ぷち・ピンチ −バイク編

 

 長い間オートバイに乗っていると、3回は死にそうな目に遭う、と言われている(誰かは知らんが)。そのあたり、山と変わらんね。
 自分の場合、その3回はもうクリアしていると思うのだけど(どれとどれを3回にカウントするかは問題だが)、小さな失敗、もしかすると運が悪ければ重大な事態を招いていたかもしれない失敗なら山ほど。このあたりも山と変わらんね。
 もちろん今となっては笑い話にしかならないような失敗もたくさん。このサイトの読者もそのあたりを期待していると思うし?

 というわけで、誰しもやってしまう・・・であろう失敗談をいくつか。

 

<燃料コックの罠>

 

 バイクに乗っていない人が知るとみんな驚くのだがバイク乗りにはごく常識、というネタの1つに、「オートバイには燃料計がない」というのがある。まあ最近はそうでもないみたいだけど、少なくとも私は燃料計付きのバイクには乗ったことがない。
 「え〜っ?じゃあガス欠になっちゃうじゃん。どうするの?」なんてよく聞かれるのだが、そのために燃料コックというモノがあるのだ。
 仕組みはとてもシンプルで、要するにガソリンタンクからの「取水口」が2段構えになっているだけで、通常はオンとリザーブを使い分ける。すなわち、通常はオンで走り、そこでガス欠になったらリザーブに切り替えると、モデルによって違うが「あと残り2L」というようにその時点である程度正確な残量を知ることができる、というわけである。リザーブの「取水口」はタンクの一番底、オンの「取水口」は少し上にある、ということですな。
 最近はスポーツバイクでも燃料計が付いているモデルが多いのだけど、そしたら燃料コックは付いてないのだろうか。自分的にはもう既に燃料計があっても燃料コックがない時点でもう不安なんだけど。

 この燃料コック、もうお気づきかと思うが、ガソリンを補給したときには必ずコックをオンに戻しておかないと意味がないのである。
 その時戻さないとどうなるか?

 走っていると、通常はリザーブに切り替わる、つまりオンの状態ならガス欠症状が出る距離を越えてもまだまだ快調に走り続ける。
 「あれ〜?今回は調子良いな〜、こりゃ新記録の高燃費が出るぞ」とか思っていると、やっとエンジンがぷすぷす音を立てだしてガス欠症状が出てくる。
 よしよしやっと切り替えか〜と、燃料コックに手を伸ばしながら、もう頭の中でトリップメーターから燃費を計算していたりするのだが・・・

 その時初めて気づくのである。燃料コックは既にリザーブの位置にあることを。

 どうなるか?当然、そのままガス欠でストップである。
 私は7kmバイクを押して歩いたことがあるよ。最後の1kmが登りだったのは極悪だった。

 

<サイドスタンドの罠>

 

 今のオートバイは、サイドスタンドを出したままエンジンをかけても、ギアが入った途端にエンジンが止まるようになっている。これ、昔はなかったんだけど、なんでもっと早くそうしてくれなかったかなあ。

 普通、オートバイに乗って走り出すまでの段取りと言えば、
1.オートバイにまたがる
2.エンジンをかける
3.サイドスタンドを払って畳む
4.ギアを入れて走り出す
 ということになるかと。2と3の順は入れ替わることもあるけど。

 で、今のオートバイは3を忘れていても、ギアを入れた瞬間にエンジンが止まるようになっている。昔はそんな機構はなく、サイドスタンドを出したまま走り出すことができてしまったのだった。

 サイドスタンドを出したまま走ると、カーブや交差点などで左にマシンを傾けた時に恐ろしいことが起きる。

 学校帰りだったかツーリングだったのか覚えてないのだが、友達と走っていて、何かの用事で道路脇にバイクを停めていたんである。
 で、用事が終わって再び走り出したのだが、その時前を走る友人のバイクがサイドスタンドが出たままなのに気づいた。
 パッシングやホーンで知らせようとしたのだが伝わらず、横に並んで教えようと加速したのだが、その友人、何を勘違いしたか負けじと加速して俺を引き離しにかかったのだ。
 目の前には緩い左カーブ・・・

 その時、想像を超えることが起きた。
 なんというか、まさにもんどり打つという感じ?ライダーを含めると260kgはあるかという巨体が何回転した?というくらい見事に吹っ飛んだ

 いや、後で思い出すとなかなか笑える光景だったけど。

 ちなみにバイクはよくぞここまで、というくらいくしゃくしゃになった。鈴鹿の130Rを200km/hオーバーで飛んでしまってクラッシュパッドに突っ込んだ俺のTZもここまでくしゃくしゃにはならなかったぞ?というくらい。原形を留めているパーツがほとんどなかったもの。
 人間はすぐ振り落とされてしまったので無事だったから笑い話で済んでるけど、対向車がいたら死んでたかも。

 私もサイドスタンド出したまま走り出してしまったことは何度もあるが、幸いにして大事に至ったことはない。

 

<ヘッドライトの罠>

 

 ・・・オートバイって罠だらけの乗り物なのか?

