平成15年9月14〜15日 蓮華温泉

9/14 12:00   自宅 出発
  15:40 北陸自動車道 糸魚川I.C〜R148 姫川温泉より山道20km 蓮華温泉 到着
  16:00 徒歩約10分 蓮華の森キャンプ場 到着
9/15 6:30   起床
  9:00   撤収・温泉巡り
  12:00   蓮華温泉出発
  14:00-16:00 R148 - R147 大町山岳博物館
  21:40 R148〜糸魚川I.C 北陸自動車道 自宅 到着
      2.5万図 「白馬岳」

 今回は登山ではなくキャンプである。
 なんせ前回の立山では次男の生を大泣きさせてしまったため、「今回は生を泣かさない」がスローガンであった。その次はまた泣かすとしても。
 13日は長男の大の運動会だったため、遊びに行ける日は14と15日の2日間に限られていた。雷鳥沢にテントを張ってのんびり散策(アルペンルートが高い)、折立から薬師岳登山(絶対生が泣く)、霧ヶ峰の鎌ヶ池キャンプ場でキャンプ(場所がよく判らない・・・)、毛勝谷でキャンプ(キャンプと言うよりほとんどビバークである)など、様々な案が出ては消えていった。
 なにより運動会が雨で順延されてしまえば連休は潰れるわけで、どこに行くにしても天候次第ということもあり、前日までほとんど何も決めていなかった。従って用意も何もしていなかった。

 その前日の運動会、台風の接近で開催が不安視されていたが、無事決行した。私も一応、PTAの役員の末席に名を連ねている。といってもほとんど何もしておらず、町P連の大会を機に結成されてしまったソフトバレーのチームでのみ存在感をアピールしているのだが、運動会はさすがに役員全員にきっちり役割が振られてしまい、朝6時半から準備のために学校に出ていくのだった。
 ところが台風のための強風でテントが飛ばされるという事態が起き、せっかく朝の6時半から設営したテントを全て撤去して続行するハメになってしまった。来賓も子供達も日陰ひとつない炎天下(これがまたフェーン現象で37℃という猛暑だった)で運動会をしてくたくたになってしまった。
 おまけにこの小学校の運動会は地域の運動会も兼ねており、親が出場する種目も多い。私は今年は綱引き1種目の出場だったが、多い人は4種目くらい出ている。さらにこの親が出る種目にもポイントが割り振られているので、みな真剣である。この親の出場競技のポイント制は、一昨年私が「せっかく出場してもポイントにはぜんぜん関係ないのはつまらん!」と主張したら通ってしまった。ちなみにポイントがかかってなかった頃から「妙に真剣にムキになってやってる親がいる」と有名になったのうちのカミさんである。

 その運動会もようやく終わり、疲れ切った身体を引きずって後かたづけをしている時、携帯が鳴った。
 それは職場からの電話で、詳しいことを書くと食事中にこれを読まれている方がいると支障があるので書かないが、要するに「明日、出てきてくれ」ということだった。たいていのことは「俺、遊びに行くから」と断固断るのだが、さすがにこの状況を聞いては断れない。仕方がないので翌14日は時間外手当と特殊勤務手当を稼ぎに行くことにしたわけであった。
 この時点で翌日からの行楽予定は「半日以内で行ける場所」という制限がついたわけで、蓮華温泉が俄然浮上してきたのだった。

 翌14日、朝一番で出勤して2時間で仕事を片づけた。仕事内容を書くと獣医師志望の少年少女が減ってしまうので書かない。
 急いで帰宅するとまだ準備は何もされていなかった。まあ前日の運動会で張り切りすぎて腰を痛めたカミさんに期待するのは最初から無理だった。のんびりしているヒマはないので、とにかく手当たり次第に車に詰め込み、食糧は途中のスーパーで買い出すことにしてとにかく無理矢理出発した。
 北陸自動車道を飛ばし、糸魚川インターで高速を降り、国道148号を白馬方面に走る。姫川温泉で山道に入り細いうねうねした山道を20kmで蓮華温泉到着である。ここまで自宅から約110kmの走行距離だった。

