平成16年7月31〜8月2日 奥大日岳
7/31 | 8:00 | 立山駅からの室堂直行バスに乗車 |
9:10 | 室堂到着 | |
10:30 | 雷鳥沢キャンプ場 着 | |
8/1 | 6:50 | 雷鳥沢キャンプ場 出発 |
7:30-45 | 新室堂乗越 | |
8:50-9:00 | 2511ピーク | |
10:00-11:00 | 奥大日岳 | |
10:55-11:05 | 2511ピーク | |
13:45 | 雷鳥沢キャンプ場 到着 | |
8/2 | 13:15 | 雷鳥沢キャンプ場 出発 |
15:20 | 天狗平 到着 | |
2.5万図 「立山」「剱岳」 |
去年から夏休みの我が家の恒例行事となった「雷鳥沢ベースキャンプでの登山」である。
去年、立山を雄山から大走りのコースで歩いているので、今年は真砂岳から剱御前を歩いて三山縦走を完成させようかとか、春のうちからいろいろ考えてはいたのだが、早い話が前日まで特にコースは決めていなかった。よって去年は7ページもの大作だった計画書も、今年は装備と食糧のみの走り書き程度の代物になってしまった。2年目ともなるとこんなものである。
結局コースは、雷鳥沢からだと楽な日帰り圏内の奥大日岳にしようということになったが、長男の大はこの前日まで「9歳の挑戦」という3泊4日、それも体育館に泊まったりテント泊だったりというハードな学校行事があり、ザックや装備の一部を持って行ってしまったので、パッキングも前日にならなければ手を着けることができなかった。
(そもそもその直後に登山なんてハードさは如何なものかという意見もあったのだが、「初日はテント場まで入るだけだから大丈夫」というカミさんの一言で却下された)
で、前日に夜の2時までかかってパッキングしたわけだが、荷物は去年より確実に増えているのである。
今回はタープを持って上がることにしていたし、カメラだって今年は一眼レフに交換レンズと去年より確実に重量増である。
去年は私の60Lザックとカミさんに40Lザック、子供達は子供用ザックという構成でなんとかなったのだが、今年はそれではとてもとても無理なので、大に40Lザックを担いでもらうことにした。テン場入りするまでの短い行程だし。
というわけで、私が60Lザック、カミさんはオスプレーの45L、大がミレーの40Lという構成でテン場入りすることになった。それでも食糧をトートバッグに入れて手にぶら下げて歩くことに・・・
朝8時発の立山駅〜室堂直行バスに乗って室堂入りした。
このバスはなんせ車に弱い人には地獄のアルペンルートである。私は車酔いには強い上に、いつも目を皿のようにして景色を見ているのであまり酔った記憶はないのだが、カミさんと長男はここはドーピングなしでは乗り切れない。次男は比較的平気なので酔い止めは服用させなかったのだが、それでも天狗平から上の最後の5分がかなり堪えた様子だった。
室堂で立山自然保護センターに寄ってみた。ここの所長さんが同じ町内の知り合いなので顔でも見ておくかと思ったのだが、あいにく巡回中でセンターには不在だった。それにしても羨ましい仕事だぞ。
そこでかなり時間を潰したので、雷鳥沢キャンプ場に到着したのは10時半を回っていた。さっそく2夜の宿となるテントの設営である。
雷鳥沢キャンプ場でのテントサイト |
今年はタープを持ち込んでみた。
晴天だと日中の直射日光が強烈で、テントの中が灼熱地獄になることの対策である。
雷鳥沢キャンプ場では、一の越寄りに良さ気なサイトがあって、いつもそこに張ってみたいと思うのだが、今回もあいにく既に埋まっていた。
テン場の管理棟の横が草原になっていて、その草原の中に離れ小島のように何張り分かのスペースがあるのだが、いつもそこは埋まっている。
なので結局去年と同じ、最も地獄谷寄りのはずれにテントを設営した。
浄土川の河原で遊ぶ大 水が冷たい! |
同じく浄土川の河原で 背景は一の越〜浄土山 |
テント設営後、昼食の後は時間もたっぷりあるので散歩に出かけた。
大走り方面に道を外れて雪渓の方に行ったり、一の越に向かう道をウロウロしたりした。
浄土川の河原で靴を脱いで素足になって川遊びをしていたのだが、水はかなり冷たく、息子どもは悲鳴をあげながらはしゃぎ回っていた。
さて、夕食であるがカミさんが「今年はまともなものを食べたい」と言い出したため、夕食メニューはカミさんが考案することになった。
では去年はまともではなかったといいたいのか??まともでなかったとすれば、それは誰かさんが凍らした肉を家に忘れてきたからサラミカレーというちょっとヘンテコなものになったのではなかったか?
