「剱岳 点の記」

 

ネタバレがあるので、この映画を未見で話の筋を知りたくない人は読まない方が良いかも。
(というほどたいした筋でもないけど)

 

 映画「剱岳 点の記」を観た。
 感想は、「・・・う〜ん」というところである。試写会で観たという人の話を聞いた時も「映画としてはともかく、映像は綺麗」という評だったので、まあそれほどの期待もしていなかったのだが・・・

 映像は確かに美しい。秋の天狗平からの夕焼け、紅葉の雷鳥平を長治郎と柴崎の2人が立山を背景に歩く場面、そして長治郎雪渓を歩く柴崎隊の映像は息を飲む美しさだった。

 でもね。
 例えば秋に柴崎と長治郎の2人が偵察で入山して、紅葉した立山を背景に雷鳥平を歩くシーンであるが、背後の登山道がばっちり映ってしまっているのだよ。いくらなんでも明治にこんな立派な道がここ(雷鳥平〜一の越のいわゆる「神の道」)にはあるまい?
 このシーン、映画のパンフレットにも1ページまるまる使われているが(確かにそれだけ美しいシーンではある)、この写真を見ると隅に一の越山荘まで映ってしまっているのだ。

CGで消せよ、それくらい。

 他にもこのシーン、パンフの1ページを占めているだけあって、詳細に見るとツッコミどころが満載なのだ。
 影の付き方から見ると日中〜夕方に撮影したシーンなのだろうが、背後にバッチリ映ってしまっている神の道に登山者が映っていないのは幸いだった。まあそれくらいは気をつけたのだろうけど。
 2人が歩いているのは雷鳥沢キャンプ場の管理小屋から十字路に向かう石畳の道のすぐ横なのだろうけど、2人の背後にテントサイトが見えてしまっているのである。特に先頭の長治郎が歩いているすぐ左奥は、我が家が昨年と一昨年にテントを張っていたサイトである。
 さすがに丸太のイスや石で積み上げたテーブルといった人工的な臭いがするモノは撤去されているが、禿げて土が露出した地面はそのまま映している。100年前の雷鳥平がこんなに禿げているわけがないだろう。CGで消してくれよ。

 他にも別山や剱御前、また剱沢から剱岳を望むシーンは枚挙に暇がないほど多くあるが、そのどれを見ても剱岳の登山道が映ってしまっている。黒百合のコル付近は草原に太い道がくっきりと付いているので、映画で一瞬映っただけでも判ってしまうほど明瞭である。
 それに大岩から前剱あたりまでは知っている人が見れば、これも映画で一瞬見ただけでそれと判るくらいの登山道なのだ。
 極めつけは映画のパンフの表紙で、これは別山の頂上から撮った剱岳なのだが、剣山荘からの登山道が稜線に出る付近から大岩を経て前剱に至る登山道、明瞭に確認できてしまう。極めつけはこの写真は裏表紙と繋がっていて、裏表紙に映っている白馬岳の頂上直下に白馬山荘が確認できてしまうのである。

 つまり端的に言えば、確かに映像は綺麗だったけど、あくまで現在の剱岳にしか見えなかった。決して100年前の剱岳には見えなかった。

 この映画がブルーレイで出たら、つぶさに調べれば六峰フェースを登攀しているクライマーとか、カニの縦バイや横バイを通過している登山者の姿が確認できてしまうのではないか?

 この監督、CGも空撮も使わない主義でこの映画を撮ったそうだが、リアリティということに対する考え方が少し勘違いしているのではないか、と思った。
 カメラに写るモノだけが真実かなあ。どれだけカメラで克明に映像を撮っても、それは今の剱岳であって100年前の剱岳ではないことは判りきっていると思うのだけど。「山は不変」などと思うのは素人だけで、100年も待たずとも数年単位で地形も植生も変わっていっていることは少し長く山に登っている人なら誰でも知っている。昭和初期の雷鳥平の写真など、草ぼうぼうで今とはかなり雰囲気も違うし、長治郎雪渓の上にも巨大な岩が15年くらい前まであったのに、当然の事ながら映画では「今の長治郎谷」しか映ってない。

