鋼の錬金術師(実写映画)

 

このページは映画と原作のネタバレをしまくっているのでご注意ください

 

 鋼の錬金術師、略してハガレンは荒川弘によるコミックで、今年実写映画化された。

 や〜、実写映画化の話を聞いた時は、そりゃもう嫌な予感しかしない状態だったわけよ。
 そもそもコミックの実写化って、成功例がほとんどないのではないか?
 近年では「進撃の巨人」ボロカスクソミソの酷評を受けていたし、なんせ日本映画史上に燦然と輝く「デビルマン」がある。他にもキャシャーンあたりが控えているが、これは見たことがないので触れない。

 「進撃の巨人」は確かに酷かった。巨人と対峙する絶望感、その中でミカサとリヴァイの2人のアッカーマンの異様な強さ、1巻の冒頭から張った伏線を23巻で回収するという構成、そういった原作の魅力をことごとくあっちゃ向いてホイするシナリオに開いた口が塞がらなかったものだ。
 それにしても、ハガレンの第一期アニメもそうなのだけど、映画屋ってどうしてこの手のファンタジー世界を現実のリアル世界とリンクさせたがるのか?どうして数十年前の「猿の惑星」のパターンを恥ずかしげもなく踏襲するんだか。
 発想が貧困で情けない。

 まあ、キャストの演技が学芸会レベル(大げさでなくマジにそこらの中学校の文化祭の方がまだマシかも、と思わせる)、止め絵のCGは美しいが動いたとたんに紙芝居になる、シナリオがグダグダ、の三重苦を、しかもそのどれもが歴代トップを取れるほどのハイレベルで結実させた「デビルマン」の前にはすべてが霞むけど(笑)

 そんなわけで、ハガレンにも嫌な予感しかしなかった。

 なんせ原作は、私は密かに勝手に「世界のハイ=ファンタジーの中でも最高峰のひとつ」とまで思っている作品である。
 これがまた無残に屍を晒すようになるのか…?と思うと暗然たる気分になったものだ。

 でも見なきゃ酷評することもできないので、とりあえず見てきた。
 「進撃の巨人」も何はともあれ映像だけは良かったので、どうせCG紙芝居にしかならない映画なのであれば、せめて劇場で見ておかないと、その唯一の取り柄も十分味わえないし、と思ったのも確かだが。

 

 で、見てみたら、案外そんなに悪くはなかった。
 今、この作品は映画.comで2.6という、決して良くはないけれどズタボロというわけでもない点数が付けられている。
 私はここで3.0という点数を付けたのだけど、ざっと見てみると平均の2.5前後を付けた人は非常に少なく、4〜5という高得点を付けた人と0.5〜1.5あたりの酷評をした人の両極端にすっぱり分かれている印象だ。
 レビューを読んで面白いのは、例えばウィンリィの髪が金髪でないとか、ロゼが出ていないとか、そんな理由で酷評している人が多い。
 いわゆる原作原理主義者だな(笑)
 まあ人気作品の映画化は、こんな原作原理主義者を納得させなければならないのが難しいところなんでよね。

 案外良かった、と書いたのは、映像は綺麗だしキャストは意外にまともな演技をしている、という理由で。
 シナリオはグダグダである。シナリオに限って言えば「進撃の巨人」並み(笑)

 それぞれを少し詳しく書くと…

 

<キャスト>

 大前提として、やはりこの作品に日本人キャストは合わないのよ。
 監督は「作品のテーマは兄弟愛のような日本的な情感なので、日本人キャストにした」と発言して、「外国には兄弟愛はないと言うのか」みたいな総ツッコミを浴びているが、素直に予算がなかったから、と言えばいいのに(笑)

 この作品の舞台は産業革命時点あたりのヨーロッパをイメージしていて(戦車も大砲も出てくるが)、周辺国にもロシアっぽい国とか中国っぽい国とかも出てくる国際色豊かな舞台である。
 そもそも映画のロケだってイタリアでやってるし。そんな中で見るからに日本人が「エド」とか外国人名で呼び合っていても、コスプレ感が募るばかりである。

 とはいうものの、こんな悪条件の中で俳優陣は健闘している、と思う。何人かは別にして。

エド(山田涼介)

 いやいやこれがまた、意外に健闘している。ちゃんとエドしてる。
 ちょっと演技が大げさで鼻につく感はあるけど、考えてみればそもそも原作のエドも喜怒哀楽が激しい表情を見せるキャラだったし、割と違和感なくエドに見える。