それはともかく、まあカミさんがメニューも考えてやると言うのでお任せしたわけである。
そのカミさんはあれこれ悩んだ挙げ句、「ハンバーグを家で作っておいてそれを凍らせて持ち込み、現地で焼く」という反則技に近いメニューを考えた。山で使うクッカーで果たして上手く焼けるか?という疑問は感じたのだが、さてどうなったでしょう?
新メニュー 「ハンバーグチャグチャ」 |
やはり上手く焼けなかった。
というより、凍らせたハンバーグは現地では溶けてぐちゃぐちゃになっていたので、そのままコッフェルにぶち込んで「焼く」と言うよりは「煮る」ように火を通すしかなかったのであった。
できあがった代物を見て長男がつけたこの料理の名前を「ハンバーグチャグチャ」と言う。
ただし、見た目とは裏腹に味はけっこうイケた。ま、ケチャップ味のミートソースのようなものか・・・
下山してから息子達が「ハンバーグチャグチャ、作ってよ」とカミさんに頼んでいるが・・・下界で食ったらきっと不味いと思う・・・
翌8月1日も好天だった。
朝は妙にのんびりしていたので、雷鳥沢のテント場を出発したのは午前7時近かった。今日のコースは結局、雷鳥沢キャンプ場から奥大日岳往復という標準コースタイムで5時間ほどのルートである。去年の雄山〜大走りのコースもだいたいコースタイムで5時間ほどなのだが、実際は11時間ほどかかっている。今年はどのくらいかかるだろうか。
1年経って生の体力もついているので、今年はコースタイムとあまり変わらないタイムで行けるのではないかは思っていた。また、このHPを通じて知り合いになった家族が、この1週間前に去年の我が家と同じコースを歩いているのだが、生と同じ歳の下の男の子が雄山〜大走りを歩いて雷鳥沢キャンプ場に昼すぎには帰ってしまったという話も聞いて、5歳と6歳の体力差は大きいのかも、とも思っていた。
雷鳥沢キャンプ場から奥大日岳方面へは、草原の中の木道をポクポク歩く、と〜っても雰囲気の良い道である。花もたくさん咲いているのだが・・・花音痴の私にはほとんど名前が判らない。
新室堂乗越付近にて |
新室堂乗越までおよそ30分のコースタイムなのであるが、ほとんどコースタイムどおりの時間で歩くことができた。これは今日はイケるかも。
生はやはりぶちぶち文句は言うものの、しっかりしたペースで歩けている。泣きも入らないし。
新室堂乗越に着き、稜線に出ると剱岳が目の前にそびえ立つのが見えてくる。
新室堂乗越付近からの剱岳 |
間近で見る剱岳はさすがにでっかい。
奥大日岳あたりまで行くと剱岳は見事な三角錐の姿になるが(しかも巨大)、私は東面からのゴツゴツした姿の方が好きである。このあたりからも頂上部がちょっと丸っこくて「ゴツッ」とした感じが好きなんである。
この稜線の登山道は、ほんとに「稜線漫歩」という言葉がぴったり来る快適で気持ちがいいルートである。しかも登りがきついピークは巻いてしまうと言う軟弱なルートになっていたりする。
2511ピークにて 左の方のチョコンとしたピークが奥大日岳 |
2511mのピークまで登って、ようやく奥大日岳が姿を見せた。水平な稜線の上にチョコンと乗っている、妙に貧相なピークである。
その手前の右端のピークは雷鳥沢キャンプ場から見えている2611mのピーク。何気に奥大日岳(2601m)より高い。
が、登山道は例によって中腹を巻いてしまうのであった。
ここまで来ると日差しも強く、さすがに生のブチブチ文句垂れ攻撃も強力になってきたので、一息入れる。
2511mピークから少し下って鞍部に降り、2611mピークの中腹を巻くように登りながら稜線に出ると、奥大日岳はすぐそこだった。
この鞍部付近と登りでは、生の足だとちょっと気をつけないと、という箇所が数カ所あった。大人の足ならたいした問題はなく、傾斜が強くなってちょっと気合いは入るものの、相変わらずの稜線漫歩である。
奥大日岳頂上にて 剱岳をバックに |
