平成17年5月2日・3日 比叡山
5/3 | 9:50 | 実家 発 | メンバー |
10:20 | 日吉大社〜大宮川林道 | 家族4人+母+もも(ハスキー犬) | |
13:20-14:00 | 横川中堂 | ||
16:45 | 日吉大社 | ||
5/4 | 10:10 | 実家 発 | メンバー |
10:40 | 飯室不動堂 | カミさん | |
12:00 | 横川中堂 | ||
12:20-13:00 | 三石岳林道 | ||
13:20 | 林道分岐・下降点 | ||
15:20 | 帰宅 | ||
2.5万図 「京都東北部」・「大原」 |
このところ毎年5月の連休にはテント泊で山に行っていたのだが、今年は実家から日帰りで行ける、というか実家のほんの裏山の比叡山である。だんだん軟弱になってきているような・・・
ま、比叡山であれば実家から日帰りどころかアプローチに車も使わずにすむというほどの、まさに「裏山」なのでこれはまさしく「町内の山」である。ただし実家の。
今年の連休は3日ほど実家に帰省していたわけだが、そのうち2日ほど使って裏山を歩くか、という予定でいた。当然コースなどは何も決めていない。地図くらいないと困るのだが、それも中学時代にこの界隈の山を1人で歩きまくっていた頃に使っていた昭和50年版である。
3日の日は久しぶりに母がついてくるという。おまけに犬も連れて行くという。
実家には犬が2匹いるのだが、紀州犬がかかった雑種の"さくら"の方は18歳、ハスキーの"もも"は14歳と、いずれも非常に高齢である。さくらの方はもうさすがに山道を歩けまいと言うことでももを連れて行くことにした。
ももだけを連れ出そうとする気配を感じてさくらの方が焦っていたが・・・(帰ってからもしばらく機嫌が悪かった)
日吉大社への道で まだまだ元気なもも |
まだ歩き始めなので元気なもも。
もものリードをどちらが持つかで、例によって大と生がケンカをしていた・・・
日吉大社近くの橋 |
実家からまず日吉大社に向かう。
実はこの期に及んでもまだコースを決めていない。とりあえず東塔本坂から根本中堂でも、と思っていたのだが日吉大社に入ると例によってマイペースの母が「あっち」とか「こっち」とか勝手にコースの指図を始め、気がつけば大宮川林道に入ってしまっていた。
この大宮川林道は横川中堂に行く道で、確かに川沿いを歩くので確かに傾斜はたいしたことないのだが、その代わり距離が長い。横川まで5.5kmである。
ま、犬も連れているし生の靴も新品で慣らししなきゃならないし、いいか。
大宮川林道 |
大宮川林道から琵琶湖の展望 |
大宮川林道はこんな感じ。
車も通れる幅なのだが、関係車両以外は入れないのでほとんど車は来ない。
林道からは琵琶湖が綺麗に見えた。
このあたりは琵琶湖も幅が狭い南端の部分なので対岸が近い。
対岸に三上山、通称近江富士が見える。
この日は快晴でちょっと暑かった。
ということで、また生お得意の「疲れた〜」攻撃が・・・
休憩中 まだももも生も元気だが・・・ |
さすがに生が林道歩きに嫌気がさす 14歳の高齢犬に負け |
それにしてもやはり5.5kmは長いぞ。
というか、ここをよく行き来していた中学時代は、いつも1時間半くらいで横川に行っていたはずなのだが・・・
後半、さすがに女2人+生のちんたらしたペースにつきあいきれなくなった大が先行しだした。
ももは大についていった。時々こちらを心配そうに振り返るのだが、いいから行けと手振りで示すと大と一緒にずんずん先行していった。
私は遅れている生やカミさん達と大の中間あたりを1人でぶらぶら歩いていたのだった。
すると三石岳への分岐点で大が座り込んでいる。
聞けば足の皮がむけた、だと。
実は今朝出がけに、去年買ったばかりの大のトレッキングシューズがもう小さくなっていることが発覚し(ショック!)、急遽別の靴を履かせたのだが、どうもそれも合わなかったらしい。
結局合流を待って足の手当をし、横川中堂へ・・・
横川中堂 |
ようやく横川中堂に到着。なんと日吉大社から3時間もかかった。