蓮華温泉ロッジ 

蓮華温泉ロッジ 一度泊まってみたい

 駐車場から歩いて2分の所に蓮華温泉ロッジがある。
 が、ここは既に相当な山奥で「下界」という雰囲気ではない。
 ロッジも自家発電らしく夜9時には全館消灯してしまうらしい。このあたりは完全に「山小屋」である。外から見る限り、かなり雰囲気は良さそうな小屋である。一度泊まってみたい。
 テン場代と入浴料、家族4人で2200円を支払う。

 


 

キャンプ場への道 

キャンプ場への道(帰り道で撮影したもの)

 キャンプ場へはさらに朝日岳方面への道を10分ほど歩かねばならない。たった10分ではあるが、駐車場からのこの距離が「オートキャンプ場」を免れている。
 右の写真は翌15日に帰り道途中で撮影したもの。
 左手に蓮華温泉ロッジが見える。中央やや右の白くザレて見える場所が「仙気の湯」があるところ。
 標高は1500mほどで、かなり肌寒く感じた。

 


 

蓮華の森キャンプ場 

蓮華の森キャンプ場

 テント場は「蓮華の森キャンプ場」と、いかにも「キャンプ場」っぽい名前だが、実態は「山の中のキャンプ指定地」である。国立公園内だし。
 設備は写真左に見えるような炊事場が2カ所、トイレは水洗の綺麗なものが2カ所、各所に木のテーブルとイス、と「キャンプ指定地」としては十分すぎるものだった。
 何より森の中の空間で雰囲気はとても良い。湿地帯なので地面が湿っぽいのと虫が多いことを除けば満点のキャンプ場だった。
 中央が我が家のモンベル・ステラリッジテント4型である。
 奥にはヨーレイカの大型テントが張ってあった。
 他にはエアライズ1型が1張り、メーカー不明のボロテント、しかも結局最後まで人の気配がないものが3張り、かなり広いテント場にテントはこれだけだった。9月の連休にしてこの空き具合、最高である。

 


 テント場には午後4時頃到着した。
 もう時間も遅いので温泉巡りは明日にする。テント場の住人は温泉に行っているのか山に登っているのか、誰もいなくて我々だけだった。
 子供達はそこらじゅうを駆け回って遊びだし、私とカミさんはとりあえずコーヒーでも入れながら食糧計画を立てることにする。なんせロクに計画も立てずに適当に買い出しをしてきたので、店開きしてみると3日はいけるくらい食糧があった。どれとどれを消費してどれを残すかという贅沢な悩み。

 そうこうしているうちに、単独行のおっちゃんがテント場に帰ってきた。奥のエアライズ1の住人らしい。息子が小川の場所を教えてもらったらしい。テント場の中にも小さな流れが横切っているのだが、奥の方にも良い場所があるらしい。
 その頃、私とカミさんは既に晩飯のを焼き始めていたが、息子達が小川の場所を教えてもらったお礼に肉をお裾分けしたいという。皿に肉を数切れ乗せて持たせると、カロリーメイトをお礼にと貰って帰ってきた。なんだか気の毒な。もう一皿持たせて、「うちは食料がたくさん余ってるので、もうお返しは良いですと言え」と言い聞かせて行かせた。しばらくしても戻ってこないので見てみると、おっちゃんが肉を食べるのをじっと見守っている。それじゃ落ち着いて食うこともできまい・・・速攻で呼び戻す。せっかく1人で静かな山歩きを楽しんでいたのに、こんなやかましいガキどもの相手をさせられて気の毒なことであった。

 さらにそのうち、ヨーレイカテントの住人も戻ってきた。温泉にでも行っていたのだろう。父ちゃん母ちゃんと子供3人の家族だった。上の女の子は小学校高学年くらいか。下の子達は大や生より少し下、という感じである。
 こ・・・・これは・・・・危険だ。「子供が2人いれば喧しさは2倍ではなく2乗になる」の法則が実演されてしまうかもしれない。ちなみにうちの息子達2人で既に2乗されているのである。これに子供3人が加われば、この静かな森の中のキャンプ場が阿鼻叫喚の巷と化してしまうのは目に見えているではないか。
 ・・・と恐れたのだが、意外にも子供同士はたいして反応せず、それぞれの家族はキャンプ場の中を平和に棲み分けていたのだった。それでも単独行のおっちゃんはうんざりしたかもしれないが。
 街では同年代の子供を見つけるとあっという間に友達にしてしまい、スーパーの通路や駐車場など、あらゆる場所を阿鼻叫喚の巷と化してきた実績を持つ息子達も、山に来れば不思議に子供にはあまり反応しないのである。不思議だ。

