平成16年7月24〜25日 薬師沢

7/24 6:45 折立 発
7:25 アラレちゃん通過
8:00-8:10 雪量計ベンチ
9:30-10:30 太郎平小屋
12:15 薬師沢小屋 着
7/25 11:15 薬師沢小屋 発
  13:15-13:45 太郎平小屋
  16:55 折立 着
    2.5万図 「薬師岳」

 今回は、いつもヒマなときの小屋で居候生活を決め込んでいるので、たまには忙しいときの山小屋を手伝いに行こう、と思って薬師沢小屋に行っただけなので、特にここに書くこともないか、と思っていたのだが、けっこういろいろあったのでやっぱり書いてみることにした。

 薬師沢小屋で働いていたときは夕食数178という修羅場を経験してはいるものの、その後はシーズンを思い切り外したヒマなときにフラリと訪れて大きな顔して居候生活を楽しんでいたので、ここらでひとつ恩返し(あるいはこれからも大きな顔をするための免罪符)をしておこう、と思い立ったわけである。
 梅雨明け後、7月末の土曜日といえば、まあ薬師沢の小屋で100人は越えるはずのシーズン前半の山場である。ま、規模が1000人単位の白馬あたりの山小屋だと屁みたいな数字であるが、スタッフの総勢がせいぜい4〜5人の小さな山小屋では、宿泊者(というか夕食数)が100を越えるとちょっとした修羅場である。ちなみに私が現役時代に経験した178という数字は、未だに破られてはいないそうなのだが、あれはマジに修羅場そのものであった。
 ま、もう15年以上前のバイトがフラリと行ったところで役に立つのかとも思ったのだが、去年2回ほど薬師沢に行って手伝った感じでは、細かい仕事のやり方はけっこう変わっているものの、モノの配置などがほとんど変わっておらず、まあ根本的にやることは当時と同じなので、まあそこそこ戦力にはなるだろう、という計算であった。

 折立からは毎度のタイムアタックである。まあ別に毎回それほど真剣に「タイム短縮」を目指しているわけではないのだが、この折立〜太郎間をどのくらいの時間で歩けるかが、今の自分の体力を測る物差しになっているので、とりあえず今回は2時間半を切ることを目標に歩き出した。
 アラレちゃんの時点で去年2時間20分で歩いた時と同じ40分。けっこう良いペースである。

事件その1

 ず〜っと長い間、もしかすると私が高校生だった頃からあったアラレちゃんの看板が撤去されていた。そこには数年前からドラえもんの看板も併設されている。が、この場所の固有名詞として「アラレちゃん」が定着してしまっているので(太郎小屋関係者の間でだけだが)、ドラえもんではいかんのである。
 去年も確かあったと思うのだが、そういう事情(?)に配慮したのか、新しいアラレちゃんの看板も設置されていた。
 が、このアラレちゃん、壊滅的に絵が下手くそである。あまりに無惨なので1枚写真を撮っておこうとカメラを出して気がついた。
 バッテリーを忘れてきた。
 昨夜、充電しておこうとバッテリーを充電器にセットしてそのままであった・・・この瞬間、カメラと望遠レンズの合計1kgがただの捨てられないゴミと化した。

 前置きが長くなったが、そんなわけで今回は写真なしである。

 バッテリー忘れに気づいた精神的ショックのせいかアラレちゃんまで好タイムで来たのにも拘わらず、以後のペースが上がらず太郎小屋までの所要時間は2時間45分という平凡な結果に終わった。(単なる言い訳。身体がなまってるだけ)

 太郎小屋に着いてマスターに「薬師沢小屋に行く」と言うとなぜか大喜びの様子で「手伝ってやってくれ」と言われた。あとで薬師沢小屋で聞いたのだが、さっそく無線で「今日は池上が応援に行く」という連絡が入ったらしい。小屋にイワナの会の村中さんが遭対協の常駐でいたので雑談していたら、どうも今年はバイトが少ないらしく、薬師沢などの各小屋に十分な戦力を回すのが苦しいのだとか。
 去年薬師沢にいた景子ちゃんは、今年は太郎にいた。どうやらバイトが少ないので仕事に馴れている彼女は太郎に止められたみたいである。
 つまり薬師沢は坂本夫婦と去年もいた山本氏、それに昨日から入ったバイトの4人でやっているらしい。