ウィンリィ(本田翼)

 見る前に最も危惧したのがこの本田翼のウィンリィだったのだが、これも大健闘。
 最初は違和感があったが、話が進むにつれて慣れた(笑)
 そして後半に原作でも名シーンの1つに挙げられる「エドとアルの兄弟ゲンカ」があるのだが、そのシーンでのウィンリィは良かった。
 原作のウィンリィそのまんま、というキャラではないが、本田翼なりのウィンリィにはなっていた、と思う。

マスタング大佐(ディーンフジオカ)

 これがダメダメ
 このマスタングというキャラ、イシュバールの修羅場を経験していて心に深い傷を負っており、上を引きずり降ろしてでもこの国のトップに昇りつめる、という明確な目的意識も持った複雑なキャラクターなんである。
 また、ハガレンの物語全体を通して、エド兄弟にとっては自分の身体を取り戻す旅なのだが、マスタングにとってはヒューズの仇を突き止める物語、と読めるほど、準主役と言って良い重要キャラである。

 そういう深みをまったく感じない。ただのイケメン大佐にしかなってない。

 まあシナリオも悪いんだけどね。マスタングの見せ場のシーンを配置しておきながら、他のキャラを中途半端に出してエピソードを重ねてぼやけさせている。
 でもシナリオがタコなのは他のキャラにも共通なので、その中で他の俳優陣はきっちり見せるモノは見せてくれているのに、この人だけぼやけたままなのは、やはり役者の実力か。

ヒューズ中佐(佐藤隆太)

 実はそんなに好きな役者じゃないのだけど、この映画に関しては合ってた。

リザ・ホークアイ中尉(蓮佛美沙子)

 ただ出てきただけ。セリフもたいしてなければ射撃シーンも1シークエンスのみ。それも近距離射撃に狙撃用のライフルを使うなよ。
 良いキャラなのにもったいない。ほとんどモブキャラ同然のシナリオじゃないか。

マリア・ロス少尉(夏菜)

 この人も原作とは少々違い役回りになっているが、ちゃんと見せ場があるので蓮佛美沙子より優遇されている。
 短いシーンながら、存在感もあってなかなか印象的だった。良い仕事してるな〜。

ハクロ将軍(小日向文世)
タッカー(大泉洋)

 やっぱ実力がある役者が出ると映画が締まる。
 ただ、そんなたいしたキャラじゃないのに、どうしてこのキャスティング…?と思っていたら…なるほどねぇ。

ラスト(松雪泰子)

 この人圧巻!
 エロくて危険なラストそのまんま、である。
 この人がこの映画を救った、と言って良いほど。それだけにハボックとの絡みを見たかった。

エンヴィー(本郷奏多)

 出番も多く、良いシーンもたくさんあるわりには、印象に残ってない。ヒステリックに喚くシーンしか記憶に残ってない。ホムンクルス勢でも屈指のえげつなさ、はこの人からは感じず。

グラトニー(内山信二)

 合ってたけど…
 「演技」はしてないよね?(笑)
 内山信二が内山信二のまま出ていた、という感じ(笑)

 

<映像表現>

 

 映像はそんなに悪くはなかったのだが、そりゃ今の技術を持ってすれば当然の話。
 日本では、日本では、と言うが、「進撃の巨人」も映像は良かったし、そもそも海外では度肝を抜く映像の作品がてんこ盛りなのだから、このくらいできて当たり前だし、そもそもできないのなら映画化なんて考えるべきではない。

 それにしても。

1.グラトニーは?エンヴィーは?

 グラトニーが腹の大口を開けるとき、それは「食べる」のではなく「飲む」時なのだが、映画では腹の大口を開けても「飲む」ことはなく、ひたすら食べるだけ。「飲む」映像表現はどんなだろ?とワクワクしてしまったときめきを返せ。

 エンヴィーも「本性」は見せずじまい。
 まあ原作でも序盤では見せてないのだけど、この映画の流れなら見せても良かったと思うのだが。

 序盤のコーネロとの追いかけっこでCGの予算を使い果たしたのか?