 まあ、映画を見る人の9割以上は剱岳に行ったことがない人だろうし、これの影響など無視できると思ったのかもしれないが、少なくとも私は画面に登山道が映った時点で「100年前の剱岳」とは見れなくなってしまった。CGで消して欲しかったし、願わくば古い時代の写真などの資料を検証して、山の姿を少しでも「100年前の立山・剱」に近づけるような努力をして欲しかった。

 登場人物が明治の人に見えないのも、今の剱岳にしか見えないことを助長しているような気が。それとも、山が今の山にしか見えないから、人も今の人にしか見えないのだろうか。
 でも、明治の人が「ノブ」などと大の大人を名前で呼ぶかなぁ。柴崎夫婦のやりとりも、明治の新婚夫婦(柴崎は明治39年に結婚したばかりで、嫁はまだ10代だったはず)としては少し違和感が・・・

 

 話の筋は微妙にいじってるんだよね。
 生田の子供が生まれたエピソードとか長治郎と息子の葛藤といった、原作にはないエピソードが付け加えられていて、その狙いも判らないではないのだけど、シナリオとしてはまったく生きていない。そもそも生田については、原作では多少血の気が多いだけの好青年だった生田を、かなり「生意気な青年」に振ってしまったおかげで、子供が生まれる(実際は剱岳登頂当時の生田は独身)なんて話を追加しなければならなくなったのではないか?
 長治郎と息子もそうだが、こんな原作にない話を追加した挙げ句、この映画の最も肝心要のシークエンスである「剱岳登頂に至った経緯」はばっさり削って訳が判らないものにしてしまっている。

 柴崎隊が剱岳に登頂した明治40年7月13日は、まあたいていの年がそうだけど梅雨の最中である。柴崎隊はこの梅雨の中休みのたった1日の晴天を突いて登頂したのであり、この中休みを読めた柴崎隊は行動でき、読めなかった山岳会は行動できず、これが初登頂の明暗を分けた決定打だったのだ。この話が映画ではあっさり削られていたので、出発する柴崎隊を山岳会がなんで指をくわえて見ているだけなのかがさっぱり判らなくなっている。
 まあそもそも話にメリハリがないので(編集が甘いだけという気もするが)、柴崎隊が非常に簡単に剱岳に登頂してしまったように見えてしまうのも「なんだかなぁ」と思うところである。「こんな簡単に登れるルートがあるのに、なんで誰もこれを登らなかったの?」と映画を見た大半の人は思ってしまうのでは?
 長治郎と息子の葛藤とか、生田の成長といった原作にもなく話の筋にも関係ない話を挿入する尺があれば、この梅雨の中休みの一瞬を突いてアタックするといった駆け引きの説明をすべきではなかったか?そうすれば出発する柴崎隊を指をくわえて見送る山岳会があんなに無能に見えてしまうこともなかったわけで。

 山岳会といえば、小島烏水を仲村トオルにやらせた時点で、私は激怒なのだが。また仲村トオルはああいう高慢な男をやらせると上手いから・・・
 でもね、山やにとっては小島烏水は半ば神様だからね。あんな薄っぺらい男じゃなかったはずなのだよ。そもそも小島はあの時は剱岳には来ていないし。

 でも、この映画の何が許せなかったって、ラストシーンである。

山岳会をあんなに簡単に登らせるなよ!!

 しかも。映像で彼らが登場したのは画面左から。すなわち、別山尾根側からである。カニの縦バイを突破してきたのか!?と思わせる位置から登場してきやがった。長治郎谷からなら、画面奥から出てくるのが自然というものだろう。
 しかも手旗交信まで始めたのに至っては、私は茫然自失状態だった。いくらなんでも別山と剱岳では無理だろう。バカ正直なほどのリアリティの追求はどこに行ったのだ???