 こりゃあ辛いだろう。この状況で行くとありがたがられる(=強力な免罪符)なぁと、まあ別にそれほどの計算をしていたわけでもないのだが、ちょっとウキウキしながら薬師沢に出発した。ま、別に免罪符がなくても大きな顔してることには変わりないのだが。それでも今回は最初からきっちり手伝う気で行っているので、どうせ同じことなら喜んでもらった方が私も嬉しい。

 それにしても・・・・静かだぞ。太郎〜薬師沢の道で誰にも会わない。ちょっと時間が中途半端だと言うこともあるだろうが、私が経験した本当のピーク時は、太郎〜雲の平の道に1日中人がびっしり繋がっているのかと思うくらいの人だったのに。
 「ほんとに今日、混むのか?」という一抹の不安が。

 薬師沢の小屋では歓待された。上にも書いたが、先に無線で連絡が行っていたらしい。
 聞けば昨夜は80人ほどの夕食数だったらしいが、ただでさえ少ない4人というメンバー数で、しかもそのうち1人は薬師沢入り初日という状態で、非常に辛かったそうな。これで今日、100人来たらどうなるんだろう?と暗澹たる気持ちだったところに私が来たわけである。
 気持ちは非常によく判る。私も現役時代、「今日は辛いぞ〜」と暗い気分でいるところに、昔のバイトが居候でフラリと現れると、初対面だろうがなんだろうが地獄に仏のように感じたものだった。
 今日は私がである。なんせ今回はマイエプロンまで持ち込んだのである。最初っからやる気満々なのだ。

 今までの居候ではお客が少なかったので、手伝うといっても皿洗いがほとんどだった。今回のように夕食準備から手伝うのはほんとに久しぶりである。とはいうものの、さすがに今日は仕込みは午前中にほぼ終えていたらしく、3時半くらいまでは私はヒマだった。
 それにしても・・・ぜんぜんお客さん、来ないんですけど。
 ま、この小屋は登山口からは少し奥地にあるので、昔からお客さんが来るのが遅い小屋なのである。3時過ぎてからが本番だったし、今もそうらしい。でも、それにしたって3時前の時点で1桁というのはどういうこと??

 結局、夕食数は60ほどで、かなり拍子抜けだったのであった。

 とはいうものの、久々に食堂2回戦を経験した。薬師沢の食堂は、定員が40人なのでそれ以上の夕食数の時は2回戦、あるいは3回戦になるのである。よくよく考えてみると、居候での2回戦は初めてかもしれない。
 昔は1テーブルをどんなに混んでいても頑なに「自炊テーブル」に開放していたので、食堂の定員は32人だった。従って64人以上だと3回戦である。また、皿の数が60枚しかなく、60人以上の時は1回戦目が済んで下げてきた皿を洗わなければ全員に食事が出せなかったのである。
 今は当時とは違う皿を使っているのだが、皿の数はやっぱり60枚だった。まあ食器棚に入る数も知れているので、あまり数が多くても仕方ないのだが・・・

 この薬師沢小屋の最大の弱点は、帳場と厨房が完全に分断されているという点である。なので帳場にいる人間は厨房の仕事に参加できない。大きな小屋だと当たり前だが、小さな小屋でこれは辛い。スタッフ4人だと、帳場に1人縛りつけになるので厨房は3人である。そのうち1人が初日と言うことであれば、確かに辛い。
 ま、この日は前日より少ない夕食数だった上にスタッフが1名増えている(私)ので、楽勝だったそうである。来た甲斐があったというものである。

ニュース

 去年の8月に酔っぱらって小屋の窓から落としてしまったヘッドランプだが、それが出てきた。去年の小屋締めの際、小屋の土台の石垣の中に入り込んでいるのを山ちゃん(山本氏)が見つけてくれたそうだ。電池を入れてみるとバッチリ生きていた。嬉しい。

