文部省リーダー研修会について

 大学時代、文部省の登山研修所が主催する「リーダー研修会」に参加した。当時は3月の「冬山講習会」、5月の「春山講習会」、8月の「夏山講習会」があったのだが、先輩達に春山が一番ためになるからと言われ、春山講習会に参加することにした。

 とにかくハードな研修会だということはたっぷり聞かされた。「お前、ヘリで降りるハメになるかもしれんぞ」なんて脅かされたものだった。まああながちただの「脅し」でもなかったのだが。
 また、「間違ってもゴアのジャケットなんか着ていくなよ」とも言われた。そこで先輩の言いつけどおり、前年の夏に使った雨ガッパ(裏地がゴム引きのやつ)の裏のゴムをビリビリと引きちぎったやつを2着持っていった。

 参加してみると聞きしにまさるハードな研修だった。1週間の日程のうち、3日は立山駅の裏にある登山研修所での講習、4日は剣沢に幕営しての実地研修だったが、机上講習中ですら、朝起きると「では、朝食前に軽くランニングでも」と芦峅まで走らされた。たかが片道3kmなのだが、起き抜けだし先導する講師のペースがムチャクチャに速いので、その後の朝食を食べることができない人も多かった。

 が、本当にハードなのはなんといっても実地研修である。
 50人の受講生は技術体力レベルに応じて10班に分けられ、私はそのちょうど真ん中の5班になった。班員は確か4人、プラス講師が1班に1人ずつついた。
 入山日、室堂に着いたのは昼頃だった。その日の行程は剣沢入りすればOKである。ところが講師が「まっすぐ剣沢に行くのもつまらないから、立山を回っていこう」と言いだし、昼からの立山三山縦走を決行することになってしまった。1人30kgくらいは担いで立山をアイゼン履いて走った。別山からはアイゼンをはずし、剣沢めがけてグリセードで滑り降りた。3時間ほどで剣沢入りした。10班あるうちの半分の班(つまり我が5班まで)が雷鳥沢経由でなしに立山三山経由で剣沢入りした。
 講師はのっけから鬼コーチモードだった。アイゼンを履いて無雪期でも滅多にやらないハイペースで稜線を駆けているのだが、少しでもアイゼンワークが雑になると「池上!墜ちて死にたいか!?」と檄が飛び、危ないと見て取るとすぐさまパーティーをストップさせ、「○×!そんないい加減な歩き方しかできないんだったら10班に行くか!?」と叱りとばしていた。叱られたやつは何か答えたくても息が切れて喋れないのであった。一応その場は無関係の私達他のメンバーは、これ幸いと呼吸を整えるのに必死だった。
 大汝山を越えたあたりで私のアイゼンバンドが緩み、それに気づいた講師は即座にパーティーを止めた。そして私がアイゼンバンドを締め直して歩き始めた直後、私のアイゼンバンドの末端が余っていると怒鳴りながら凄い剣幕で後ろから飛んできた。10cmほど余ったバンドがブラブラ遊んでいたんである。あの時はピッケルで殴られるかと思った・・・

 2日目は雪上訓練だった。
 朝4時に剣沢の警備隊小屋前に集合だったのだが、雪面はツルツルで水平な場所ですら歩くのが難しかった。
 その状態で始まった雪上訓練は、別山の急斜面をツボ足で歩くことで始まった。水平な場所でもツルツル滑って転ぶ状態なので、当然滑落して下まで落ちてしまうやつが続出した。それほど上部には行っていないとはいえ、転倒すれば50mほどの滑落は避けられなかった。私も4〜5回はテント場まで滑落した。
 斜面を斜めトラバース気味に上り下りして、滑落する者が少しは減った頃、ようやくアイゼン装着が許された。

