小説版 池小屋山行

S57 12/26-29 奈良県 台高山脈

by 理系の横山

 前書き ナレーション

 膳所高山岳班の2年生5人が揃って個人山行に出かけることになった。以後、個人山行でこの5人が出席するのは受験後になるということで、この山行は3泊4日という最長の個人山行日程のうちにクリスマスパーティーを兼ねるというビッグイベントになった。しかしそれだけに準備段階でゴタゴタがあったのである。

 序章 ええ加減にせぇ、このタコ!!

 5人に課せられた最初の課題は、当然日程とコースを決めることであった。しかしその前に横山と山本の友人であるKIが、自分も参加したい、と言い出してきた。当時非常に優柔不断であった横山は非常に苦しんだ。井上の要望を受け容れることは無理と判っていながらなかなか断れないでいた。山本はちっとも悩まなかった。横山は1人で悩んだ。そして池上に断らして自分は逃げたのであった。
 コース決定も手間取った。山域は台高と前から決めてあったのだが、5人が大きくわけて2つのコースを主張した。1つに大又〜明神平往復に近い形の超怠慢コース、もう1つは三軒屋〜池小屋山〜明神平というハードコース。で、結果はハードコースの方に軍配が上がったのだった。
 しかし一番の問題は、この山行の下調べ分担において、山本にバス、電車の時刻調べを任せてしまったことだ。あとの4人は食糧計画、装備分担計画など、決められたことをわりとすぐにやったが、山本の仕事だけが残った。堀田、横山らは再三、山本に早くバス会社に問い合わせるよう要請した。バス時間は1日の行動時間を束縛するから当然である。しかし、山本圭吾当時17歳はなかなか動こうとしなかった。山行の1週間前になってしびれを切らした堀田らは、学校で山本に電話をかけさせた。
 すると彼の返事は、「ダム工事で途中までしかバス行ってへん。10kmくらい歩かなあかん」ということだった。横山、石島は呆れてものも言えず、池上は毎度のことで動じず、堀田尚吾当時16歳は激怒した。彼を罵倒しこきおろし続ける堀田を、山本は平然と受け流していた。しかし結局、今さらコース変更も利かず、5人は10kmの徒歩行動を余儀なくされたのであった。

 1章 ええい!今日は厄日じゃ!

 彼らが出発の予定をしていた12月26日の早朝、横山は暖かいベッドの中で邪悪な害意に満ちた目覚ましのベルを聞いた。
 (まだ寝ていたい・・・)とは思うものの、今日は大事な1日だ。彼は仕方なく上半身を布団から引っぺがした。するとテンプラをあげるような音が聞こえる。
 (雨だ!)
 横山は思わずにやけた。これでゆっくり朝寝ができるとゆーものだ。彼は堀田尚吾に電話をかけた。んでもって中止ということにし、堀田にみなに了解を得るように働きかけた。そして自分は池上に電話をかけ、当然の了解を得て再び快い眠りの世界へと・・・(赤ちゃんも、夢を見るのかしら・・・)
 しかし、彼は何故かまた電話口へ呼び出された。相手は堀田だった。
 「もひもひ」
 「あんな、石島な、今日出発せんとあかん、ゆーてんねん」
 「そんなばなな!」
 彼は自分で石島に電話をかけてみた。石島は彼に何かややこしい理由を言ったが、横山の耳にはその1/10も残らなかった。横山は池上にも説得させた・・・・・ムダだった。
 1時間30分後、近鉄京都駅のホームに集合した5人の姿があった。雨足は相変わらずきつい・・・・
 近鉄特急(ラッシュを避けるため)に乗って松坂へ。電車の中は天気の状態を反映してか、相当暗い。蔵い。倉い。鞍い。
 そんで松坂に着いたのは昼近くなっていた頃であった。バスを待つ間、5人は登山靴でドタドタと駅の周囲を歩き回り、デパートで(かなり開けているのだ)昼食をとった。何を食べたかは別として、けっこう金が飛んでいく。横山はその高さに腹を立てていた。
 その後、再びバスを待った。バスが来た。バスに乗った。バスが動いた。バスの中に1人、わけのわからん酔っ払いのオッサンがいて、やたら奇声を発したり運転手の邪魔をしていた。
 ・・・・・いつの間にか車庫に着いた。車庫の周囲の僅かに雨を避けることができる場所で雨の中を歩く準備をした。石島はまだポンチョの恐ろしさを知らず、嬉しそうにそれを羽織った。他の4人は、雨の中でポンチョを着て笑っている奴はパンフレットのモデルだけだと言うことを知っているのでカサをさした。それからジャンケンで、交代でケーキをぶら下げて歩く奴を決めた。そしてボチボチ歩き出す。10kmの道のりの長さにため息をつきながら・・・
 途中ダム工事のために何台ものダンプがきったねぇ排ガスをまき散らしながら5人を追い抜いてゆく。
 (積み荷がないなら乗せてくれればええのに!)と横山は思う。他の4人も同じ心境らしい。誰からともなくヒッチハイクをやろうということになった。しかし何十台も空荷のダンプが彼らを追い抜いて行くというのに、1台も止まってくれない。仕方がないのでここは強硬手段を執ろうということになる。ちょうどいい具合に牛乳配達らしい軽トラックが来た。彼らを通り過ぎようとした瞬間、山本が勇気を出して、
 「すんません!」と呼び止めた。軽トラックが止まる。運転手が窓からヒョコッと顔を出した。5人は次の言葉をワクワクして待った。運転手の口が開いた!
 「君たち、何か用?」
 ・・・そして、♪あの人は〜行って行ってしまった〜あの人は〜行って行ってしまった〜もう帰らない〜♪
 その後、彼らはまた黙々と歩いた。ダムの工事現場を過ぎたら今度は彼らに向かってくるダンプばかりだった。もうヒッチハイクの望みもない。
 いつの間にか雨も止み、バスの車庫を出発してから2時間も経った頃、我々は三軒屋に着いた。しかし橋の下の綺麗な川のそばのテント場はわりと快適で5人の疲れを和らげた。5人はケーキを平らげ、ウイスキーの大半を飲んでしまった・・・・おやすみ、5人の戦士達・・・(なんのこっちゃ)

