ラーク!

 「ラーク」といってもタバコの銘柄ではない。山で落石を起こしたり発見したときに叫ぶあのコールのことである。

 が、山でこのコールを聞いて緊迫しても実際に落ちてくる石は様々である。一般ルートの岩稜だと、登山者の方もどの程度の落石でどのくらい緊迫したコールを出せば良いのかよく判っていないことも多く、それほど傾斜の強くない場所で握り拳くらいの石がコロコロ落ちてきただけなのに今にも死人が出そうな勢いで「ラーク!!!」とコールがかかり、驚いて状況を確認することもせず逃げようとした人が転んで怪我をしたこともあった。
 もちろん逆に人の頭くらいある「当たれば即死クラス」の石を落としたのに涼しい顔して何も言わない人ももちろん多い。
 ま、もちろんコールなどなくても岩稜などの落石の危険がある場所では、常に上部からの落石の可能性を考えて注意を払うのは当然のことである。石を落とした人、またさらにそれなのにコールをしなかった人に対して怒るのは当然のことだし正当なのだが、怪我をしたり死んだりするのは自分なので。生きていてこそ怒ることもできるというわけである。

池ノ谷ガリーにて

 ある年の夏、私たちパーティーは剱岳の池ノ谷ガリーを下降していた。
 池ノ谷ガリーとは、剱沢大雪渓から長治郎雪渓を登り、その右俣の源頭が池ノ谷乗越なのであるが、そこに西面から突き上げる谷が池ノ谷であり、その源頭部のことを言う。その源頭部はほとんど主稜線と平行して走っており、池ノ谷ガリーを下ると三ノ窓に手っ取り早く出ることができた。
 なのでいつも私たちは真砂沢キャンプ場にベースキャンプを張っていたのだが、チンネなどの三ノ窓周辺の岩場をやるときは、この池ノ谷ガリー経由で三ノ窓に出て、三ノ窓にアタックベースキャンプを張るのが常であった。

 余談だが"ガリー"とはルンゼ、クーロアールと同義語であり、日本語では"岩溝"などと書かれることが多い。"谷"というには小規模で傾斜が強い岩の溝、のことである。このうち最も使用頻度が高い言葉はルンゼだろう。穂高の屏風岩の1ルンゼ、2ルンゼなどと固有名詞にもなっている頻度が最も高い言葉である。
 ガリーはルンゼほど使用頻度は高くないが、普通に通じる言葉である。
 が、クーロアールはどうだろうか・・・少なくとも日本のクラシックルートにはほとんど使われていない言葉なので、あまり馴染みはない。ヨーロッパアルプスやヒマラヤなどでは比較的使われている言葉だが、そのせいか「岩溝」というよりは雪や氷が詰まった「滑降ルート」としてのイメージが強い。ごくまれに紛れもない「岩溝」という意味でクーロアールという言葉を使っている記録を見かけるが、用例として間違っているとは言えないものの、けっこう違和感はある。
 ちなみにガリーは英語、ルンゼはドイツ語、クーロアールはフランス語である。
 登山用語って各国語ごちゃまぜでアイゼンバンドなどのようにドイツ語と英語のコラボレーションみたいな言葉も珍しくないのだが、近年は英語化の流れが主流のようで、アイゼンはクランポン、ピッケルはアイスアックスというように言葉が置き換わってきている。

 ま、余談はともかくそんなわけで私たちは池ノ谷ガリーを下降していた。
 雨がしとしと降っていて、私たちはカッパを着ていた。その日は三ノ窓で幕営の予定だったのだが、幕営といっても持っていたのはツェルト1張りで、雨の中これに3人が寝る(横にはなれない・・・)のかと思うと気が重かった。
 池ノ谷ガリーは傾斜はそれほどでもないのだが、とにかく浮き石が多い。というより石は全て浮いていて安定している石など1つもない、と言った方が正確である。一抱えくらいある石というより大岩が指1本で転がったりするので、けっこう気を遣うルートであった。また、長治郎や平蔵などの雪渓や源治郎や八ツ峰などといった底抜けの明るさが特徴の東面と異なり、剱岳の西面はかなり陰々滅々としているのだが、この池ノ谷ガリーもかなり陰気なところである。三ノ窓から池ノ谷を見下ろせばもっと陰気だが。

 そんなわけで池ノ谷ガリーの下降、それも雨の日ともなれば、とても陽気な気分にはなれないのである。それでもこの谷を下降するのは、底抜けに明るく楽しいチンネの登攀が待っているからである。

 そんな岳の谷ガリーの下降中、背後から「ラーク!!」というコールが聞こえた。それと同時に「ガラガラガラ」という岩が崩れる音が。
 ああ、どこかのアホが岩を落としやがったな、と慌てて振り向いた。早く落石を視認して回避行動を取らなければ。

 が、振り向いた私の視界は黄色一色だった!一瞬何が起きたのか判らず狼狽えたが、なんのことはないカッパのフードが邪魔をして何も見えていないのであった。焦ってフードを直そうとする間にも「ガラガラガラ」という音はどんどん近くなってくる。
 後ろを振り向いたままだとフードが絡みついてどうにもならなかったので、一度前を向き直してフードを取ろうとした瞬間、私のすぐ右手50cmのところをパソコンの17インチモニターくらいある岩、すなわち「当たれば即死クラス」の岩がゴロゴロとすっ飛んでいった・・・・

