メス傷だらけの右足首

 大学の何年生だったか、私は10月に太郎小屋で居候していた。薬師沢と太郎を行ったり来たりしながら酒飲んでコタツで寝る毎日を送っていたのだが、ある日「電話機のバッテリーを下ろすのを手伝ってくれ」と頼まれた。
 バッテリーは1コ15kgあり、それを1人3コ担いで折立に駆け下りた。
 快調に降りていたのだが、もう折立の休憩所の屋根が見えてきたところで、右足首をグキッと捻ってしまった。捻った右足首に全体重と(その頃は既にかなり増えていた)45kgの荷重が・・・今にして思えば、この時、右足首の靱帯が断裂したのだろう。痛みでしばらく呼吸ができず、口をパクパクさせて喘ぐことしかできなかった。
 それでも他にどうしようもないので、そのまま45kg担いで折立まで降り、どうしようもないのでそのまま太郎に登り返した。ちなみにその登り、あまりに足が痛いので「早く着いて横になりたい・・・」と飛ばした結果、折立〜太郎間を1時間30分で駆け上がるという記録をうち立ててしまった。(ちなみに標準コースタイムは4時間半)
 小屋に着いて靴を脱いだら、右足首はゴムまりのように腫れ上がっていて、もう二度と靴は履けなかった。そのまま1週間、太郎小屋のコタツで寝て過ごした。(いや、怪我してなくても同じことだっただろうけどさ)

 下山後、とりあえず足の痛みは引いたのだが、足首は明らかにおかしかった。なんでもない舗装路を普通に歩いていても、コテンと転んでしまうのである。こりゃ捻挫癖でもついたかなとは思っていたが、獣医学科の学生のくせに非常な医者嫌いだった私は医者に行くことは考えなかった。
(獣医科の学生だったから医者嫌いになったのかもしれない)

 それから3年後。
 またもや9月に薬師沢で居候していた私は昼頃、折立への下山途中、太郎小屋に立ち寄った。そこで当時太郎小屋で番長を張っていたY氏に呼び止められた。将棋の相手をしてくれと言うのだ。私は相当のヘボ将棋なのだが、Y氏もかなりヘボだったので相手としてはちょうど良かった。それにしても午後早い時間で帰りたいのに・・・まあ一局だけね、といって帳場の中で将棋を始めた。
 一局目は私が勝ってしまった。するとY氏はムキになってもう1局、と言う。仕方がないので付き合った。すると2局目はY氏が勝った。1勝1敗である。となればケリを付けねばなるまい。こうして3局目が始まり、私は勝利して勝ち越しすることができたのだが、それはともかく、太郎小屋を出たのは午後3時を回っていた。9月も半ばなので、もう夕方の気配だった。とはいうものの、1時間もあれば折立に着くと思っていたので、たいして気にはしていなかったが。
 と・こ・ろ・が。やっちゃったのである。良い調子で走るように駆け下りていた最中、またもや捻った右足首に全体重を乗せてしまった。今度は荷物こそ軽いが、走っていた慣性重量が・・・それもまだまだ森林限界の上、バイト仲間で「心臓破り」と呼んでいた坂の上である。(この坂、タイムアタックをして駆け上がるから「心臓破り」なのであって、普通に登ればただの急登である)
 この時もしばらく息ができなかった。やっと呼吸ができるようになって、道に座り込み、呆然と暮れゆく富山湾を見ながら、一瞬だけその場でビバークすることを考えたが、食糧をまるで持っておらず、ひもじい思いをするのも嫌だったので這うようにして折立に下山した。こういう時に限って誰にも会わない。まあ、9月半ばの時期はずれ、それも午後3時過ぎに登ってくる人も降りる人もいるはずがないのだが。
 有峰林道のゲートが閉まるのが午後8時なのだが、折立に着いたのが午後7時。既に真っ暗である。焦りながら車に乗ってうにゃうにゃした林道を飛ばした。右足の痛みで微妙なアクセルワークもできず、第一ブレーキを踏むのがとても辛かったが、脂汗を流しながらなんとか締まる直前にゲートを通過し、その勢いでそのまま一度も休まずに岐阜まで帰ってきてしまった。
 アパートに着いて車を降りようとしたが・・・歩けないのである。部屋は3階。この時もこのまま車の中でビバークを考えてしまったが、腹が減っていたので這いながら部屋に辿り着いた。
 ・・・・ところが、部屋には食糧はなかった・・・・・もはや買い物に行く気も起きず、ひたすらひもじい腹を抱えて一晩過ごした。

