基本技術 その2
歩行技術を主として
歩行技術と一口に言っても、山で出会う局面は多岐に渡るのでそこで必要となる技術も一様ではない。岩稜を歩く技術と雪渓を歩く技術は似て非なるものという言い方もできるし、結局は同じものという言い方もできるように思う。
歩き方の基本
とりあえずあらゆる歩き方の基本となることは、「ゆっくり歩く」ということだろう。
ゆっくりというのは人によって違うだろうが、目安は「息を切らさない」ということである。一度息を切らせてしまうと、そのダメージは徐々に身体に貯まっていくので、特に1日の序盤では息を切らさない程度にペースを抑えることが大切である。
また、一定のペースで歩くことも大切である。最も筋肉や心肺に負担が大きいのは「ペースを上げる時」なのである。自分の体力の範囲内であれば、かなり速いペースで歩いていてもそれほど身体に負荷はかからないものだが、ペースを上げていく時にはそれがかなり遅いペースであっても身体にはそれなりの負荷がかかる。それを何度も繰り返してしまっては息が上がるのも当然である。
この「ペース」であるが、必ずしも実際の歩を進めるリズムではなく、自分の身体にかかる負荷と考えた方が良い時もある。すなわち、平坦な場所では速く歩き、急な上り坂ではゆっくり歩く、ということである。まあこれができる人はかなり山を歩き馴れている人なのだが・・・
要は簡単な話で、「自分がきついと感じない程度の速さで歩く」ことが全てである。極端な話、急な登りでは一歩ごとに深呼吸が入るほどゆっくり歩いたって構わないのである。
ただここで勘違いしやすいのは、ただゆっくり歩けばいいというものではないということである。
基本的に「疲れる量」は、歩いた距離より歩いた時間で決まる。同じコースを体力の範囲内で飛ばして3時間で歩いた場合と、ゆっくり5時間で歩いた場合では、多くの場合3時間で歩いた方が楽なんである。つまり5時間歩けば5時間分疲れるのである。まあ、ゆっくり歩いていても自分の体重+荷物の荷重は常に足にかかっているので当然といえば当然である。
当然、自分の体力を越えたペースで歩けばバテバテになるので、つまり自分がトータルとして一番楽に歩けるペースというものを掴むことが大切なのである。
まあつまり、車で20km/hで走り、しかも1kmごとに信号待ちの停車をするより、ずっと50km/hの一定の速度をキープして走った方が燃費が良いということと同じである。100km/hで走れば一気に燃費がガタ落ちになるというのも同じ。
ま、その自分のペースを知る、ということが初心者には難しいのだが・・・
自分のペースの目安の1つは、自分の呼吸と歩行のリズムが合っているか、ということである。
呼吸法は人によってそれまでの経験からいろいろなパターンを編み出している。私の場合は、スー、スー、ハァーと2回吸って1回吐くというもので、1日の序盤、特に最初の1時間は吸うのは鼻からだけと決めている。口から吸いたくなるほどペースは上げないということ。調子が出てきてペースが上がると、当然スー、スー、ハァーのリズムも上がってくる。そのリズムと歩行のリズムが合っているうちは、何時間ぶっ続けで歩いてもまずバテることはない。特にザックを下ろして座って、という休憩をすると身体にできたリズムはリセットされてしまうので、また作り直しになってしまう。休憩すると筋肉も冷えてしまうので、歩き始めから休憩前のイメージでいきなりペースを作ろうとするとまず失敗して余計な体力を使う。
まあ別に長時間ぶっ続け歩行を勧めているわけではなく、基本とされている「1時間歩いて10分休憩」という休憩ペースは絶対的なものではないということなのである。これは多人数で山を歩く時はどのみち全員のペースが揃うわけがなく、どういうペースを作っても1日の間に誰かに過大な負担がかかってしまうのを、1時間ごとに各自のペースをリセットすることによって調整する意味合いが強い。1人や足の揃った少人数で歩いている時には、わざわざリセットする必要はないのである。
もうひとつの歩き方の基本は、「路面に靴をフラットに置く」ということだろう。