 天候は日中はずっと曇りで、暗くなってから一度はトイレに行くのにも支障が出るほどの濃霧が立ちこめた。
 雨も断続的に降ってきて、フライシートを叩く雨の音を聞きながら眠りについたのだった。だが、午前3時頃一度目を覚ますと、空は素晴らしい快晴になっていた。月がかなり明るいのにも拘わらず、それは見事な星空だった。周囲には電灯など一切なく、夜は真っ暗になってしまうテント場なので、新月の時などはかなり凄い星空が期待できる。それだけでこのキャンプ場は気に入った。今度来る時は月齢をチェックしてから来るべし。

 翌15日朝。
 快晴は朝まで続いたが、北西の朝日岳方面からは分厚い雲が近づいてきていて、午前中早い時間にはこのあたりもガスってくるのは容易に予想できた。夏山みたいな天候である。
 別に急ぐことはないので雨に濡れたテントを干しながらゆっくり撤収する。
 撤収後、駐車場まで戻り、テントや装備を車に積み込んで代わりにお風呂セット(ってもバスタオルとタオルだけ)をデイパックに詰め、いよいよメインイベントの露天風呂巡りである。

蓮華温泉の地図 

蓮華温泉のマップ

 この蓮華温泉は、白馬岳方面の登山道から分岐した道沿いに4カ所の露天風呂がある。ロッジの中にも内湯があり、それは総湯というらしい。
 道沿いの露天風呂は、三国一の湯仙気の湯薬師の湯黄金の湯の4カ所である。温泉巡りは歩いてざっと30分、1.5kmの間にあるらしい。
 とりあえず左回りルートで行くことにした。

 道はとりあえず普通の登山道という感じである。まあちょっとしっかりした運動靴があれば楽勝という感じの道。
 10分ほど歩いて最初の三国一の湯に到着である。

 


 

三国一の湯 

三国一の湯 道端に唐突に風呂が・・・

三国一の湯

三国一の湯 狭い!ぬるい!

 道端に唐突に風呂、である。「野趣溢れる」なんて陳腐な表現を鼻でせせら笑いたくなるほどのワイルドさである。むろん脱衣場はおろか、遮蔽物は一切ない。
 上の写真でカミさんが苦笑している左に、どこかのお兄さんが慌てて服を着ているのだが、その間にあるのが風呂桶である。
 下の写真が風呂に入っているところだが、この狭さはほとんど家族風呂である。しかもぬるい。お湯の色は濁った緑色・・・?湯ノ花が浮きまくっているのだが、よく見ると浮いているのは湯ノ花だけではないぞ。木の葉やゴミも相当浮いている。そりゃこの環境では当然だが。

 そうかぁ、「三国一の湯」というのは、「三国一しょぼい湯」という意味だったんだ!と納得して次の風呂へ。さ、寒い!湯はぬるいし、周囲に木の板や岩といった足を置ける場所すら乏しい。風呂桶の隣はいきなり土の地面である。身体を拭く場所にも困る。
 ちなみにこういう状況はある程度判っていたので、カミさんは車から既に水着着用である。下の写真を撮った後、カミさんも風呂に突入してきたのである。
 4人揃って「寒い〜!」と震えながら次の風呂を目指したのであった。

 


 

仙気の湯 

仙気の湯 本邦初公開のカミさんの入浴姿(ただし水着着用)

