平成17年9月17〜19日 立山

9/17 8:20 立山駅〜室堂直通バス発車
9:20 室堂到着
10:40 雷鳥沢キャンプ場 着
9/18 6:55 雷鳥沢キャンプ場 発
9:10-30 一の越
10:35-10:50 雄山
  11:30-12:20 大汝山
  13:10 大走り分岐
  14:50 雷鳥沢キャンプ場 着
9/19 7:30 雷鳥沢キャンプ場 発
  〜雷鳥沢ヒュッテ
  10:10 室堂 着
    2.5万図 「立山」

 例年だと8月初旬に家族で雷鳥沢ベースキャンプ&立山登山をしていたのだが、今年は薬師見平に行くために7月末に1週間もの休みを取ってしまったので、さすがに行けなかった。でもやらないまま終わってしまうとカミさんがブチ切れてしまうので、この9月の連休に決行することにしたのであった。
 年々いい加減になっていくのだが、今回はコースさえもまともに決めておらず、まあ初日の夜に雷鳥沢のテン場で寝ながら考えるか、程度のものであった。
 カミさんは下山日に弥陀ヶ原まで歩きたいと盛んに言っていたが、なんせ我が家は決定的に積載力が不足している。去年は長男の大にミレーの40Lを担がせたのだが、先日そのザックをヤフオクで売ってしまったので(売り上げは高天原新道の資料代に消えた)、ザックはゼロポイントの60Lとオスプレーのなんちゃって40Lのものしかない。あとは子供用のザック。この積載力では手提げの荷物が出るのは必定なので、テントを撤収してから弥陀ヶ原まで歩くなんて考えたくもなかった。なので適当にふにゃふにゃとはぐらかしながら準備を進めたわけである。

 ところがそんな脱力系ハイキングが一転して一大イベントになったわけだ。
 それは何かというと、ネット上のお友達である腹ぺこ山男が一家で立山に来ると言うのだ。腹ぺこ氏の掲示板で「17日から立山に行くよ」と書いていたら、腹ぺこ氏が「うちも行きます」と書き込んできたのが前々日。合同キャンプである。小さな娘さんがいるので合同ハイクになるかどうかまではその時点では判らなかったのだが、なんせ山で友達に会うことほど楽しいことはない。この時点で私は立山登山なんてどうでもいい状態になってしまったのであった。

 当日、例によって室堂直行のバスで入山し、雷鳥沢キャンプ場に着いたのが10時半過ぎ。腹ぺこ氏はまだ来ていないようである。なんせまだ会ったことはないので「小さな女の子を含む家族連れ」ということと「テントは赤いダンロップ」ということしか彼らを特定するための情報はないのである。でもそれらしきパーティーは見あたらない。

 

雷鳥沢キャンプ場

雷鳥沢キャンプ場

昼飯はホットドッグ

昼飯はホットドッグ

 とりあえず昼飯を食うことにする。
 昼飯はホットドッグである。キャベツとウインナーを炒めてパンに挟むだけなのだが、去年やって子供達にバカウケだったので、芸がないが今年も踏襲した。

 天候は晴れてはいるのだが、雲が多くあまり視界は良くない。

 今年もまたこの一番大日岳寄りの隅に張った。
 この場所、定位置になってしまった。

 写真では小さくて見にくいが、雀卓と牌を持ち込んで麻雀をしていたパーティーがいた。
 じゃらじゃらという音がテントサイトに響き渡り、激しく血を滾らせる のであった。

 

 


 

腹ぺこ一家登場!

腹ぺこ一家登場!

