生命の神秘
(下ネタ系)

 1999年の早春のある日、なんとなくつけていたテレビの深夜番組を見ていた時のことだった。
 トークが「来る西暦2000年の元旦に出産するためにはどーしたら良いか?」という話題になっていて、Yという映画監督がしたり顔で「2000年1月1日から十月十日を引けばいいわけですから、99年の2月25日に"子作り"すれば良いわけです」などと言ってしまったのを聞いた私は、思わず画面に向かって「アホー!」と叫んでしまったのであった。

 人間の妊娠期間は十月十日(310日)ではない。子作りシーンばかりの映画を撮っていたクセしてそんなことも知らんのか。Yは。

 医者が出産予定日を計算するときは、最終月経日に280日を足している。すなわち、2000年1月1日が出産予定日となるための最終月経日は99年3月27日である。つまり授精日からの計算ではない。
 私は最初それは、医者が患者さん(つまり妊婦さん)に「最後に"子作り"したのはいつですか?」と聞くわけにもいかんだろうから、と思っていたのだが、よく考えてみるとちょっと違う。
 だって人間は他の動物とは異なり、周期的に妊娠する可能性がない時期であっても"子作り"する動物なので、
  医者:「最後に"子作り"したのはいつですか?」
  患者:「今朝です」
 と返されたら困ってしまうじゃないか。さらに、
  医者:「では、その前は?」
  患者:「昨夜です」
  医者:「その前は?」
  患者:「一昨日です」
  医者:「え〜っと・・・じゃあ・・・」
  患者:「毎日です」
 となってしまったら、受胎日の判定は不可能である。

 もうひとつ大事なことは、「授精日」すなわち「交配日」もっと判りやすい言い方をすれば「子作りした日」「受胎日」とは限らない、ということである。
 つまり、精子は子宮(正確には卵管)の中で2〜3日は生きている(受精能がある)のだが、卵子は排卵後、数時間で死んでしまう(受精能を失う)わけである。これが何を意味するのかというと、「排卵日」は限りなく「受胎日」とイコールだが、授精日は必ずしもイコールではない、ということである。
 平均的にヒトの女性の性周期は28日なので、平均的に最終月経の14日後が排卵日のはずである。
 よって、受胎から出産までの日数、という意味での妊娠期間はおよそ266日、となるわけである。

 ということなので、2000年の元旦に子供を生みたければ、99年の3月27日あたりに月経が来るように調整した上で、4月8〜10日あたりで"子作り"に励めば良かった、ということになる。
 逆にY監督のような誤解をして99年2月25日に子作りに励み、それがたまたま排卵日ドンピシャリだった場合には、99年11月18日が出産予定日となる。最終月経が2月11日なら、医者にもそう告げられたはずである。
 なので、99年の11月中旬が誕生日、という子供がいたら、その子は両親がミレニアムベイビーを狙った、という可能性がある。残念でした。
 あのY監督の専門家(?)とは思えない無知な発言のおかげで11月に産まれてしまった子が、けっこうたくさんいるんだろうな・・・

 

 ちなみに私は一時期、牛の繁殖の仕事をしていた。
 人工授精から受精卵移植、クローンまでを手がける繁殖チームに在職していたわけなのだが、牛は性周期が21日、妊娠期間が280日と人間と非常に近い。学生時代にも「この牛と私の周期、同じなの」と言って喜んでいる女の子がいた。

 牛の繁殖の仕事には「直腸検査」というものが必須技術となる。
 それはすなわち、牛の肛門から手を入れ、直腸壁越しに子宮や卵巣を触診して周期を判断したり卵巣嚢腫や子宮内膜炎などの繁殖障害疾患を診断したり、はたまた牛が妊娠しているかどうかを鑑定したりするのである。
 また人工授精や受精卵移植、また子宮洗浄(治療目的だったり受精卵の回収目的だったりする)を行う際には、子宮の中に授精器やカテーテルを入れなければならないのだが、牛は子宮頸管に4つも襞があるので左手で直腸越しに子宮頸管を保持しながらでないと不可能である。2番目までは通せても3番目で引っかかって通せない、なんてことが日常的にあったりする。特に人工授精の時は卵胞期なので頸管は開いており、子宮内への器具挿入はたいして困難ではないのだが、受精卵移植や採卵は黄体期に行うので頸管が固く締まっており、それなりの技術を要する。