奥大日岳は狭い頂上で、平坦で貧相な山容とは裏腹に展望はすこぶる良かった。
ここまで約3時間。ほぼコースタイムどおりである。おおお、やるじゃないか>生
ここから見る剱は、見事に巨大な三角錐でこれはこれで綺麗で迫力があって良いのだが、私はやっぱり剱御前や剱沢から見るゴツゴツした剱が好きである。
それにしても・・・でかい山だなぁ。
上の写真には白馬岳も見えているのである。大日から白馬が見えるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。
せっかく一眼レフと望遠レンズを持っているのだからと、何枚か写真を撮ってみた。
奥大日岳頂上から見た剱岳頂上部 300mm(EOS Kiss Digitalだと480mm相当)で無造作に撮るとこんな感じ。 |
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上の写真をトリミングしたもの。 サイズ変更はせずに単純に480*360ピクセルのサイズで切り出したものが右である。 頂上の祠や人まできっちり写っているんである。 ファインダーでは判らなかったが、PCに転送した写真を見てちょっと驚いた。 |
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同じく奥大日岳頂上からの白馬岳。 白馬頂上山荘もきっちり写っている。 こんな遠さからこんなでかさで写るとは・・・とこの山小屋の巨大さに改めて脱帽した。 |
奥大日岳の頂上では、たっぷり大休止した。
今回は特に「昼食」メニューは設定せず行動食で済ませたのだが、持ってきた食糧の大半はここで食べてしまった。
また、大の夏休みの宿題である自由研究の実験もしなければならなかったし。
その自由研究であるが、「エベレストの頂上では水は何度で沸騰するか?」というテーマにしたのだ。
その高度8848mでの水の沸騰温度を推定するために、いろいろな高度でお湯を沸かすとき、その温度を測って最終的にはグラフを作って、ということをやらせているのである。
「答え」は私も知らないので、実は私もその結果がどう出るか、興味津々だったりする。
このためにコードプローブのデジタル温度計を買ってやった。高度は地図から読み、念のために気圧も記録しているのだが、それは私の腕時計で測定できるのでそのデータを記録させている。
帰ってきた今日からぼちぼちレポートを書かせているのだが、ちゃんと「背景・動機」から始まって「方法」、「結果」、「考察」と続く、論文形式のレポートである。が、雷鳥沢と奥大日岳頂上でしかデータを取っていないので、せめて標高1000m付近のデータが追加で欲しい。
という具合に頂上でずいぶん長い時間遊んでいた。
さあそろそろ下山しようかということになったのだが、隣のピークが奥大日岳より高いのが気になる。鞍部から「×」印はあるものの明瞭な踏み跡がピークに続いているので、ついでにと鞍部に荷物を置いて登り返してみた。
2611mピークにて 右が奥大日岳 左奥が大日岳 |
登り返した2611mピークは、名前が付いていないのが不思議なほど気持ちいいピークだった。
立山や雷鳥沢方面から見てもこちらの方が遙かに格好いいのに、名前が付いていないのが不思議である。
単に三角点があるのが奥大日岳ということなのだろうが・・・
大はなにやら訳の分からない歌を歌い、生は足元の石ころに気を取られている。それぞれ楽しく遊んでいる様子。
登りは文句たらたらだった生も、下りは快調に歩いていた。
兄貴と二人で何かのコマーシャルの歌をリプレイボタンを押しっぱなしにしたCDプレーヤーのように繰り返し歌っている。
が、生はどうやら靴が小さくなってきたらしく(去年買ったばかりだというのに!)、右足の小指が当たると言うのだ。下りはよけい痛いらしく、2511mピークまで降りてきたところでついに泣きが入った。今回は泣きなしで行けるかと期待していたのに・・・でも靴が合わないと辛いのは大人も同じなので、今回は許す。