爪先だけ、踵だけという置き方をすると、まず体重を支えるのに筋力を必要とする→疲れるという弊害がある。また、路面と靴の設置面積が小さくなるので、その分路面の単位面積あたりにかかる荷重が大きくなる→スリップしやすくなるという危険もある。
それが傾斜の強いところを登る時、バカ正直に斜面にフラットに靴を置いていくと、それで脹ら脛の筋肉をかなり消耗してしまうので、傾斜面の中でできるだけ傾斜に緩いスポットを見つけてそこに足を置いていく、というのが急傾斜の登り方の基本である。これは特に雪渓や岩稜の登りで生きる技術なので、普通の登山道でも普段からそういう癖をつけておいた方が良い。
これは基本的に下りでも同じである。とにかく靴のグリップを最大限に生かすには、接地面を大きくする→靴を路面にフラットに置くということが必要で、そうすると必然的に「爪先から下りる」ような格好になる。
ただ、これも程度問題で、登りとは違って傾斜が強くなるとフラットに置いた足を脹ら脛で支えるのは難しくなる。その場合、足元が固い岩の場合は後述するがあっさり後ろ向き(斜面に正対する)になって下りる方が良い。また、ザレた斜面だと雪渓の下りと同じで踵を効かせて下りることになるだろう。
通常、「踵から下りてはいけない」と言われるのは、そういう時はへっぴり腰になっている→足が斜面に入る角度が浅い→当然滑る、ということだからであり、いわゆる「下りの踵キックステップ」とは根本的に異なる。
まあなんにしても、登りや下り、道が荒れていたり雪渓があったりで何らかの危険要素がある時(登山している時はほとんどこの状況だが)は、1歩1歩、足の裏で路面の状況を確かめるような気持ちで歩くこと。つまらない事故はほとんどの場合、この集中力を欠いて漫然と歩いている場合に起きる。
気持ちとしては足の裏で路面を掴むような感じで歩きたい。ついでに歩を進めるために足を上げるわけだが、その上げている間に足を休ませるような気持ちで。ま、最初はそのつもりで歩いていても、午後あたりになるとそんなことは忘れているものだが。
応用編:岩稜歩き
剱岳や穂高でなくても、北アルプスでは森林限界を超えると基本的に岩稜であるし、低山でも岩がゴロゴロした場所はいくらでも出てくる。
こういう場所では、上に述べた足の裏で地面を掴む気持ちはより大切である。
一枚岩の上か細かいガレた場所かでまた少し話も違ってくるのだが、基本的に岩場では路面にフラットに足を置くことや一気に体重移動をしないことは、一般登山道よりシビアに問われる。そういう癖をつけるための自己暗示として、「足の裏で地面を掴むんだ」と自分に言い聞かせることはかなり有効だったりする。
また、手を使わなければならないほどの傾斜もしばしば出てくるが、こういう時には定番の決まり文句の三点確保である。三点確保とは、両手両足の4つの支点のうち、3つを常に安定した状態にしつつ1点を動かすことで移動することである。口で言うのは簡単だが、実際に剱岳などの岩場できちんとできている人は少なかったりする。恐怖感のため早く登ろうと焦って三点確保がおろそかになっている人、たいして緊張しておらず岩場を舐めてしまっておろそかにしている人、様々だが、いざ足が滑った!というような場合の結果は両者同じである。
三点確保を確実に行う方法としては、ともかく頭の中で「左手をあのホールドに移動、左手良し、では右足をこのステップに移動」といちいち唱えながら行動することである。それも左手でホールドを掴んですぐ判断してはいけない。一呼吸して手でホールドを揺すってみて動かないことを確認して初めて「左手良し」なのである。一動作ごとに必ずそれを繰り返すくらいのつもりで行動すること。
また、このような場所では恐怖感のために身体を岩に密着させてしまいがちだが、これもただひたすら危険を増すだけの行為である。
岩の壁面に対する身体の角度が浅くなるほどスリップしやすくなるのは当然で、腕を伸ばして身体を壁面からできるだけ離した方が安定するのである。
これは意識する以外にない。
自分の股越しに下の谷が見えるくらい意識して体を離すようにする。恐怖感でそれができないのであれば、そういう危険地帯に入る前に引き返した方が良い。
また、一般ルートでそういう場所にはたいてい鎖が付けられているが、これに頼りすぎるのは危険である。
