書評
−天体少年 さよならの軌道、さかさまの七夜−
渡来ななみ メディアワークス文庫 ISBN978-4-04-886997-3
まずはネタバレなしで
・・・ま、ネタバレしたからって面白さが半減する、という性質の話ではないのだが。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」があまりに良かったので一時的に読書熱に火が点き、時間逆行モノのSFを探していているときに見つけてしまった本である。時間旅行モノは履き集めて一山いくらで売るほどあっても、「ぼくきみ」ほどストレートな時間逆行モノってあまり見かけないんだよね。
この本、とあるブログで紹介されているのを見つけて、そのブログではけっこう高評価だったのだけど、あまり良い予感はしなかったのだ。だってダークマターや余剰次元、超弦理論といった現代天文学や物理学のタームがけっこう出てくるらしい。
・・・こんな理論をきちんと駆使して小説が書ける人がラノベ作家にいるのか・・・?
何が嫌な予感て、この小説の準主役級の"天体少年"の名前が、"タウ"という名前なことだ。タウか・・・
SFファン、特にハードSFのファンにとって、「タウ」というのは、特殊相対論で運動する物体の速度が高速になるほど時間が遅れる、いわばその"遅れ率"のことだ。タウが1であれば静止しているときの時間の早さ、0なら時間が止まっている、という数値である。
ま、タウなんて単に
t のギリシャ語読みで、他にt(タウ)が出てくる式なんていくらでもあるのだが、SFファンにとっては何と言ってもハードSFの金字塔と呼ばれている不朽の名作、「タウ・ゼロ」(ポール・アンダースン)がある以上、特に時間を扱うSFの中では反射的に「相対論効果による時間の遅れ率」のことだ、と思ってしまうのだ。
よりによって、時間が逆行している少年の名前にタウを使うか・・・?逆行時間はこの式では扱えないのに・・
というわけで、ちょっと無神経だな、と嫌な予感がしたわけである。作者、タウ・ゼロを読んでないのかもしれないけど。でも仮にもSFを書こうって人がタウ・ゼロを読んでないなんてことがあるのだろうか?という疑問はあるが。
ちなみに
「タウ・ゼロ」はものすごくかいつまんで書くと、32光年先の星系に調査・移住目的で出発した宇宙船が、途中で事故に遭い減速装置が壊れたため、永遠に加速し続けることしかできなくなってしまった、という設定の話である。加速し続けて速度が光速に限りなく近づくと、タウが限りなくゼロに近づくため、船内の時間で数週間の間に数十億光年の距離を飛んでしまったりするわけで(もちろん船外時間では数十億年が経過している)、最終的に彼らは膨張している宇宙が収縮に転じ、ビッグクランチから再びビッグバンを起こして「次の世代の宇宙」まで旅してしまうという、どこまで風呂敷を広げれば気が済むんだ!というお話である。
ちなみにタウは、tau=√1-(v/c)^2
(ルートは以後の式全体にかかります)という簡単な式で計算できる。vが宇宙船の速度、cが光速度である。
計算してみると、宇宙船が光速の99.9999%の速度で航行すると、tau=0.0014となり、船内時間で1日経つと船外では2年弱経過する、という計算になる。
もう4ケタ増やして、航行速度を99.99999999%まで上げると、tau=0.000014、船内時間1日で船外では193年経つ、という計算に。
・・・船内時間数週間で数十億年を飛ぶためには、まだまだ加速してタウの値を小さくしないと。
まあ、そんなわけで無理に読む気もなかったのだが、たまたまブックオフで見つけたので買ってみた。読んでみた。
感想だが・・・ん〜、まあ予想どおりか・・・
この小説(と言って良いのかどうか)、「説明」に割いている文章量が非常に多い。ハードSF並とまでは言わないが、普通のSFよりは遙かに説明が多い印象を受ける。まあいかにも説明調なのがよけいそう感じる原因かもしれないが。
その説明が、かなり残念なのがまた何というか・・・ハードSF、そうでなくてもSFとして読んだら、0点以外の点は付けられない。ミステリーでトリックが決定的に間違っている小説と同じである。
こんな説明ならしない方が良かったのに・・・
それに欲張りすぎではないか?
