M先輩の想い出

 

 大学の山岳部に今思い出すと「バカな学生(褒め言葉)」の体現者みたいな人がいた。ここではM先輩としておく。

 M先輩は私が入学して山岳部に入ったとき、既に何年大学にいたのかよく判らないけど(多分6年くらいだと思うんだけど・・)最終学年で、つまり部はとうに引退していた人だった。
 でも山岳部って引退学生や社会人まで含めたOBの強力なバックアップなしには成立しにくい部活動で、M先輩は最も熱心に部に通ってくれていた人だった。しや、そんなにまともじゃなかったんだけどさ。いろいろな意味でかなり強烈な印象を私に残した人なんである。

 久しぶりに御嶽に登ったら、なんだかいろいろ思い出してしまったので、忘れないうちに書いておくことにする。

 

岩登りってはのはな、絶対墜ちたらあかんのやぞ

 部に入って2日目だったか3日目だったか、とにかく大学に入学して1週間も経っていない時期の話である。
 岐阜大学は医学部、工学部、教育学部と農学部という4学部で構成された大学なのだが、昔は各学部があちこちに散在した「タコ足大学」だった。で、当時は各学部を岐阜の柳戸という郊外に新しくキャンパスを作って統合している最中だった。医学部だけは最近になってようやく柳戸キャンパスに統合されたが、当時は教養部を除いて3学部は既に柳戸に統合されていた。教養部も私が入学した半年後には柳戸に移動することが決まっていて、つまり私が半年だけだけど長良キャンパスで過ごした最後の学生なんである。

 入学式とか部の入部の申し込みなどは柳戸キャンパスでしたのだが、講義が始まって長良キャンパスに通うようになると部との連絡が不自由になってしまう。なんせ携帯電話などまだ存在しなかった時代なので、離れたキャンパスに登校してしまえば、基本的に連絡のとりようがない。
 私は入学式のついでに山岳部に入部申し込みをしてしまったので、この時点では1年生の部員はまだ私1人だった。
 入部手続きはしたものの、それから別に部の人と接触をもったわけでもなく、普通に授業を受けて帰ろうと思っていたのだが(本来部の説明会とか入部勧誘は翌週からするつもりだったらしく、部の人にも翌週から来てくれと言われていたし)、講義が終わる頃、校舎のウグイス張りの廊下(建物が古くて人が歩くとギシギシ音が鳴る廊下だった)にドタバタと音がして、何やらおっさんが教室に顔を出し、「池上ってやつはいるか〜?」と声を張り上げたのがM先輩との初対面だった。

 おっさん、と書いたが当時確か24歳前後である。まあまだ18の私から見れば十分おっさんだが。
 黙っていれば爽やかな好青年と言ってもあながち間違いではないような容姿なのだが、とにかく異様なのは前歯。前歯のど真ん中に丸い穴が空いているのである。
 その前歯の穴にタバコを通して喋ったり笑ったりしながらタバコを吸うという奇妙な芸を見せながら(後にはタバコを吸いながら飯を食うという芸も見せてくれた)、「今日、これからオブサに岩登に行くけど、来いよ」と言っていた。言っていたのだが私は前歯の穴にタバコを刺したままでタバコを吸いながら喋る異様さに圧倒されて、M先輩が喋った内容はあまり頭に入っていなかった。

 異様だよ?くわえタバコで喋るのなら何でもないのだけど、大口開けて笑っている時もタバコは手で持っているわけでもないのに前歯に刺さったままなんである。

 思わず聞くと、以前オートバイ事故で前歯を全部折ってしまって差し歯が入っているのを、自分で削ってタバコが通る穴を開けたらしい。
 「便利やろ?手を使わずにタバコが吸えるからのぅ」と話すM先輩に、ぶっちゃけ(ついていけない人かも・・・)と思ったさ。

 ともあれ、この日は半ば強制連行されてオブサの岩場へ。ちなみにM先輩のオートバイにタンデムで連れて行かれたのだが、交差点でステップが地面に擦れるかというくらい深く寝かせるのでむちゃ怖かった。

 オブサというのは、岐阜に来たばかりで土地勘がまるでない私には謎の地名だったのだが、要するに長良キャンパスのすぐ裏に雄総という地名の土地があって、そこの裏山に山岳部が練習に使っている岩場がある、というだけの話で、ちょっとヤブっぽいけどIIIからV-くらいのルートが5本ほど引ける、練習には適度な岩場だった。この年の内には沢登りにハマった私が人工のルートを何本か新しく引いて、それも1年後くらいには全てフリー化されてしまったが。

