比良夜間登山Aた〜い

S57.5.4

 キャスト やまもとけいこ  よこやまおりこう  ほったじょうご  いけがみわる

 昭和五十七年五月四日、我々は(石島をのけて)比良夜間登山を試みた。テーマにA隊とあるのは、いくら夜間登山とはいえ多人数ではおもしろくないので、二人づつのグループにわけて別々のコースから登ろうということになり、A隊は山本圭吾、横山典郎、B隊は池上 良、堀田尚吾で登ったわけである。
 コースはといいますと、A隊は大山口からダケ道をとおり北比良峠からヤクモをずんずんぬけ、イブルキノコバからブナガダケへ行き西南稜、B隊は青ガレ、金クソ、ヨキトウゲダニ、中トウゲ、ワサビトウゲから西南稜というコースだった。
 私は大山口以後のB隊の行動は一切わかりませんので、ここではA隊のみについてかかせていただきますのでご了承ねがいます。

 B隊とわかれて我々は暗黒のダケ道へと入ってゆきました。あまりのこころぼそさにわかれたばかりのB隊に「おーい、げんきかー」とか「幸運をいのるー」とか大声をはりあげたりした。しかししばらくするとB隊の声もきくことができなくなり、ますますこころぼそくなってきた。そこで私と横やんはなんとか会話をしながら歩こうとした。しかし会話のネタになるようなものはない。そこで非常手段にでて「女」の話となった。これは当然の結果ともいえるべきことである。われわれは、わらにもすがる思いで女の話にぼっとーした。会話の内容は今いうと女性に対して失礼にあたると思いますのでいわないことにします。

 ずんずん歩くとヤクモにつきました。ここで一休みしようとジュースを買いに行くとベンチの上に防かんぐに身をつつんだ男が倒れているではないか!!われわれがおそるおそる近づくと、な、な、なんと!その人はただたんに寝ていた。おれはほっとした気持ちと期待はずれの気持ちがいりまじっていた。

 ヤクモを出発してずんずんいってブナガダケが見えるところまでくると、山頂に二つの光が見えるではないか!ウッウワー!、なんだー!と思っていると、それは先に登っていたBたいだった。

 テントをはったのは西南稜のちょっと広くなったところだが、風がメチャクチャに吹いていてなかなかはれなくてたいへんだった。そしてその夜は宴会した。
 次の日はとてもいい天気だった。気分そうかいだった。あーそうかい、よかったネ。

比良夜間登山(B隊)

S57.5.4〜5.5

 池上 良  堀田尚吾 その他

 5月4日は朝から曇り空ではっきりしない天気だった。その日から次の日にかけて我々5人は個人山行の計画を立てていたのだが、こんな天気なのでどうするか迷っていた。昼すぎだったと思う。とうとう雨が降りだした。
 これはだめだ、とその時はあきらめた。しかしその後、部活の途中でうす日がさしてきたのだった。やった、と思ったのだが石島が行かないという。説得したが結局4人で行くことになったのである。そう決定したのが5時頃だった。だからこの夜間登山は成るべくして成ったものであり、当初の計画ではなかった。

 部活が終わると急いで家に帰り、夜食のボンカレーを買って湖西線に飛び込んだ。すると、な、なんと西村先生(当時私は教わっていなかったが横やん山本は教わっていた。そして私も1年の時担任をうけもってもらっていた)が赤い顔をして同じ車両に乗っているではないか!公になると困る山行だったので我々はあせった。しかし顔が合ってしまった以上、無視するわけにもゆかない。仕方なくなんやかんやとしゃべったのだが、先生は酒を飲んだらしくめがとろんとしていたし、また話の分かる先生なので伊トカツに告げられる恐れはないだろうと電車を降りてから話していた。池上とは比良駅で会う約束なのだがいなかった。その時間帯の湖西線は1時間に1本なので、当然1時間待たされた。みんなそろったのが10時頃。イン谷はもう11時近かったと思う。

 そこで二手に分かれようと決め、横やん、山本のA隊はダケ道から八雲、そして武奈へ、池上と私のB隊は正面谷から金糞、中峠、ワサビ峠と抜けて西南稜から武奈へのコースで、武奈の頂上で落ち合う約束だった。
 大山口でA隊と分かれてから長い林道を登ったが、月が左手にあり、木立の間から見え隠れする光景は素晴らしく、思わず吠えてしまいそうだった。明るくてヘッドランプも必要なかった。青ガレまではそんな調子ですこぶるよかったのだが、私がトップになった途端、道に迷ってしまい、峠の右の岩峰の方に出そうになった。何とか池上氏の奮闘で事なきをえたが金糞からはもっと大変だった。何せ谷沿いを歩いているから暗い。まわりの様子も分からないし見通しも立たない。テープや道標がすぐそばにあってもランプで照らさないと発見できない。そんな具合だから谷を横切る所なぞは本当に大変であった。夜間山を歩くことの難しさを痛感した。それでもゆっくりゆっくり慎重にワサビ峠の手前までやってきた。