ここはすぐ横に奥比叡ドライブウエイが通っているので観光客が非常に多い。
なんでも駐車場の方から来ると拝観料を取られるらしいが、林道から来ると料金所を通らないのでフリーパスである。
横川中堂の前のベンチで昼食。お握りを作ってきているので火器類はお茶を沸かすくらいにしか使わなかった。
さて、帰りのルートであるが、もう午後の2時も回っていることだし同じ道、しかも5.5kmの林道を歩き返すのは嫌だったので、飯室不動堂に降りる道などを考えていたのだが、母が来た道を戻ろうと主張する。ももがもうヘロヘロなので急な道は可哀想だと言うのだ。いやぁ、飯室不動堂への道ってそれほど急な道では・・・
でも、さっさと母がももを連れて歩き出してしまったので仕方なく再び大宮川林道へ・・・相変わらずぢゃ。
ひたすら林道歩きと知っていたらトレッキングシューズなんて履いてこなかったのだが・・・
ももはもう歳なので足の裏の肉球が薄くなっている。
帰り道 よたよたのもも |
草の上はまだ良いのだが、小石がごろごろの林道は見るからに辛そうである。まあ、ももにしてみれば、いつもの散歩のつもりで歩き出したのに、こんなに長距離を歩かされるとは思ってもみなかったのだろうが・・・
すれ違う人たちに「その犬、何歳?」、「頑張ってるね〜」などと声をかけてもらえるくらい、よれよれになって歩いていたのだった。
さて、そんな感じで5/2は終わったわけであるが、さすがに物足りない。距離はたっぷり歩いたのだが林道だけだし、これでは普段の散歩の延長という感じである。
なので翌5/4は、母が子供2人の相手をしてくれるということだったので、カミさんと2人で歩いてくるか、ということになったわけである。
それにしても比叡山はほぼ全山、杉の山である。すなわち、花粉の飛散元なわけである。
もう最盛期は過ぎているのだが、それでもカミさんは帰り道は目チカチカ鼻グシュグシュ状態であった。これではまるで森林浴ならぬ花粉浴である。
だったらもう少し違うところ、例えば比良あたりだとそれほど杉林も多くないので少しはマシかもしれないと提案してみたのだが、どうせ連休でアプローチの道が混んでいるだろうし、比叡山をもう少し歩こう、とカミさんが言うので翌日も比叡山ということに。
それならばちょっと気になっていたルートが・・・
このあたりの山は中学時代に道のあるなしに拘わらず、たいていの尾根筋や谷筋を踏破しているのだが、それでもまだ歩いていないコースがあった。
三石岳あたりから実家の団地にほぼダイレクトに降りてくる尾根があるのだが、2.5万図ではこの尾根に道があることになっている。そんなの記憶にないぞ。
実家の裏手に給水塔があって、確かに給水塔まで登るとさらに上にか細い道が続いていたのは知っているが・・・でも位置的にはドンピシャリである。つまり、三石岳直下から尾根を降りてくると給水塔に出る、ということか。これは是非とも歩かねば。
とはいうものの、季節は既に5月である。ヤブこぎには不向きな季節・・・
ま、行ってみてヤブがきつそうだったら素直に千日回峰行のルート(三石岳〜八王子山〜日吉大社)で帰ってくればいいし、行くだけ行ってみるべ、ということにしておいたのだった。
そして5/4。登りのルートは前日、母に拒否された飯室不動堂から横川中堂の道である。
飯室不動堂付近 |
飯室不動堂へは、実家の団地を抜けたあたりから山道に入り、小さな山を1つ越えて入るのだが(車で迂回して来る道もある)、こことさらにもう少し奥の安楽律院あたりまではガキの頃の縄張りであった。沢ガニやアケビを取りによく来たものである。
横川中堂への登山口 |
横川中堂への登山口にあった道標で大笑いして、「うん、"きよつけて"登るよ〜」なんて言いながら通過したのであった。
横川中堂への登山道 |
横川への登山道は涼し気な森の中なので気持ちはとても良いのだが、でもやっぱり杉林なので季節によっては花粉浴になってしまう。夏はさすがに暑苦しいし、やはり冬が良いな。
このあたりの山の特徴として、道標の整備度はあまり高くない。