 で、山岳部の他メンバーと合流して、心の準備もないまま、ついでに言えば服装も普通の通学の服のまま、シューズ(生協で売られていたペラペラの1000円ランニングシューズ)とハーネスを借りて(一応自分のシューズもハーネスも持っていたのだが、なんせ持ってきてないし)、部員として初めてのクライミングに臨むことになってしまったのだった。

 で、いきなりM先輩に一番難しいV-のルートに連れて行かれた。一番難しいルートということもV-ということももっと後で知ったのだが。

 ロープの結び方もハーネスの着け方も、既に一通りは知っていたのでスムースにハーネスを装着してロープを結ぶと、M先輩は、「いいか、岩登りではトップは岩にかじりついてでも墜ちたらダメなんやで。でもお前は俺がしっかり確保してやるから安心して墜ちたらいいぞ」と言い残してスルスルと登っていった。
 やがて上から、「ビレイ解除!」のコールがかかったので、先輩に対する確保(っても肩絡みだけど)を解除して、ザイルがスルスルとたぐられていくのを送り出し、一杯になったところで「ロープいっぱい!」とコールし、「いいぞ〜、登ってこい〜!」のコールを聞いてからセルフビレイを解除して、「お願いしま〜す!」と叫んで登り始めたわけである。

 登り始めたら難しかった。V-だもん。何度もザイルにテンションをかけそうになったけど、なんとか頑張ってノーテンションで登り切ったさ。
 そしたら、M先輩は前歯にタバコを刺したまま、左手1本でロープを握っているだけで、しかもよそ見していた。

 これは・・・セカンドといえど、岩登りでは絶対に墜ちてはいけないんだ、と思い知った瞬間だった。

 

ちょっと面白そうなところがあるんやけど、偵察につきあえよ

 それから2ヶ月くらいたった、梅雨に入るか入らないか、という時期だったと記憶しているのだが、この時期は毎週土日は御在所に通ってクライミングをしていたのだが、たまたま珍しく御在所がなくてアパートで暇をもてあましていた時。
 突然M先輩が部屋に来て、上記のセリフを言った。どこですか?と聞いても美濃の方だと言うばかりであまり要領を得ない。ハーネスとヘルメットだけ持って行け、というので、とりあえず原チャリで先輩を追走した。

 ちなみに先輩のオートバイはヤマハのRZ350である。80年代のオートバイシーンに詳しい人は誰でも知っている名車中の名車なのだが、なんせバカがつくほど速い。おまけに乗っているのがM先輩である。交差点で並んでいても青信号と共にあっという間に見えなくなるんだな、これが。俺に白いオイルの煙だけを浴びせて。分岐点では待ってるのだが。基本的に他人のペースいうのをまったく気にしない人だったから・・・

 そうやって連れて行かれたところは板取川の流域。
 この流域には川浦谷(かおれだに、と読む)という名谷があるのだが、後に川浦も含めてこの流域の谷はほとんど全て遡行したのだけど、この時が板取デビューの日だった。当時から沢登りが好きだったので、板取川の名前くらいはよく知っていたし、岐阜に来たからには行きたいと思っていたのだが、でも、なんで林道の途中でバイクを停める?え、林道から懸垂下降で降りるの??

 何がなんだかよく判らないうちに、懸垂で川床に降り立った。既になんというか、ゴルジュ帯のど真ん中、みたいな場所である。川浦谷はもっと上流の方にあるはずで、このあたりは高校時代からよく地図を眺めていた私もノーマークの場所だった。

 相変わらず事情が飲み込めず、狐につままれたような気分の私に、M先輩は、「おぅ、ちょっと確保しといてくれや」と言い捨てて、いきなり激流に飛び込んで泳ぎだしたのである。どうも対岸に2mくらいの低い滝をかけて入っている支流があるのだが、そこを目指して泳いでいるような。
 オチのところで潜ってしまったぞ。出てこないぞ。え?どういう状況なんだ?ザイルを引けばいいのか?なんなんだ、いったい?

 一応、確保しろと言われたので肩絡みでザイルを持ってはいたが、なんせ突然連れてこられて訳がわからないままほとんど「持っているだけ」という状況である。沢登りの経験なんて高校時代に比良の沢を何本か登っている程度だったし。

 やがてオチからヘルメットが見えるようになり、じりじりと流心をM先輩が登っていくのが見えた。
 やがて滝上に立ったM先輩が何やら叫んでいる。なに、来いって言ってるの?でも、セルフビレイも何も取ってないよ?あ、身振りで来いって言ってるみたいだわ。来いって言われても・・・ここを泳げと?