急な下りと登り以外では生も快調だった。
大と2人で「とっとこハム太郎」の替え歌を歌い、大は大で「♪山は高いな大きいな〜」という替え歌を考案して上機嫌で歌いながら歩いていた。この続き、「人は登るし
ときどき落ちる〜♪」と続くのである。この後半部分はカミさんの作詞である。
生の靴擦れにテーピングをしたり2611mピークに登ったり、お花畑に見とれたりしてのんびり歩いてきたのにも拘わらず、3時間弱という快調なペースでテント場に帰還することができた。やはりこの1年の生の成長には目を見張るものがあったのだった。
テント場に帰還すると、お約束の「温泉&生ビール」である。雷鳥沢ヒュッテに駆け込み、風呂に入ると時間帯がまだ早いせいかほとんど貸し切り状態だった。あまりにも幸せなので生ビールを2杯飲んでしまった。大と生はぜんざいが欲しいという。このクソ暑いのに〜?と思ったのだが、出てきたものはとても美味く、塩昆布までついている本格派だった。ちょっと横からつまませてもらったが、美味かった。だが、ビールには決定的に合わなかった。
今年は去年とは違い、テン場帰還が早かったので夕食の準備もゆったりできた。温泉&生ビールから帰ってきてから昼寝をする時間まであったのだ。
夕食のメニューは「リスクは避けたい」というカミさんの希望で、レトルトカレーである。
つまり、「今年はまともなものを食べたい」とまで言ってカミさんが考えた結果が、ハンバーグチャグチャとレトルトカレーだった、ということなのである。
ま、確かにレトルトカレーは美味かった。そりゃ不味く作るのは不可能である。おまけに4種類のカレーを買ってきたので、いろいろ食べ比べるのは楽しかった。エチオピアのチキンカレーがヒットだった。
雷鳥沢の夕焼け |
夕食も終わり、テントのそばのテーブルでコーヒーを飲んでいた。カミさんと生がトイレに行き、寒くなってきたのでそろそろテントの中に入ろうかと思っていたとき、突然山が真っ赤になった。
もう7時前で、今日も夕焼けはなかったなぁと思っていたときだったので驚いてテントにカメラを取りに走り、撮影モードも何も考えず、とりあえず撮ったのが右の写真である。ほんの2〜3分で終わってしまったので、カメラを三脚に固定してじっくり撮るヒマがなかった。
夕焼けヲタクのカミさんはトイレに行って見逃してしまったか、と思っていたら、テン場のはずれから素っ頓狂な声が聞こえてきたので、「ああ、間に合ったんだ」と判った。どこにいてもよく聞こえる声である。
数回、この色で立山も浄土山も剱御前も大日も、見えるもの全てが真っ赤になるほどの夕焼けを見たことがある。やはり滅多に見れないんだろうな。
テントの中で |
今回はランタンも持ち込んだので、テントの中も明るく快適だった。1人で行くときは荷物を少しでも軽くしたいのでランタンは持たない。去年も持っていかなかった。
テントの中も暖かくなるし、洗濯物も干しておけばすぐ乾くので、普段あまり使わないランタンも捨てたものではないなと再認識したのであった。
翌8月2日は撤収するだけの最終日である。
ところがどうだ、この好天は。
テントの中から朝の浄土山 |
この3日間で初めての「雲一つない快晴」で、頂上に朝日が当たった浄土山がとても綺麗だった。これまでの2日間、晴れてはいたのだがこういう快晴は初めてだった。
この日は撤収するだけ、それも夕方までに下山すればいいだけの半ば「晴れの日停滞」も兼ねている日である。
寝たいだけ寝て適当に朝食を作り、テント場にも太陽が当たって暖かくなってきてからゆっくりと撤収を開始した。
今回はタープを張っているのである。これは好天の日にテント場でウダウダしていると直射日光で灼熱地獄になることの対策である。
タープだけ残して撤収 |
つまり、この右写真のようにタープだけ残してテントを撤収したわけである。