まず、その鎖が本当に信用できる保証がない。今までは大丈夫でも、今自分が体重をかけたために抜けるかもしれない。それにしがみついた挙げ句振られてしまっては極めて危険な状態になる。
それに鎖にしがみつくと身体が壁面に密着する状態になってしまいがちで、却ってスリップの危険が高くなる。これは特にトラバースの時に危険である。
もうひとつ、鎖を意識しすぎるとどうしても腕力に頼る行動になってしまいがちである。下手すると腕力の切れ目がこの世との別れ目になりかねない。
応用編:雪渓歩き
雪渓は登山にとって諸刃の剣で、時として行動を飛躍的に楽にしてくれる。剱岳など、雪渓の状態が安定していれば長治郎雪渓から登って平蔵雪渓を下るのが一番楽で安全なルートで、いちいち長くて気の休まるヒマがない一般ルートを往復する人の気が知れなかった。だが、場合によっては行動を劇的にリスキーなものにしてくれたりもする。夏の終わりにズタズタに切れた雪渓は、時としてその場所を通行不能にしてしまうし、沢登りの最中にスノーブリッジが現れると、その状態によっては撤退を余儀なくされたりもする。
まあ誤解のないように念を押すと、基本的に雪渓はリスキーなものである。谷間であるし、雪渓ができるということはそこに雪が多く溜まる谷だということで、必然的に雪だけでなく石もたくさん溜まる場所、すなわち落石が多い場所ということである。そして雪渓上の落石は音がしない(小さい)だけに始末が悪い。
また、雪渓の上を歩いている時は自分の足元の雪がどの程度厚みがあるのか知る術はないのが普通で、上からの落石だけでなく、足元の崩落にも神経を配らなければならない。
ただでさえリスキーな雪渓では、せめてマヌケにも自分が足を滑らせて滑落するリスクだけはゼロに近づけたいものである。というか、自分でコントロールできるリスク低減ってそれくらいである。
雪渓の中でも大規模で(すなわち安定していて)傾斜も緩く、比較的落石などの危険が少ない場所には一般ルートが築かれていたりする。日本三大雪渓と呼ばれる白馬、針ノ木、剱沢の雪渓はその代表である。
これらの雪渓は比較的技術的な難度も低く危険要素も少ないのだが、リスキーなのは夏の早い時期に登山ルート上に残っている小規模な雪渓や雪田だったりする。
雪渓があることを前提に築かれている一般登山道(白馬や針ノ木など)は、基本的にアイゼンは必要ないルートである。初心者が初めてそこを歩く時にアイゼンがないと不安だと思うのは仕方ないが、実際にそこを歩いてみてアイゼンがないと怖くて歩けない、と感じるのなら、実際のところアイゼンを履いていても滑落する可能性がある、と考えた方が良い。
ともかく、雪渓に限らず岩稜でもそうだが、一番危険なのは「怖い」と思ってビビってしまった状態である。(次に危険なのは舐めてしまって集中を欠いた状態)
ビビってしまうと自然にへっぴり腰になり、身体が斜面に対して寝てしまって浅い角度になり、ますます滑落しやすい状態になっていくのである。岩場なら鎖もあるのでしがみついてなんとか切り抜けることもあるだろうが、雪渓上では捕まるものもないので本当に滑落してしまうのは時間の問題だったりする。その時にはアイゼンを履いていてもおそらく滑落する。特に土踏まずしかカバーしない4本爪の簡易アイゼンなどは、そういう時には何も着けていないのと変わりない。
ただ、アイゼンを着けていることで心理的に安心し、その結果安定した姿勢で行動できるという効果もあるので、アイゼンを着けること自体は否定しない。実際、4本爪の簡易アイゼンの効用はそれだけだと思っているくらいなので、アイゼンを着けていてもビビる人は着けている意味がないとさえ思う。
雪渓歩きの基本は登りでも下りでも、「身体を(重力方向に対して)垂直に保つ」ことと「足を雪面にフラットに置く」ことの2つである。
雪渓の雪面はフラッとではなく、スプーンでえぐったような凸凹がある。つまり、かなり急傾斜な雪渓の上でも、さほど傾斜がないスポットは必ずあるのである。そこに足をフラットに置けている限り、4本爪のアイゼンは有効である。へっぴり腰になって踵から着地してしまうと、アイゼンのない場所がまず接地することになるのでアイゼンを履いている意味がない。