 卵巣の触診では卵胞や黄体の有無、またその状態によってかなり正確に「今、周期の何日目か」を判定することができる。
 また妊娠鑑定では受胎後35日くらいから発達してくる胎膜を触診して判定するのだが、それはもちろん子宮の中にあり、つまり直腸壁と子宮壁を通して触診していることになる。
 これはけっこう難しく誤診も多いので、妊娠鑑定では超音波診断機の出番が多い。
 プローブを肛門から直腸に入れ、直腸壁越しに子宮を写して子宮内に胎液が貯留していたり胎仔そのものを見たりして判定する。
 なぜ人間のように腹の外からプローブを当てないのかというと、牛は体が大きいのでそんな深くまで超音波が届かないからである。
 カミさんが妊娠したとき、休日にこっそり職場に行ってその超音波診断機でカミさんの腹を見たものである・・・うちの息子達は2人とも、体長がまだ2cmくらいの時から知っているのである。

 聞いてみたら繁殖関係者や獣医師は、たいていの人がそれをやった経験があるようだ。
 普段牛の尻に突っ込まれてウンコだらけになっているプローブを腹に当てられた奥さん達はいい迷惑だが・・・
 でも、自分でそれをやって胎児を確認した、という女の子も多数いるので、彼女たちには同情は必要ないのは当然である。

 卵子は人間のもネズミのも牛のも、哺乳類のものは約0.1mmとほとんど同じ大きさである。身体の大きさがこれだけ違うのに不思議だ。
 ただの1個の細胞である未受精卵が受精し、2つの細胞に分割してそれが4つ、8つ、16個・・・と卵割が進んでやがて胚盤胞と呼ばれる状態になり、さらにそれまで卵子を包んでいた透明帯が破れて脱出胚盤胞になり・・というあたりまではこの目でつぶさに見ているわけなのだが、ここまでのステージ(牛の場合受精後7日目くらいまで)では大きさはまったく変わらなく、0.1mmのままである。
 これがたった280日後には子牛になるなんて・・・ああ、信じられない。
 息子達も体長2cmくらいの時も白黒画像ではあるが見ているのだが、それと今の悪ガキどもは知識では理解できても感覚的になかなか結びつかない。いや、自分だって元は0.1mmの1個の細胞に過ぎない時期があったのだけど。

 現在は「生命の発生に関わる」仕事をしていたのとは一転して、「死んだ原因を調べる」仕事をしていたりする。
 当然解剖もするのだが、脂肪肝になった肝臓を見たりして、「俺の肝臓もこんなになってるんだろうなぁ」なんて思っていたりする。こちらの方は非常に鮮明にイメージできる。

 ウイルスの仕事をしているのだが、ウイルスは遺伝子とそれを包む殻だけ、というシンプル極まりない構造のため、自分単独では何をすることもできない。栄養を取り入れたり代謝して老廃物を排泄したり、ということがないのである。
 もちろん増殖もできない。増殖するには遺伝子をコピーし、遺伝子がコードする蛋白質の殻を造って初めてウイルス粒子が増えるわけだが、ウイルスには遺伝子をコピーする機能も蛋白質を造る機能もないので増殖しないのは当然である。
 つまり、ウイルスが増殖するためには生きた細胞の中に入り(それを感染する、という)、その細胞の機能を横取りするしか増殖する手段がない。