この話、主人公の少女が「天体となって未来から過去に時間が逆行している少年と恋をする」という話なのだが、「人間が天体になってしまう」部分と「時間を逆行している」という部分、それぞれがSFとして、最新の知見を勉強しまくった上で頭を絞りきって捻り出す大技ではないか。合わせ技なんてぐちゃぐちゃに破綻して当たり前だ。
長い間天体を航行している間に人としての心を失ってしまったタウの様子など、ところどころに読み応えがある部分はあるんだよね。時間逆行はオミットして天体少年の設定だけで書いても良かったんじゃないかな〜。まあその場合でも、「天体になった理由」はデタラメにもほどがあるので、もうちょっと勉強して書き直すか、あるいは説明自体をやめてしまうかした方が良いと思うけど。
それと、冒頭の20年後、つまり34歳になった主人公のミラの描写がまったく魅力的ではない。ここは取材する記者の目線から記述した方が書きやすかったのでは?その方が何となく浮世離れした女性、みたいな雰囲気を出せたと思うのだが、この一人称記述では、いちいちミラの内心が書かれてしまい、それがまた俗物というか僻みっぽいただのオールドミス(死語か)なのでがっかりだ。
この小説、第18回の電撃大賞で三次選考まで残った作品らしい。そうか、まあ最終選考まで残れなかったのはやむなし、という実感はする。
ところどころに魅力的な描写がないわけではないので、時間逆行やSF考証といった要素をごっそり削って、「天体少年」の要素だけで短編にしたら、けっこう読める話になりそうな気がするんだけどな。
さて、ここからネタバレ
まあ、ネタばれたからってどうという話ではないのだけど、より詳細なツッコミをここで。
SF設定の、タウが「天体になってしまった理由」と「時間を逆行している理由」に、ダークマターを持ち出しているのだが、このダークマターについて作者がどうも決定的な勘違いをしている節がある。
この人、ダークマターは「見えてはいけない物質」と思っているのではないか?
ダークマターとは、ひらたく言えば「見えているモノから算出した宇宙の質量」と「天体の運動から算出した宇宙の質量」に大きな違いがあることから、「どうも我々には"見えていない質量"が多量にあるらしい」という論理的帰結によって生じた概念で、暗くて天体望遠鏡では観測できない褐色矮星とか惑星といったものまでその候補にあげられているのだ。ニュートリノのような既知の素粒子、はたまたニュートラリーノのような未発見の素粒子まで、候補は非常に幅広いのだが、「原理的に観測できない」という概念はない。だいたい未発見のニュートラリーノだって、検出して質量を求めないと、果たしてダークマターの正体となり得るのかどうか検証できないではないか。
タウが、「僕という天体は、君達の知っている原子では構成されていない、高次元の物体だから。君達の次元の物質なら、素粒子レベルでコントロールできるんだ」と言う場面があり、それに対してミラは、タウこそがダークマターの一部ということになってしまう。なんて独白するのだが、いやいや違うって、とへなへなと崩れ落ちながら思うのであった。
でさ、時間が逆行している理由は、「僕の精神を核として、見えない粒子が引き寄せられてきたんだよ。・・・・たまたま、それらの粒子の性質が、時間を逆流するものだったんだ」とタウが説明している。別のところではその「高次元」を超弦理論と絡めているように伺えるところもあったりするわけだが・・・
まず一点目。「時間を逆行する素粒子」なるものがもし存在すれば、それは我々の世界の因果律を破ってしまうわけだから、おそらく人間に検出されるのでは。そう簡単に因果律を破られては困るが。
もうひとつ。もっと根本的なこと。
そうやって時間を逆行する物質があれば、それは決してダークマターではない。というかダークマターにはなれない。我々の因果律で理解できるが現在のところ正体が不明の物質、がダークマターなわけだから。
いや、そもそもさ。このタウという天体は150年周期で太陽を公転しているのである。つまり普通に我々が観測できる質量を持っているわけ。少なくとも質量としては観測可能なわけだ。
そういう物体が時間を逆行しながら太陽を公転しているという重大さについて、作者はかなり無頓着である。
この天体、いかほどの質量かは判らないが、少なくとも地上の我々の尺度では莫大な質量を持っているはず。天体としてはゴミみたいな質量だろうけど。
とすれば、天体タウは他の惑星、特に木星のような巨大質量の惑星から影響を受けて軌道を変え、同じような質量の小惑星や彗星のような天体とは相互作用して相手の軌道を変えたりもするわけである。
しかーし!