 昼飯も終わってカミさんと大が昼寝を始めてしまった頃、腹ぺこ一家がやってきた。
 雷鳥荘のすぐ下のあたりから、よく通る女の子の声がしたのですぐそれと判ったのだった。新管理人さんの声なのだが、ほんとうに遠くまでよく通る声である。

 

 


 

 というわけでめでたく合流。初対面なのだがサイト上でしょっちゅう話しているのであまり初対面のような気がしない。
 腹ぺこ一家のプロフィールなどはご本人のサイトをご覧いただければいいのだが、とにかく和やかで楽しい一家である。
 奥さんのナウシカ嬢がまた神様がこの人の顔を作るときに笑顔以外の顔を作り忘れたのではと思うくらいの素敵な笑顔の人であった。たぶん本人は笑っているつもりがなくても他人から見れば笑顔に見えるんだ。
 でも、ついよけいな想像をしてしまうのだが、こういう笑顔標準装備の人に怒られたら、これは普通の顔の人に怒られるより100倍は怖いだろうなぁ。もっともこの人が怒ったらどんな顔になるのか想像もできないが・・・私なんかその瞬間、ショック死するかもしれん。
 そういう菩薩様のような母親と、その菩薩様と暮らしているうちに十一面観音の暴悪大笑面のようになってしまったと思われる父親に囲まれた新管理人さんは・・・よく喋るよく笑う。それもちゃんと「**だから++したい」と理路整然と自分の意志を訴えるのだ。3歳にしてこの言語能力。うちのカミさんなんか「だからあれがホニャホニャするから」などとすぐ指示代名詞と擬態語だけで会話をしようとする。
 また「いい顔して」と言われると顔をくしゃくしゃにして笑うのが可愛いんである。こんな子に人見知りされて泣かれたらマジでヘコむぞ、きっと。

 そんなわけでハンドルネームとは裏腹にみんな満ち足りた顔をしている腹ぺこ一家が到着したのは午後も早い時間だったのだが、別に何をするわけでもなくお茶を沸かして談笑し、ちょっと目を離すとすぐにキャンプ場の探検に出かける新管理人さんを追いかけてまったりと午後が過ぎていったのであった。

夕食の準備

みんなで夕食の準備

春雨コンソメスープ

春雨コンソメスープ

レシピ
 1)タマネギを適当に炒める
 2)サラミと水を入れて沸騰させる
 3)コンソメを入れる
 4)塩コショウで味を調える
 5)春雨を入れてできあがり

寒いけど飲んでます

寒いけど飲んでます(腹ぺこさん撮影)

 この合同キャンプが決まったときから、ついにあの腹ぺこ氏が作る食事を見ることができる!と期待感で一杯であった。
 作っているのはカレーなのだが、さくさくと米を炊き、野菜を切って普通に作っているのはさすがである。カレーで感心している自分も相当情けないのだが・・・
 手抜きのうちは相変わらずアルファ化米にレトルトだったりする。

 でも、今回はちょっと気合い入れてコンソメスープを作ってみたのだ。
 写真も撮ってみた。もちろん腹ぺこ氏に対抗してである。普段はこんな写真、撮ったことないのに。

 これ、カミさんの発案なのだが美味かった。
 一昨年の肉なしサラミカレー、昨年のハンバーグチャグチャの汚名をようやく晴らしたわけである。

 

 暗くなってからも(けっこう寒かったのだが)、そのままテーブルにランタンを持ってきて軽く飲みながら喋っていたのであった。

 翌日の予定は、とりあえず一の越まで一緒に行こうということになった。腹ぺこさんが「やっぱりせめて雄山まで」と言うのをナウシカ嬢がたしなめていたのだが、彼女とて元ワンゲル部員。山に登りたいのはやまやま(あっ、寒いっ!)なのであろう・・・

 


 

 さて明けて18日。天候は昨日と同じような感じか。朝早いうちは晴れているが、すぐ雲が多くなってきそうな感じである。
 4時半起きとか言っていたのだが寝過ごしてしまい、起き出したのは5時頃だった。まずお茶を沸かしてカミさんや息子達を叩き起こし、のんびりと朝食の準備をしていると、6時頃になって腹ぺこ一家のテントから話し声が聞こえてきた。どうやら起きたらしい。
 しかしさすがはワンゲル夫婦 、朝食や行動準備の手際が素晴らしく、歩き出す用意が整ったのは腹ぺこ家の方が早かった。