 というわけで、史実と原作を大きく曲げてまで山岳会を剱岳に登頂させたのは、あり得ない剱岳と別山の手旗交信のシーンを作るためだったのか、と思うとなんだか情けない。まあ、この人の考えるリアリティってこんなものなのだろうけど。

 結局、木村大作さんは、カメラマンであって監督ではなかった、ということだろう。
 演出だってまともにしてないそうだし。「俳優を9時間歩いて撮影する場所に着けば、それは柴崎と同じ気持ちになっている」というような発言をあちこちでしていたが、断じて違うと思う。まったく情報がなく、行けるかどうかも判らない山に100年前の貧弱な装備で挑んだ柴崎と、どこに何があって何時間歩けば目的地に着くと判ってしまっている場所を現代の装備で歩く撮影隊(撮影時だけは当時の装備に換装しても)が「同じ気持ち」になれるはずがないじゃないか。まして背負っているものも違うのである。
 そういう意味では山岳会(むろん当時の山岳会にも彼らなりの"使命感"があって山に入っていたのだが)と測量隊が背負っていたモノの違いというのは、この話の大きなテーマのひとつだったはずだが、それを「同じように歩いて同じ場所に行けば、後は演出らしい演出はしない」という演出法(といえるのかどうかも疑問だが)で描けるのだろうか。

 学生時代は剱には毎年長期に渡って入っていたし、柴崎隊の登頂ルートである長治郎雪渓から剱岳頂上というルートも何度も歩いていた。カミさんが初めて剱岳に登ったのもこのルートだし。
 その頃には新田次郎の原作は読んでいたので、長治郎雪渓を歩く時はよく100年前の柴崎隊のことを想像したものだった。長治郎雪渓なんて3週間の合宿の間に15回くらいは登ってるものなぁ。
 下部から長治郎雪渓の上部を仰ぎ見れば、確かに圧倒的である。現代の登山靴とアイゼン・ピッケルがあれば決して困難なルートではないが(うちの山岳部は夏山ではアイゼン使用禁止だったが)、わらじに鉄かんじきなどという貧弱な装備でこの雪渓に挑むのは、相当な決意があっただろうな、と思ったものである。まして雪渓を抜けて稜線に出ても、その先がどうなっているか判らなかった時代である。

 この山に測量という公共事業で挑んでいる測量隊と、これから日本に(今まで存在しなかった)登山という世界を作ろうとしていた山岳会では、背負うものがまるで違うし、それはただ「同じ場所に立てば判る」という代物ではなかったはずである。俺だって判らなかったもの。
 ま、それを見せてくれた映画ではなかった、ということである。
 小島烏水に「私達は山に登るのが目的だが、あなた達は登ってからが仕事だ」というセリフを言わせているが、この薄っぺらいセリフが監督に理解できた限界だったのだろう。

 初登頂のはずが昔の剣と鉾が発見され、初登頂ではなかったことが軍には評価されなかったエピソードも、映画ではラストの山岳会との手旗交信で単に「偉業」と表現されていて、山岳会はあくまで柴崎隊の登頂を「初登頂」として祝福している、といったまとめ方だった。
 ここは原作では、柴崎らが剱岳頂上で発見したモノについて「歴史的大発見」と表現しているんだよね。
 軍では「初登頂ではなかった証拠」として厭われた発見物を、山岳会は「歴史的発見」と評価した、というエピソードなのだけど、ここも映画ではそれが伝わらない描き方だった。この評価のスタンスが軍と山岳会の「背負っているモノの違い」を浮き彫りにしているのに・・・

 というわけで、私にはこの映画、「現代の山を舞台に明治時代のコスプレをした役者がなにやら芝居をしている」、つまりもっとざっくり言うと、

テレビ番組の中の再現フィルム

 のように見えてしまったのであった。多分、山の映像に登山道を見てしまった瞬間に、全てが悪い印象に結びついてしまったのかもしれないが。だって舞台が現代にしか見えなければ、明治時代の衣装もコスプレにしか見えなくなるのは仕方ないだろうよ。

 ま、映像は綺麗だったからDVDは買うと思うけど。DVDよりプルーレイを買って、細かく「何が映ってしまっているか」をチェックしていくのが楽しそうである。

 