 翌日から試験だった。(だから太郎小屋に引き返すわけにはいかなかったのだ)
 試験が終わるとその足で医者に行った。さすがにまたもや靴が履けないほど足が腫れ上がっているのを見ると、これは行かずばなるまいて。
 じっとしていても痛い足首をグニャッと曲げられてレントゲンを撮られ(一瞬気が遠くなった)、その写真を見ながら医者が「こりゃ靱帯、切れてるね」と言う。曲がりなりにも獣医科の学生なので、そのくらいは私にも判った。
 「どうする?切る?」と医者が聞くので、このまま放置してどこかの山でまたすっころんだらまずいな〜と思い、切ることにした。太郎の下りだから口をパクパクさせるくらいで済んだが、剣の稜線だったらそのままバイバイだったかもしれん。
 その時、3年前におそらく切っていることも医者にちゃんと言ったのだが、それでも医者が2週間くらいで退院できるというので、試験が終わった後の試験休み(10日ある)の間に切ることにした。
 ところが、切ってみたらば既に私の足首に靱帯は影も形もなかったのである。そりゃ3年前だもん、切ったのは。そこで医者が言うには、脹ら脛の腱を切って足首に移植するんだと。そんなわけで脹ら脛も切られてしまった。
 で、手術が終わってギプスを巻かれたのだが、見てるとグルグルと太股まで巻くのである。
 「あ・・・あのう・・・これでほんとに2週間で退院できるんですか?」と聞くと、医者はこともなげに、
 「ん?2ヶ月はかかるよ」と言ったもんだ。おおぃ、また留年かぁ〜?

 意地で1ヶ月半で治して(まだギプスは取れていなかったが)無理矢理退院して大学に復帰し、なんとかことなきを得た。バレバレ百も承知の代返も活用した。たった30人しか学生がいないので出席を取るまでもなく教室の中をぐるりと見渡せば誰がいないかくらい判るものである。おまけに私は入院中なのも知っていたはず。それなのに黙って出席に丸を着けてくれた教授達のおかげです。

 が、この1ヶ月半の入院はなかなか波瀾万丈だった。
 当時はちょうど付き合っていた彼女とかなりぎくしゃくしていた頃で、入院する前に病院の名前も場所も教えていたにも拘わらず、とうとう彼女は来なかった。非常に傷心状態だったのですよ。
 まあ、立ち直りは早いので、仲良くなった看護婦さんを連れて学祭に行ったりもしていたけど。
 当時、カミさんとは別につきあっていたわけでもなんでもなかったが、病院にはちょくちょく顔を出してくれていたので、これ幸いとばかりにアッシー君させていた。

 それから月日は流れ・・・つい3年前のこと。
 テニスの試合中にすっころんで右足首を骨折した。観客席に響き渡るくらい気持ちいい音がした。大会役員がコートにやってきて救急車を呼ぶというので、「頼むから目立たないように来てくれ」と言ったのに、派手にサイレンを鳴らして救急車がやってきた。
 見るとストレッチャーが救急車から出てきたので、「あんなのに乗るのは嫌だ〜、張ってでも自分で救急車に乗る!」と暴れたが、4人がかりで抑えつけられてストレッチャーに乗せられた。なんて恥ずかしい・・・
 足首はとりあえず固定してもらったのでさほど痛みはなかったのだが、レントゲンを撮られる時にあれこれ曲げられて、あまりの痛みに血圧が下がっていくのが判った。看護婦さんの注射1本であっさり復帰したが。

 骨折したのが土曜日で、試合は八尾だったので八尾の病院に行ったのだが、このまま八尾の病院に入院したら家から遠すぎるので、週明けに中央病院に転院することにした。
 月曜に中病に行ったら、1日中検査であそこに行けこっちに行けと引き回された。これは入院するための体力テストか?
 1日中引き回されてやっと病室に行けることになった。その時になってやっと車イスに座ることができた。それまで仮固定しただけの折れた足ぶら下げて松葉杖でえっちらほっちら歩いていたんである。最後の検査なんてエスカレーターを上がった2階であった。
 で、やっと座れてほっとしたのだが、迎えに来た看護婦がまた可愛かったので、思わずヘラヘラしてしまったら、それをカミさんにしっかり見られた。

 こうして私の右足首にまたメスが入った。プレートまで入った。
 「俺の右足は強化靱帯にプレート入りだぜぃ」と自慢していたのだが、そのプレートも去年抜いた。抜く時もやっぱり腰椎麻酔して手術するんである。
 こうして私の右足首には、4カ所もメス傷があるのである。

傷だらけの足首

 

 ちなみにもうどれがどのときの傷だか、既に判らない。


 

 唐突に導尿の話になるが、靱帯の手術の時は腰椎麻酔が効くと同時にチンチンにカテーテルを突っ込まれて導尿された。で、そのカテーテルは2日ほど入ったままだったので、抜く時はちょっと痛かった。
 が、骨折の手術をした中病では、麻酔導入時のカテーテル挿入はしない。
 麻酔導入後、6時間だっけか、その間に自力排尿しなければ、その時に1ショットで導尿する、と言うのだ。最初はそれがプレッシャーだった。女性にふにゃふにゃのチンチンをさらけ出すのはやはり不本意だもの。(ふにゃふにゃでなければまだいいのだが)
 でも6時間なんて、まだ腰から下はまったく感覚がない。自力排尿なんてできるわけがない。
 で、骨折の時も結局導尿されてしまった。プレートを抜く時はそのあたりはもう判っているのでムダな抵抗もせず、あっさりと導尿してもらった。下手に粘って感覚が戻り始めた頃に導尿されたら痛いもんな。
 手元を注視して作業に集中する看護婦さんの横顔はなかなか素敵であった。・・・その視線の先にあるものを見なければ。

 

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