 ともあれ、まずは一の越までということで歩き出す。腹ぺこ氏はもう雄山まで行く気満々の様子だし、昨夜は小さい子供もいることだしとたしなめ役に回っていたナウシカ嬢も今朝は一の越で帰るつもりはさらさらないように見える。

 

浄土川を渡ろう

浄土川を渡る

 なにはともあれ、浄土川を渡って出発!
 新管理人さんは今日も元気である。

 


 

雷鳥平

朝の光の中を一の越へ

 雷鳥沢キャンプ場から一の越に向かう道は、「神の道」と言われているらしいが、ベタな名前だと思いつつほんとに良い道である。
 この平、一面のチングルマの穂だった。
 これは時期が時期ならさぞものすごいお花畑だったのでは・・・

 


 

神の道を行く母娘

神の道を行く母娘

 

 この上の写真、今回で一番気に入った写真である。神の道を行く菩薩様と将来の菩薩様である。奥の方に暴悪大笑面も見える。

 

神の道での悪ガキ達

悪ガキ2人 in 神の道 (腹ぺこさん撮影)

 右は上の写真と同じような場所での息子達。
 特に生は2年前にこの道をヘロヘロ泣きながら歩いていたときと比べると、見違えるほど偉そうになった。

 


 

神の道を行く悪ガキ2人

なんだかいっぱしの山男に見える・・・

みんなで仲良く休憩

仲良く休憩

 新管理人さんは強い!
 まだ3歳というのに歩く歩く。2年前、5歳の生が「疲れた」だの「まだ?」だのとゴネながら、ついには大泣きまでしてようやく一の越まで辿り着いたというのに、この3歳の女の子はニコニコ笑いながら歩くのだ。
 親はどちらかというと適当にベビーキャリアに乗せてペースを稼ぎたいのだが、新管理人さんは「パパの背中は嫌。歩きたい。」と一の越までの2/3ほどを歩き通した。
 さすがワンゲル夫婦の娘である。
 2年後くらいには立山三山くらいサクッとコースタイムで歩き通しそうである。

 

 


 

 それにしてもうちの息子どもはこの神々しい道を、「ジャングルもじゃも〜じゃ、ヤシの木1本実が2つ〜♪」などと歌いながら歩いている。神の道でそんなお下劣な歌を歌うな〜!
 どうも新管理人さんにこの歌はスマッシュヒットだったらしく、帰宅してからも「ジャングルのうた〜」と腹ぺこ氏にリクエストしていたそうなんである。嫁入り前の可憐な娘にそんな歌を教えるなよ・・・

 ちなみにこの歌を聴いてみたい方は、ここをクリックしてください・・・

 新管理人さんは歩いていても足元に落ちている枯れ枝なんかにすぐ気を取られる。
 二股に分かれた枯れ枝を見つけて、「ワニさんだよ〜」と言うのだが、はて、ワニ?と首を傾げていると、「ほら〜」と小石をその二股の間に挟むように持ってくると、おお!なるほどワニさんではないか!
 ・・・ジャングルもじゃも〜じゃとは偉い違いじゃのう・・・

 という具合にひたすらのんびりまったりと歩いていたわりには、2時間半足らずと思っていたより早く一の越に到着した。神の道を歩いているときはほんとに静かで数パーティーと会っただけだったのに、一の越は人の渦である。
 雄山のあたりはガスっているし風もけっこう冷たいが、新管理人さんも絶好調だし我々パーティーの雄山登頂を妨げる要因は何もない。
 というわけで雄山にGo!である。

 一の越から雄山までの道は傾斜も強いし岩がゴロゴロしているし、人通りが多くて落石にも注意しなくてはならないし、というわけでさすがの新管理人さんもベビーキャリアに搭乗である。

 

雄山直下!