 

 上では映像やシナリオ構成といった、いわゆる「ハード面」を中心に批判したわけだが、今度はテーマ性に関わる部分を。

 この映画でテーマを語る鍵となるセリフが2つある。
 1つ目は測量の意義に悩みを感じた柴崎が先輩測量官の盛田から受け取る手紙に書かれていたセリフ、
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」
 もうひとつは測量隊をライバル視していた山岳会が測量隊の仕事に感銘を受けて柴崎に言うセリフ、
「私達は山に登るのが目的だが、あなた方は登ってからが仕事だ」である。どちらも原作にはない映画オリジナルのセリフである。

 どちらのセリフも非常に甘いと思うのは私だけだろうか?

 1つ目の「何のためにそれをしたかが大事」というセリフは、プロの言葉とは思えない何をしたかだけが問われるのがプロの仕事であるはずだ。
 そもそも柴崎が測量の意義に悩んだ、なんて設定は原作にはない。これ、いかにも現代的な甘い悩みのように思えるのだが、当時の柴崎は測量官になって3年目でまだ30歳そこそこだったから、現代の同じようなキャリアを持つ若僧だったら、似たような悩みを抱えることもあるかもしれない。
 でもね、これは明治の話だよ。しかも柴崎自身は軍人ではなく文官だが軍人経験もあり、測量部という軍籍に身を置いており、「地図を作る」という明確な目的を持って山に入って測量というプロとしての自分の仕事をしている最中に、こんな現代の若僧のようなウジウジした悩みを持つか?

 要するにこのセリフ、自分達のことなんじゃないの?
 監督の木村大作も、どこかのインタビューでは「自分達がどんなに苦労してこの映画を撮ったとしても、それはこの映画のデキとは関係がない」というようなことを言っていたが、劇中ではこんな甘いセリフを言わせていたわけである。人がどう評価しようとも自分達は悔いなくやり遂げたのだろうけど、それはプロの仕事じゃないよね。プロの仕事は常に「何をしたか」、すなわちこの場合は「映画のデキ」で評価されるもので、「人がどう評価しようが自分達は悔いなくやり遂げたのだから関係ない」というのはプロの態度ではない。

 もうひとつ。
 「私達は山に登るのが仕事だが、あなた方は山に登ってからが仕事だ」のセリフだが、そんなことも判らずに山に登り、測量隊に挑戦状を叩きつけたほど、山岳会は世間知らずの甘ちゃん集団だったと言いたいわけ?
 今みたいに登ろうと思う山の正確な地形図があって当然という時代ではなかったんだぞ。まして剱岳周辺は地図の空白地帯だったわけだ。だからこそ測量隊が入山して三角点の設置を行っているわけで。
 また、今のようにガイドブックがあるわけでもなく、ましてwebで検索すれば詳しい情報(どこぞこの山小屋の端から3番目のトイレは詰まっている、という重箱の隅を突くような情報も)が得られるわけでもなく、山の情報は現地入りして土地の人間に聞くしかなく、北ア深部のような人の生活の舞台にはならない高山帯ではそれこそ測量隊が残した点の記くらいしか参考にできる記録がなかった時代の話である。
 そんな時代に「これから日本に登山という文化を創っていく」という目的で設立された山岳会が、登山では大先輩にあたる測量隊に不遜な態度で挑戦状を叩きつけるというようなことがあり得たはずもないし、まして入山してから測量隊に「あなた方は山に登ってからが仕事だ」という最初から判りきったことを悟るはずもないだろう。

 ま、このセリフも自分達のことだったんだろうな。撮影中も周囲に大勢いたはずの一般登山者に対してそんなことを思っていたのかね?