白馬などの一般ルートになっている雪渓上なら、他にトレースだってあるのでまずこの2つさえ確実にできれば、何の不安もなく雪渓を登下降することができるはずである。
それより傾斜が強く、トレースに乏しい雪渓を登下降する際はキックステップを使う。
私はキックステップはもう既にきちんとした講習を受けて修得すべき技術と考えているので、ここではあまり詳しく述べたくはない。
まあ、一般ルートの雪渓を行動する際も、基本的な概念は同じなので簡単に述べることにする。ただし、上記2点の基本がきちんとできるという前提付きである。端的に言えば、キックステップはフラットな雪面を靴の蹴りこみによって作り出す技術だからである。
登りの際は、爪先を雪面に蹴りこむことによってフラットな雪面を作る。
この時、やはり身体は重力方向に対して垂直でなければならない。また、靴を蹴りこむ際は膝を支点にして、膝から下の振りだけで行う。さらに蹴りこんで作る「フラットな雪面」とは、重力方向に対して水平な雪面という意味である。(急傾斜で固い雪面に対しては爪先が下向きになるように蹴り込むこともあるが、それはもう既にアイゼン着けろよ、という世界である)
ある程度傾斜が急で雪面が固いと、当然靴がすっぽりと雪面に入るわけではない。爪先数センチしか入らない場合もよくある。その数センチのステップにバランス良く立つためには、歩く本人が恐怖感を感じていないこと(恐怖を感じれば身体は前のめりになり、極めてスリップしやすくなる)、靴のソールが十分な剛性をもっていることなどが必要である。
足は2本しかないので、キックステップを行う時はもう1本雪面に対して安定した支点が欲しい。ストックでも良いのだが、キックステップをするほどの傾斜と言うことは、すなわち滑落したらただでは済まない傾斜なので、ストックよりもピッケルの方が良いと思う。もちろん瞬時に滑落停止姿勢を取って止めることができるという前提付きである。
下りの際は踵を雪面に蹴りこむ。
これは「踵から下りてはいけない」という基本に逆らうように見えるが、蹴りこみと同時にフラットな雪面を靴底によって作り出しているので、基本に逆らうことにはならないのである。この基本は「へっぴり腰になってはいけない」という意味なので、もちろん下りキックステップでも「身体は重力方向に対して垂直」という基本中の基本は変わらない。
下りの踵キックステップでは足は振らない。踵にできるだけ一直線にした身体の体重を乗せて雪面をえぐるだけである。まあつまり、今自分が急傾斜の雪面を下を向いて立っているとして、自分の足元から50cm下の雪面を自分の親の敵と思って、そこに可能な限りのダメージを足の踵でしかも一撃で与えたければ、と考えれば良い。ダメージを与えるための重量は自分の身体の他にないのであるから、誰だって身体をまっすぐに立てて踵に体重を乗せて雪面にぶち込むはずである。
ちなみにある程度以上の傾斜になると、軽アイゼンはほとんど役に立たない。
土踏まずしかカバーしない4本爪はもちろん、6本爪のアイゼンでも基本的に爪があるのは靴の底面である。アイゼンは爪を雪面に効かせて初めて機能するので、そもそも靴底をフラットに雪面におくことができないほどの傾斜では爪は効くはずがない。そのくらいの傾斜では前爪がついた12本爪のアイゼンが必要となる。
では初心者でも12本爪のアイゼンを履けば急傾斜の雪渓を登れるのか?という問はNoである。歩いている時に前爪をズボンに引っかけて転ぶのがオチである。(転んだ場所が急斜面であれば当然生きるか死ぬかの話になってしまう)
つまり、傾斜が強くなれば軽アイゼンは通用せず、逆に軽アイゼンで登れるような傾斜の緩い雪渓では、靴底をフラットに置ける傾斜なのでそもそもアイゼンは必須ではない。どのみち一般ルートの雪渓はトレースがばっちり付いているのが普通で、雪質も多人数に歩かれているためガチガチに固くはない。軽いキックステップで十分対応可能である。
ただし、日の出前や夕方日が陰った途端に雪が締まり、劇的に固くなる。それでもトレース上は雪が削られてザラメ状になっているため、アイゼンがないとても足も出ないという状況にはならないが、トレースを一歩はずれるとそこは別世界だったりする。白馬の雪渓は午後2時以降の登行が禁止されている。大きなお世話ではあるがちゃんとそれなりの理由があってのことなのだ。
