必死に抵抗して自分たちの生活を守っても、その人がいなくなればあっという間にこれだもの。

 

 実はここに来た後、ふと思いついて立山駅前の五十嶋商店を訪ねたのだ。五十嶋商店とは、学生時代にバイトしていて今も図々しく居候をしている太郎平小屋チェーンの事務所を兼ねている店なのだが、マスター(つまり社長)がいれば当時のことを少し聞けるかな、と思ったので。

 少し聞ける、どころではなかった。
 聞けば当時の五十嶋商店はまさにこの粟巣野駅前にあり、マスターの結婚式はその五十嶋商店の二階で挙げたほどで、そこで人生の半分近くを過ごしていたのだった。
 いや、太郎平小屋30周年記念誌や50周年記念誌(非売品だが元バイトの縁あって分けていただいている)を読めばちゃんと書いてあったことなのだが、今までそこに興味がなかったので読み飛ばしていただけだったわけで。
 それらの本の巻末に、小さいが昭和初期の粟巣野駅の写真が何点か載っている。駅舎は地鉄の駅舎らしい造りの建物で、今現存していてもちっとも違和感がないだろうな、という駅舎である。同時期の駅舎が地鉄にはたくさん残ってるからね。
 ホームから線路越しに見た写真もあって、角度的には4枚目の写真と同じような位置、角度から撮った写真なのかなという気がしているのだが、2本の線路越しにホームと駅舎が見えている。

 そう。話を聞いて知ったのだが、駅舎は川側にあったそうなのだ。てっきり温泉小屋がある山側の平地にあったのかと思っていたが。
 主要道路は山側の上の方を通っているので、そこから分岐してきた道は踏切で線路を渡り、回り込んで駅前に達していた、ということである。

 川側に駅前?そこに五十嶋商店もあり、数軒の旅館もあったそうだ。五十嶋商店も旅館を兼ねていたらしいし。
 そんな「街」があったの?川側に?
 そんな気配、みじんも感じなかった・・・・

 秋になってヤブが薄くなったらもう一度行ってみよう。何か街の痕跡が見つかるかも。わくわく。

 富山高専の学生が粟巣野駅跡に興味を持ち、マスターにも何度も取材をしてレポートを書き上げたことがあるそうだ。去年かそこらの話なので、その学生はまだ在学中のはずだそうだ。
 そのレポート、マスターに読ませてもらったが、これがまたよく書けているのなんのって。駅近辺の概略図まで描いている。
 これ、どこかにちゃんと発表して世に出して欲しいな〜。

 実はその駅周辺の推測図は携帯で撮影して、その地図を頼りにその足で再び粟巣野駅跡を訪れてみた。

 というのは、駅から少しだけ立山駅側に行った山側に、小さいながら集落があったようなのである。神社もあったらしい。
 これは行ってみなければ。

 

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粟巣野駅跡 近くに神社が(真川神社)

 

 確かにあったわ、神社が。
 この手前は広場になっていた。一部だけ舗装されていたのは、多分温泉小屋を建設するときにヘリポートをここに整備したんだな、と。だって資材を運べるような道はないもの。

 神社への道、下草は生えているが刈り込まれている。今でも人の手が入っているんだ。現在では周囲2〜3kmにはまったく人家がないようなところだが。誰か来ているのだろう。

 上の写真はちょっと雰囲気を出すために、彩度とコントラストをかなり落としている。ちょっと不気味っぽいムードでしょ?
 実際はこんなおどろおどろしい雰囲気ではないよ。
 山と川の間に落とし込まれているような場所なので、見渡しても人工物が一切目に入らないような場所だが。夜は真っ暗になる星見に最適な場所じゃなかろうか。空は狭いけどね。

 

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真川神社

 

 鳥居をくぐるとこんな感じである。ちゃんと最低限の手入れはされているよ。驚きである。

 この集落跡からさらに立山方面にヤブを分け入ると、地鉄が立山駅まで延伸される際に真川を渡る直前に一時的に「仮立山駅」あるいは「立山仮駅」という駅が設置されていたらしい。それも見に行かねば。

 ヤブが薄くなる秋だなー。

 


2014.11.15

 

 ヤブが薄くなった晩秋に再訪問してみた。
 当時、街があったという川側を探索してみたのだが、ここは廃駅になって街がなくなってから杉を植えたのだろうか、一面の杉林だった。
 街の痕跡は見事と言って良いほどない。街ひとつがこんなに綺麗に消え失せるものなだろうか。
 一応、隅々まで歩いてみたけど、何にもなかった。けど、けっこう広さがあって確かに小さな街ならあっても不思議はないことは判ったが。

 

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街跡は一面の杉林

 

 

 

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粟巣野駅跡 ここにホームと線路が

 

 杉林側から見た駅跡。向こう側に見える白い建物は例の温泉施設。
 現役線路が見えている手前にホーム、その手前に撤去された線路跡、さらに手前にもうひとつのホームが見えているのだが・・・
 ヤブだらけで判らないかな?これでもヤブが十分薄くなるのを待って来たのだけど。
 昔の架線橋跡が建ってるけど、これがホームとホームを渡っていて、しかも当然のことながら線路を跨いでいるのだ。
 この写真は川側のホームの端に立って撮っているのだけど、こちらがメインのホームで駅舎もこちら側にあったはずなんである。

 

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北陸電力社宅跡地 奥には真川神社が

 

 こちらは山側に100mほど立山側に行ったところにあった、北陸電力の社宅があった場所。ちょっとした広場が残っている。舗装されているところは温泉施設を作るときのヘリポート、と推測しているのだが。
 真川神社はこの奥にある。
 このあたりは今でも僅かながら人の手が入っている気配あり。

 

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広場からの景色

 

 広場から紅葉が綺麗に見えた。色は少し盛ってるけど。
 当時の生活の様子を想像するのは難しい。痕跡が見事にないからなぁ。

 それにしてもこのあたり、確かにスペースは街ができるだけのものはあるけど、川と山に囲まれてこれ以上拡充する余地はないだけに、やはり消え去る運命にあったのかな。役割が立山やスキー場へのアプローチ、という明確なもので、その役割は鉄道延長によって千寿ヶ原に奪われてしまったのだから。

 

 

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