この道は比較的ポピュラーな道なのだが、飯室不動堂からの登り口に「きよつけて」の道標があったのみだった。
この登山口にしてからが、安楽律院方面の道を分けてけっこう入ったところにあるので、初めての人は迷うかも。
また、途中1カ所、道が直角に曲がるところがあるのだが、そこは直進方向にも明瞭な踏み跡が続いていて、うっかりすると真っ直ぐ行ってしまう。そこにはさすがに道標はあったが。
杉の植林地帯なので、極端に言えばどこに行っても道(踏み跡)はある。ただしどこに続く道かは知らないが、という状態である。よほど間違えやすいところでない限り、そんなところにいちいち道標はないのがここらの山である。
ま、踏まれていない道に足を踏み入れた途端、足の裏の感触で「この道は踏まれていない→正しいルートではない」とたいてい判るものなのだが。
このもみじ、どう見ても紅葉しているような・・・? |
横川中堂にて 怪しい探検隊? |
ひと登りして横川中堂に到着。
余談だがこの道、前日母が忌避したほどとんでもない登りではなく、下も林道と違って柔らかい土だったので、行程が短いことを考えてもこちらで下山した方がももには優しかったかも。
飯室不動堂からの道を登ると、横川中堂から三石岳を経て八王子山に続く林道に出る。千日回峰行のルートでもある。
出てくるのはちょうど日本生命の慰霊塔がある場所なのだが、「飯室不動堂方面」の道標は小さく粗末なものなので、初めてここを下山する人は判りにくいかも。
それにしてもこのあたりのもみじ、どう見てももう紅葉しているとしか思えないのだが・・・
最初から赤いもみじというのも確かにあって、横川中堂の前あたりにはけっこうあるのだが、ここのもみじは青い葉と半分くらい赤くなった葉、完全に赤くなった葉が1本の木に同居していて、いかにも「紅葉してます」という感じだった。初めから赤いもみじとは色も少し違うし。
超気が早いやつなのか・・・?
ちなみにカミさんは花粉対策のため、マスク着用である。怪しさ炸裂状態である。
前日は上の写真に写っているベンチで昼食を食べていたのだが、今回はさすがに怪しさ120%な出で立ちなので気が引けて、もう少し静かな場所まで移動することにした。
ということで三石岳方面の林道に入り、しばらく歩くとお誂え向きに切り株をいくつか椅子のように置いてある場所に到着。ここで昼食となった。
ソースかつ飯を作る |
今日の飯はソースかつ飯である。
といっても冷凍食品なのだが・・・説明書きの調理法にはレンジで温めるとしか書いてなかったが、それならフライパンで炒めてもいけるはず。
ただ、面倒だったので油を持ってきていなかった。
なので焦げ付かないように炒めるのにはけっこう苦労した。この前日に買ってきたばかりのチタンのフライパンは、たった1回の使用で歴戦の勇士のような貫禄がついてしまった・・・
ただ、ソースかつ飯はかなりいけた。我が家では長い間、やはり冷凍物のソバ飯がヒット食品となっていたが、こそれに匹敵するくらい美味であった。炒めるだけだから手間暇かからなくていいよなぁ。
飯を食っている間にも何人かのハイカーが通り過ぎていく。さすが5月の連休というべきか、こんなマイナーな道でも人通りは多いような。
まあでもこの道が「マイナー」だったのは昔の話なのか。今じゃ「滋賀県の山」にも「回峰行コース」として載っているもんなぁ。
中学生の頃はほとんど冬しかこのあたりを歩いていなかったこともあるだろうが、ほとんど人とは会わなかった。たまに回峰行者と出会うことはあったが、静かな山の中で突然白装束を着た行者と出会うのは恐怖体験以外の何者でもなかった・・・
さて、食事も済ませたので林道をぽくぽく歩く。たまに樹間から琵琶湖が見えて気持ちいい。
そうこうするうちに三石岳の林道分岐も過ぎ、いよいよ下降点との分岐点である。
坂本8丁目への下降点 |
当然、道標などはない。期待もしていない。
ただ、赤テープが木に付けられているのは意外だった。写真にも写っている。
覗き込むと明らかに踏まれていないが、確かに踏み跡が下に向かって続いている。ヤブはこの地点ではそれほど酷くなさそうだが・・・
さて、どうするか?
