日本百名谷 

 「日本百名谷」(白山書房:S58)という本がある。日本百名山に比べればマイナーな本なので知らない人も多いと思うが、なかなか読ませてくれる本である。

 百名山と大きく異なる点は、百名山が深田1人が全て上った上で選定したものであるのに対し、百名谷は実に64名もの著者がいる点である。つまりこれは「紀行文集」または「記録集」の形態を取っている本である。
 編者は関根幸次、中庄谷直、岩崎元郎の3名。それぞれ3本ずつ紹介もしている。今じゃ中高年安全登山のツアーコンダクターというイメージしかない岩崎氏も、そうそう昔はクライマーだったんだよね。でも、産女川の紀行文で「黙々と藪を漕ぎ、雪解け後の草付きにビビり、経験を重ね、夜を越えてステキな大人になりたいと希うのだ。」などとセンチだが共感を呼ぶ文章を書いていた同氏も、最近の新日本百名山ではさっぱりつまらない文章しか書かなくなってしまったのは、さてはステキな大人になり損ねたのか。

 またその他の執筆陣も凄いメンツが揃っている。
 今では昔クライマーだったことは知っていても、ヤマケイの読者応募紀行文の選者くらいにしか認識されていない遠藤甲太氏は、なんと笛吹川東沢、地獄谷赤岳沢、黒部川上ノ廊下、大井川赤石沢、大峰の池郷川と5本も書いている。しかも上ノ廊下、赤石沢、池郷川と、もし日本三名谷を選ぶとすればすべて候補になりそうな3本である。また何気に池郷川でのパートナーは黒田薫氏だったりする。
 その他にも大内尚樹、小泉共司、深瀬信夫、吉岡章・・・と著名なクライマー、沢屋の名前がずらりと並んでいる。
 それぞれ個性的で味わいがある文章で綴られていて、楽しく読める。

 考えてみれば深田百名山だって、文学作品として非常に優れていた。だからこそ本が擦り切れてページが破れても買い直してまで読んだのだが、100というリストなんていわばオマケだったのである。
 百名谷も同じで、これだけ多士済々なメンツが揃った谷の紀行文集というのは、それだけで得難い本だった。100というリストはオマケに過ぎない。編者の1人である岩崎氏も、前書きで「本書をわが国の渓谷ベスト100だとは捉えて欲しくない。100の質を紹介したものと理解してもらおう。」と書いている。

 まあ、もともと沢を志向する人種って、こういうものを「カタログ」とは捉えにくい気質を持っている、と思う。
 沢はそのルート取りに自由度が高く、またその時の水量などの不確定要素も多い。なので同じ沢に2回行って、印象がその時々でまるで違う、なんてことはザラにあることである。同じ沢好きでも滝が好きな人、ゴルジュが好きな人、深い徒渉が好きな人、へつりが好きな人、嗜好がぜんぜん違うので、ある人にとって笑いが止まらないほど楽しい沢だったとしても、別の人にとってはひたすら緊張するだけで楽しくない沢だったかもしれない。
 なので、この百名谷を全て遡行しようとする「百名谷ハンター」が出現するなんて想像できない。

 が、これも百名山と同じように、「新・日本百名谷」なるものがあったりするのである。作っているのは岳人
 薬師見平のことを調べていて昨年(平成16年)の岳人を読んでいて知った。なんてバカなことを・・・

 やっていることは単なる「カタログ化」である。なんせ「日本百名谷再考委員会」なんてものをつくって「心を鬼にして百の名渓を選考した」ってんだから。日本百名谷はカタログ以前に紀行文集だったわけだが、新の方はそれすらなく、単に100をリストアップしただけである。

 さすがに後ろめたいのか、「カタログ化される名渓たち」という文章が書かれていた。でも、それを読んでも「なぜ今頃新たなカタログを作る必要があるのか?」という疑問には答えてくれない。百名谷を始めとするガイド本によって沢がカタログ化され、「ガイド本崇拝主義の結果、本に紹介された有名渓谷の多くに明瞭な踏み跡が生じ、それ以外の谷は見向きもされないといった悲しい現実が横たわる。」などと書かれているが、それならなおさら、「じゃあなんで今さら新しいカタログを作るのか?」という疑問が生じるのだが。
 「今回の企画そのものが、カタログ化の一端を担っている」なんて書いているが、ガイド本はあくまで遡行ガイドが主目的であって、流域全ての沢を紹介するわけにはいかないから何本か選抜された、その結果が「カタログ化」という弊害を生んでいるのであり、「カタログ化」するのはあくまで読み手の問題である。オリジナルの百名谷も然りで、あくまであれは紀行文集であり、カタログ化したのは読み手の問題である。
 だが、今回の岳人の新百名谷の企画は、渓谷遡行に関してはおそらく史上初の最初からカタログとして世に出されたカタログである。

