56年度踏査大会 B隊

S56 11/22-23

by 石島

 

コース 旅行村−畑−富坂

 この山行は我々4人にとっては初めての1年だけの行動であり、不安に包まれた山行となったのである。この日高体連の団体は近江高島からバスに揺られて鹿ヶ瀬まで行った。そして旅行村までの長い距離を歩いた。その夜、踏査のコースの下調べをしようかと話したが結局行かなかった。この夜のMain eventはやはり夕食のお好み焼きではなかろうか。
 これは圭吾が提案したものであるが、コンロの火が強すぎて外側だけ焦げて中は生となったままの出来映えとなった。A隊はこれを食って曰く「うまい」。しかしこれが皮肉と判ったのは、食い終わって「あんなんよう食うたな」と言われたときであった。そして次の朝が来た。ちなみに我々が寝たテントは、あの草テンであった。

 この朝、飯を食ってテントを畳み始めた。が、このテント、水を吸うと小さく畳めへんわ重うなるわで大変なんですわ。ところで前の夜から雨が降っていたんですわ。このテントを持っていたのは、カリマーの横やんであった。大容量を誇るカリマーのザックも濡れた草テンの前にはなすすべもなく、横やんはザックのMainとHeadの間にテントを挟み込んで(ただし間からテントがはみ出ていたが・・)先輩に、「ぼ、ぼく、このままでいいです」と引きつった顔でうわずっていたのを覚えている。しかし、幸か不幸か出発の順序が遅れたので、残念ながらパッキングをやり直したのであった。

 スタートして数分間は走ったがすぐバテたので早歩きで行くことになって、ぬきつぬかれつ、また道を間違えつつなんとかゴールしたのであった。4人はなかなかよいタイムと思っており、かなりよい成績となると思っていたが、下から数えた方が早かった。
 バスがなかったのでトランプをやったが、僕はかなり疲れていたのでかなりいい加減にやっていたのではないだろうか。

 結局、この山行で良い思いをした1年生は池上だけではなかっただろうか。

 

-----ケルン '81 より-------

○選手決定難航!

 あれは踏査大会の行われる1ヶ月ほど前のことであったろうか、選手の選考会が行われた。当時の2年の中では3人だけが行きたがっていた。ところが1パーティーは4人であったので残りの1人を選ぶのにちと揉めたのであった。というのは、始めから行きたいと言っていた2年のA氏やB氏が、どうしても2年生だけで1パーティー作りたいと宣ったのであった。それだけなら話はそう難しくないのだが、当時1年生であった5人が5人とも行きたいと言いだした。
 そんなことで話は揉めた。ムキになって怒鳴るやつもおった。
 そのうちやっと出たいという者の意志を尊重しようということでこの問題はまとまった。しかし我々の心はすっきりしたというわけでもない。事実、私自身何となく心にわだかまりができ、それをうち消そうと優勝を期すことになった。

○大会前の憂鬱

 トレーニングする暇はそんなになかったが、日頃の練習で鍛えてあるので(?!)心配はなかった。メンバーは全員、頑張った。特にAパーティーは優勝への最短距離にあるとAパーティー内では評判だった。
 ところが大会の4−5日前くらいのことであったろうか、(山岳班において一番山岳班員らしい)A氏が突然大会に出られないと言いだした。理由は明らかにされていないが、ある信頼のおける有力筋によると、実は扁平足が痛み出して仕方ないらしかった。
 Aパーティーの面々は落胆した。それほどA氏にかける信頼は大きかったのだ。しかし、しかし無情にも大会の日は駆け足でやってきた。