と迷っていても仕方ないのでとにかく突っ込むことにする。
こんな感じの道が・・・ |
写真は林道から撮ったものである。
こんな道が下まで続くのなら楽勝なのだが・・・
やはり甘かった。
微かな踏み跡はあっという間になくなった。あとは急傾斜の中を適当に歩けるところを歩くのみである。
一応、地図で地形照合して進行方向は確認してある。まあ、この尾根を降りる限り、極端なことを言えば目をつぶって歩いたって実家の団地の近くには降りることができるのだが、あまり早い段階で支尾根にでも入り込んでしまうとヤブこぎの時間が長くなってしまう。
ちなみにこの界隈の山では、谷はごく一部を除いてゴルジュだの滝だのといった行く手を阻む地形はない。なのでこの山では「迷ったときに谷に降りる」のは他の山とは違って致命的なミスとはならない。
ただ、谷は水量が少ない上にヤブが稜線より多いので、ちょろちょろ流れる水流の上を這って行かねばならないほど難易度の高いヤブこぎをしばしば強いられる。杉林の中だとヤブといってもたいしたことはないのだが、水辺はうねうね曲がった木がびっしり生えていたりして、まるでマングローブである。冬ですらこの界隈の谷のヤブには手こずった記憶がある。
ちなみにどの山域でもそうだが、唐突に出現する砂防堰堤はここでも脅威である。しばしばどんな滝やゴルジュよりも難易度の高い障壁となる。
特に比叡山の谷で出会う堰堤はやっかいで、ヤブが密生していると懸垂下降で降りようとしてもザイルがヤブに引っかかって下まで届かない。
また、時としてあまりにも灌木のヤブが密生しているので、灌木にしっかりアンカーを取ったつもりでも、確認のために引いてみたらただの流木だったということが何度もあった。ま、ヤブに捕まりながら10mほどの堰堤を降りてしまえたこともあったのだけど。
なので他の山とはまったく違う意味で、やはりこの山でも「道に迷って谷に降りる」のは御法度なのであった。真冬ならありだが。
おまけにこの季節だと虫も多かろうし。
ヤブこぎで尾根を降りるときに注意するのは、歩きやすいところを拾って歩いているといつの間にか支尾根に入り込み、そのまま谷に一直線、ということがしばしばある。ほとんど杉の植林帯であまり視界は利かないので、それだけを注意しつつ下降を続けた。
傾斜はかなり激しい。下降点が標高640mほどで尾根末端の実家のある団地が標高180mほど、つまり標高差460mほどを水平距離にして1km程度の間に駆け下りるわけだから。ま、こういう尾根の下降は嫌いではないけど。
尾根の途中から実家のある団地を超望遠で |
・・・今回の「超望遠ネタ」は尾根の途中から実家を撮影したという、非常に内輪ネタである。
はっきり実家が写っていて、窓から誰か顔を出せば識別できるくらいなのだが・・・こんなの他人が見ても面白くも何ともないよな。
なお、カメラはこの尾根の下降中はこの写真を撮るために出しただけだった。なんせ傾斜が強くてたいした道もないので、木にぶら下がりながら下っているような状態でカメラをぶら下げながら、というわけにはとても・・・おまけに花粉も酷いし。
しばらく下降するとまた赤テープが出てくるようになり、そのうち踏み跡さえもはっきりしてきた。
なんだこりゃ楽勝だとヘラヘラしながら下っていくと送電鉄塔に出た。上から鉄塔は見えていたのでばっちりである。