 

2.焔の錬金術の映像表現

 マスタング大佐の焔の錬金術は、火種は発火布の手袋から発した火花を空中の埃を伝って飛ばし、目標物の周囲の酸素濃度を調節してドン!と原作で説明されている。

 でも映画のは、手袋の先から炎が目標めがけて噴出していて、これじゃ単なる火炎放射器

 原作ではイシュバール戦で市街地を丸ごと焼き尽くし、「焔の錬金術師が来る」という連絡が入るだけで味方の部隊が顔色を変えて退避し、ホムンクルス側にさえ「最も厄介」とまで言わせた迫力は…映画では感じないぞ。

 監督は原作を読んでいるのかなぁ…とこのあたりで不安を感じ始めるのだった。

 

<シナリオ>

 

 うーん、グダグダ
 もしかしたら「進撃の巨人」以上にグダグダ

 小説やコミックを映画化する時って、そのまま2時間という映画の枠に収まることも稀だし、第一原作そのまんまやっても面白くはならないので、原作の理解、分解、再構築という工程が必要になるのだ。原作モノの映画化ってここがズダボロで失敗している例が多い。ハガレンもその例に漏れず、である。

1.冒頭の対コーネロのシークエンス

 映画が始まるといきなりコーネロとの追いかけっこから始まる。ロゼとのエピソードもコーネロの悪行を暴くところもなく、いきなりエドがコーネロを追いかけているところから始まるのだが、まあそれは良い。2時間の枠に収めようとすればそういう手だってあるだろう。

 でも。それなら長すぎやしないか?このシーン。
 のっけからCGをフルに使ったシーンがてんこ盛りなのだけど、後で振り返ればあのシークエンスでCGの全体予算の半分くらい使ってしまっているような気さえする。
 そしてあまりに長いと、なぜコーネロはエドがひっくり返ったり瓦礫に埋まっている間にエドに止めを刺そうとせずに逃げるだけなのだ?とか、そこで足止めされているにも関わらず、エドはなぜすぐコーネロに追いつくのか?という疑問が噴出する。

 そしてそういう雑然とした流れで進むものだから、最初の決めゼリフの「立てよ、ド三流。格の違いってやつを見せてやる」が生きてこない。(ちなみに原作ではここは「降りてこいよ」であり、「立てよ」は最終巻のセリフだったね)
 ここは十分なタメが必要なんだよ〜

 さらに大きな問題が。

 ここにマスタングが出てくるのは良い。仕方ない。
 仕方ないが、マスタングがコーネロが持っていた賢者の石を「軍が開発していた錬金術増幅器」と言ったのは大問題だ。

 少なくとも原作の理解では、コーネロが持っていたのは紛れもなく賢者の石で、ただ材料となった人間の数が少なかったから、魂を使い果たして壊れただけ、である。そもそも賢者の石以外の「術法増幅器」なるものは存在しない世界観、のはず。もしそんなものがあったら、エドとアルもそれを使うことをまず考えれば良いので、賢者の石を探すという物語序盤の行動原理が根底から覆ってしまう。

 しかもこのシーンでマスタングは、コーネロが持っていた賢者の石が壊れる前にそれを拾い、自分で壊してみせてそう言ったのである。
 ということはつまり、コーネロの背後にいたつまり黒幕は軍で、マスタングもそれを知っていた、ということになってしまうではないか。

 序盤からこんなムチャ振りをしてくるとは…

 

2.エピソードの繋ぎがヘタレ

 タッカー家でマルコーの情報を得る
 →アルを残してマルコーを探しに行く
 →マルコー発見、第五研究所の情報を得る
 →タッカー家に戻ってキメラ錬成事件に遭遇

 という具合で、もうグダグダである。
 わざわざタッカーを原作とは違う東部に配置して、ストーリーの起点を東部から始まるようにしたのは分かるが、タッカーのエピソードに無理やり第五研究所関連のエピソードを挟んでいるため、なんとも流れが悪い。
 マルコーが目の前で殺されるという犠牲まで払い、しかも目の前にラストという「明らかな敵」が出てきていながら、そこで得た第五研究所という情報を追うことなく東部に戻ってしまう。そしてタッカーのキメラ合成のエピソードに突入してしまうため、第五研究所はあっちゃ向いてホイ状態になってしまっている。

 や、そもそもラストの行動もおかしいのよ。
 口封じのために、エドにもろに姿を見せてまでマルコーを殺しているんだぞ。それなのに絶命させることなく立ち去っているので、マルコーが「第五研究所」という情報をエドに与えることを許してしまっている。

 そんな流れになってしまったものだから、危険なはずの第五研究所にのこのことウィンリィを連れて行く、みたいなことになるんだよ。

 原作の名シーンを単にブツ切れにして突っ込んでみただけ、というシナリオだ。

 

3.削って削りまくったはずなのに…

 クライマックス、第五研究所で改めてホムンクルス側と相対するのだが、3人まとめて出してしまったものだから、マスタングが忙しい(笑)