 そのため、ウイルスを分離培養したりするためには、細胞を使わなければならない。また厄介なことに細胞ならなんでも良いというわけではなく、ウイルスによって感染できる細胞が違う。
 ウイルス病の診断をする、ということは病変部位にウイルスが存在することを証明することであり、たいていの場合ウイルスの分離培養を意味する。なので常時何種類もの細胞を培養維持しておかねばならない。
 その細胞は株化されていて市販されているものもあるのだが、自分で作出しなければならない場合も多々ある。
 自分で作った細胞は、当然その動物が生きていた姿を知っているわけだが、その動物はもちろん死んでしまっているのに、細胞レベルではまだ生きているのである。
 株化細胞でも、ヒトのガン細胞由来のものが何種類かあり、私も仕事でいくつか培養維持しているが、時々「この細胞の持ち主ってどんな人だったんだろう」とふと想像するときがあったりする。もう亡くなっているのかもしれないが、その人は死んでしまっていてもその人の細胞は世界中何百カ所というラボで今でも生きている、と思うとなんだか不思議である。
 自分が死んだら「俺の肝臓細胞を培養維持してくれ」なんて遺言でもしてみようかと考えたりして。

 ・・・そういえば瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」という話は、事故で死んでしまった奥さんの肝臓細胞を培養するところから話が始まるんだっけ。

 ウイルスといえば、こんなものを「生物」と呼んでいいのか?とも思う。ウイルス単独では何もしない、ただそこにあるだけ、の代物である。
 よくSFに「生命体探査機」の様なものが出てくる。宇宙船から惑星を探査して「生命反応はありません」なんてやっているアレである。
 それが如何なる原理で働いている装置なのかは知らないが(深く考えたこともないが)、代謝エネルギーのようなものを検知しているものだとしたら、ウイルスはそれでは検知できない。代謝しないから。
 もしそれが蛋白質などの生物特有の物質を検知する機械であれば、ウイルスをそれで検知することは可能だ。
 でも、よく戦争などで生物が死滅した星を見ながら「・・・生命反応が消えましたっ!(泣)」などとやっているので、やはりそれは代謝エネルギーを検知する機械なのだろう。
 とすれば、生命反応がなく、生物が存在しないと考えられた惑星に人間が下り立ったら未知のウイルスに感染してバタバタと探検隊員が死んでしまい・・・などという話が書き得る・・・と思ったのだが、よく考えたら「生物」抜きのウイルスが存在するという前提が成立しないのでやはり無理であった。

 要約すると、生物を「代謝、すなわち外界から栄養素を体内に取り入れ、それをエネルギーに変換して老廃物を体外に排泄することによって自らを維持する存在」と定義付けると、ウイルスは生物ではない。
 でも、そんなウイルスでも遺伝子のコードは人間を含めて地球上の全生物とほぼ同じだったりする。
 つまり、DNAの4種類の塩基(A,G,C,T)の配列によってどのアミノ酸が指定されるか、は人間でも牛でもゾウリムシでもウイルスでもほぼ同じわけで、言い換えれば地球上の全ての生物は同じ言語でプログラムされている、ということである。
 ウイルスの場合、DNAではなくRNAを遺伝子に持つものも多いが、その場合もRNAをDNAに転写した場合のコードは同じである。

 そんなわけで「人類の祖先は宇宙人」なんて仮説はこのことだけで否定されてしまったりする。
 むろん、全宇宙の生物で遺伝子コードが同一であれば話は別だが。でも、複数の人がまったく同じプログラミング言語を開発してしまう確率はゼロに近く、またその必然性もないはず。

 とすれば、「遺伝子を持ち自己増殖するもの」を生物と定義すれば、ウイルスはやはり生物である。自力では増殖できないが。

 ウイルスは光学顕微鏡では見ることができないほど小さい。電子顕微鏡写真で細胞に感染したり細胞から出芽するウイルスの写真があるが、細胞とウイルスの大きさの比は、まるでバスケットボールに付着した米粒のようである。
 こんな小さいものが、しかも自分では増えることもできないものが体内に侵入すると、時として人を殺してしまうこともあるのだから不思議である。知識では理解できるんだけどなぁ・・・

 

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