大学時代、7月末に剱岳の平蔵谷雪渓の枝雪渓であるS字雪渓を日没後に下降するハメになったことがあるが、日が陰った途端にミシミシと音を立てて雪渓が締まっていくような気がした。アイゼンは持っていなかったので(そもそも夏の剣に行くのにアイゼンを持っていったことがない)、一部ピッケルでステップカットしてルートを作り、ザイルで確保して下級生を降ろした。雪が固くてスタンディングアックスビレイのアンカーを作るのにも苦労した。
トラバースはさらに難しい。何がって身体を垂直に保つのがである。この場合キックは靴の側面を効かせることになる。
さらに難しいのが下りトラバースであり、山側の足は進行方向に向け靴の踵からサイドでキックステップし、谷側の足は斜面に対して平行に(つまり真下に向けて)踵キックステップをする。登りトラバースはやはり山側の足は進行方向だが、谷川の足は斜面に対して垂直(つまり水平に)使う。
まあつまり、初心者は雪渓でトラバースをしてはいけないということである。(もちろんしっかりしたトレースが付いている場合を除く)
いずれにせよ雪渓歩きでは、身体を垂直に保つことをいつもより意識して行うのが鉄則である。
あとは下手にビビらず、思い切りよく行動することも大事である。どのみち雪の上なので滑るのである。最初から滑るのが前提ならば「右の足が滑る前に左の足を出す」ことによって結局転ばなかったりするのである。
また、雪渓を見て「怖い」と思ってしまったら、その雪渓には入らない方が良い。別に雪渓に限らないが。とにかくビビルことが最大の危険なので。
雪渓に入ってしまった後で「怖い」と思ってしまったら、とにかくその場から動かず、どんな手を使ってでもその場の安全を確保するしかない。ストックを持っていたらそいつを確実に雪面に打ち込み、キックステップの要領でその場にある程度広くて安定した足場を作るのである。安定した足場を作ったら、そこで深呼吸して気持ちを落ち着けることである。
まあ後は近くにザイルを持った人でもいれば確保してもらえれば良いのだが、そういう人もいない場合は気を落ち着けてなんとか自力で行動する以外になかろう。つまり、雪渓に入ってビビって立ち往生した時点で限りなく事故を起こしたことに近いわけである。無事に切り抜けるか、怪我するか、最悪の場合生きるか死ぬかの話になるかは、もう既に運次第である。そうなる前に判断するのが自助責任を持った登山者のなすべきことだろうね。
実際に雪上歩行をきちんと修得したいと思えば、これはちゃんとした講習を受ける以外にない。
というのは、雪上の歩行訓練は実際に恐怖を覚えるくらいの傾斜でなければあまり意味がないからである。(岩稜も同じかな)
恐怖を感じない程度の傾斜では、けっこういい加減な歩き方をしても転ばない。なので山で恐怖を感じるくらいの傾斜に出会った時はあまり役に立たないいい加減な技術しか習得できない。むしろ「自分は訓練した」という誤った認識を持って急傾斜の雪渓に安易に入ってしまい、入ってから恐怖で動けなくなる可能性すらある。
恐怖を覚えるほどの傾斜とは滑落すれば間違いなくただでは済まない傾斜なので、これを独学で修得することはほとんど不可能である。安全確保がきちんとなされた講習を受ける以外に修得はできない、と私は思う。
なので、ここに書いた雪上歩行技術(岩稜歩行技術も含めて)は、あくまで「一般登山道に出てくる雪渓(もしくは岩稜)」での話であり、バリエーションルートでの歩行にまで通用するものではない、ということを念押ししておきたい。
本文中にバリエーションルートの話をたくさん書いてしまったが、それはあくまで「一般ルートとバリエーションルートは別世界」ということを言いたかったわけで。勘違いしやすいのは、一般ルートの雪渓でもトレースを一歩外れればそこはバリエーションルートと同条件なのである。
応用編:河原歩き及び徒渉
ということで、この項目も同様、「あくまで一般登山道の中」での話である。
