県体57
日程 8月12〜13日 | ||
メンバー |
山本 圭吾 |
C.L |
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堀田 尚吾 |
S.L |
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横山 典郎 |
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石島 守 |
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初日、誰もやる気がなくてテント場の山岳センターで台風の近畿直撃を願っていたのだった。
こんな我々は当然、上位に入る気はなくテントは荒れ放題、高校野球(比叡山戦)をラジオで聞いていた。そんなところを判定する人に見られてもなんとも思わなかった。その後、救急の装備、コンロ点けなどがあった。それらがかなり高得点であるのを知った時、我々は先のラジオとテント内のことを悔やんだ。しかしもう「あとのカーニバル」だった。・・・・・・夜が来た。
夏の夜は暑い。だから吹き流しなどを開ける。すると、
1)外の照明が入ってくる
2)蚊が入ってくる
3)入賞をあきらめた隊の声が入ってくる
4)山本の知り合いの女の子が訪ねてくる
よって十分寝ることができない。
1)〜4)を詳しく解説すると・・・
1) 我々はいつものように「ジャンケン」で寝る場所を決めたのだった。夏だから勝った者は出入り口や吹き流しの側を取る。出入り口は山本、吹き流しは横山だった。吹き流し側は道路に面していた。そこには蛍光灯があった。そこからの光りが横山の顔を直撃したのであった。
彼は言った。「吹き流し、閉じてもええやろ。明るすぎて寝られへん」・・・・・
「甘い」 みんなの声は冷酷だった。今は夏なのだ。一方を閉じると風が来なく、全員暑くて寝られなくなる可能性があったのだ。
横山はこれを察したのかあきらめたのだった。
2) 山の蚊は強い。たとえ衣服をまとっていようとも、高性能吸血針をもって皮膚の中まで侵入してくるのだ。
我々はシュラフをもってそれを防ぐことが可能だ。しかしテントを開放しても暑い今、それを使用することは自殺行為だった。そして彼女らは我々をあざけり笑うかのごとく、我々の身の周りを羽音を最大にして飛び回ったのであった。
3) たぶんカタタ高校であろう。明日は関係ないといったふうに大声でしゃべくりまくっていた。眠れない僕はそれを聞いていたのであろうか・・・
しばらくして高体連のおっさんが注意しに来た。僕は思った。そっちの声の方がよっぽどうるさいぞ。
4) まさに山本の知り合いの女の子が訪ねてきてちょっと話した。それだけなんです。
あ、言い忘れましたが池上は「フクマクエン」で入院してたということでした。
ということで次の朝が来ました。
陰険な県体はザックを20kg以上にせねばならなかった。これでも夏だと言うことで考慮しているのだとさ。
なるほど、インターハイは25kgだった。(ちなみに僕は25kgのザックをいまだかつて背負ったことはありません。山行では)
ところで装備で20kgになるのならまだしも、石を詰めて20kgにするのはどれだけ馬鹿らしいことか。僕は石をサイドポケットに入れ、それをメインの中に入れたのでした。ところがポケットの中にはザックのサイドに付いている締め具が入っていました。僕は石を出すときに一緒に出してなくしてしまいました。県体のバカヤロー!!
私的な話はさておいて、計量後、一同はみな涼峠へ重いザックを背負って出かけました。(これもえらかった)
5分おきに出発して行き、我々が出発したのだった。我々は余裕を見せ、もしも山登りにTV中継があったら、などと話しながら早足で歩いていった。
途中、1隊抜くと快く、「さすが優勝を狙うパーティーはすごいな」「がんばってや」と他のパーティーから声援されてウキウキ気分となり、ピッチを思わず上げてしまった。しばらくいくと遅いパーティーがバテた人に「がんばれ、がんばれ」と言って我々に道を譲ることをしなかった。さっきのパーティーと比べて「なんてやつらだ」と思った。こんなパーティーの、抜くには速すぎついてゆくには遅いペースで歩かされたので、我々は本来のペースを乱してしまった。かなりたった後、ようやく道を譲った。バテている者にがんばれと言っても、普通のペースに戻れるのは10mほどだろうし、何回も戻れるものではない。本人はそれなりに頑張っているのだし、バテている者にペースを合わせなければ複数で山に行けないぞ。
ということで、我々はどこか忘れたが急な登りにかかって、そこで僕はバテたのだった。どうしても休憩が欲しかったが要求することはできなかった。しかし先頭を駆る横山氏は、そんな僕のためペースを落としてくれました。
シャカ岳になんとか着いて計量。休憩しなかったので減る水もなく、楽々とpassした。そこで石を落として八雲のヒュッテへハイペースで行った。カラ岳で我々に拍手を送ってくれたパーティーがいた。
ヒュッテ前で表彰式があった。1位高島高校、2位膳所高校。その時の得点差、なんと0.1点!!
我々は悔しかった。というのも、いつもは表彰状しかくれない高体連が、県体に限り1位にメダルを1人ずつに与えたのである!!2位、3位にはいつもの表彰状のみ(いつもの通り鉛筆記入の)。どうして2位3位にメダルをくれないのだ。別にアルミ製でも良いのに・・・
そして我々は悔しさを分かち合いながら下山したのであった。
夏の低山とは言ってもこの日は曇りだったから、かなり快適な方だったのかも知れない。
山をやる以上、苦しいこともあるのだから、こういう経験も一度位した方が良いのかも・・・後輩のみんなも頑張れ!
by
M.Ishijima