日本百名山

 元々ピークハンターではないし、数を登りたいというよりはある特定の山に凝る方なので、百名山巡りなるものにはさっぱり興味がない。
 でもヤマケイの今年の3月号に深田久弥の特集があったので、自分が100名山のうちいくつ登ったか初めて数えてみた。
 結果は、20座いっていない。登ったけどピークまで行っていない山もいくつかある。穂高岳は冬に滝谷を登って北穂のピークの20m横を通ったがピークには立っていない。そもそも北穂のピークに立っても穂高岳に登ったことになるのか?という疑問もあるが。美ヶ原や霧ヶ峰は何度も行ったがやはりピークには立っていない。だいたいピークってどこ??気にしたこともないんだが。八ヶ岳は冬に北八ツのどこかのピークには立ったはずだが、これで「八ヶ岳」に登ったことになるのだろうか?
 白山もクマの調査で室堂あたりはさんざんウロウロしたが、ピークには立っていない。乗鞍も何度も行ってるけど頂上には行ったことない。大峰は沢はいくつもやったけど、どのピークにも立っていない。谷川岳も然り。岩では遊んだけどね。
 これらを全部「登った」とカウントしても20座。少ね〜。

 まあ、私がバリバリ登っていた10年ほど前は「私、100名山を80座登ってます」なんて自慢をしても誰も相手にしなかったし、最近は人気を外して登っているので、この頃噂に聞く「百名山ハンター」のろくでもない言動には触れずに済んでいる。(でもいつか遭遇するんだろうな・・・)
 まあ登り方は人それぞれだし、「百名山踏破」を目標にしてコツコツ登っている方に直接文句を言う気もないけど。
 でも、そもそも「数を自慢する」というのは、端から聞くとみっともないことが多いのだけど。「俺、3年で百名山踏破を達成したぞ」というセリフの「百名山」を「百人斬り」に置き換えてみてご覧よ。

 ま、それはそれとして深田百名山そのものにも多少の疑問はあるんだな。
 穂高が北穂も奥穂もひとまとめで「穂高岳」なのはまあいい。全部で1つの山、という見方もできる。穂高全部が薬師1つの中にすっぽり収まるほどのスケールしかないんだから。
 でも、「八ヶ岳」はあんまりじゃないか?大雪もそれはないんじゃ?大峰もそう。あれだけ膨大な山脈を1つとしてカウントしてしまうのは違和感炸裂である。飯豊山もその手か。
 ま、別にいいんだけど、百名山ハンターは赤岳に登って「ん、これで八ヶ岳はクリア」と思っているのだろうか?そりゃ京都観光をして「これで日本は理解した」と思っている外国人観光客と変わらないと思うが・・・

 それはそうと、大峰の代表格である山上ヶ岳は未だに女人禁制なんだが、女性は大峰はどのピークをもってクリアとしているのだろうか?今ちょっと思いついて疑問に感じたのだが、やはの最高峰の八経ヶ岳なんだろうな。でも、立山は大汝をもって「立山に登った」って言ってるわけじゃなかろうに。

 もう1つ。「筑波山を入れてなぜ比叡山を入れない〜!?」
 ・・・ま、ここまでくると単なるいちゃもんだね。

 比叡山で思い出した。
 10何年か前だったか、「比叡山は京都府の山」ということを時の滋賀県知事がのたまったそうだ。
 冗談言ってもらっちゃ困る。比叡山は滋賀県側から開かれた山で、ず〜っと坂本がお膝元なのだ。比叡山が最初に栄えた頃、京都なんかまだ野原だったのに。「お前みたいなやつには次の選挙じゃ絶対票を入れてやらん!」と怒ったものの、既に滋賀県民ではなかった・・・
 だいたい滋賀県民って「京都コンプレックス」が強いんだよな〜。私は大阪生まれなのでそのへん複雑である。
 富山なんぞで暮らしていると、「大阪生まれです」と自己紹介すると、嬉しそうに「ああ、私も大学時代は京都にいたんですよ」と言う人がいたりするが、何がそんなに嬉しいんだ?大阪人も京都人も内心、「あんなの同じ関西という枠に入れんといてくれ」と思っているのに。
 そういえば滋賀県でも湖西と湖東ではちょっと違う。
 私は比叡山の麓の坂本に住んでいたのだが、小学校の頃は「明智光秀は鬼畜信長に立ち向かった義士」と習った。近所の寺に子供を捕まえては「鬼畜信長に弓を引いた光秀は、そこの竹藪の中で無念の死を遂げ・・・うっうっ」などと涙ながらに語る腰が90度曲がった住職がいて、我々子供達には「あのじじぃ、戦国時代から生きとる」と妖怪扱いされて恐れられていた。光秀は領民には慕われていたようで、おまけに比叡山を焼き討ちした信長だから、どうしたって鬼畜扱いなのだ。
 ところが湖東側では事情が正反対で、信長は神様で光秀は大恩ある主君に弓を引いた不忠者、ということらしい。
 高校で初めて湖東の人間と湖西の人間が同じ学校に通うことになるのだが、そこで我々は「歴史というのは見る角度1つでかように違うのだ」ということを学んだのであった。

 ちなみに井伊直弼も地元では人気がある。納豆を「水戸の食い物なぞ食えるか!」と拒否する老人がいた。

 話が逸れた。百名山の話だった。

 雨飾山に行ってみたいと思ったのは、確かに百名山を読んだからだ。人気がなく静かな山という記述が魅力的だった。
 しかし行ってみたらば、登山道に数十人の登山者がひしめいていて、その先頭に旗持った人がいた。白けて登らずにそのまま帰ってしまった。
 百名山の最大の罪はこれだろうなぁ・・・深田久弥が「静かな山」と書いた山は全部ツアー登山者と百名山ハンターでひしめく山になっちゃって・・・
 なので例えば北アルプスの赤牛岳など、百名山に入らなくてほんっとうに良かった・・・と心底思う。赤牛岳が入っていれば、そのコースからいって高天原に下る人が多いだろう。もし赤牛岳が百名山に入っていれば、今頃高天原はただの野原になっているかも。
 赤牛岳そのものも良い山なんである。水晶小屋から水晶を往復するだけで、その奥の幸せすぎて脳みそがとろけるような別天地を知らずに帰るのはもったいない、と思うのだが、まあ人がうじゃうじゃ来れば別天地でなくなってしまうのでこれでいいのである。

 最近は二百名山とか三百名山とかもあるんだって?
 お願いだからもう許してください、って感じである。


 

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