独断と偏見まみれのテント考察

 テントなるものを初めて張ったのは、小学生時代のキャンプだった。
 当時のテントはいわゆる「家型」というもので、張り綱の張り方がまずいと自立ならぬ「自倒」してしまった。
 当時よく張ったテントは家型の中でも大型のもので、ポールは本体両端だけでなくテントのど真ん中にも立てていた。子供だったら10人くらい寝れた。
 本体とグランドシートは別体でヒモで繋ぎ合わせていたので、雨が降るとそこからよく浸水した。なので、現在ではほとんど誰もしない(自然保護の意味からも推奨されない)「テント横の溝掘り」は極めて重要な技術であった。それも単に「溝を掘る」のではなく、傾斜をよく考えて水を逃がすように掘らないと、お間抜けな掘り方をしようものなら池の中にテントが立つような悲惨な状況になること請け合いであった。
 テント本体もフライシートでさえも、特に防水加工などしていない単なる布だったし。雨が酷くなるとフライが水を吸って重くなり、次に本体が水を吸って重くなった。よっぽどバランスよく立てておかないと、その重みで夜中にテントが倒れてしまうこともしばしばあった。

 そういう「極めて高度な技術を要する」テントしか知らなかったので、高校山岳部に入ってダンロップのドーム型テントを知った時は心底感動した。
 部の共同装備たったのはダンロップの6人用テント、通称「6テン」だった。ちなみに先日、比良でどこかの高校山岳部とおぼしき団体が幕営している横を通ったが、やはり彼らもダンロップの6テンだった。むろん現在の最新モデルではあるが。
 今にして思えば当時のダンロップ、フライがフルフライではないという山岳用テントとしてはかなり致命的な弱点を抱えていた。
 前後がおおらかに開放されているため、雨が降ると一番入り口側と奥に寝ている人は必ず濡れた。でも、そんなものだと思っていたので誰も指摘しなかったが。
 当時は既にアライテントの「ライズ」シリーズやエスパースシリーズも頑張っていたのに、なぜか高校山岳部はどこの高校もダンロップだった。たまに家型テントの高校もあったが。
 当時から今に至るエスパースやアライなどのテントとダンロップの最大の相違点は「スリーブ式か吊り下げ式か」という点である。ポールをテント本体に縫いつけられたスリーブを通していく方式か、テント本体のフックをポールに引っかけていく方式か、である。
 当時、高校生の我々は「吊り下げ式の方が圧倒的に設営が楽」と信じ込んでいた。まあ確かに楽なのではあるが、スリーブ式のテントを所有している今現在は「別にそれほどたいした違いじゃ・・・」と思う。まあ、現在のスリーブ式はいろいろ工夫を重ねて、当時のスリーブ式より格段に設営が楽になっていることもあるが・・・
 当時、まとこしやかに囁かれていた噂で、「冬山でエスパースを設営しようとしたら凍り付いたスリーブにポールを通すことができず、テントを設営できずに遭難したやつらがいる」というものだった。こんな話を半ば信じていた僕らって、なんてウブだったんだろう。
 ちなみに、なぜエスパースなのかは未だに謎である。

 吊り下げ式には吊り下げ式で欠点はいくらでもあった。
 まず、テントを吊り下げているフックがポールからよく外れること。長年使用しているとフックやポールのの変形具合で、必ず外れる箇所や最初からまともにかからない箇所があった。6テンの内側のポールあたりのフックが外れるとやっかいだった。フライの下だと直すのが面倒なんである。直さないとその部分が垂れ下がって寝ている顔に触れたりするので、特に雨が降っている時は是が非でも直さなければならなかった。それも自分に被害が及ばない、両端に寝ているやつは冷淡なので、被害を被る真ん中に寝ている人は、テントを出ずに内側からフックをかけ直す技術を習得する必要があった。
 大学になって冬山に行くようになるとさらに事態は深刻で、フライではなく外張りなので外側から直すのは不可能であった。どうあっても内側から直さないと。
 面倒なので一晩放置したことがあったが、朝目が覚めると垂れ下がった本体が顔にくっついて、しかも凍り付いていた。ベリベリ剥がすと唇の皮も一緒に剥けた。やはりフックはすぐに直さねばならぬ。
 ちなみにフックを少しペンチか何かで曲がりをきつくしておけば良いのだが、加減を間違うとはめるのに苦労する。力を入れてバチン!とはめ込んだら指も一緒に挟んで涙目になったことがあった。
 現在のダンロップは、「スクリューフック」なるものでこの問題を解決しているようである。

 また吊り下げ式の弱点として、「フック部にのみ力がかかる」ということが挙げられよう。
 吊り下げ式はフックで全ての力を受けることになるので、耐風性では不利になる。風の中でフックが弾け飛んだテントを見たことがある。当然、本体には穴が空いた。
 この点は現在では、フックの支持をスリーブのように長い線で受けるように改良されているようだ。でも、ポールにかかる力がフック部に集中するという問題はこれでは解決できないけど。
 とはいうものの、当時はそんなことは考えもせず、垂れ下がったテントで顔が濡れようが入り口に寝ていてずぶ濡れになろうが、「テントはダンロップが一番」と信じ込んでいた。