 原作でも山岳会は測量隊に「挑戦」しているのだが、それはあくまでも測量隊を「登山にかけては偉大なプロ」と認めた上でのことである。仲村トオルのような不遜な態度では決してない。「負けて元々、僥倖に恵まれて勝つことができれば大金星」くらいのムードである。
 どちらかというと、山岳会が測量隊をライバル視していたのではなく、測量部すなわち軍が山岳会を勝手にライバル視していたのが原作の構図で、柴崎らが山岳会に勝って"初登頂"したというのに、遙か昔の先達が存在したことが判った途端、軍の熱が冷めてしまったわけである。
 まあそのあたりの山岳会の測量隊の立場の違いは上にも書いたのでもういい。

 結局のところ木村大作は、明治という時代も登場人物の使命も、よく理解できないままこの映画を撮ったわけだ。まあ柴崎隊の方は、「山に登ってからが仕事」という意味では相通じる部分があっただろうが。でも、映画撮影って「山に登ってからが仕事」という意味では測量隊と同じだったかもしれないが、あくまで娯楽のためのものである。柴崎のような公共事業とは断じて違う。その意味では山岳会のような「遊びの山登り」とも本質的に相容れる部分はあったはずなのだが、山岳会側の当時の立ち位置を理解しようと努力した形跡はこの映画からは見えない。

 ああそうか。娯楽のための仕事で山に登って仕事していたから、「何のために測量(映画撮影)するのか」というベタ甘な葛藤も産まれてきたわけか。それを咀嚼も考慮もせず、映画の中に入れたと。さらに「悔いなくやり遂げること」という本質的には何の解決にもなっていないアマチュアっぽい回答まで入れてしまったというわけか。

 要するにこの人、剱岳に飲まれたんだな。まあそういう山なんだけどね。
 でも、対象に飲まれるというのはプロとしては恥ずかしいことだよな。それで全編アマチュアの言い訳っぽいセリフが飛び交う映画になったのか。そんなことなら空撮使ったり、ヘリで現地に俳優とスタッフを下ろして撮った方が、トータルとしてはまともなモノができたかもしれないな。

 でも、この映画を救っているのは3人の役者である。すなわち柴崎役の浅野忠信と長治郎役の香川照之、それに剱岳である。
 浅野は演技らしい演技をしなくても独特の雰囲気を持っている俳優だし、なんにしても香川照之の長治郎は大きかった。彼がいなかったらこの映画は剱岳を背景にした学芸会になっていたかもしれん。まあ仲村トオルはこの映画を台無しにするところだったが、それは彼の責任ではなく脚本(も監督が書いたということだが)の責任である。

 でもいずれにしても、剱岳を舞台にしている限りスカ映画にはならないよね。主演男優賞は剱岳だろう。

 この剱岳をきっちり撮ったカメラマンの腕もたいしたものである。その時点で他がどれだけダメでもこの映画は鑑賞に値するものになったわけで。

 惜しむらくは監督がいればなぁ監督と脚本家がいればもっと凄い映画になったろうに。
 パンフのインタビューで、木村大作は初監督の感想を聞かれて「やっていることはカメラマンのときと同じだった」と答えている。それは監督としての仕事をしていない、という自省が欲しいところである。この映画、確かに監督の存在を感じないし、脚本家の存在も感じない。

 ま、まともな監督がいれば、登山道や山小屋が映り込んだ映像を無修正で世に出す、という暴挙はしなかっただろう。時代劇で背景に電線が映り込んでいたら修正するだろうがよ。ほんの一瞬、チラッと映ってしまうのはミスだが、全編に渡ってこれでもかと映り込んでいるのを放置するのは暴挙である。
 時代劇で、背景に電線や鉄道が普通に出てくる中で役者がどれだけシリアスな演技をしても、それはコスプレにしか見えないのは誰にだって判るはずで、なぜ剱岳に対してはそれを平然とする?というのが理解不能なことだった。
 カメラマン監督なので、自分で撮った以外のモノが映像になるのが嫌だったのだろうか。

 当時の柴崎や山岳会が何を思っていたかとは関係なしに、自分達が勝手にで山に入って感じたことを柴崎らに代弁させ、時代考証に合わなかろうが自分が撮影した以外モノが映像になるのは許さない、ということは、要するにこの映画は、

カメラマンのマスターベーション

 ということだったのだな。

 

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