 2章 くそぅ!俺は辛党じゃ!

 翌日、天気はかなり良くなっていた。昨日の疲れも忘れ、5人は早起きをしてテント場を払い、川に沿って山道に入っていった。初めての道なので見るもの全てが珍しく、さほど疲れを感じない。しかし、人はいなくて良いのだが、やたら整備されていてハシゴや橋に人口の臭いを感じすぎることを恨んだのは横山のわがままだったろうか。ま、何にしても川沿いの道というのは変化が大きくて面白いものだ。犬飛び、ヘビ滝、ワシ岩、猫滝、ドッサリ滝。

ヘビ滝にて 

どうもこれがその写真らしい
メモには「ヘビ滝」とある

 

−−横山の手元にはどこかの滝の下で池上と彼が乾杯している写真が残っている−−



 奥の出合に着いて、今日はここで昼食である。
 しかし、しかしだ。そのメニューはジャンボ大福1人4つ。だ、誰だ、こんな計画を立てた奴は?1つ2つはまだいいが、3つ目になってくると甘さで胸がいっぱいになってくる。ちなみに横山は辛党である。彼は胸をかきむしり、紅茶を流し込み、目から水をしたたらせ、川の上流に向かって
「あ〜〜ま〜〜い〜〜!」
と絶叫した。
 しかし彼が見回してみると他の4人もそれなりに苦しんでいる。だから他の奴にくれてやるわけにもいかず、残したらそれは生ゴミになってしまう。5人は必死でそれを胃の中に詰め込んだ。横山は心の中で銀河中の神々を呪った。

 3章 でた!タイプ884931の恐怖!

 奥の出会いから池小屋までの登りはそんなに"甘く"なかった。道も細く、ともすれば迷いそうになる。しかし彼らは黙々と高度を稼いだ。12月の空気はさすがに冷たい。風もきつく、休憩時間もさほど取れない。800mを越えるあたりから地面の所々にへばりついている雪が目に付いてきた。1000mを越える頃から木々の樹氷が目に付いてきた。風下に向かって伸びているその氷は、始めは小さく少なかったが、だんだん大きく、多くなっていく。
 そして16時頃、5人はついに標高1395.9mの池小屋山の頂上を踏むことができた。天気は快晴に近く、周りの山々も穏やかな表情を見せている。


池小屋山山頂にて 
その数ある記念写真のうちの1枚
セルフタイマー撮影

 

 5人はそこで何回も記念撮影をした。しかしもうじき冬の短い日が暮れる。ゆっくりしてもいられない、と悟った堀田と横山はテント場捜しに出かけた。それは池小屋池のほとりにすぐ見つかった。が、調子に乗った2人は、まだ山頂にいる3人に「荷物を持ってこい!」と命じたのだが、さすがにこれは顰蹙を買った。しかし彼らはその後、もっと大きな難問にぶち当たることになるのである。


 晩飯も済んでようやく一息ついた頃、5人の内の1人の腹の具合が突然おかしくなり始めた。実は前日既にヘンだったのだが、この日は格別であった。なんと、5分おきに屁をこくのである。これがまた臭いんだ。そら、こいた奴はええよ。そら人間やさかい、こくなとは言わんよ。でもさ。こかれた方の身になってごらんよ。え?○○君。5分おきだっせ、それも。
 俗にタイプ884931(やっぱしくさい)と呼ばれる○○特有のその屁は、1回1回テントの中に充満した。そのたびに残りの4人は吹き流しとベンチレーターと出入り口にへばりついて呼吸をしなければならなかった。屁をこいた本人は苦笑いをしていた。やたら嗅覚の鋭い横山は、また銀河中の神々を呪わねばならなかった・・・・
 −結局、その日○○は20発くらい屁をこいた−

 4章 もう、樹氷なんて嫌い!

