The Accident

堀田のおばあちゃん事件

(理系の横山)

序章 予感

 昭和57年の夏休みと言えば、私達にとって高2の夏、つまり最も遊びに燃えるべき夏でした。前の年はまだ要領を得ず、次の年には受験があります。私達5人も早くからそこんとこをしゃんと心得ていて、5月頃から夏休みのビッグ個人山行の計画を立て始めたので御座いました。
 まず北アルプスは堀田氏と池上氏が狙っていましたし、南アルプスは山本氏と私が行くつもりをしておりました。石島氏はどっちつかず。
 6月になりますとコース計画もしっかりしてきまして電車賃なんかの割り出しも進んでいました。でも確かその頃、そうあれは6月23日の天皇誕生日に池上氏が腹膜炎を起こしまして、個人山行はおろか夏山さえも行けなくなってしまったので御座います。相棒のなくなった堀田氏は顔面をピクつかせ、私と山本氏は腹の皮をよじったのをよく覚えています。
 それから7月に入りまして堀田氏も南アルプスに来ることになり、石島氏は勉強の為と称さはって個人山行を断念し、メンバーが確定致しました。そして私達3人は山のことで頭がいっぱいになり、成績の方は超低空飛行のまま、待望の夏休みへと突入したので御座います。そして私達は夏山を終え、とーとー南アルプス行きの前日を迎えたのです。

一章 前兆

 山行の前日にすることといえば買い出しに決まっています。私達3人も当然そう致しました。でも、その後・・・おお!思い出すのもおぞましい、衝撃の遮断機事件!!この事件の詳細は別の方にお譲り致しますが、とにかく私は下がってくる遮断機の棒に突っ込んで行って胸を打ってひっくりこけるという超人的なアクロバットを白昼に演じ、一時的に健康を損ねたので御座います。それを見て圭吾と堀田が笑いよるんだわ、ほんま。
 そら、俺はドジや。ほやけどあんな笑い方、ない思うわ。
 で、とにもかくにもその日、食糧分担を終え、3人は明日の再会を誓って解散し、私も痛む胸を押さえて家路についたのであります。

二章 勃発

 あの夏の暑い出発の日。私がエポックへお菓子を買いに行っている間に、堀田氏のおばあちゃんから呼び出しがかかりました。親父からそれを聞いて私はまず自分の耳を疑いました。(補聴器を買った方が良いかな?)などとも思いました。でも事実でした。私達3人は無届けに山行を計画したカドで堀田氏の家に招集されたのです。堀田氏の家に行く途中、山本氏は、
「何が何でも(山に)行こけ!」
 という非常に心強い言葉をこきあそばされたので御座いました。
 3人は堀田氏の部屋に招かれました。規則に違反したことに対し、まず3人で話し合えとのことでした。しかしもちろん3人で話し合った結果は1つです。規則のことはともかく、折角ここまで準備したものを途中で辞めるわけにはいかないということでした。そして私達3人は堀田氏のおばあさんを待ちました。しばらくして階段を登ってくる足音が聞こえてきました。ゆっくりと戸が開きました。
 ・・・「いらっしゃい」・・・なんや、お姉さんか。堀田氏のお姉さんは何かごちゃごちゃと5分ほど、私達を説得しましたが、3人はそんなことで動じる甘い根性はしておりません。またおばあさんを待ち続けました。足音が上がってきました・・・

終章 真打

 それはまさしく堀田氏のおばあさんでした。元膳所高校の教師をしておられたその方は、高齢ながらもまことに貫禄があり、そのひとにらみで私達はアラレちゃん目前のスッパマンのごとくちぢこまってしまいました。
 まず堀田氏がおばあさんと話をしました。次に私。私はなんとかわかってもらおうと努力しました。が、残念ながらそれは叶いませんでした。そして最後に圭吾。先ほどまで一番威勢がよかった圭吾。体力だけは山岳班で一番の圭吾。素直な人格だけは誇るに足る圭吾。絶対尊圭吾。最重要圭吾・・・・・・・
 そして2人の視線が空中で衝突し、私がふと圭吾の目を見たとき、彼の目は100円ライターの炎のごとく燃えていた・・・かどうかは彼の半開きの目からは判りませんでしたが、とにかく一応真剣らしいことはそばにいる私にはひしひしと伝わってきました。
 2人はしばらく静かに対峙していました。が、圭吾が最初に口を開こうとした時、先手を取るかのようにおばあさんの言葉が圭吾の動きを止めたのです。

「あんたが大将か」

"大将"、この一言がなぜか山本氏の胸に突き刺さりました。
 ・・・・・あんたが大将か、、、大将か、、、大将か、、、大将か、、、大将か、、、大将か、、、大将か、、、
あんたが大将! あんたが大将! あんた、あんたが大将! 大将!