 口の深谷源流を横切る所でも間違いはなかったし、もうそろそろ峠だという所だったのだが、またもや私がトップの時、道がわからなくなってしまった。道が二手に分かれてあった。池上氏は左だというので登ったのだが、やた急な斜面でよくすべった。こっちと違うぞ、と言おうと後ろを振り返った瞬間、ずるっと足元がなくなり、次の瞬間尻もちをついていた。すっかり意気消沈してしまい、トップを交代してすごすごとついていった。

 やっとこさワサビ峠に着き、A隊が待ちくたびれたのと違う?とか言いながら西南稜を急いだ。ところがまだA隊は来ておらず、風だけが不気味に吹いていた。20分ほど待ったころ、下方に2つの光源が揺れながらやってきたので我々は出迎えに行った。そこで感動の再会!しっかりと握手を交わし、テントを立てるべく西南稜を下っていった。午前2時過ぎだった。西南稜の曲がり角にテントを立て、夜食を食べ、ビールで乾杯して寝た。

 次の日は当然のことながら遅くまで睡眠をむさぼり、八雲から神爾の谷を通って帰ったのであるが、これからあんなことが起ころうとは誰にも予想できなかった。今思うとあれは伊トカツの陰謀だったに違いない。横やんはよくよく運のない男である。とにかく最後でドジったが、初の夜間登山、なかなか有意義なものであった。

 by S.H

番外編 恐怖の神爾滝

-池上

 横山氏が踏査のことを1枚半しか書きやがらんかったんで何の脈絡もないが私が書かせていただく。
 そ〜う、あれは比良夜間登山の帰り道のことであった。この物語の主人公は何を隠そう横山氏である。
 帰り道、我々は神爾の谷を下り、神爾の滝に来た。誰かが(池上のことです)「滝上に行こう」と言い出した。そして山本氏を除く3人は滝上のゴルジュに入っていった。ゴルジュの上に巻き道があり、私はそこからゴルジュの河床に降りた。後ろから何を思うのかドンクサイ横山氏がのこのことついてきた。
 私が引き返して道に戻り、下を見ると横山氏がよちよちと河床をもどってくるところだった。と、突然彼は、
ツルッと滑り、河床をズルズルッと滑り始めた。行き着く先は神爾の滝の落ち口である。
 私は一瞬、「あ、横山死による」と思い、次の瞬間、彼が死んでからのあと始末の段どりを考えていた。しかし次の瞬間、まことに残念なことに(つい本音が)彼は水流の20cm手前で止まった。
 私の目に、河床に仰向けに寝そべり、私の方を見て頬をピクピクッとふるわせている横山氏の笑い顔が映った。
 彼はひざをふるわせて立ち上がり、ヨタヨタと歩きだし、巻き道の登り口を通り過ぎ(判らなかったのだろう)、滝の側壁にへばりついた。彼の服から滝壺が見えた。
 私はそのとき、彼が滑った名誉挽回に側壁を登攀しようとしているのかと思ったが、そうでないことは彼の顔がピクピクッとけいれんしていることを見ても明らかだった。

 私の夜遊び好きを決定づけた山行で、それ以来夜間登山大好き派になってしまった。
 現在は樹林帯の爽やかな道になってしまっている正面谷の道も、20年前はほとんど日を遮るものもない荒れた林道の谷だったので、昼間太陽にジリジリ炙られながら歩くよりは夜歩いた方がよっぽど快適だったし。
 テントは西南稜の武奈ヶ岳への登りが始まる直下に張った。張ったのがもう午前2時過ぎで、それから酒を飲んでいたのでほとんど昼前まで寝ていた。
 寝ていたのはいいのだが、翌日は5/5で非常に登山者が多い日だった。目が覚めるとテントの横を行列がゾロゾロと武奈ヶ岳に向かって移動していた。ジロジロ白い目で見られてバツが悪かったのを覚えている。

 大学時代、ツーリングで新潟駅で深夜泊まる場所を探してウロウロしていた時(晩秋で寒かったし金もなかった)、ホームレスのおじさんと仲良くなってしまい、そのまま路地裏で酒飲んで新聞紙にくるまって寝てしまったことがあった。
 翌朝起きてみると、そこは通勤ルートのど真ん中だったらしく、スーツ着たサラリーマンがぞろぞろ行列を作っていた。ホームレスのおっちゃんはもういなかったので、私1人で彼らの視線に耐えなければならなかった・・・

 

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