平成15年8月30日〜9月1日 薬師沢

8/30 7:35 折立 出発
  8:15 アラレちゃん通過
  8:35 三角点通過
  9:55 太郎平小屋 着
  11:25 太郎平小屋 出発
  13:15 薬師沢小屋 着
8/31   薬師沢小屋 停滞
    午前中、薬師沢と黒部川本流が大増水
9/1 5:20-30 黒部川本流に鉄砲水
  6:50 薬師沢小屋 出発
  8:50 太郎平小屋 着
  10:45 太郎平小屋 出発
  12:45 折立 着
    2.5万図 「薬師岳」

関連ページ:黒部の大増水2003

 赤木沢に行こうと思ったのは、ラバーソールの沢登り用シューズを買ったので試し履きをしたかったのとか、9月末の小屋閉め間際にカミさんを連れて高天原に行く計画をしているので、「僕らが行くまで温泉を片づけないでね」と言いに行かねば、と思ったのとか、大東新道のA沢〜B沢間がやけに地形が変わってしまっているという話を聞いて見ておこうと思ったのとか、まあいろいろ理由はあるのだが、一番大きいのは単に薬師沢の小屋で飲みたかったから、かもしれない。
 計画は、30日に薬師沢小屋入りしてついでにB沢出合いを見ておき、31日に赤木沢をやって太郎小屋、または薬師沢の左俣を下降して再び薬師沢小屋泊、1日に下山、という予定だった。
 ただ、天候は決して良くなく、31日と1日の予報は雨だったため、入山時から赤木沢に行けるとはあまり思っていなかった。薬師沢で宴会して過ごすのも幸せだなぁ〜なんて思いながら入山であった。

 6時のゲートオープンと同時に有峰林道入りし、7時前には折立から歩き始めるつもりだったのだが、朝起きたら既に6時だった。
 そのため、折立から歩き始めたのは7時半を回っていた。まあ薬師沢までの予定なので別に支障はないのだが。

 今回は沢登りのため荷物は極力小さく軽くしたいので、ザックは20Lのデイパック1つにまとめた。靴は例のラバーソールなのだが、見た目は普通の運動靴そのものである。それにストック2本(徒渉の際にはかなり有効)。
 背中にデイパック、足には運動靴、着ているのはTシャツとジャージということで、一見かなりナメた格好になってしまった。(事実、太郎への登りで見知らぬオッサンに言われた)
 ザックの中身は着替えがTシャツと靴下、パンツが1つずつ、防寒具にトレーナー1つ、雨具にレスキューシート、ツェルト、地図にコンパス、メモ用紙とシャーペン1本、携帯電話(ただしauは黒部五郎〜太郎山の稜線でしか通じない)にデジカメ、タバコにライター2つ、それと薬師沢小屋へのお土産である週刊誌2冊、である。食糧は小屋泊まりなので行動食のみでカロリーメイト3箱、チョコレートとキャラメルが1袋ずつ、水筒は500mlのペットボトル。これで20Lのデイパックにきっちり収まった。重さは5kgというところ。

 有峰林道では雨が降っていたので「歩き始めからカッパかぁ〜?」とうんざりしていたのだが、折立では雨は降っていなかった。ただし雲がすぐそこの高度まで迫っていて、すぐにでも降ってきそう・・・
 6月と違って荷物も軽く、身体も山に馴れて軽快である。かなりペースを抑えていたにも拘わらずアラレちゃん
雪量計ポール付近から見た立山、剱 

雪量計ポール付近から見た立山、剱

は40分で通過し、ちょうど1時間で三角点に到着した。すると雲の上は視界抜群だった。高曇りではあるのだが、立山剱方面や薬師岳がバッチリだった。
 気分も良く、ますますペースも上がる。

