初心者家族のテント泊山行
-その他いろいろ-
ぶっちゃけた話、子供は別に山なんて行きたくないんである。
そりゃそうだ。子供に山の良さなんて理解できるわけがない。
大人が山に引かれるのは、自然に対峙した自分という人間が下界での自分と違ってシンプルになる気がしたり、普段こせこせしたことに悩まされている自分が癒されたり、といったことがあるのだろうけれど、子供は最初っからシンプル極まりない人生を生きている。
その山に子供を連れて登るという行為は、実際のところ親のエゴでしかない。または親の価値観の押しつけである。
でもそれの何が悪い?
自分の価値観を押しつけるのが親の仕事であり、それを反発したり受け容れたりして自分の価値観を作っていくのが子供の仕事だと思う。
そんなわけだから、子供を連れて山に登る、ましてやテント泊山行をするなんてのは親のエゴの押しつけ、というところで開き直ってしまおう。
でも、同じ押しつけるのなら上手に押しつけないと、子供を洗脳できないよね。というのがつまり、親が楽しむことを大前提に、その世界にどうやって子供をついてこさせるか」ということなんである。
1.キャンプ生活
まず子供は、山の景色には対して反応しない。辛い登りを耐えて峠に達し、そこに剱岳がどどんとそびえ立っていても狂喜乱舞しているのはたいてい親だけである。別にそれはそれで良いんである。その景色は何年も経ってからボディーブロウのようにじわじわと子供の心に染み渡っていく、かもしれない(そうでないかもしれないが)。だからその景色は親が楽しめばいいのである。
苔生した原生林をしっぽりと歩いていても、その雰囲気にウットリとするのはやはり親だけである。そもそも子供はマイナスイオンなんて必要としないほど若い。だからここも親がたっぷりマイナスイオンの恩恵を受ければいいのである。
というわけで行動中は子供より大人がたっぷり楽しんでいるとすれば、代わりに子供こそが楽しめることも用意しておかねばなるまい。
それがキャンプ生活なんである。テントを張って食事を自分たちで作り、寝袋で寝るということに反応しない子供はまずいまい。
なのでこのキャンプ生活をたっぷり楽しめるような計画にすべきなんである。実は親も楽しいところがミソなんだが。
具体的には、あまり日程を行動計画で埋めない方が良い、ということで、そのキャンプ場の立地条件などにもよるが、半日から1日くらいは、まったく行動せずにキャンプ場で過ごす、いわゆる「晴れの日停滞」を設定するのがベストだと思う。別に何か遊ぶことを親が見つけたり与えてやる必要はない。な〜んにもないキャンプ場でも、子供が勝手に自分で遊びは見つける。親はここでできる自分の楽しみ(たいてい昼寝)を楽しめばOKである。
そう考えると家族でのテント泊山行って、実はと〜っても良い企画なのではなかろうか。
子供もキャンプで楽しめるし、大人も山歩きで楽しめるのだからして。
2.役割を持たせる
うちでは家族で山に登るとき、子供にも何か役割を持たせている。
長男にはたいてい、パーティーの先頭でペースメーカーをやらせているし、まだ小学校に上がる前の次男にも、行動食(おやつ)を持たせて休憩の度にそれを家族みんなに配る役目を持たせている。
つまるところ登山は冒険である。登山経験に乏しい初心者が家族連れでテント泊山行をする、というのは親にとってですら大冒険だろうと思うし、それなりに登山経験があって目をつぶっても歩けるくらい馴れた道だったとしても、そこに子供を連れて行くというのはある種の緊張を強いられる冒険になるんである。
で、その冒険を成し遂げるには、やはり家族全員の力を合わせて、という気持ちが欲しい。一方的に連れていくだけ、というのはやっぱりなんというか、つまらないのである。それなら1人で行った方がなんぼか楽しい。
やっぱりパーティーを組むからには力のと経験がある者はそれなりに、力も経験もない者もそれなりに役割を持って、全員がその役割を果たして冒険を成し遂げよう、というスタンスが必要かなと思う。
これは親の立場からの見方だが、子供の立場から見ても、ただ単に連れていってもらってる、というより何か役割を持たせてもらって自分がそれを遂行することによって家族で行動できる、という気持ちを持った方が、単に退屈で辛い山を登っているのではなくて冒険をしている、という気持ちになれるのではなかろうか?
というわけで、とりあえず子供にも何か1つは明確な役割を与えることにしている。客観的に見たらどんなにつまらない取るに足らないことでも、子供本人にとってはそうではなく、一生懸命遂行すべき役割になるような何かを。
余談だが、このリーダーシップではないメンバーシップ、これは家族山行だけではなく普通のパーティーにもあるべきもの、と思う。これもパーティーのメンバー間でどんなに力の差があっても、である。
極端な話、プロのガイドを雇っての山行ですら、自分の果たすべき役割というのは生じると思っている。どんな形態であれ、複数の人間が集まればパーティーを形成するのであり、パーティーの構成員には1人としてムダな人間は存在しない、というのが私の気持ちなんである。