新管理人さん、雄山登頂目前!

 雄山付近はすっかりガスの中で、しかも冷たい風がけっこう強く吹いていたのだが、頂上直下でベビーキャリアから下ろしてもらった新管理人さんはやる気満々である。

 

 


 

雄山にて

雄山にて

 たまには頂上でお祓いでも、と思ったのだが、この人の列を見ては、さっさとずらかった方が得策だな。

 


 

 雄山で腹ぺこ氏が地図を持ってきて、「池上さん、この道は?」と大走りを指さした。
 うんうん、いいところに気づいたね〜。雄山からだと一の越経由で下りるのと大走り経由で下りるのはたいして時間に変わりはないんだよな。そうとなったらワンゲル夫婦 が雄山で大人しく帰るわけがないよな。
 というわけで合同ハイクはなおも続行である。

大汝山

大汝山山頂にて

 さくさくと大汝山に到着。
 時々ガスが晴れて黒部湖や後立山が見えたりするのだが、剱はついに見えずじまいだった。
 この山頂の大岩を登って遊ぶ。

 

 


 

大 生

チムニーを見つけてご満悦の大

兄貴と同じことをしたがる生

 

 山頂の大岩にちょっとしたチムニーがあって、大がそこで遊んでいると生が兄貴と同じことをしたがる。同じように写真を撮ってもらいたがる・・・

 腹ぺこ一家とはここでお別れである。彼らは今日中に下山するため、あまりのんびりしてはいられず、先を急ぐのである。
 名残惜しいがここでお別れ。新管理人さんもベビーキャリアに搭乗してニコニコと手を振ってくれたのだった。

 我々はここで昼食。大と生はそのあたりを走り回っている。ガスが晴れて黒四ダムが見えたとはしゃいでいた。

 カミさんはこの後、真砂岳経由で剱御前まで歩きたがっていたのだが、私の頭の中はもう既に温泉とビールしかなかった。大走り経由で下山を強固に主張。じゃ、まあとにかく大走り分岐まで行ってから考えようということになったが、この時点で既に私の勝ちである。

 

大走り分岐付近

大走り分岐付近の稜線

 富士の折立から下った大走り分岐付近の稜線。
 このあたりの稜線は雰囲気良くて好きである。ガスっていてもなかなか良いなと思う。

 分岐からはさっきの議論はどこへやら、当然のように大走りへと入る我々であった。

 


 実は大走りも好きなんである。登ると単調で辛いかもしれないが、下る分には一気に高度を落とせて良い道である。

 

大走りからテン場

超望遠シリーズ
大走りの尾根からテン場

撤収中の腹ぺこ一家

上の写真の等倍トリミング
撤収中の腹ぺこ一家

 大走りを下っている途中で、テント場に見えていた腹ぺこ家のテントがなくなったことに気づいた。
 望遠レンズで覗くと腹ぺこ家が撤収中であった。
 よもやこんなところから写真に撮られていたとは気づくまい。

 ・・・でも早いぞ。大汝山で分かれてから2時間経っていないのだ。
さすがワンゲル夫婦である。本気で歩けば速いぞ。子供背負って一般的にはどちらかというと歩きにくいと言われているこの道をこの時間だもの。

 


 

 まあ我々もけっこう速かった。生がヨタヨタになって下りていた2年前が遠い昔のようである。
 普通に大汝山から2時間ほどでテン場に帰り着いたのであった。

 

大走りを下り終えて

大走りを降り終えて

雷鳥荘付近からのテン場

雷鳥荘付近からのテン場
中央の黄色のテントが我々のテント

 下ってからカミさんが、「こんなに速く歩けるのなら、剱御前まで行けたんじゃ・・・」とか言っていたが、聞こえないふりをした。
 行ける行けないの問題ではなく、一刻も早く温泉に入りビールにありつくにはどうすべきかという問題だったのであるからして。