 次の仙気の湯は良かった。周囲が開けていて展望も良く、周りは噴煙が上がって「これぞ温泉!」というムードである。
 相変わらず遮蔽物は一切ないのだが、風呂桶の周囲には板張りがしてあって足を置くスペースは確保されている。少なくとも三国一の湯のように風呂から出る時に「次はあの石に足を置いて・・」とルートファインディングに神経を使うことはない。
 お湯の色は白く濁った硫黄臭が強いもの。こんなに接近しているのに、場所ごとに違うのである。不思議だ。
 それにしてもこの仙気の湯は気に入った。私の温泉ランキングでは白馬鑓と同率2位をゲットである。(1位は高天原)

 


 

フルチンで薬師の湯に向かう息子ども 

フルチンで薬師の湯に向かう息子達

 私はもうここで安住の地を見つけたような気持ちになってしまった。
 この100mほど上に薬師の湯があるのだが、行き止まりだし私は既に行く気なし。
 ところが息子達は行きたいという。なら勝手に行ってこいと言うと、息子2人でフルチンのまま薬師の湯に行ってしまった。
 右の写真で中央上に薬師の湯の標識が見える。ちなみに息子達は既にルートを外れてしまっている・・・
 風呂から「靴くらい履け!」と叫ぶと戻ってきて靴だけ履いて登っていった。

 


 仙気の湯に着いた時、夫婦連れの先客がいた。
 奥さんは風呂に入る気配も見せず、旦那が風呂に入っているのをじっと待っている。奥さんが風呂の前に突っ立っているので入るのを一瞬躊躇したが、それはそれとして内心、「この旦那、いい度胸してるなぁ〜」と思ったのであった。うちで同じことをしたら離婚されてしまう。
 カミさんがその奥さんに話しかけているのを聞いていると、どうもこんな所とは知らなかったようでなんにも用意しておらず、風呂に入れないんだそうな。カミさんが「それはもったいない!」と一生懸命奥さんが風呂に入れる方法を考えている。(どうでも良いけど馴れ馴れしいカミさんである)
 なんせTシャツの替えすらないらしく、かなり苦戦していたがどうやら良い方法を考えついたらしく、揃って上の薬師の湯に登っていった。後でその方法をカミさんから聞いたが、複雑で良く理解できなかった。
 その奥さんはとても綺麗な人だったのでちょっと入浴シーンを見てみたい気もあったが、もうすっかり仙気の湯に安住モードに突入してしまっていたので、風呂から出る気にはとてもなれなかったのだった。
 そのうちカミさんと息子達も戻ってきて次の風呂に行こうと急かす。でも次の風呂がここ以上に良い風呂だとは思えなかったので、「俺はここがいいんだ!」としばらく抵抗したのだが、そのうちカミさんと息子達が私を捨てて3人で歩き始めてしまったので仕方なく私も次の黄金の湯に向かった。

黄金の湯 

黄金の湯での禁断の写真?

 黄金の湯もやっぱり道の真横だった。
 ただ、風呂の周囲に板張りもしてあるしけっこう広いし、期待していたよりは遙かに良かった。遮蔽物はまるで意地になったかのように、ここにも一切なかった。
 お湯の色は無色透明。全部違うんだね。不思議だ。

 白馬から下山してきたという2人連れが仙気の湯にいて、我々より少し先に降りていって黄金の湯に入っていたのだが、私達が黄金の湯に降りていくと慌てて出ていった。
 ん〜、カミさんがいるしねぇ。仙気の湯は白濁湯なので入ってしまえばどうってことないけど、ここは無色透明なのでヤバイと思ったのかも。

 昔、高天原で風呂に入っていたら30過ぎのまだ若い夫婦がやってきて、奥さんがなんの躊躇も見せずにすっぽんぽんになって「失礼します」とにっこり微笑みながら風呂に入ってきたことがあった。非常にビビッた。旦那もすごくビビっていた。こういう時は男の方がビビるものらしい。
 また、やはりけっこう昔のことだが、岩手の夏油温泉に行って洞窟風呂に入ったことがあった。中は鼻をつままれても判らない真っ暗闇で、岩の壁に手をついて手探りで奥に進んでいたのだが、唐突に私の手がなにやら柔らかいものに触れた。
 これは人の身体だと判って暗闇の中で、「あ、ごめんなさい」と言ったら、「いいえ」と返ってきた声が若い女性の声だったので反射的に後に飛び下がったら岩の壁に後頭部を思い切りぶつけたものだった。
 目から火花が多量に飛んだが、その灯りで何かが見えたわけではない。