 という経験があるので、最近の雨具のフードのデキの良さには感動した。昔のカッパのフードは単に頭を覆うだけだったもんね。
 今のはちゃんと調節すればかなり激しい頭の動きにもちゃんとついてくるんである。
 ・・・とはいっても面倒なので、視界の確保が必要な場所ではフードを外していることの方が多いが。

落ちてきたのは・・・

 落石が怖いのは池ノ谷ガリーや長治郎雪渓などのアプローチである。岩場に取り付いてしまえば落石の直撃を受けることはむしろあまりない。落ちた岩は空中を飛んで取り付き付近に着弾することが多い。なので最も危険なゾーンは、岩場のルート取り付き付近であった。
 八ツ峰の6峰フェース群にしろチンネにしろ、取り付き付近での事故は非常に多いのだが、よく取り付き付近で談笑しながら一休みするパーティーを見かけた。危ねーのに・・・

 この日、私たちはチンネの左稜線を登攀していた。その数日前に北条新村ルートの取り付きで落石による死亡事故が起きたばかりだった。
 このチンネは落差250mほどのすっきりした岩場なのだが、ちょうど真ん中に「中央バンド」という傾斜の緩い地帯がある。そのおかげで下半分は中央チムニーを登って上はdクラックに行こう、とか変化に富んだルート設定ができるのだが、なんせこの中央バンドは浮き石だらけである。ロープが触れただけで落石が起きるので、かなりヤバイ。
 そしてこの中央バンドで起きた落石は、ルート上は傾斜が立っているので案外巻き込まれない。石は空中を「ブーン」という唸りをあげながら飛んでいくだけである。その石は取り付き付近に集中して着弾するのである。

 数日前の北条新村ルートの取り付きで起きた事故は、人の頭くらいの石が直撃したらしく、遺体収容に関わった隣のテントのパーティーの連中によれば、付近一帯に粉々になったヘルメットの破片と脳漿や頭蓋骨が散乱し、かなり凄惨なものだったそうである。
 左稜線の取り付きへは、この北条新村ルートの取り付きの近くを通ることになるため、我々も手を合わせて通ったのだが、その直後に現場から30mほども離れた雪渓上の岩の間から髪の毛が絡まった頭皮を発見してしまい、非常に気分が滅入っていた。

 剱の空はいつもと変わらずひたすらに明るく青いのだが、こんな日はなんだかこの空の色さえどす黒く見えてしまう。
 気持ちが滅入ったまま登り始め、それでもいつもと変わらず快適な岩の感触を味わっているうちにだんだん気分も明るくなっていったのだが、そんな矢先、もう2ピッチで核心部のT5だというピッチを登っている最中に、突然上の方から「ラーク!!!」という叫び声が聞こえた。
 あ、やばいっ!と見上げると・・・落ちてきたのは石ではなく人だった

 もちろんアンザイレンしているので、我々よりかなり上で止まったのだが、墜落者はピクリとも動かない。ルートを外れた方角に墜落しているので、とりあえずテンションが掛かったザイルから脱出できないでいる確保者を救出に向かった。当時はまだ肩絡みのボディービレイが主流だったのだが、この方法だといざ墜落が起きると、ザイルのテンションから確保者自身の身体をフリーにすることが非常に困難なこともあったのだ。

 ビレイポイントに着いてその場の状況及びすっかり錯乱した確保者からの話を総合すると、どうやらリーダーが中央バンドからの落石を受けて墜落してしまったらしい。それもかなりのランニングビレイが抜けてしまったようで、墜落者がぶら下がっているのは確保者の20mほど下である。

 まあともあれ、確保者を縛っているザイルにバックアップの確保を取り、とりあえず確保者はザイルから解放してやったのだが、すっかり錯乱した彼は「ここからだと登った方が早い」などと世迷い事をぬかしている。どちらが早いという問題以前に、あんたのパートナー、まだ生死が判らないんだけど・・・?

 とるものもとりあえず、無線で山岳警備隊に救助を要請し、墜落者の状態を確認するために懸垂下降で降りていく。降りたのは私の相棒だったのだが、登り返してきて言うには脈はまだあるが耳から血を流しているらしい。ああ、こりゃダメだ。助からないだろうなあ。

 そうこうしているうちにチンネに取り付いていた他のパーティーが数組、集まってきた。
 落石はまだけっこうあるので、警備隊が来るまで彼をぶら下げておくわけにもいかないだろうと、とにかくみんなで下ろすことにした。墜落者のパートナーが相変わらず「登った方が早い」とか「中央バンドを抜けて池ノ谷ガリーに出た方が良い」などと錯乱したことを言っていたが(後者は確かにそう言うエスケープルートは存在したが、墜落者を中央バンドまで引き上げることが非現実的だったのだ)、とにかく彼をなだめながら、墜落者を数人で確保しながらそろそろと下ろしていった。

 最後の20mほどがかなり難しく、難儀しているところに警備隊がやってきた。なんと剱沢の詰め所から三ノ窓まで2時間半というアンビリーバボーな時間で到着したのだった。警備隊はさすがにプロ、私たちが難しいと難儀していた場所もすんなり下ろし、三ノ窓にヘリがやってきてあっという間に彼らを収容して去っていったのだった。

 後日、その大学山岳部から礼状が届いたのだが、なんと彼は助かったらしい。お礼は缶ビール1ケースであったと記憶している。
 当然、その日のうちになくなってしまった。

 

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