 高校山岳部の同級生は私を含めて5人いたのだが、それぞれバイトで自分の欲しい個人装備を買っていたのだが、ダンロップの4テンを買ったやつがいた。個人山行で非常に重宝されたものである。つい先日、メールで聞いてみたら今でも持っているそうである。「こいつは売れないなぁ。ははははははは」だと。
 そう。あの頃のダンロップのテントって、ヤフオクでやたら高い値が付くのである。
 もうかれこれ半年以上、1〜2人用の小型テントが欲しくてヤフオクをずっと監視しているのだが、モンベルのムーンライトとダンロップの古いテントは値付けが異常である。とても手が届かない。新品で買うのだったら、今のダンロップはたいして欲しくはないんだよな・・・高いもん。

ダンロップ6テン

 

 

 

 この写真は高2の年末に行った台高山脈の明神平でのダンロップ6。
 同級生5人で行った個人山行だったが、部の団体装備のテントで行ったようだ。


 

ツェルトとボロテント・・・

 

 これはその前の年、高1の秋に行った明神平で。
 この時は件のダンロップ4と写真にあるようにツェルトを2つ使った。
 奥に見えるのは「ツェルト」というのも烏滸がましいほどのボロで、所有者の名前を取って「堀田型テント」と命名された。
 当然、二度と登場することはなかった。


 自分では当時、上の写真で手前に張ってあるツェルトを持っていた。
 中学生の時に大津の「岩と雪」で購入したものだった。この時が初登場なのだが、このようにきちんとポールと張り綱を使って設営されたのは、後にも先にもこの時だけだった。
 木の間にロープかけて吊したり岩壁で単にくるまってみたり、雪に縦穴を掘って上から被ったり、おそらくこのツェルトでは20から30泊しているが2回として同じ張り方をしたことはない。
 大学に入ってから剣沢でこのツェルトを張った時は中で傘を広げてスペースを取り、この中に2人寝た。夜中に大雨が降り、朝になると激流の中でマットとザックがプカプカ浮いていた。ツェルトから顔を出すと剣沢のテント場に川が3本ほどできていたのだが、間の悪いことにそのうちの1本のど真ん中にツェルトが立っていた。それでも2人とも朝まで目を覚まさなかったのだが・・・
 その日は快晴だったが、当然行動などできず、ひたすらシュラフと自分の身体を乾かしていた。ところがたまたま高校1年の時に太郎小屋で一緒にバイトしていた女の子がその年剣沢の小屋で働いていて、偶然青空の下で遭難している我々2人を発見してくれた。おかげで暖かいお茶にありつくことができた。(コーヒー代すら持っていなかったような・・・)

 さて、大学に入るとしばらくご無沙汰していた「家型テント」とまた巡り会った。
 むろん、大学の部でもダンロップの6テンは持っていて、冬山では当然こちらを使ったが、夏山での剣岳定着合宿や5月の春山ではもっぱら家型テントを使った。5月の春山も定着がほとんどだったし、「ベースキャンプ」にはなんといっても家型が快適で良かった。

真砂沢のテントサイト

 

 夏山は真砂沢で、こんな感じのベースキャンプを張った。この写真は既に入山後1週間ほど経過しているので、張り方もかなりよれてきている。
 5月はもっと標高の低い槍平あたりで定着することが多かったので、その時はやっぱりこの家型だった。季節はずれのドカ雪で、夜中に雪に押しつぶされたこともある。この時はピッケルでポールを継ぎ合わせて凌いだ。
 5月に剣沢で定着した時はさすがにダンロップだった。
 しかしこれで2月の能郷白山に行ったこともあったような・・・


 大学後半から山小屋居候生活が長かったため、テント泊とはだんだん縁が遠くなっていった。
 最近になって家族連れテント泊山行のため、モンベルのステラリッジ4型をヤフオクで入手した。

年越しキャンプ

 

 この写真は2002-2003年年越しキャンプの時のもの。
 入手したステラ4のデビュー戦だった。
 ここは大津市膳所本町の裏手にある林道で、高校時代はよくトレーニングで歩いたところである。
 この林道終点に鳴滝という寺社があり、そこはまるで「膳所高校山岳部私設キャンプ場」のようだった。やれクリスマスだ、試験開けだ、卒業生の追い出しコンパだと理由をつけては鳴滝でテントを張り、夜通し飲んだものである(時効)。
 つぶれたやつからテントに放り込んでいったのだが、テントの中で吐くとそのテントは半年くらいは酔っ払いのゲロの臭いがした。買ったばかりの団体装備の6テンをゲロまみれにしたのは、私達の追い出しコンパの時だったか・・・



 この年越しキャンプの時も鳴滝に張ろうとしたのだが、大晦日は鳴滝に山伏が多数お経を上げに来る、という話を聞いて、急遽林道のもう少し下の適当なところにテントを張った。
 夜中になって真っ暗な林道を鳴滝まで歩き、山伏や地元の人と一緒にカウントダウンをし、山伏のお経上げにもおつき合いさせていただいた。
 その割には物欲がぜんぜん衰えないが・・・
 ちなみにその時の山伏の1人が、高校山岳部の2年後輩のお父さんと判明。世間って・・・

 現在欲しいのは、1人用のテント。
 やっぱ家族連れてばかりではつまらないので、1人でも行きたいもの。
 今日も虎視眈々とヤフオクを監視するのであった。


 5/11についに1人用テントをヤフオクでゲット!
 モンベルのムーンライトテント1である。けっこう古い物のようで本体とポールのスタッフバックが別になっているところを見ると95年以前のものらしい。(現行型は1つのスタッフバッグに全て入るようになっている)
 しかし前オーナーが丁寧に使っていたらしく、割に程度は良い。
 重さは実はステラ4と大差ないのであるが、あの4人用テントに1人で寝るといかにも寒そうなので、やはり1人用テントが欲しかった。
 さぁて、これでどこ行くかな?

 

Back to up