 


 というわけで一巡りしてロッジに帰ってきた。
 湯あたりしてだるい身体で車に乗り、下山である。
 長男の大が「博物館に行きたい」と騒ぐし、私も大町の山岳博物館に久しぶりに行ってみたかったので、進路を大町に取る。
 久々の山岳博物館だったが、建物は新しくなったが隣接のミニ動物園は相変わらずだった。アラスカマーモットとか飼っている動物は増えていたが。
 カモシカは昔より増えていた。「さくら 平成14年5月生まれ」と書かれたケージの中にいたカモシカは、どう見たって3歳にはなってる大きさだったが・・・近くに寄ってきた時に角を見たが、年輪は3本あったぞ。学芸員を呼んで確認しようかと思ったがカミさんに阻止された。それともあのケージにはカモシカが2頭以上いたのだろうか。
 裏手の広いカモシカエリアも相変わらず急傾斜地に採られている。野生の状態に近いということで設定されたと聞くが、別にカモシカは好きこのんで急峻な山岳地に住んでいるわけではないんだけどね。生態的に他の動物と競合すると負けるから、結果的に他の動物があまり住まない山岳地に追いやられているだけなのだが・・・富山には市街地に縄張りを持って安穏と生活していたカモシカもいたし。
 他にもタヌキを見ると「この痩せ具合はパルボでもやったのか?」とか、何かしら専門的なツッコミをしたくなるので、さっさと本館に移動した。

 本館1階は「登山史」の展示コーナーで、「風雪のビバーク」の松濤明のメモの現物とか、ナイロンザイル事件で切断されたザイルの現物とか、とにかく興味深い展示がたくさんある。
 しかしショックだったのは、「登山用具」の展示で私が昔使っていたり山仲間が使っていたりした道具がズラリと展示されていたことだった。

モンベル スーパードリューパーカ 

こんなところにモンベルのスーパードリューパーカが!!

 右の写真で人形が着ているのがモンベルのスーパードリューパーカである。高校時代、同級生が買ったのを見て羨ましくてたまらなかったやつだ。それが博物館入りですか??
 他にもサレワのロックハンマー、ガリビエールのヘルメット、トロールのシットハーネス、コフラックから出た初のプラスチックブーツ、ホエーブス625(通称"大ブス")、ハンガロテックスの手袋、初代EPIガス、etc...
 当時の私の装備は全て博物館にあった、と言っても良いくらい。かなりショックである。

 ちなみに右の写真は、いかにも冬のクライミングという装備である。確かにこんな格好で冬の北鎌尾根とか行ったなぁ。
 この写真で、手袋が「オーバーミトン」なのがミソである。そうだよなぁ、昔は5本指のオーバーグローブなんてなかったものなぁ。岩壁でもオーバーミトンだったよなぁ。微妙なところはオーバーミトンを脱いでバリバリに凍るのを覚悟でハンガロテックスむき出しで攀ったよなぁ。岩壁の途中で片手しか空かなくて、それでも苦労してオーバーミトンを脱ごうとしたらハンガロテックスごと飛ばされて真っ青になったりしたよなぁ・・・

 ちなみにこの人形、ダブルアックスで攀ろうとしている様子だが、左手に持っているアイスハンマーが昔の私を見るようで健気である。私、こんな良い装備はしていなかったけど。

 ノスタルジックにどっぷり浸ってしまったのだった。

 


 帰り道、道の駅白馬に寄ったらテレビで阪神広島戦をやっていた。
 ちょうど9回表で安藤が力投しているところだった。その裏、阪神は赤星のタイムリーで劇的なサヨナラ勝ちをしてマジックを1とし、同日ヤクルトが横浜に負けたため、阪神の18年ぶりの優勝が決まったのであった。
 親の代からの阪神ファンである私は、六甲おろしを唸りながら帰ってきたのだった。

 しかしこれを書いている今、ふと気づいたのだが、その前回の阪神優勝の頃に私が使っていた道具はほとんど全て、この博物館に展示されていたのである。博物館入りするほど待たせやがって・・・

 

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