 次はピッケルを用いた滑落停止の講習だった。
 まず講師が「この技術はそれほど重要ではない」と言い放った。つまり、ピッケルで止めることができる程度の傾斜面で転倒するようなやつは冬山に行く資格がない。また転んだら止めることができないと感じたら躊躇せずザイルを出せ、ということだった。
 実際にやってみると、そこは平蔵谷の最上部など比較にならないくらいの急傾斜である。まずは俯せになって滑落停止の姿勢で静止し、ピッケルを抜いて滑り出し、3つ声に出して数えてからピッケルを刺して止めるのであるが、3つ数える頃には既にかなり加速がついていて「さ〜ん」という声はたいてい悲鳴になってしまった。ま、止まらない、ということはよく判った。それどころか俯せでピッケルを刺して静止する、その姿勢が保てずに腕が伸びてしまい(なんせ急傾斜)、数え出す前に滑落してしまうやつも大勢いた。
 最後に荷物を担ぎ、斜面の上を向いてピッケルを手から放し、仰向けに転んで(しかも頭が下)滑りながらピッケルをたぐり寄せ、仰向けから俯せに体勢を取り直して止める、というのをやったが、こんなの止まってたまるか!まあこれは全員ではなく50人の内から5人くらい指名されてやらされたのだが、何故か私も指名された。マジで怖かった。普通に下見ていても足がすくむほどの傾斜だもの。ピッケルを離して斜面の上を向いて仰向けに倒れ込む瞬間の恐怖ったらなかった。ほとんど臨死体験だった。
 やっと止まった時(止めたのではなく下まで落ちたので自然に止まった)、右の脇腹はヤッケとTシャツが破れて血が出ていた。顔面も擦り傷だらけだった。ここで1着目の裏地引き裂きヤッケがご臨終となった。

 次のビレイ講習ではさらに急傾斜に連れて行かれた。
 その時に習ったのはスタンディングアックスビレイのみであった。確保者から40mザイルいっぱい伸ばした上から墜落者がソリに乗って落ちるのを止めるのだが、これがまた恐怖の講習だった。
 あれほどの傾斜をソリに乗ってぶっ飛んでくるのだから、ソリは雪面を滑るより空中を飛んでくる感じである。滑落者が落ちている間に目一杯たぐり寄せたザイルが、いざテンションがかかると凄まじい勢いで脇と肩を流れていく。握りしめる手と脇や肩から焦げ臭い臭いがした。4〜5かいやったら2着目のヤッケの脇が破れてしまい、これもご臨終となった。
 しかし何より恐ろしかったのは墜落者の役をやった時だった。この急傾斜をよりによってソリである。ソリに乗り込んで下を見た時は思わず哀願するような目で講師を見てしまった。斜面をぶっ飛んでいる時、走馬燈を見たような気さえした。臨死体験その2だった。
 確保者が制動をかけ始めた時、その衝撃で雪面をもんどりうち、その時に頭をしこたま打って軽い脳しんとうになった。
 スタンディングアックスビレイは、プロテクションが雪面にぶっ刺したピッケル(かパイル)1本というシンプルさで、理論も要はザイルのテンションを自分の足元から垂直方向になるようにさえ気を付ければ、かなり大きな衝撃でも耐えられる。確かにこの訓練でどんな墜落でも止められる自信はついた。
 怖いのは恐怖などで前屈みの姿勢を取ってしまい、「垂直方向のテンション」を崩してしまった時で、訓練中も墜落に巻き込まれて一緒に落ちてしまった確保者が何人かいた。

 次はいよいよ別山の稜線に上がってコンティニュアスの訓練だった。
 その時点で持ってきた2着のヤッケがビリビリに破けてしまった私は、持ってきた雨具を取り出して休憩時間に裏地をビリビリと引きちぎり、3着目のヤッケを製作していた。同じ班でゴアテックスのヤッケが無惨な姿になり、呆然としているやつがいた。
 それまでの怒濤の猛訓練と比較すれば、このコンティニュアスの訓練は遊んでいるも同然だった。稜線をぽくぽく歩く時間が多かったので体力的にも楽だった。
 前半はコンテでのザイルの扱い方や墜落時の止め方などを「講習」してもらい、わりと普通の「講習会」っぽい雰囲気だったが、後半になると「やっぱりリー研」というハードなものになった。
 実際にセカンドが墜落してトップがそれを止めるのだが、7〜8班から下の班はまだ「今から墜落するぞ」と予告してから落ちるのでまだ良かった。
 我々の5班では歩いている最中に講師がセカンドにこっそり(トップに知られないように)「墜落命令」を出すのである。命令されたセカンドは祈る目でトップを見てから南無三と尾根から剣沢に向かってダイブするのである。予告なしにセカンドに墜落されるとたいていトップも巻き込まれて2人仲良く300m滑落するハメになった。
 1班や2班はさらにハードで、歩いているセカンドの背後に講師がこっそり忍び寄り、どーんとセカンドを突き飛ばしたものだ。セカンドさえ心の準備ができていない状態で訓練開始、である。まあ止めれないのは1班も同じだった。

 まあ何度か犠牲者を目の当たりにすると、残った連中は用心深くなり、確保の成功率も上がった。気の毒だったのは墜落して1時間かけて登り返してきたパーティーがまた確保に失敗し、剣沢まで落ちていったことだった。再び登り返してきた途端、訓練は終了して剣沢に帰還することになった。彼らも一緒に、1時間かけて登ってきた斜面をグリセードで5分で降りていった・・・