「河原歩き」というのは歩行技術の中でもけっこう特殊なのかもしれない。というのは、かなりベテランでロッククライミングの経験がある人ですら、たまに河原はヨタヨタとしか歩けない人がいるからである。薬師沢の小屋で働いていて気が付いたのだが、薬師沢から高天原に向かう大東新道は、薬師沢小屋〜B沢出合いまでが河原歩きの区間である。この間、標準コースタイムでは約1時間なのだが、ここの通過時間は人によって非常に差がある。
歩いている姿を見れば馴れている人とそうでない人は一目瞭然なのだが、そうやって判断した人の経験度と本人に聞いた登山歴の間に著しい差がしばしばあった。具体的には、河原を歩く姿を見て「初めて山に来た人?」と思ったのに、後でいろいろ話をしながら聞いてみたら30年以上の登山歴を持つ人だったりする。逆に沢では韋駄天のような速さでとてもついていけない人と一緒に薬師岳に登ると、弱くて遅くてとても一緒には歩けない、という人も実在した。
つまり、沢での歩行技術とその他の歩行技術は別もので、経験値も別々なのではないか。
まあこうした傾向は他の局面でも見られることで、雪渓では目もくらむような傾斜をアイゼンも着けずに縦横無尽に走り回る人が、ガレ場の下りではへっぴり腰で石を落としまくるので怖くて前を歩けない、ということもあるのだが・・・
ま、一般登山道で完全な河原歩き(川沿いに整備された道もない)というのはあまり出てこないので、雪渓や岩稜に比べて河原歩きは経験値が積みにくく、それだけ差が出るのかもしれない。
河原は大小取り混ぜた岩がゴロゴロと無作為に転がっている。当然安定した岩もあれば、指先でつついただけで転がってしまう不安定な岩もある。
これがどういうことになるかというと、まず下手なルート選択をすると高低差が激しくなる。つまり膝くらいの岩の上に登って次の1歩はまた下がり、その次にまた膝の高さまで足を上げて・・・ということになる。当然疲れる。
また、浮き石が多いのでいちいちバランスを崩す。当然疲れるし転倒の危険もある。浮き石が多いと言うより、河原の石は全て浮いていると考えた方が早い。
そういう河原で手際よく歩くためには、とにかく最低3歩先まで踏む石を読むことが最低条件である。なるべく高低差が少なく、浮いていない(というよりとりあえず動かない)石を3歩先まで常に選びながら歩くのである。
浮いていない石を読むのは、まあカンみたいなものである。経験値はそれなりに蓄積されていて、自分が選ぶ石にそれなりの理論的根拠はあるはずなのだが、あまり整然と説明できない。実際、いつも「動かない」石を選んで歩いているわけではなく、動くことを承知で選ぶことも多々ある。どちらかといえば石の安定度よりも高低差や歩幅などの自分の都合が優先である。動く石は、乗った時に動いてバランスを崩す前に次の1歩を出せばいいだけの話である。
実は「登山靴」では河原歩きは難しくなる。河原は岩稜と違ってフラットに靴底を置ける平面的な石など少なく、ほとんどの石が丸いのでソールの固い登山靴では接地面積を稼げない。つまり滑りやすくなる。濡れた岩も登山靴は苦手としている。たまに乾いたフラットな岩があれば、たいていそこには砂が薄く乗っている。これは登山靴は苦しい。
最も河原歩きに適した靴は、実はゴム底の運動靴である。実はワラジもフェルト底のシューズも、「河原」はあまり得意ではない。それも安物の底がペラペラで尖った石の上に乗ったら足の裏が痛いくらいのものが抜群の威力だったりする。この時こそ「足の裏で岩を掴む感覚」が実際に生きる時である。
河原歩きの落とし穴は、そのほとんどが「浮き石に乗って転倒する」ことであるが、しかし河原の石なんてそのほとんどが浮いているのが前提であり、最初から「浮いているもの」と思えば転倒はしない。転倒するのはその石が「しっかりしている」と信じて乗るからである。
沢では、特に増水の直後などは身の丈ほどもある大岩が浮いていることがよくある。
薬師沢の小屋でバイトしていた頃、9月のある日にかなり大きな増水があった。
翌日減水してから上流の様子を見に行った小屋番の小池さんが、薬師沢の小屋からすぐ上流にある中州の地形がかなり変わってしまったと言いながら帰ってきたので私も見に行った。
その帰り、河原を飛び石伝いに歩いている時に自分の腰くらいの高さがある大きな岩に乗ったら、その岩が何の抵抗もなくゴロリと転がってしまった。その岩が動くとは夢にも思っていなかったし、第一慌てて次の1歩を出そうにも、乗った岩が大きいので足が届く範囲には次の岩はない。そのまま激しく地面に叩きつけられてしまった。