時間が逆行している天体が受ける影響や与える影響って、因果律が破綻しまくりじゃないか。
この時間が巡航している世界の中を平然と飛び回る時間が逆行した物体なんてものを、そう簡単に出してもらっては困る。SF的には。
というわけで、SF的には0点しかないです。この小説。SFとして評価されるのが嫌なら、SF設定なんぞするべきではない、ということ。
お話としては、もう10万年近くも"生きて"いて、しかも天体になってしまい、ミラの前に現れるのは単なる投影なのだがそれも異形(頭と手足しか見えず、胴体は透けている)の少年に、たった7晩で恋なんてできるのか?という違和感は拭えず。しかも時間が逆行しているので、毎夜会う度に、お互いに対する認識や気持ちがズレているのだ。最後の2夜なんて、タウは長年の天体航行のために人としての心をほぼ失っている状態だし。
だからこれ、普通に時間逆行なんて設定をせずに、人としての心を失ったタウがミラと7夜を過ごす内に人の心を取り戻してミラと恋をする、って話じゃなぜダメだったの?これでも公転周期150年だから、別れるときには「もう二度と会えない」ことには変わりないんだが・・・
この人としての心を失ったタウの描写はなかなか迫ってくるものがあっただけに、何かわざわざ散漫にしてしまったような印象を受けてしまう。
それと。
ミラとタウは、この恋の想いをタウがビッグバンまで持って行くよ、なんて約束をする。
・・・いやはや、たかが14歳のガキの恋で137億年も相手を縛ろうなんて空前にして絶後の強気だが、約束するタウもタウだと思う。しずれにしろ、壮大すぎて実感が湧かない。
でも敢えてスケーリングしてみる。
タウが住んでいたのは10万年後の地球、と仮定してみる。この10万年後、というのは特に根拠はないが、北斗七星の形が変わっている、という描写があるので、自分的にこれ以上の未来だとそもそも北斗七星だと判らん、という上限の未来である。(恒星の固有運動による星座の形の変化予測は、いろいろな天文関連本で書かれている)
タウが10万年後に天体になって過去に向かって公転してきた、とすると、現代までにだいたい660回くらい地球に接近した、ということだな。
ビッグバンは遠すぎるので、太陽系ができたのが50億年前とすると、現在から太陽系形成までに公転する回数を計算すると、3千300万回以上。
タウが天体になってから今まで過ごした時間の、ざっと5万倍の時間を太陽系形成までに過ごさなければならない。ビッグバンまでなら、さらにその3倍弱。
やめとけ。発狂するぞ?
タウは最初、たった10万年宇宙を漂流しただけで、人の心を失ってしまっていた。いや、たった10万年なんて言っちゃいけないよな。
俺ならたった数時間、宇宙を漂流しただけで発狂する、と思う。映画「ゼロ・グラビティ」を見てそう思った。
10万年も漂流していたのに、ミラと出会ってたった3日かそこらのうちに「恋をする」なんて、なんて強靱な精神の持ち主だ。
でもでも、50億年は絶対無理。
俺なら三次元空間の物質なら素粒子レベルで自由にコントロールできる、という能力を使って太陽に突入するように自分の軌道を変える。
ミラもなんて約束をさせるんだ。
一応、そのことに思い悩み、初日(ミラにとっては最終日)にタウと会わない、という選択をミラはするのだが、最終日(ミラにとっては初日)にタウが、「ミラに会えて良かった」と言った言葉を思い出し、やはり会うことにしたわけだ。
でもそんなの、初めての恋に浮かれた坊主(10万歳だけど)の戯言だから。別れて100年後くらいには死ぬほど後悔していると思うぞ。発狂したまま飛んでいる方がなんぼかマシだと思う。どのみち、発狂するしかないんだから。
・・・あー。発狂を遅らせる方法を1つ思いついた。
これから150年に一度、地球に接近する度に同じ手で女の子をナンパすればいいんだ。
成功率は恐ろしく低そうだけど、少なくとも150年後を楽しみにしていれば発狂せずに済むかも。
まず10万年くらいは同じ人類としてコミュニケーションが成立する、と仮定すれば、これから660回あまりのチャンスがあるわけで、何回かは上手くいくのではないか?技術的にも向上するだろうし。
まあ、こうしてみると、「ぼくきみ」がどれだけ慎重に設定された世界で上手く話を回していたか、よく判るな。これがプロとアマの違いか。
この渡来ななみという作家、元々アマチュアでこの小説も三次選考まで残ったが受賞には至らなかったものを出版にこぎ着けたらしい。
小説家になろう、という気があるのかどうかは判らないが、その後も書いてはいるらしく、最近も 「葵くんとシュレーディンガーの彼女たち」という小説を出しているようだ。ほほぅ、シュレーディンガーをネタにしてきたか。
この人、「天体少年」を読む限りは、天文学や物理学に興味はあるけれど、一般向きの、しかもかなり易しめに書かれた本を何冊か読み飛ばしているだけ、という感じなので、シュレーディンガーももしかしたらクラクラッとするような扱い方をしているかも・・・?
・・・読んでみようかな・・・
この路線で、「シュバルツシルトの彼方へ」とか「恋のハイゼンベルグ」なんてシリーズ化しないかな・・・ファンになったりして。
・・彼方に行っちゃまずいか。
東野圭吾が先に「ラプラスの魔女」を出してしまったのが悔やまれる。ネタが1つ減ってしまったじゃないか。