 しかしこの日は擦り傷、出血、脳震盪はあったものの、みんな元気にテント場に帰還したのだった。

 翌3日目は講師曰く「実地訓練の日」だった。(じゃあ昨日のは何だったんだ)
 つまり、実際に剣岳にバリエーションルートを通って登頂する日だった。ルートは班によって違い、1班は源治郎2峰フェースをやったらしいし、10班は素直に平蔵谷を登ったらしいが、我々5班は平蔵谷のS字雪渓から源治郎2峰コルに出て剣岳登頂、というルートだった。
 夏はS字雪渓は滝が出ているところで終わり、左手の尾根に取り付いて2峰コルに出ることになるが、その滝が5月には見事な雪壁になっている。その雪壁をダブルアックスで登るというルートだった。
 これは心底楽しかった。
 氷瀑のダブルアックスでは氷の状態にムラがあるのでけっこう気を遣うものなのだが、ここは綺麗に均一な雪壁で、アックスもアイゼンも一発でビシバシ効いた。高度感を楽しみながら上を見上げると真っ白な雪の壁の向こうに抜けるような青空。これで脳みそがとろけなかったら山に登る意味なし、である。家の壁に留まっているハエもこんな気持ちよさを味わっているのだろうか・・・

 仰天したのはその雪壁の中で、私はダブルアックスで壁に留まるハエのごとく登っている横を、講師がザイルも付けずにダダーっと駆け下りてきて私の確保をしている相棒に「身体を斜めにするなと昨日あれほど言ったろ!!」と怒鳴り、また私の横をガヅガツガツとザイルも付けずにダブルアックスで駆け上がってしまったことだった。

 2ピッチほど登ると傾斜も緩み、日も当たってきて一気に雪面が柔らかくなった。傾斜はまだ強いのでツルっといったら昨日みたいに「また登らなきゃ」どころではなくサヨウナラという状況ではあったが、昨日の訓練の成果で確保についてはもうかなりの自信があったので、さほどの緊張もなしにさらに1ピッチでコンテに切り替えて2峰コルに出て、そのままコンテで剣岳本峰に登頂した。
 下りのカニの横バイのあたりは雪も付いておらず、夏と同じだった。

 平蔵のコルからは平蔵谷を下降したのだが、この時に「搬送訓練」をやった。
 ツェルトに遭難者役をくるみ、それをザイルで3人くらいで確保しながら下降した。
 平蔵谷出合いで我々5班は搬送訓練を終え、全員歩いて剣沢に登り返したのだが、別の班は登りも搬送していた。「登りまで搬送訓練やるなんて大変だよな〜」なんて話しながら剣沢に到着すると、ヘリがやってきて搬送されていたやつを乗せて飛び去っていった。どうやら平蔵谷で何かが起こり、搬送訓練が本物の搬送になったらしい。
 「春のリー研では必ず誰かがヘリで降りるハメになる」という言い伝えは本当だったわけである。

 最終日は下山のみの日程で、前日までの緊迫した雰囲気とは一転して和やかに談笑しながらの行動だった。それまで行動中に雑談をする余裕なんてとてもなかったのである。
 実は朝の出発直前まで、講師が「じゃあ今日は大日経由で称名滝に下山しようか」などと言い出すのではないかとビクビクしていたのだが、彼はニコニコと笑いながら「じゃ、のんびり室堂まで」と言うので拍子抜けしてしまった。歩きながらヒマラヤやヨーロッパアルプスの話をニコニコとしているのを見て、「この人、笑うこともあるんだ〜」と思ったことを記憶している。

 

 もう20年近く前の4日間をこれほど鮮明に憶えているのは、それだけ激しい訓練にショックを感じ、訓練が血となり肉となったから、なんだろうな。
 実際、私の雪山技術の全てはあのリーダー研修会で習得した技術が基盤だと思えるし、あの訓練を受けていなかったらどこかの山で死んでいたかも、とも思う。
 また、訓練がいかにも豪快そのもののような書き方をしたが、例えば訓練前には時間をかけて剣沢の斜面に散らばっている石を除去したり、行動中の我々研修生に対する神経の配り方は尋常なものではなかった。
 登山技術の習得に「安全な訓練」はあり得ない、と思う。安全な訓練ではほんとうに危険を避ける技術は学べない。訓練そのものが多大な危険を孕む講習を監督する講師達の気の配りようは想像を絶するものがある。

 講師の引き受け手が今後減らないことを切に祈る。

 

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