鉄塔から下も赤テープは続き、踏み跡も明瞭だったので「これで終わったらつまらんかも」などと不遜なことを考えた矢先、林道に出てしまった。この林道は予想外である。地図にも出ていない。
ちょっとだけ林道を歩いてみると、送電線の下をほぼ水平に続いているようだ。これはこのまま歩くと八王子山の方まで行ってしまうに違いない。
それではつまらないのでやはりそのまま下降を続けることにした。
が。今度は下降点が見つからないのである。赤テープはおろか踏み跡なんて皆無である。
むむむ、さてはあの踏み跡や赤テープは、この送電鉄塔のメンテのためのものであったか。
仕方がないので方角だけ合わせてえいやっとばかりにヤブに突入。
このあたり、杉林とほんのわずかだけ残った自然林との境界線上で、自然林の方はちょっと見ただけで遠慮したくなるほど強烈なブッシュである。必然的に杉林を選んで歩くことに。少し方角がずれ始めているのは判ったが、まあ多少ずれたって着地点はそう変わらないし。
時折、ヤブのきつい自然林の中に踏み跡のようなものが見えた。降りてから思えば、あれが給水塔に続く道だったのかもしれない。が、ヤブの中で道に見える場所に行ってみるとな〜んにもないなんてことは極めてよくあることなので、あまり意に介しないことにした。
カミさんが時々「あっちの方に道が見えるよ」と言うのだが、それも相手にしないことにした。
急傾斜の中を木にぶら下がりながら降り、ようやく傾斜が緩くなってくると下の方に何か大きな屋根のようなものが見えた。
最初は西教寺の屋根かと思い、元々想定していたルートが西教寺より100mは北の方に着地するはずなのが、どんどんさらに北にずれながら降りていると思っていたので、かなり方向感覚に自信をなくしかけたのだが、近づいてみると何か工場の屋根だった。
要するに最初の想定(給水塔)より200mほど北にずれた地点に着地した、ということが判明したわけである。ま、いいや。
工場の手前でヤブを抜けた地点で、カミさんが動物の頭蓋骨を見つけた。広くなった草っ原のど真ん中にそいつは鎮座していた。
カミさんが「なに、これ」と騒ぐので見てみたら牛の頭蓋骨だった。
「牛じゃん」と言ったら「なんでこんなところに牛の頭蓋骨があるの」と言うので、「牛だって生きてるんだから死にもするわい」と言い捨てて歩き出したのだが、カミさんにすればあまり納得できる回答ではなかったらしい・・・
昔、飯場などがあった場所では牛の頭蓋骨がよく出土する。昔は牛の頭って安かったので、よく牛の頭を丸ごと買っていって頬肉などを飯場の作業員が食べていた、ということらしい。
ヤブこぎを終えて・・・よれよれ |
右の写真はヤブこぎが終わったところでカミさんが撮影したもの。
よれよれなのは実は私ではなく、派手に手ブレしまくっているカミさんの方なのだが、でもなんとなく「よれよれ」って感じが出ていて面白いので採用。
このヤブこぎ、カミさんもけっこう気に入ったらしい。面白かったそうな。そりゃ面白いもん。
比叡山の地図を見るとこの他にも「ほんとにこんなところに道なんてあるの?」と言いたくなる道記号がいくつかある。意外にも飯室谷方面の尾根や谷はあらかた歩いているはずなのだが、実家から日吉大社方面は手薄なことに今頃になって気づいた。
ま、このあたりは冬しかあるけないことは今回のことでもよっく判ったので、また今度の冬にでも帰省したときに1つずつ歩いてみようかなと思う。
でもとりあえずはやはり三石岳〜給水塔ルート(とりあえず三石岳東尾根とでも呼ぶ)をきちんと完成させたい。