 山本氏はダメージを跳ね返すかのようにしっかりと答えようとしましたが、彼の口から出てきたのは、
「・・・・はい。」
 というモロに震えた肯定の一言、つまりこの時点で彼は全責任を負わされ、その圧力に屈服した形になってしまった(らしい)のです。
 彼は、そうやはり、いくら知識がなくても山岳班のリーダーであり、この山行でも大将だったのです。"大将"・・・"大将" 彼が、圭吾が、あんたが・・・・大将・・・・あ、あんた、あんたが、あんたがあんたが大将!あんたが大将!
               あんたが大将!
        あんたが大将!             あんたが大将!
                  あんたが大将!          あんたが大将!
               あんたが大将!     あんたが大将!

 ・・・コホン
 とにかく私達はその時点で総崩れとなり、山行を取りやめることをおばあさんに誓ったのです。
 その後、私達は堀田氏の家でお寿司をご馳走になり・・・へへっ!あっしゃ寿司にゃ目がなくってね。遠慮なく食いました。半分ヤケ食いの気があったのは確かですが。
 堀田氏も食いました。山本氏も、圭吾も、大将も食いました。た、大将も、す、寿司を、食い、食いました。大将も、た、大将も、す、寿司。
 大将が、い、いっぱい・・・あ、あんたも・・・食った・・・いっぱい大将も・・・あんたが、あん、あんたが、あんたが大将!あんたが大将!
         あんたが大将!         あんたが大将!      あんたが大将!
    あんたが大将!       あんたが大将!                      あんたが大将!あんたが大将!
        
(い、いかん、このままでは・・・)      あんたが大将! あんたが大将!
 あんたが大将!        あんたが大将!   
(どうやって終わらす?あと半ページもある)         あんたが大将!
      あんたが大将!             あんたが大将!あんたが大将!   
(このまま冗談で行を稼ぐか・・・)
 (いくらなんでもそんないい加減なことは・・・)    あんたが大将!       あんたが大将!  あんたが大将!
  あんたが大将!         
(しかしもう書くことはないぞ・・・)   あんたが大将!      あん、あんたが大将!あんたが
   あんたが大将!あんたが大将!          
(ええい、最後の手段じゃ!)  あんたが大将!       あんたが大将!
あんたが大将!              あんたが大将!       あんたが大将! あんたが大将!  あんたが大将!

Memo

 

 

 

 

 

ごめんね。 (了)

 

 同窓会で飲んでいて、「ケルンのコーナーに載せろ」という要望が最も高かったのがこの文章で御座いました。
 確かに遮断機事件堀田のおばあちゃん事件は、未だに連中と顔を合わせると話の種になり、全員涙を流して笑い転げる話題になっているのですが、いくらなんでも内輪ウケネタ過ぎるなと思って、今まで書くのを控えていたので御座います。
 とはいうものの、まあどのみち高校時代の文集など、内輪ウケそのものでありましょうと開き直り、ここに書き写してみたので御座いますが、何度読んでも腹の皮が捩れるので、書くのにたいへん時間がかかったので御座います。

 ちなみにこの年は、この事件があった直後に集中豪雨が南アルプスを襲い、スーパー林道がズタズタに寸断されて北沢峠に100人以上の登山者が孤立し、救出にヘリが飛ぶような事態になっていたので御座いました。彼らがもし決行していたならば、間違いなく最低でも北沢峠に孤立することとなったでしょう。もしかするともっと最悪の事態になったかも知れません。

 さて、私はこの時、文中で書かれているとおり腹膜炎を起こして退院後の自宅療養中で御座いました。
 なんでも、遮断機事件が起きた直後に差し入れの酒を持って膳所神社でみなと会い、話を聞いて笑い転げて「俺も見たかった」とほざいたそうで御座います。記憶には御座いませんが。
 でも確かに、今でも遮断機事件の話をしながら涙を流して笑い転げる3人を見るたびに、何か仲間はずれにされているような一抹の寂しさを覚えるので御座います。やはりこれは絶対に見ておくべきでした。

 高校3年の夏、既に大学に行ったある先輩の女の子と京都の町でデートをしていて、彼女が「汗をたくさんかいちゃった。シャワーを浴びたいな」と言ったのを、「じゃあ、帰ろうか」と受けてしまったドマヌケな私は、その夜になってようやく自分が何を逃したのかに気づいて、のたうち回って己の愚かさを後悔したので御座いますが、20年経ってみると、そのことよりも遮断機事件を見逃したことの方が大きな、遙かに大きな後悔となっているので御座います。

 

 堀田氏のおばあちゃんはその後、私も相見えましたが、確かにそこにいるだけで威圧感を与えることができる、存在感のある方でした。非常に厳格な方でしたが私達は皆、おばあちゃんが大好きでしたね。
 今はもうこの世にはおられませんが、敬意を表してこの文章をここに載せました(と勝手に人の文章を捧げる)

 

 

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