 消灯後、小屋番の坂本さんが「一杯やりますか」と誘ってくれたので、まあシーズン中だし小屋のスタッフには明日の仕事もあるので軽くね、と喜んで宴会に突入したのであった。小屋の外のテラスで坂本さん、山ちゃんと3人で飲んでいたのだが、軽く、と言った割には気がついたら11時半を回っていた。いやぁ、楽しい飲み会でした。
 夕方から遠くで雷が鳴り響き少し雨も降ったのだが、飲んでいる最中も雲の平の向こうあたりでしつこくが鳴っていた。こりゃあ明日は帰るとき気をつけないと、とふと思ったのだが、酔っぱらった頭の思考力ではここまでが限界だった。翌朝には綺麗さっぱり忘れていたのである。
 寝るとき、従業員部屋の二段ベッドの上に登るハシゴがW級くらいに感じた・・・

 翌朝は、何もかも終わって従業員の朝食の準備ができる朝6時半まで爆睡させていただいたが、山ちゃんは4時起きだったらしい。彼は「平気ですよ」とケロッとしていたし確かに見た目もぜんぜん平気そうだった。若さのなせるワザか・・・まあ私も現役時代は午前様は当たり前で、その翌朝でも平気で4時起きしていたのだが・・・

 一応、今回はただ薬師沢を往復するのも芸がないし、薬師沢の右俣あたりから薬師岳に登ってみようか・・・などとも考えてはいたのだが、とりあえず部屋掃除を手伝って朝のティータイムが終わると午前10時。そういう行動をするには遅すぎる時間である。ま、最初から判っていたことなのであっさり放棄である。
 昔は2ヶ月以上、薬師沢の小屋で生活している中で、ヒマを見つけてあちこちガツガツと歩き回ったものだが、今となってみれば毎日の山での生活そのものが最大の幸せだったと思う。今回は目一杯引っ張っても24時間しか味わえない「山で生活する幸せ」を削ってまでもどこか登ろうという気にならないのは当たり前なのかもしれない。

 山小屋での生活でどの時間帯がもっとも幸せかというと、お客さんがみんな出発してしまって朝の仕事も片づいた午前中なのである。この時間を目一杯味わいたいのはやまやまなのだが、出発が午後になってしまうと行動が慌ただしいので午前中のうちに出発することにした。(といっても11時を回っていたが・・・)

 相変わらず静かである。第一徒渉点までは誰にも会わなかった。ほんとに今は最盛期か??

 第一徒渉点でいきなり「ホームページ書いてる人ですよね?」と話しかけられた。
 「あ、判りましたか」と言うと「一目で判りました」と言われた。むむぅ、悪いことできなくなっちゃったなぁ。まあ、自分の顔と本名を堂々と書いていて悪いことできないもなにもないもんだが・・・
 それでも声をかけてもらえるのは嬉しいし、「参考になりました」と言われるともっと嬉しいので、上機嫌で太郎小屋に登った。

恐怖の雷

 太郎小屋を出発したときは、周囲は既にガスに覆われていた。
 折立まで2時間もあれば下山できるので調子よく下っていたのだが、五光岩ベンチを過ぎたあたりから、ガスの中から雷鳴が響き始めてきた。
 最初は薬師岳方面で稲妻と雷鳴があり、距離もかなり遠かったのでそれほど気にはしていなかったのだが、五光岩からの急降下を降りている最中で有峰湖方面から雷鳴が響いてきた。それもかなり近い。嫌なのは自分の進行方面に雷があるらしいことで、一旦道が樹林帯に入ったところでかなりヤバいと判断して行動を停止した。
 セオリーどおり、高い立木の根本から2mほどの距離に座って雷が通り過ぎるのを待っていたら、上から5人ほどのパーティーが降りてきて私のすぐ近くでやはり待機体勢に入った。

 しばらく待っていて、どうやら行けそうと判断して歩き始めるとほぼ同時に、その5人パーティーも行動を開始し、以後何となく彼らと行動を共にすることになった。
 ま、雷ばかりは理屈抜きに恐ろしいので心細く、誰か他人が近くにいた方が気が楽ということもあったし、私の方は「もし最悪、雷が落ちても複数でいれば俺に落ちるとは限らないし」なんてことを半ば冗談で、半ばマジに考えていたのだが・・・他の人はどうだったのでしょ?