 つまりラスト対マスタングエンヴィー対マスタングという、原作でも屈指の見せ場をここで惜しげもなく同時に放出してしまった結果、どちらも十分なタメを作れずあっさり味になってしまった。

 それも原作ではエンヴィー対マスタングはクライマックスの見せ場なんだぞ。ここでやっちゃうの?
 ラストと対峙しながら、みたいな忙しいことになっているので、原作で遂にヒューズの仇を追い詰めたマスタングの鬼気迫る表情は見れずじまい。まあそこはディーンフジオカが大根役者だったことも原因なのだが。

 

4.ホムンクルスの核

 映画ではマスタングがラストを倒す際、なんとラストの胸元に手を突っ込んでラストの賢者の石を奪うことによってとどめを刺す。
 これはちと驚き。

 原作でも瀕死のハボックを救うためにマスタングがラストの賢者の石を奪う、というシーンがあるのだが、その直後に奪った賢者の石からラストが再生し、「こっちが核だと言ったはず」とか言われながらマスタングもとどめを刺される、というシーンがある(死にはしなかったが)。
 なぜわざわざ映画でそんなシーンを?それでラストはそのまま死んでしまうのだ。原作既読者は頭の中が「???」である。

 何もかも原作の通りにしろとは言わないが、そんなところでわざわざこんなシーンを入れる意味が分からん。「???」に答えてはくれず、そのまま映画は終わるのだから。

 この監督、ほんとに原作を読んでいるのかなぁ…

 

5.黒幕はだぁれ?

 この映画最大のグダグダがこれ(笑)

 クライマックスでハクロ将軍とタッカーのコンビがひと暴れするのだが、これ、プロット的には何も関係ないのだ。

 ヒューズ中佐が国土錬成陣の存在に気づき、「軍がやべぇ」という言葉を残してホムンクルスに殺されるのは原作どおり。
 原作ではここは「お父さま」をボスとするホムンクルス側の目的がちらっと見えてくる最初のエピソードなのだ。
 映画でもここのシーンをほぼ原作どおりにやっているのだが…

 今回の悪役、ハクロ将軍はこれとは何の関係もないのだ。
 そもそもハクロ将軍を前にしたホムンクルスたちの反応が「あんた誰?」状態で、ハクロが開放した人形兵をホムンクルスたちも駆除しようとしていたりする。つまりここではエドたちとホムンクルスたちが共闘してしまうという笑えるシークエンスになってしまっている。

 そしてそのどさくさの流れのまま、ラスト&エンヴィーとマスタングの対決になるので、観客はホムンクルスたちの思惑を、ヒューズ中佐の「軍がやべぇ」というセリフ以外、まったく分からないまま、それどころかハクロに目くらましされたまま見終わることになる。

 つまりハクロはホムンクルス側が作っていた人形兵をたまたま見つけて、横からかすめ取ろうとしただけのお邪魔虫にすぎなかったわけで、こんな映画の終わり方はちょっと例がないのではないか。

 

<続編、作る気あるの?>

 

 まあ元々長い物語の序盤を中心にしたシナリオなので、「伏線を張るだけ張ってあっちゃ向いてホイ」という構成になるのは仕方ない話でもあり、続編の存在が前提になるような話ではあるのだ。

 でも…、映画を見てると「続編、作る気があるのか?」という疑問がふつふつと…

 まず、マスタング対エンヴィー、人形兵の開放といった、原作では終盤の見せ場になるエピソードを惜しげもなく出してしまっている。

 また、スカー、お父さま、ホーエンハイム、イズミ、リンといった重要人物を出していないため、このままでは話が回らない。
 3部作のつもりなら、イズミやリンは第2部からということでも良いかもしれないが、スカーはタッカー絡みのエピソードで出しておかないと出しにくくなるだろう。
 また、お父さまやホーエンハイムも、チラッとでも出しておかないと。
 つまり次作に繋がる人物をチラリとでも出しておかないとブツ切れになってしまうのだが、スカーは出さない、お父さまもホーエンハイムも影も形もない、マルコーは殺してしまう、ではどうやって次作に繋げるっての?
 イシュバールだって、その名前くらいは出しておかないと…
 まともにやればイシュバール戦の回想だけで1本の映画になりそうだけど(笑)

 でも、エンドロールが終わった後のあの1シーンは、続編作る気満々ってことだよね?
 こんなグダグダの状態から、どうやって話を続けるつもりなのやら…

 

 

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