どのくらい気を失っていたのかは近くに誰もいなかったのでよく判らない。気が付いたら川の縁の浅い水溜まりに顔を半分突っ込んで横向きに倒れていた。胸を激しく打ったらしく呼吸が上手くできない。その場で仰向けになって水から顔を出すのに多大な努力が必要だった。吊り橋はすぐそこに見えていて、大声を出せば小屋まで聞こえるくらいの場所なのだが、なんせ声どころか呼吸すら満足にできない。せめて吊り橋に誰か通りかかればすぐに見つけてもらえるのだが、9月の平日なので誰も通らない・・・この時ばかりは「このまま死んでしまうかも?」と思った。
しばらくして呼吸がようやく楽になってくると、今度は頭がガンガン痛い。そりゃ頭も打ってないわけがない。
結局かなり長い間そこに寝そべっていて、そろそろと起きあがって小屋に戻り、そのまま下山もせずに結局医者にも行かずじまいなのだが、今にして思えばかなり危ない。医者行けよって。
小池さんもその翌年、私とほぼ同じ状況でほぼ同じ経験をしたらしい。やはり「このまま死ぬのか?」と思ったらしい。「わはは、先越したった」とつまらん自慢をしたものだが、聞けば常連のお客さんなど沢経験が長い人は、たいてい一度はそういう経験をしている。それでもヘリで下山した経験を持つ人がいないのは、強運の持ち主揃いなのか、それとも最初っからヘリで下山など思いもしないからなのか。
このような落とし穴に嵌らないためには、とにかく「石は動くもの」と思いながら行動することである。動いた石にそのまま乗っていればバランスを崩して転倒するのは当然なので、バランスを崩す前に次の1歩を出してしまうリズミカルな動作が必要だし、そのためには常に3歩くらい先の石まで読みながら歩かなければならない。
さらに石が浮いているか否かだけではなく、次に乗る石と自分が履いている靴の相性まで計算に入っていなければならない。つまり滑りそうかどうかという予測(イメージ)である。これらの読みが大幅に外れた時に転倒してしまうわけである。
これらの予測ができないと(カンがないと)、1歩ずつ足元を確かめ、さらに次の1歩を捜しながら歩かなければならないので、普通の登山道より非常に歩きにくく感じるし、また時間も体力も大幅に使う。
最初は誰だって1歩ずつ確かめながら歩くしかないのだが、これらのことを念頭に置いて歩くようにすると馴れるのも早いはずである。
徒渉は橋などの人工物に頼らずに川を渡ることを言い、沢登り技術の中では基本中の基本である。5.13を登れる人でも徒渉ができなければ沢登りはできない。
一般登山道で徒渉を強いられるところは少ないが、それでもちょっとマイナーなコースを歩くと飛び石伝いの徒渉程度は機会が多い。
この飛び石伝いの徒渉は最初のルート読みとリズムが大切である。川を渡り始める前に踏んでいく石を全て決めておくこと。川の中程で次の石を捜していてはバランスを崩してしまうし、第一飛んでいく石が全て安定しているとは限らないのである。飛んだ先が不安定な石であっても、バランスを崩す前に次の石に飛べばよいのである。その時に次の石を決めていないと確実に水の中に転倒する。
また、その飛び石が全て水の上に出ていたとしても、全て乾いているとは限らない。濡れた石をルートにしなければならないことも多々ある。濡れた石の上に長い間立っていると必ず滑ってしまうので、ワンアクションで次の石に移動した方が良いのである。
飛び石伝いの徒渉のバリエーションで、飛ぶ石が完全に水の中というパターンもある。中途半端に水の上に顔を出している石より完全に水の中で常に水流に洗われている石の方がグリップすることが多いので、積極的に水の中の石にルートを求める場合も多い。(履いている靴によるが)
この場合は、その石の上を流れる水流の勢いまで計算に入れないと、出した足が水流に流されて思惑どおりの位置に着地しないことになってしまい、たいてい転倒することになる。
なのでもし水の上に出ている石伝いに渡ることができない場合、馴れていない人は水中飛び石より浅くて広い瀬を捜し、そこを徒渉した方が良い。