 行動を再開したものの、三角点のすぐ手前のハイマツ帯で再び危険な状態になり、そこで行動停止することになった。ほんの数百メートル先が三角点で、その先は樹林帯に逃げ込めるのだが、その数百メートルが怖くて行けない。稲妻はすぐ近くを走るし、稲妻と雷鳴の間隔は1秒ないし(つまり極めて至近距離)、なんせ音が薬師岳に反響して凄まじいのである。
 その頃には雨も本格化し、レインウエアを叩く雨が痛いくらいの強い雨になった。登山道はあっという間に川になり、それもかなり激しい濁流になってしまった。尾根道なのに・・・
 そんな中、上から3人ほどのパーティーが降りてきて、「うわぁ、こんな道、どこを歩けばいいんだろう」と言いながら平然と通り過ぎようとするので、思わず「今ちょっとヤバイですよ」と声をかけた。そのパーティーは私達から数十メートル向こうで待機体勢に入ったようだった。
 ま、雷ばかりは運の要素も強いので、ヤバイ状況で行動を続行しても落雷を受けるとは限らないのだけど・・・現に私達が1回目の待機に入ったとき、前後して歩いていた単独行のひとはそのまま行動を続行し、後で倒れているところも見なかったのでちゃんと無事下山したのだろう。
 でもまあ、こんなところで自分の命を賭けてサイコロを振る気にもなれないので、怖けりゃ素直に待機していた方が。そもそもこの状況下で恐怖心も感じずに歩き続けることができる神経がちょっと判らないが。

 待機していると「この場所で待機していて直撃を受けることはあり得ない」という自信ができ、少し余裕もできてきたのだが、観察しているとどうも有峰湖方面から接近してくる雷の他に、一度太郎山方面に通過していった雷がまた戻ってきているような気がする。雲の動きが複雑だし。
 ちょっと遠くなったかな?と思うとまたすぐ近くで稲妻が走り、というのを見ていて「しつっこいな」と思った瞬間、昨日の雷が夜半まで続いていたことを思い出した。今さら。もう30分早く出発していれば、ここまで接近してくる前に樹林帯に逃げ込めたわけか。
 そのうちに雨の勢いが少し弱くなり、相変わらず頭上でゴロゴロいっているのは不気味なものの、稲妻と雷鳴の間隔が開いてきて距離が遠くなった。そろそろ大丈夫かとお互いに何となく目配せをして行動を開始した。
 前回の待機〜行動再開の時は、待機した場所と行動開始したタイミングの関係で私が最後尾に着いていたのだが、今度は同じ理由で私が先頭になった。
 道は完全に川になっていたが、私の靴は例の沢登り用ラバーソールである。こんな道は得意中の得意である。登山靴の他の人はかなり苦労していたが・・・
 行動を開始した以上、飛ばせるだけ飛ばしたい欲求に駆られるのだが、もうこの初対面同士の集団の中である種の連帯感が生まれていたのと、もしこの先万が一、何かが起きたときは人数がいた方が何かと都合が良いだろうなと思ったこともあって、なんとなく飛ばしながらもペースを合わせながら降りていった。(自分が直撃されたら拾ってもらわにゃならんし)

 樹林帯に入ると恐怖心からは開放されたのだが、相変わらず近くで派手な雷鳴がする。どうもまた新手のが接近してきたようで、あそこでグズグズしていたらまた動けなくなるところだった。
 有峰湖の向こう側に派手な稲妻が落ちたときは、思わず「おおっ!格好いい」と口走ってしまったが、こうも広範囲に雷雨が来ているということは、有峰林道は大丈夫か?という別の心配が・・・

 ともあれ、無事に折立まで下山してきた。
 登山口の十三重の塔には、行き帰りに合掌して通るのが習慣になっていて、この時もそうしたのだが、みんなで合掌しながら誰かが「彼らのおかげで助かったね」と言った。反射的に「こいつらが雷を呼んだのかもしれんぜぇ」というツッコミが頭の中に浮かんだが、口にするのはやめておいた。
 この十三重の塔は昭和38年の愛知大学の13人が遭難死した事故の慰霊碑なのである。彼らだって夏なんだから派手な花火でも見たくなるってもんだろう。