 意図がさっぱり判らない。

 選考方法も合議制で決めているんである。リストとコメントが載っているのだが、なんだか読んでいると日本カーオブザイヤーの選考光景とたいして変わらない。あちらはまだ選考された車は売り上げが伸びたりと、実社会に何らかの影響を及ぼしているのだが(往年ほどではないにしろ)、それすらも「くだらない」って言って抜けた委員がけっこういたのに・・・いや実際、こんなことを山屋がやるとは思わなかった。

 リストを読んでいてちょっと驚いたのは、比良の奥の深谷(日本百名谷には入っている)のところで、「奥の深谷の遡行経験はないが、台高で落とした黒石谷や奥ノ平谷より優れた谷とは思えない」というコメントがあった。・・・なに、行ったことがない人が選んでるの?
 六甲の大月地獄谷なんて可哀想である。「地震で崩壊」というのはいいにしても、「論外」とか「六甲にはゲレンデはあっても沢はない」とか無茶苦茶言われている。

 この2つの沢、関西では「入門」の沢である。関西の沢屋でこの2本の沢のどちらかが「初体験の沢だった」という人は決して少なくないはずである。
 大月地獄谷は百名谷に入っているのだが、執筆は大御所の中庄谷直氏である。この人、大峰や台高の沢をあらかた開拓してしまった、関西のみならず沢屋にとって雲の上の神様みたいな人なのだが、その人が「私は、この谷で地形図に滝記号がなくても滝のあることを知った」と書いている沢なのである。もうそれだけで大月地獄谷は私にとっては特別な沢なのである。同氏に会ったこともなければこの谷に行ったこともないけど。
 奥の深谷にしても、この谷遡行者が多くて巻き道もしっかり付いているので、巻きに徹すれば徒手空拳の単独行でもどうにでもなってしまう沢なのだが、完全遡行しようとすれば非常に手強い沢である。なので10回遡行すれば10通りの登り方ができ、しかも自分の技術に応じてバリエーションが持てる、という点ではまさしく「入門・鍛錬」にうってつけの谷である。
 しかも確かにスケールは小さいかもしれないが、非常に綺麗な沢なので「初心者をこの沢に連れてきて沢好きにならなければあまり見込みはない」というリトマス試験紙のような沢でもあったりする。

 まあ、別に「カタログ」にこれらの沢が入ろうが入るまいがどうでもいいが、そういう言われ方をされるとさすがにムカッとするな。

 他でも言いたい放題である。
 「まあ知名度の問題か?(利根川本流)」
 「ガイドはしやすいだろうし、まとまってはいるが、それだけ(湯桧曽川本谷)」
 「単に都会から近いと言うだけで重宝されているだけである(丹沢・水無川本谷)」
 「美しくない。無理に八ヶ岳の沢を入れた気がする(赤岳沢)」
 「百名谷としては、なお力不足と思う(双六谷打込谷)」

 ・・・ま、なんだか楽しそうではある。居酒屋で飲みながらこんな話をしていたら、さぞ楽しかろう。これを商業雑誌に載せてしまうところが凄い感覚だが。

 なんとなく思うのは、「日本百名谷」を「日本の名渓ベスト100」というカタログとして受け取ってしまったのは、他ならぬ執筆者達ではないか?だかに書き直したくなったんだよね。でも、よく読んでみると判るけど、例えば大月地獄谷なんて最新の遡行記録ですらなく、中庄谷氏の遠い昔の沢登り初体験の時の話を書いているわけよ。カタログじゃなくて紀行文集だったわけよ、最初っから。

 また、岳人のこの号の「ボーダーライン上の渓谷たち」という文章の最後にはこんな一文がある。

 「建設的な意見をお持ちの方は、遠慮なく編集部・日本百名谷再考委員会宛に連絡をいただけたらと思っている。」

 非建設的な意見、つまり私のような「こんなカタログ化には意味がない」という意見は言うな、というわけである。

 「建設的な」という単語がひとつ入るだけで、こうも傲慢な印象を読み手に与えるとは、文章って怖いですね。
 私も気をつけなければ、ということだけをこの岳人の記事から学んだのであった。

 

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