 

 

 尾根の中程から撤収中の腹ぺこ家が見えたので、もうとっくに行ってしまったと思っていたのだが、実は腹ぺこ家はまだすぐちかくにいたらしい。
 私達がテン場に戻ってきたとき、雷鳥荘の近くあたりから大声で呼んだそうなのだが聞こえなかった。(もう風呂とビールで私の頭は一杯だったし)

 で、こんな写真を撮られていたんである。
 テントのフライが開いていることと撮影時刻からみると、我々が風呂とビールにありつきに雷鳥沢ヒュッテに出かけた後の写真らしい。
 こんな写真を撮られていたとは気づかなかった。


 

 この夕刻、けったいなパーティーがいた。
 我々が夕食を作っている午後5時半頃、20人くらいの団体がテント場を横切って浄土川の方に歩いていった。
 この時間に浄土川を渡る?どこに行くつもりなんだ、彼らは。剱御前に行くにしろ一の越に行くにしろ、2時間近くかかる。
 かなり奇異な光景だったので、テン場の住人が何人か見守っていたのだが、彼らは一の越に向かう神の道に入っていった。しかもルートを間違えながら
 それにしても不思議だ。室堂から一の越に行くのなら、わざわざテン場まで下りてこなくても素直に一の越に行く道に入ればいいじゃないか。なんでこんな時間にわざわざ遠回りして一の越に向かう??
 それに今から行ったら途中で暗くなるぞ。現にこの5時半でもけっこう薄暗くなっているのだ。何を考えているのやら。

 その後、そのパーティーのことは忘れていたのだが、夜8時頃にトイレに行ったときにふと見ると一の越の手前あたりでヘッドランプの光が揺れていた。遅すぎるぞ。3歳児にも負けるペースじゃないか。

 この夜はかなり冷え込んだので、きっと明日は晴れると思ったのだが・・・

 夜中、3時くらいにパラパラとテントを打つ雨の音で目が覚めた。ちっ、雨かと舌打ちしてすぐまた寝たのだが、朝5時くらいには既に激しく大粒の雨がテントを打ち、風が吹き荒れてになってしまっていた。
 こりゃあ朝飯くったらさっさと撤収するしかないかと、とりあえずカミさんと息子達を起こしたのだが、なんと3人ともシュラフがびしょびしょに濡れていると言う。この程度の雨で浸水するはずがないし、現に私のシュラフはなんともない。テントのウォールもグランドシートもまったく濡れていないので不思議に思ったのだが、よく見るとベンチレーターが開いていて、しかもテントの内側に垂れている。ここから雨がたっぷり入ってきたわけだ。
 ・・・ま、寝るときにベンチレーターを閉めなかったのはまずかったが、それにしてもそんなにずぶ濡れになる前に起きろよ・・・

 それにしても昨日雷鳥沢ヒュッテで翌日の天気を聞いたときは、「こんなもん〜」という返事だったので、まさか嵐になるとは。
 まあ昨夜のラジオの天気予報は雨が降るかもしれないことを臭わせていたが。
 ・・・待てよ、さては昨日息子達が神の道であんな罰当たりな歌を歌っていたせいか?神様が怒ったのか?

 濡れたものを絞ったりしているうちに息子達がトイレに行きたいと言いだしたので、カッパを着込んで完全武装し、トイレに行った。そしたらまたカッパを脱いでテント内に戻り、食事を作るのが面倒くさくなってしまった。ならこのまま撤収だ!