○そして本番・・・

membe
  A隊・・・藤沢、新、西村、池上
  B隊・・・山本、堀田、横山、石島

 私は山行日記を紐解いてみた。

11/21
 4時間目が終わってから珍しく余裕があったのでゆっくり昼飯を食って着替えた・・・と思ったらいつの間にか奥高島青少年旅行村の幕営地に着いていた。空を見上げると黒かった。俺の心は暗かった。雨があるのも時間の問題だった。
 今回は初めて食糧計画を自分でせずに1年の池上に任せてしまった。不安はあったが炊事は早かった。そして食うのも早かった。味はと言うと美味くも不味くもなかった。なにやら隣のB隊のテントが騒がしかったので、後輩思いの俺は様子を見に行った。
 一言。「暗い!」
 テントの中は暗闇、そんな中でヘッドランプが2つ、ゆらゆら揺れていた。まだ食事をしている様子だった。それにしても妙な様子だった。俺はいったい何を作っているのかと尋ねた。すると山では耳慣れない答えが返ってきた。俺には何か判らなかった。それにしても暗い!
 俺はその場の雰囲気に耐えきれず、その何か判らないものの一片をもらって自分のテントに戻ってそれを食べた。・・・が、それが何か判らなかった。(下山後、あれはいったい何だと尋ねると"お好み焼き"という信じられない答えが返ってきた)
 ともかく自分のテントに戻った俺は天国と地獄を見たような思いに駆られたのだった。我がテントでは紅茶&ビスケットが出され、和やかな風景があった。
 その後20時頃になると我々2年3人は、翌朝スタートダッシュをかけるべく、暗闇の中へと探索に出かけた。気味悪いヤブの中の道。あ〜怖い!
 探索は早々に切りあげ、テントに戻りあつかんで一杯、二杯・・・と飲み出した。3人ぼっちで少し淋しかったが、この時新氏の爆弾告白があった。彼は長い沈黙を経てとうとう告白した。いや、我々が無理にそうさせたのかもしれない。それにしても彼に相応しい恋物語であった。何はともあれ目出度かった。(このことが後の金糞岳での彼の発狂事件の伏線となったことは明らかである) この頃からやっとSaが注目されるようになってきた。

11/22
 4時に目が覚める。みぞれのような雪のようなのがちらついていた。釣瓶岳がうっすら白く化粧していた。朝飯を食べてから集合時間までにずいぶん暇があった。さぁ準備OK!外は雨が降りだしていた。
 B隊の方を見て取ると、何と想像を絶するようなパッキングをしていたので、とってもとってもぶったまげた。それは横山が、水を含んだ草テンをなんとザックの外にくくりつけていたのだった。今思い出しても笑けてくる。悲惨、残酷、阿保・・・なんと形容して良いものやら。しかしあの着想の奇抜さは見習うべきものがある。

 出発の順番は前夜のくじ引きでA隊が10番、B隊が11番と続いていたのであった。他の学校がいずれもスタートダッシュをかけて走るので我々もダッシュした。もうお判りかと思うが、前夜の探索は何の役にも立たなかったのであった。我々の努力は・・・
 その後、たいして道も間違えずにどんどん飛ばした。山であれほど走るのは最初で最後だろう。(いや、1年の新人合宿でもずいぶん走ったなぁ)
 雨の中、泥道はずるずるスリップするし、雨具も着けずに全身ドボドボ。まったく山に行っている気分ではなかった。それでも最後まで走り通して、タイム2時間1分のまずまずの成績でゴールイン。結局は5位という成績に甘んじてしまったのだが、悔しさよりも満足感の方が強かった。B隊の成績はと言うと忘れてしまったが・・・よく頑張りましたよ。
 閉会式の後、晴れ間が見えてきて蛇谷ヶ峰の姿が美しかったので、バスを待つ間道路に座り込んで見とれていたのを懐かしく思い出します。

 本年度の田上の踏査大会では見事優勝、そして5位という輝かしい記録を立ててくれました。出と2人で自分のことのように喜びました。だって2人の夢だったんですよ。あの我々が1年の時の踏査大会で惜しくも準優勝を逃して以来、この大会なら真剣にやってみる価値があると誓い合ったわけです。しかしそれも儚い夢と消え去り・・・と思っていたのに、それを後輩達が我々の代わりに実現してくれて大変嬉しかった。このトロフィーを来年も再来年もずーっと守って欲しいし、女子隊も優勝して欲しいです。今の1年(主に男子)は頼りないともっぱらの噂ですが、彼らも新入部員を迎えれば変わることでしょう。そう願っております。

by K2

 この山行のことはほとんど記憶にないのだが、たまたま1年上の先輩達が書いたケルンに同じ山行記があったので、両方書き写してみた。
 ただ、草テンをザックに挟んで引きつっていた横山氏の顔だけはしっかり覚えていたりする。
 草テンはおそらく「草色のテント」の略で布製の家型テントだった。布製なので濡れたときの体積の膨張と重量増は凄まじく、50L程度のザックならそれだけで満杯になってしまうほどだった。

 踏査大会はタイムケースだけではなく、コース上に設置されているポストを2.5万図上にプロットしていくというオリエンテーリング要素もあった。そしてタイムと読図、山座同定などの得点配分が当時の高体連競技にしては珍しく(というよりほとんど唯一)極めて明確なため、非常に面白かった。

 余談だが、今回併記した1年上の先輩達が書いたケルンであるが、なんだかえらく「大人な」文章である。
 が、この大人なムードは決してこのケルン'81全体に漂っているわけではない。それぞれの想い人が実名で暴露されていたりして、度の過ごし方はある意味我々以上である。

 

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