さらに有峰林道

 さて、行動を共にした人達は、お互いによく考えれば意味不明の「ありがとうございました」という声をかけあって解散した。別にお互い自分の判断で行動していたので、誰かが誰かを助けたというようなことではなかったのだが、なんとなく心強かったのは確かだった。
 下山してみれば太郎から折立まで3時間10分かかっている。行動しているときは2時間を軽く切るはずのハイペースだったので、待機時間は正味1時間少々と言うところだったのだろう。1回目の待機はいいところ10分ほどだったので、ほぼ1時間を三角点手前のハイマツ帯で過ごしていた計算になる。

 5人パーティーだと思っていた集団は、どうやら私と合流する以前に合流した別々のパーティーだったらしい。
 その中に1人女性がいて、彼女はバスで帰る予定だったらしいのだが、待機時間が長かったおかげで最終バスは既に出てしまっており、もうバスはない。「じゃあ、タクシーを呼ぶ」と言うのだが、折立には公衆電話もなく携帯は問題外の圏外である。つまり、折立からタクシーを呼ぶことはできない。(いい加減に公衆電話くらい設置しようよ・・・)
 じゃあ、有峰口まで乗せていくよ、ということになったのだが、てっきり彼女の旦那だと思っていた人物が「それでは」と言って他の3人と歩いていったので、この「緊急避難集団」の解散時にようやくその構成が理解できたのであった。

 集中豪雨並みの土砂降りの中に1時間ほど待機していたわけだから、私も彼女もずぶ濡れである。こんなずぶ濡れ状態で車に乗るのは申し訳ないと恐縮されたが、それは私だって同じ状態である。
 それより有峰林道が通行止めになっていないか、ということが心配だった。この区間には公衆電話もなければ携帯も圏外なので、帰れなくなっても連絡の取りようもないのである。ほんとに公衆電話くらい設置しようよ・・・

 心配した有峰林道には、すんなり入ることができた。川という川は真っ茶色の濁流になっていて、かなり広範囲に激しい雨が降ったことを物語っていたのだが・・・
 ただ、道の状況はけっこうキテいた。小さな土砂崩れのために道が土砂で覆われている場所は何カ所もあったし、そのまま通過したら車の腹を打つくらいの大きな落石もそこら中に転がっていた。

 そんな中、エンコしている車に遭遇した。運転手が手を上げて救いを求めていて拾うハメになった。
 実はその少し手前で、道がダートになっているところにかなり多量の水が流れ、道が深く掘れてしまっている場所があった。通過するためには道の真ん中を流れている水流を渡らねばならず、車高の低い私の車だと2回ほど侵入ルートを試してようやく通過に成功したのだが、どうもそこでモロに腹を打ってしまい、オイルパンか何かを炒めて動かなくなってしまったらしい。
 そんなわけでその車の夫婦2人も有峰口まで乗せることになり、汚い私の車に4人も初対面の人物同士が乗って走ることになってしまったのであった。
 その夫婦は別に登山者ではなく、単に街が暑いので避暑にでもとドライブに来てこうなってしまったそうである。
 「いやぁ〜、僕らも山の上でたっぷり冷や汗かいてきましたよ〜」なんて今だから笑えるのであって、ほんの2時間ほど前はかなりマジでビビっていたのであった。

 有峰林道の入り口まで降りてくると、なんと通行止めになっていた。
 料金所のおっさんが私の車を呼び止めて、「降りてこられたけ」(降りてくることができたか、という意味の富山弁)と聞くので、「はぁ、なんとか」と答えたら、「そうかそうか。もうすぐ通行止めも解除になるかもな」と言うのである。
 ちょっと待てぃ!何かが間違っとりゃせんか??

 ともあれ、同乗者達をそれぞれ無事に下ろすことができ、私も帰宅したのであった。下に降りても派手に雷が鳴り響いていた。

 昔、剱岳の八ツ峰上半を登攀中にモロに雷に捕まったことがあった。
 あの時は「恐怖」なんていう生易しいものではなく、ほとんど臨死体験だったのだが、今回はそれほどではないにしろ、かなりマジで怖かった。八ツ峰の時と今回の違いは、とりあえず今の自分が安全と言えるかどうか、ということで、今回はここで大人しくしている限りは直撃を受けることはまずない、とは思えたのだが・・・それでも怖いものは怖いのである。

 薬師沢に1人で行くと何かが起きるような気がするのだが・・・気のせいだろうか?

 

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