 訳がわからないが、とにかく飛び込んで泳ぎだし、ほとんど流されるようにオチの下まで辿り着いた。まあ半ば引っ張ってもらったようなもんだけど。
 で、ここを登れと?・・・登る前に溺れそうなんですけど

 なんとか登った。いや、半分くらい引き上げてもらったようなもんだけど。
 M先輩とようやく合流したら、「お前な、俺が流れに引き込まれたときはザイル引いてくれなあかん。溺れ死ぬかと思ったぞ」と小言たらたら。
 そんなこと言われても・・・何も説明せずにいきなりだもんな。

 「ま、これから気をつけろ」ってまだ登るんですか、先輩?気をつけろって、何に気をつけて良いのかまだ判らないんですけど?

 その後は必死すぎてよく覚えていない。河原など皆無のゴルジュの中を2つ3つ滝を越えたところでハーケンやボルト類が尽き、M先輩が唐突に「じゃ、帰るぞ」と宣言して下降が始まった。帰るってこんなところ、どうやって帰るんですか?え?飛び込んで流されるの??こえぇよ。
 ・・・下降は登りの倍、怖かった・・・

 結局、その谷についてはM先輩から何の説明もなかった。
 数年後、私が山岳部を辞めてから単独で、山岳部時代の仲間を誘って、他大学の部員を誘って、何回となくこの谷に再挑戦し、ハーケンやボルトを数限りなく叩き込んで、ようやくこのゴルジュ帯を突破したのだが、実は沢の名前すら知らずじまいだった。ずっとM先輩の名前で「M沢」って呼んでたし。

 記録は見かけなかったのでM先輩は初遡行の偵察をするつもりだったのかもしれないが、当時からまったくの手つかずの沢というわけではなく、ところどころに残置はあった。ただ、自分たちが打ったハーケンやボルトも、翌年訪れると半分以上はなくなっていたので、何回行っても相当な数のハーケン類を持ちこむ必要があった。
 当時はまだ「泳ぎ主体でゴルジュを突破」という発想はあまりなく、極悪ゴルジュの突破は人工が主体になる時代だったし。ザクロ谷なんかも初遡行時はボルト100本以上を打ってるし。

 当時はそんなわけで沢の名前も気にせず登っていたのだが、今、地図やwebの記録を見てみると、M谷は多分、海ノ溝だと思う。
 訳のわからない1年生をいきなりこんなところに連れていくか?普通。

 

御嶽でのできごと その1

 11月の下旬に御嶽に雪上訓練に行った。
 1Boxの車に5人くらい乗って、深夜の国道41号線をM先輩の運転で走っていた。助手席には当時3年生のI先輩が乗っていて、私ともう1人の1年生は後ろの席で眠りこけていた。

 小坂も近くなってきた頃、車通りも少ないのだが、たまたますれ違った対向車がパッシングをしてきた。つまりこの先に警察がいると。
 I先輩が、「M先輩、警察がいますよ」と警告を発したのだが、普通はスピード落とすだろ??
 M先輩はスピードも落とさずに、「お?警察はどこだ??」と警察車両の発見に全力を注いだ。全力を注いだので目の前の赤信号を見落として速度も落とさず通過してしまった。間の悪いことに、そこにパトカーがいた

 パトカーが赤灯を回してついてきた。「そこの車、止まりなさい」とスピーカーから声がする。
 車を停めるなり、M先輩は助手席にいたI先輩の胸ぐらをつくんで叫んだ。
 「I、替われ!」

 「俺、免停が終わったばかりやから、次捕まると取り消しになってまうんや、埋め合わせはするから替われ!」と、I先輩の返事も待たずに引きずるように運転席に座らせると自分は後ろの席に転がり込み、もう1人の1年生はすやすや寝ていたので私を助手席に蹴飛ばして座らせた。
 車の中で配置転換が終わった直後、警察官が窓をノックした。I先輩が「へへへ、すみません」とヘラヘラ笑いながら窓を下ろした。
 I先輩がパトカーに連れ込まれてキップを切られている間、私がそっと後ろの様子を伺うと、M先輩はまだ寝たふりをしていた。

 ま、埋め合わせということで、I先輩は後でそうとう美味しい目に遭わせてもらったそうだけどね。

 

御嶽でのできごと その2

 そんなこんなで、御嶽の登山口の濁河温泉に着いたわけさ。
 で、登山支度を始めたわけだか、突如駐車場に素っ頓狂なM先輩の声が響いた。

 「あれ〜?俺、登山靴、忘れたわ!」

 へえ、登山靴を。それはまあ本人の不注意とはいえ、お気の毒な。こんな山奥から1人で帰るわけにもいかないだろうけど、下山日に迎えに来てくれるってことにするのかな?
 などと気楽に考えながら自分の準備をしていると、M先輩は何の躊躇もなく俺たちに向かって言った。

 「というわけで、お前ら、ステップを切ってくれよな」

 ・・・は?今、なんて?
 ステップを切れって、M先輩、そのスニーカーで11月末の御嶽に登るつもりですか?嘘でしょ?