 この風雨の中、子供達を外で待たせるのは可哀想だしテント内に入れるのは面倒なので、とりあえずカミさんだけカッパを脱いでテントに入り、子供達の荷物を作って雷鳥沢ヒュッテに避難させることにした。
 この時時刻は朝の6時半。お客の朝食は終わって大半は出発しているだろうから子供達2人を雨宿りさせてもさほど迷惑にはなるまい。
 子供達に何も食べさせないのも可哀想だし、小屋に金を落とさずに休憩だけさせるのも申し訳ないと思ったので、早朝からは無理かなとは思ったのだが金を持たせて、何か食べさせてもらえるのなら食べさせてもらえと言って送り出した。

雨の雷鳥沢キャンプ場

雨の中、雷鳥沢ヒュッテに向かう息子達

 もしそれが無理でも、合流した後ですばやく何か作れるように、子供達のザックにクッカーと火器類をパッキングしておいたのであった。

 別に嫌そうな素振りも見せず、けっこう上機嫌で雷鳥沢ヒュッテに向かう大と生であった。

 


 子供達を送り出した後、カミさんと2人で撤収を始める。もう懸念事項はないのでけっこうのんびりと撤収していた。
 この日は私達の他にもう1組、子供連れのパーティーがいた。前日に雄山の頂上で会ったのだが、子供は4歳と2歳と言っていた。
 彼らはというと、お母さんが子供2人連れてキャンプ場の管理小屋(トイレ兼ねる)に避難しに行き、お父さん1人で撤収を始めている様子だった。そのうち子供がギャンギャン泣く声が聞こえたりしていた。
 管理小屋の事務所はまだ開いていないし、トイレは狭くてあまり暖かくないのだ。子供にはちょっと辛いかも。
 こういうとき、子供がいるとちょっと苦労するよね。腹ぺこ家は昨日下山して大正解であった。

 撤収を終えてヒュッテに子供達をピックアップしに行ったのは1時間後の午前7時半だった。
 ちょうど、ようやく子供達がぜんざいにありついた直後のようだった。小屋の人に「うちは宿泊施設なのでこんな朝早くから食堂はやってないんですよ」と一言嫌味を言われたが、まあ承知のうえなのでたいして気にしてなかったりする。でもまあ嫌味は言われたが対応は親切だった。
 息子達は将棋をしたりでけっこう楽しくやっていたらしい。

 合流してから朝食を作ろうかと思ったのだが、子供達はぜんざいを食べたばかりでいらないと言うので、お茶だけ湧かして飲んでさっさと出発することにした。
 カミさんがこの期に及んで「天狗平まで歩きたい」とかほざいていたが、積載能力に劣る我々は手提げのトートバッグを1つ持っているのである。(入山時は2つだった) 手提げ持って雨の中1時間も歩くのはごめんである。室堂直行に決まっとろうが。まあ確かに雨の天狗平も捨てがたいのだが。

 地獄谷では閻魔様の黒たまごを作っている現場を見ることができたりして子供達は大喜びだった。
 閻魔様の黒たまごとは、みくりが池温泉小屋で売っている温泉たまごのことで、硫黄泉で茹でるせいか表面は真っ黒なんである。殻を割ったら普通の茹で卵なのだが、硫黄臭くてなかなか美味い。
 地獄谷で黒たまごを作っている現場を見たら息子達がまた食べたいと言いだし、みくりが池の小屋で食べていたりした。

閻魔様の黒たまご

これが閻魔様の黒たまご

 

 室堂では午前中という時間帯のせいか、かなり空いていてバスも一番前に並ぶことができたし美女平の乗り継ぎでは整理券すらなく、ケーブルの時間までゆっくりと駅舎内をうろうろする余裕まであった。こんなことは初めてである。
 だからといって次回から「午前中に下山しよう」なんて言う気にはならないが。

下山して

無事下山してきました

 この写真、大はスペシウム光線、生はかめはめ波を撃っているところだということなのだが、
大のはスペシウム光線ではなくウルトラセブンのワイドショットだろう。
生のかめはめ波はなんだか弱っちそうである。

 千寿ヶ原まで下りてきたら、雨は降っておらずけっこう暑かった。まあ山は黒い雲がかかり、まだ降っているのだろうという感じだったのだが。

クスクス

これがクスクスだ!