水中飛び石になるような場所は、たいてい石と石の間は水流が速くなっているため(当然広い瀬より深い場合が多い)、飛び石に失敗して水の中に落ちた場合に酷い目に遭うことになるからである。
ただし、沢登りの経験がない人がなんとか安全に渡れる水位は、せいぜい膝下までだろう。膝を越えると身体に感じる水圧は一段と増す。
なので経験がない人は、膝下より上の水位になる徒渉はしてはならない。経験者がついていれば話は別だが。
徒渉中の鉄則は「すり足」である。普通に歩く時は足を地面から上げて前に出すが、徒渉中は靴底で川床を撫でるように足を前に出す。理由は着地した場所が安定しているとは限らないことと、足を上げている間はただ1本の足で身体を支えていることになってしまい、バランスを保つのに極めて不利だからである。おまけに水流はいつもたった2本の足で川を渡ろうとする人間のバランスを崩そうと圧力をかけているのである。
「経験がない人は膝下まで」というのは、すり足を忘れて足を上げてしまっても致命的なミスにならない水位の上限が膝下まで、という意味である。股までの水位で不用意に足を上げると確実に転ぶし、腰まで水位があると足を上げた瞬間に流されかねない。
その「膝下まで」も、水が澄んでいて足元が完全に見えるという条件付きである。雨が降ったりしていて水が濁っていたら川の中には入ってはいけない。実際、沢登りのベテランでも水が濁っていれば膝までの徒渉もしないものである。だって恐ろしいもの。
まあ実際は、一概に「膝下までなら安全」とは言えない。
川の状況によっては足首を少し越える程度の水位でも立っていられないほど激しい流れの時もあるし、完全に淀んだ淵ならば、背が立たないほど深くても泳いで渡るのに何の問題もなかったりする。(泳ぐのは一般ルートではあり得ないが)
大学時代を過ごした岐阜では、長良川に水浴場があってよくそこで泳いだ。
長良川は堤防から見ると広い川がゆったり流れているように見えるが、実はかなり激しい川であり、水浴場がある場所も川の中央でいきなり流れが速くなっていた。川を泳いで渡ろうと不用意に川の中程に差し掛かるとあっという間に流されてしまい、毎年1人か2人は死人が出ていた。
私も一度流されたことがあったが、水浴場の下流で川が左にカーブする場所で河原に逃げようとした。ところがそこが水位は足首くらいしかないくせに、とにかく流れが激しくて立っていられないのである。足首から跳ね上がったしぶきが頭の上を越えていくし、足の下の石が水流に押されてゴロゴロ転がっていき、そのまま足が下流にズリズリと下がっていった。転がってしまえば一巻の終わりということは火を見るより明らかだったのだが、なんせ立っていることが難しく非常に怖かった。その瀬も、堤防から見るとそんな危険な場所だとは思えないのである。
まあ、徒渉点の選び方は一概には言えず経験で学ぶしかないのだが(なので初心者だけで沢登りを始めるのは危険)、この徒渉も岩稜や雪渓と同じく、入ってしまってから恐怖ですくむのが最も怖い。繰り返しになるが、そうなった時は既に遭難したのも同然の状態で、結果的に無事に切り抜けたか怪我をしたか最悪死んでしまったかは、もはや運でしかない。
ある程度登山経験が長ければ誰だって一度や二度はそういう経験を持っているのだが、その際に後で振り返って無事に切り抜けた自分の技量を誇るより、恐怖を感じる場所まで突っ込んでしまった自分の愚かさを恥じたい。でないと、そう何度も幸運は続かない、と思う。
ということで、結論を端的に述べると「岩稜や雪渓や徒渉は初心者の手に余る(かもしれない)」ということなんである。
この項目では「ここまでは大丈夫」という線引きを一応してはいるものの、実際山の現場での状況は千差万別で一般ルート上でもどこまでが自分の手に負えるか、という判断は自分でするしかないのである。あのトロそうなおばちゃんが行けているんだから自分にも大丈夫、という判断は通用しないかもしれないのである。
ただ、その判断は初心者に的確にできるはずがないのも事実。
一般ルートでもそういう箇所はわりと当たり前に出てくるので、本当は「自分は岩登りも冬山もするつもりはない」という人でも、少なくとも一度はきちんとした岩登りの講習や雪上訓練を受けておいた方が良い、と思う。