縦走路にて 
樹氷のヤブこぎの最中の1枚と思われる
樹氷に手こずり、オーバーグローブを着けているが、
まだロングスパッツは着けていない
よってまだまだその日の行程の前半だと思われる
(後半にはロンスパも着けたはずだ)

 翌日、つまり3日目は稜線歩きやから楽なもんや・・・とタカをくくっていた5人は、見事なくらい読みが浅かった。アップダウンがそんなにあったわけではない。そう、樹氷である。これが゜やたら落ちてきて、襟から背中に入る。そして融ける。さらに雪。ロンスパを着けるほどでもないわい、とこれもタカをくくっていたら、足首から登山靴に入る。そして融ける。


 その上、道は迷うし○○は相変わらずへぇこきやがるし、もう最悪。そんな行程の中で池上と山本はシカを見た、と喜んでいた。
 なんやかんやと・・・朝から8時間くらい歩いたろうか・・・・5人は見覚えのある稜線にたどり着いた。そこは1年と2ヶ月ぶりの明神岳であった。

 終章 だからさ、そんなこんなで・・・

 その日、テントを立ててから5人は1年2ヶ月ぶりの明神平を心ゆくまで味わった。前に来た時、幽霊屋敷のように見えたスキー小屋は焼け跡になっていた。そしてその晩、彼らはまた○○の屁に悩まされながらも深い眠りについたのであった・・・
 翌日、薊岳に行こう、という話も出たが、彼らはあまりに疲れていた。そのため9時頃早々に下山した。5人の体はアカまみれ、堀田の歯は歯垢で灰色になっていた。とゆーわけで、彼らはまたバスト近鉄と国鉄を乗り継いでそれぞれの家に向かったのであった。

 その前年の明神平〜高見山の縦走もそうだったが、この山行でも入山中他の登山者にはまったく会わなかった。「山が深くて人気がなくて獣臭くてすっげぇ面白い山」そのものだった。
 池小屋山山頂近くの小屋池で幕営したのだが、ここがまた獣臭かった。池というよりは湿地のようになっていて、ヌタ場にちょうど良い場所だったからかもしれない。
 宮の谷の道は、当時でさえ「人工的すぎる」と執筆者の横山を辟易させていたようだが、現在ではさらに整備が進んでいるようである。

 堀田は大学入学後、ワンゲルに入っていたそうで、夏の合宿で高見山〜大台ヶ原の台高全山縦走をやったそうである。いやぁ・・・いくらなんでも真夏にこの稜線を歩く気はしないな・・・夏の低山のヤブこぎなんて、登山というよりは「行」だよね。

 

2014.08.22 追記

 

 2014年の同窓会に、堀田氏がなんと当時の計画書を持ってきた。持ってるのか!
 計画書には現地でコースタイムを書き込む欄があるのだが、それに律儀にきちんと時刻を書き込んでいる!!

 いやはやまったく、持つべきものはマメな友人、である。

 下の写真がその部分。32年経過しているというのに、保存状態は極めて良好である。さすが堀田氏である。

 

hs_myozin2_time.jpg

当時の計画書 コースタイム記入欄

 

 というわけでここから行程を書き起こしてみる。

 

日付

時刻

場所

天候

備考(というより現時点からの感想)

1982.12.26

13:50

森 発

飯高町森にあるバス停 ここから車道を延々と・・・

 

16:58

幕営地 着

宮の谷入り口 3時間も車道を歩いたんだ・・

12.27

7:07

幕営地 発

 

 

9:06

高滝

 

 

10:16

奥の出合 着

大福の昼食をとったところな・・

 

11:23

奥の出合 発

 

 

13:03

池小屋山 着

 

 

13:12

池小屋山 発

滞在時間は意外に短い・・

 

13:18

小屋池(幕営地) 着

 

12.28

7:46

小屋池(幕営地) 発

 

 

9:08

赤倉山

発時間は読み取れず

 

13:03

奥の迷岳

迷った記憶が 

 

14:58

三ツ塚

 

 

15:15

明神平(幕営地) 着

 

12.29

8:42

明神平(幕営地) 発

行動せずに下山するところが軟弱・・

 

9:32

馬酔木山荘 着

 

 

9:40

馬酔木山荘 発

 

 

10:43

大又 着

 

 

 ・・・それにしてもマメにつけているな。
 今の標準コースタイムと比較してどうなのだろう。当時は縦走路はあまり整備されておらずけっこう頼りなくて、しょっちゅう地図とコンパスを出してルートを探しながら歩いていた記憶があるので、少し余分に時間がかかっているとは思うが。

 

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