 このクスクスであるが、好日山荘で買おうかどうしようか迷っていて、店員に「これ、美味い?」と聞いたのだが彼も食べたことはないらしくよく判らなかった。
 で、ならば試してみようと買ったのだが、不味くてもダメージが少ないように最終日の昼食に設定していたのだ。
 それがこんなわけでさっさと下山してしまったために作る機会がなく、家で作ってみた。
 こんな感じである。見た感じ、なんだか微妙である。食べてみると・・・やはり微妙だった。
 ・・・これを買うことはおそらくもうあるまい・・・

 後日、好日に行ったら店長に「どうでした?」と聞かれた。
 「微妙だった」と答えると「やっぱり」と言うのでよく聞いてみたら、あの日ちょうど店長が試食してみたらしい。その結果、かなり微妙 だったそうなのだが、その直後に店員から私が買っていったことを知り、微妙な気持ちになっていたらしい。
 「・・・もう入れるのやめます」と言っていた。それが正解だと思う。

 なんせ今回は腹ぺこ一家と一緒にキャンプして歩けたことが何より楽しかった。
 また一緒にキャンプしたいのだ。一緒に歩きたいのだ。
 というわけで今後ともよろしくお願いします>腹ぺこ殿

 腹ぺこ殿の山行記はこちら

 腹ぺこ殿の山行記を読んでいて大事なことを書き忘れていたことに気づいた。
 パンプキンパイカレー汁のことである。

 パンプキンパイはナウシカ嬢お手製のもので、初日にお茶を飲んでいるときにご馳走になったのだが、これがまたバカウマだったのである。ケーキ系はあまり好きではない大が「美味い!」と絶賛していたくらいである。
 レシピを教えてもらって家でも、と思ったのだが、カミさんが「私には無理かも」と言うので、次回腹ぺこ一家にお会いするときまでおあずけになりそうである。

 カレー汁とは、カレーを作った後のコッヘルを水で洗い、その汁を飲むことである。
 カレーだけでなく基本的にコッヘルを洗った後の汁は飲むのが基本だったが、私の山岳部ではそれほど厳しくなかった。腹ぺこ氏のワンゲルでは鉄則だったそうだ。

 私の出た中学は比叡山中学という仏教系の私立中学だったのだが、そこでは3年生のときに居士林研修というのがあった。
 延暦寺で写経や座禅などの修行を一泊二日で経験させられたのだが、食事は当然精進料理である。その胡麻豆腐の不味さにも泣かされたが、何より嫌だったのは食後(当然残すことなど許されない)、全ての食器をお茶で洗い、最後にそのお茶を飲むと言うことだった。
 お茶はその1杯しかもらえなかったので、要するに「まともな味がするものは最後まで食えない」ということになった。極めつけが最後のお茶である。
 これがあまりにも嫌だったので、比叡山高校に進むとそれが二泊三日であるということを知った私は、担任の教師が「君だったら特待生で入ってくれ」と言うのを頑なに断って(中学時代は成績が良かった)、公立高校に進んだわけである。

 そんなわけなので、山岳部時代もカレー汁を飲んだことはほとんどない。何食べても平気な私だが、これだけは勘弁だった。まあ何度かは飲んだのだが。コンソメ入れて少しでも美味く飲もうと努力もしたが、あれは小細工をすればするほど不味くなることを知っただけだった・・・

 なので大がカレー汁を飲んでみたときも、横で「愚かなことを・・・」と思いながら見ていたのだが、思ったほど堪えてはいない様子である。もしかしたら「カレー汁の不味さ」は私のイメージの中で無限大増殖していただけだったのか?

 パンプキンパイのことを書き忘れるとは一生の不覚である。ナウシカ嬢に申し訳ないったら。
 ・・・ま、でもパンプキンパイをカレー汁と同列に書いているあたりで既に自爆している気がするが。

 

 

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