 非常識でムチャな人間が揃っていた我が山岳部でも、さすがに先輩方も色をなしてM先輩を止めようとした。だがムダだった。

 森林限界を越えてからは普通に氷雪の斜面だったので、我々まっとうな部員は普通にアイゼンを装着して歩いていたのだが、私たち1年生2人は最後尾を歩くM先輩の前で、ひたすらピッケルでステップを刻み続けた。何回ピッケルを振ったことだか・・・腰が痛くなった。

 翌日はM先輩はテントキーパーでもしてくれるのかと思ったが甘かった。普通に頂上まで行くという。雪訓をしている間はさすがに大人しくしていたが、今度は「足が冷たい」と騒ぎ出した。当たり前だと思います

 3日目は下山日だったのだが、早朝から下山を開始したので斜面は見事に堅かった。その斜面を1年生2人はひたすらステップを刻み続けた・・・

 

御嶽でのできごと その3

 まあそうやって降りてきたわけだ。なんとか無事に。
 で、濁河温泉に入って帰る、ということになったわけだ。
 温泉旅館の外来で風呂に入ったのだが、温泉の建物から延々と斜面を階段で下りて、河原にあった露天風呂に入った。旅館の名前は忘れた。

 露天風呂のすぐ下で、川はゴルジュになっていた。けっこう手応えがありそうなゴルジュ。
 すると、最初は「足が凍傷になるところだったわ〜」などと言いながら足を温めるのに専念していた先輩が、「あのゴルジュ、行ってみんか」と言い出した。
 僕たち、真っ裸でタオルしか持ってないんですけど・・・

 「車にザイル取りに行きます?」とか他の先輩が言外に「アホなこと言いなや」と匂わせていたのだが、M先輩は突然腰にタオルを巻いたままのて格好で風呂から出て河原を下り、ゴルジュの壁に取り付いてしまった。
 あらら、と思いながら見ていたら、M先輩は落ちて流されていった

 一同、一瞬ちょっと固まってしまったのだが、我に返ってリーダーのY先輩の指示に従ってザイルや登攀具を取りに行こうと行動を開始した。車のキーはM先輩が持っていたはずなので、脱衣所のM先輩のズボンかキーを取ろうとしたのだけど、キーがない。M先輩の服を全部ひっくり返したらシャツの胸ポケットから出てきた。普通、こんなところに車のキーを入れるかな?

 と、バタバタし始めたところに、M先輩が帰ってきた。フルチンで壁をへつって。タオルも流されてしまったらしい。

 「おお〜、死ぬかと思った〜」と叫びながら風呂に飛び込んできた。僕らもそう思いましたよ。
 唇を紫にして全身ガタガタ震えながら温泉に飛び込んできたが、11月末の標高1800mの沢だからね。水なんて沢に入る気もしないくらい冷たいわけよ。そこに全裸で飛び込んで無事でいるのがおかしいよ。

 

それから

 M先輩は私が入学した当時で既に最終学年(何年かダブった末の)で、私が2年生になると同時に卒業して就職してしまったので、実は全日程を同行したのはこの御嶽が最初で最後だった。毎週末の御在所はしょっちゅう来てたし、夏山合宿にも途中参加で来て一緒に剱に登ったりもしていたけど、御在所は別にして入山から下山までの全日程を共に行動したのはこの御嶽が唯一だった。
 その御嶽でこれだけやらかしてくれたもんだから、それだけ覚えているのだが・・・

 そのM先輩、就職した直後の5月の連休にオートバイ事故で死んでしまった。

 今になってふと思うのだけど、M先輩が死んでしまわなければ、自分も最終的に山岳部を辞めることはしなかったかもしれないな。やることはムチャばかりだったけど、妙な気楽さがあって、接する人を前向きな気分にさせる人だったから。

 そうすると、夏の間は基本的にガツガツどこかを登っていたわけだから、山小屋のバイトもあんなに長期間することもなかったかもしれないし、数年後にうちの山岳部で行ったヒマラヤ遠征にも参加していたかも。(当時山岳部を辞めていたのに声はかかって、ちょっと迷ったしトレーニング山行にも何度か参加した)
 そうすっと、交友関係なんかもずいぶん変わっていた、つまりかなり大きく人生も変わっていたんだろうな、と思う。

 ま、どこかの山で死んでいたかもしれないけど。

 付き合った時間が短かった割には直接的、間接的に私に大きな影響を与えた人だったな。
 今も生きていれば、今頃は分別臭いことをほざく俗物になっていたのかね?想像できないけどね。

 

 

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