写真の神髄

 長年山小屋で油を売っていると、「山岳写真家」と呼ばれる職業の人達とは何人か知り合いになる。
 昔小屋でバイトしている頃に赤木沢の出合いまで撮影に行くのを重い重い三脚を担いで手伝ったきりのご縁だったりしたような人は、こちらは憶えていてもあちらは私のことなど絶対に憶えていまいが、何人かけっこう長いおつき合いになっている人がいる。
 飲む度にハーモニカで「荒城の月」を演奏するのを聴きつつ、「他にレパートリーはないの?」とツッコミを入れたりする人や、久しぶりに山で会ったら「ご無沙汰の罰に写真集を買え」と高価な写真集を売りつけられたり、たまたま山で1回飲んだだけなのにちゃんと憶えていてくれて、しかもこのHPを読んでいたりして(ひぇ〜っ!)話題が弾んだり(冷や汗)した人とか。

 で、その人達とおつき合いした結果、持つに至った価値観が、自分の息子に写真家だけにはなって欲しくない、ということだったりするのだが・・・だって大変な割には食べるのに苦労する職業だもの。私の弟もジャンルは違うが写真家なのだが・・・やっぱりたいへんに苦労している。

 それはともかく、こないだある写真家と飲む機会があった。大勢で飲んでいたのだが、彼と私の共通の知り合いの息子さんがつい先日結婚して、その写真家(Tさんとしておく)はカメラを持って結婚式に行ったそうだ。ま、別に撮影を頼まれたわけではなく、せっかくだからということだったそうなのだが。

 で、その写真をみんなで見ていたのだが、ふと気付くとどれもこれも極端にパースが付いた、超広角レンズで撮影したとおぼしき写真なんである。
 聞けばその日、持っていったのはフィッシュアイ(魚眼レンズ)1本なんだそうな。
 「え?」と目が点になってしまった。そんなこと、私は怖くてとてもできん。
 でも、そのオールフィッシュアイで撮影されたスナップが、いちいちどれもこれも良いのである。仕事外とはいえプロが撮った写真にただの物欲親父の私がどうのと評論するつもりはないのだが、フィッシュアイ独特の歪んだ線の中の人物がなんか良い感じだった。
 中でも数枚、しばらく目が切れないほど良いと思った写真があったのだが、写っているのは普段から太平楽だが息子の晴れの日にさらに太平楽になってしまったいつもの見慣れたむさ苦しいオッサンである。なので別にそのオッサンの顔に見とれていたわけではない。いや、周囲の人が話していたり着物を直していたりと、ちゃんと人としての理性を保っている様子なのに、そのオッサンだけこの世の幸福を一身に背負ったような顔をして突っ立っているのがすごく面白かったのだが、とにかくこんなむさいオッサンの顔を見つめたくないのにという葛藤を越えてしばらく目が切れないほど、素敵な写真だったわけである。

 この写真を見て、実は心底「参った」と思った。こういう写真、逆立ちしても私には撮れません。
 つくづく、写真って機材じゃないよね。技術もあるのだろうが、やっぱセンスだよなぁ、と思ったのであった。

 で、なんでこんなことを今書いているのかというと、実は去年買ったばかりの EOS Kiss Digital を叩き売って EOS 20D に買い換えてしまったのである。そんなことを考えて数週間も経たないうちに。
 どうせ私はただの物欲親父である。
 でも、こんな散文的で芸術的センスのかけらもない私でも、その写真がヤマケイの巻頭カラーページに載ったことだってあるんである。こんな私でも撮れる写真はあるんである。

 

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