この態勢で昼過ぎまで昼寝したりしてウダウダ過ごしたわけである。
このタープの外は灼熱地獄、中は極楽である。
高山帯は日射しは強烈なので、直射日光に曝されているとジリジリと直火で炙られているように暑いのだが、日陰は長袖を羽織りたくなるほど肌寒かったりする。
このタープ作戦は大成功であった。撤収して帰るのが嫌になるほどの快適さであった。
カミさんはこの後、本格的に昼寝を始めてしまう。昼寝って起きたばかりなのに・・・
真っ青な空に暑苦しいオヤヂ |
右の写真はカミさん撮影。
カミさんの指示によってポーズまでとらされた。目線の向きまで注文をつけられたのだが、モデルがこの程度なのでこんな程度である。
タープの下から立山を寝っ転がって見る |
タープの下に寝転がりながら立山を見る。涼しくて極楽のようである。一歩外に出るとそこは灼熱地獄である。
息子共はこの灼熱地獄の中、「宝探し」と言って去年も熱中した残置ペグ探しに奔走していた。今年は2人合わせて20本近くもの残置ペグを抜いてきたのである。テント場のクリーン化に協力したことになるのだろうか・・・?でも、ブツの山分け方式を巡って大ゲンカを始めるのには閉口したが・・・
昼食は去年もそうだったがソバであった。
去年は誰かさんが食材を家に忘れてきたので、やむなくいくつかの食材を室堂で現地調達してその結果、ソバになったのだ。ソバくらいしか買えなかったからなのだが、そうなると水が豊富なところでしか作れず、面倒なので最終日の昼食に回し、さらにテント場で、ということになったのだが、このソバが意外に美味かったので今年は最初から計画してこのメニューになった次第である。
極楽のタープから出て灼熱地獄の水場まで行くのが辛かったが、できあがったソバはタープの下で食べたのでやはり天国だった。
昼食を食べたら断腸の思いでタープを撤収し、名残惜しいけど下山開始である。タープも撤収してサイトに何もなくなると、いよいよ終わりかと淋しくなってしまう。
撤収して最後の記念撮影 |
もう昼を過ぎたというのに、相変わらずの快晴である。たまに小さな切れ端のような雲が飛んでいくだけである。
私の腰に巻かれているものは、カメラ固定用のベルトで、好日山荘の店員さんに頂いたものである。ちょっと装着がやりにくいが具合はすこぶる良かった。カメラをぶら下げたまま歩いても揺れないのである。
ただ、この写真を見て判る通り、非常に格好悪い。
雷鳥沢ヒュッテへの道で |
天狗平への道で |
帰りは室堂の人混みが嫌なので、今回も天狗平まで歩く。
大は荷物が大きいので頑張っている。フリースなどの「軽くて嵩張るもの」ばかり入れているので、重さは見た目ほどたいしたことはないのだが(入山時にはかなりマジで重いものを入れていた)、背面長が背の低い大には合わないのでけっこう辛いようである。もう少し身長が伸びれば、大人用の一番背面長の短いザックが合うのだが・・・
天狗平が近くなる頃、ようやく山にもガスが出だして日が陰ることが多くなってきた。それまではモロに直射日光を受けて歩いていたので、1日行動した前日より日焼けが酷くなってしまった。
天狗平から奥大日岳 |
天狗平から午後4時25分のバスに乗り、車窓から見える奥大日岳に別れを告げながら降りてきたのであった。(それにしても見栄えのしない山である)
降りてきたらば、下界は富山で37℃を越えるという猛暑だった。この肌にまとわりつくような熱気は、同じ「灼熱地獄」と言っても山のそれとはまったく違う。山の場合、日陰に入ったりガスで日が陰ればたちまち肌寒いくらいになるのに、下界はどこにいても逃げられないものなぁ。
今回は、生が標準コースタイムと変わらないペースで1日歩けたのは収穫だった。
これでコース設定や行動の自由度がうんと広がった。
来年は泊数を増やしてもう少し足を伸ばしてみようか、とか今からいろいろ考えたりするのであった。
その前に今年、もう1回くらいは来たいな。