 Z250FTに乗っていた頃の話である。
 確か大学帰りに板取川かどこかそのあたりを見に行った帰りだったと思うのだが、夜に山道を走っていた。その道は街灯など1つもなく、谷間で森も深く、ほんとに真っ暗な道だった。頼りはヘッドライト1つのみ、という状態なわけだ。

 そのヘッドライト、なんだか光軸がおかしいわけよ。やたら下を向いているのですぐ近くしか見えなくて、ハイビームにしていても非常に走りにくい。

 で、何を考えていたのか、私は走ったまま手を伸ばしてヘッドライトを上に向けようとしていたわけだ。

 すると突然、ヘッドライトがパスンと切れてしまった。そこに広がるのは真の闇

 いやもう焦ったのなんのって。
 目が暗順応していないのと、目の前のメーターはちゃんと照明が点いているので、その灯りでよけい道が見えない。

 まったく見えないのだけど、とにかくブレーキング!確か数十m先には左コーナーがあったはずなので、それまでに停めなきゃ!

 オートバイが停止するのと前輪がガードレールにコツンと当たるのが同時だった。

 そのガードレールも当たるまで見えなかったし、その手前でセンターラインを越えているはずなのだが、それも見えてなかった。

 さてそれからどうするか?

 ここでは何もどうしようもなく、とにかく目が暗順応するまで数分待ち、無灯火で5kmほど走ってようやく街灯がある場所に辿り着き、乏しい街灯の灯りの下で必死に探っていたら、何のことはないコネクタが外れていただけだった。コネクタを押し込んだら復活した。
 その後も街灯がない区間はあったし、あそこで直ってなかったらその場所でビバークするしかなかったろうな〜。

 

<雨ガッパの罠>

 

 学生時代は雨の日もまったく関係なしに普通にバイクに乗っていたので、レインウエアは必須装備だった。
 最初は山用のカッパを着ていたのだけど、フロントファスナーかせ風圧に負けて浸水してしまうので、やはり餅は餅屋か、とバイク用のレインウエアを何着も買った。一度コケるとカッパはご臨終なので、特に最初のZ250FTに乗っていた頃に何着も買った記憶が。

 でも、当時のバイク用のレインウエアって今のほど良くなくて、普通に股間に縫い目が走っていたんだな。今のだったら股間は縫い目を避けるか、大きな補強生地を当てるところだけど。

 縫い目があると、そこから浸水するんだよなー。

 だから雨の日に走ると、カッパを脱ぐとズボンの前だけがぐっしょり濡れている、ということに毎回なっていた。
 あれは小便漏らしたようにしか見えないよな。
 長時間走ってパンツまでぐっしょり濡れると、もはや自分でも漏らしてないという確信は持てなくなったりする。

 

<握力の罠>

 

 山岳部時代は毎週のように御在所にクライミング(当時は岩登りと言ったが)に行っていた。
 それもよくオートバイで行っていたのだが、1日クライミングをすると腕がパンパンに上がっていたりするので、クラッチレバーを握れなかったりして。
 いや、クラッチレバーならまだ良いが、ブレーキレバーも握れなかったりしたのは危ないだろ。

 

<温泉の罠>

 

 あれはストロボカラーの方のTZRに乗っていた頃。

 例によって大学帰りの寄り道がそのままツーリングになって、夕方から走り始めて夜通し走って野沢温泉まで行ってしまった。野沢温泉て、長野市の北東にある千曲川沿いの温泉地ね。岐阜からだと距離はR19経由で320kmというところである。
 ただその時は浅間山や志賀草津道路も走っていたので、かなり遠回りしている。というかそもそも野沢温泉が目的地ではなく、力尽きたところがたまたま野沢温泉というだけだったし。
 このまま温泉宿に泊まるか、はたまたどこかで仮眠してまた走り続けるか、まあ温泉にでも入りながら考えようと公共浴場のハシゴをしていた、その何カ所目かに悲劇は起きた。

 浴場の外に温泉が噴き出しながら流れているところがあったのだが、そこで財布かタバコか何かを探してジャケットを探っていた時・・・

 バイクのキーが温泉に落ちてしまった!

 ・・・いやもうどうにもなりませんて。もうもうと湯気は立っているし流れも速いし。人が落ちても危ないので金網で蓋がしてあったような場所だもの。

 ショックと湯あたりと寝不足で朦朧とした頭でしばらく考えたがどうにかなるものではなく、仕方ないので岐阜の友達に電話をかけて、アパートの部屋からスペアキーを持ってきてもらった
 「悪いけどさ、俺の部屋の台所の一番上の引き出しにバイクのスペアキーがあるからさ、それ持って野沢温泉に来てよ」って。

 電話の向こうでひとしきり笑い転げた後、そいつは野沢温泉に来ることを快諾してくれたわけなのだが、携帯電話なんてなかった当時、彼が部屋を出て行動を開始したらもう連絡を取る手段はないわけである。
 いつ来るか判らないまま、仕方がないので2人分の宿を取って待っていたわけだが(どうせ足がないので動けないし)、彼はなんと8時間ほどでうひゃうひゃ笑いながら現れた。どんだけ飛ばしてきたんだよ。
 とは言っても合流したのは午前3時。宿の人に迷惑そうな顔をされながら(確かに迷惑だったろう)部屋に転がり込んで寝たのだが、私は既に寝すぎでちっとも眠くなかった。彼は泥のように眠っていたが。

 

 

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