 結局、ほとんど休憩らしい休憩もせず、一気に太郎小屋まで歩いてしまった。2時間20分。かなりの好タイム。

 太郎小屋の前でマスター(太郎小屋のオーナーの五十嶋さん)に呼び止められ、開口一番「なかなか引っ込まんのぅ、その腹」と言われてしまった。
 どうしてみんな腹のことばかり言うかなぁ?
 そのまま小屋前のベンチに座り込み、マスターにその前日に救助された上の廊下の遭難騒ぎの話を聞いたり(かなり呆然とする話だった)、建設中のバイオトイレの話をしたり、小屋の中に入って6月に会った従業員に顔を見せたりしていたが、昼前に薬師沢に向けて出発することにした。

 


 

太郎から水晶、雲の平 

太郎小屋付近から水晶岳、雲の平

 太郎小屋のそばから雲の平、水晶岳が綺麗に見えた。
 一瞬、「これは明日は赤木沢、行けるかも?」という甘い期待が胸をよぎってしまった。

 


第三徒渉点 

在りし日の(?)第三徒渉点

 右の写真は、たまたま撮っておいた第三徒渉点に架かる木橋である。
 薬師沢方面に渡ってから振り返って撮影した。
 翌日にはこの橋は落ちてしまったのである・・・

 


 薬師沢の小屋では3シーズン働いていたわけだが、未だにこの小屋に来ると「遊びに来た」ではなく「帰ってきた」という気持ちになる。
 今夜のお客さんは夕食数が17、他素泊まり数名、「内輪」が小屋の従業員4名に居候の私、取材に来ていた写真家の三宅岳さん、休暇でイワナ釣りに来ていた山岳警備隊の浦田さん達2人、の計8人だった。
 浦田さん達は明日は釣りをしながら赤木沢、三宅さんは高天原という予定だったのだが、「ま、明日は天候悪いし、停滞の可能性大だね」という点で見解は一致していた・・・
 朝、折立を出てすぐに追い越してきたおばちゃん達5人組は、薬師峠にテントをデポしてきて薬師沢の小屋まで来
薬師沢小屋での宴会 

薬師沢小屋での宴会風景

ていて、やはり明日は赤木沢の予定ということだった。天候さえ保てば、けっこう賑やかな遡行になりそうな・・・

 夜はやはり宴会である。
 薬師沢は「ベスト・オブ・宴会小屋」なのである。というのは、沢の音がかなり大きいため、食堂で飲んでいてもお客さんの迷惑になりにくいのである。
 食堂の真上の大部屋で寝ていても、食堂の話し声はまず聞こえない。朝などは食堂でお客さんが食事をしていても目を覚まさない。ざー・・という沢の音が聞こえるだけで、私がバイトしている時は「沢の音がうるさくて眠れない」という苦情すらあった。(そんなこと言われても・・・)
 まあ宴会といっても別に大声で騒ぐわけはないので、夜飲むにはこの小屋はまさにベストなのである。

 これが高天原山荘だと、あまりに周りが静かすぎて、またあまりに小屋が小さすぎて、お客さんがいる時に食堂で飲むなんてことはまず不可能である。飲み助揃いイワナの会のメンバーが高天原でどうやって宴会しているのか、不思議で貯まらないくらいだ。外のテラスでやってるのかな?


 ここから暴露話。
 今、イワナの会のHPを見ていて知ったのだが、20日の夜に私も参加した村中邸宴会の後、どうやらあのメンツは薬師沢〜高天原に行ったらしい。
 薬師沢のバイトの女の子が村中さんが「すごいセクハラ発言をするんですよぉ!」と私に報告してくれた。まあ、彼のお人は私の目の前で私のカミさんに「乳を揉ませてくれ」と言う人だからなぁ・・・典型的な口だけスケベなお人だから。
 ま、そのバイトの彼女も今回2晩飲んだ限りでは、相当強烈なネタにも喜んでついてくる子だとお見受けしたが、その彼女をビビらせるとは彼のお人も相当快調に飛ばしたらしい。活動報告を読むとその晩、美人さんの会員勧誘にどうも失敗したらしいが、そんなのあったりまえじゃあ!
 ・・・と大笑いしながら薬師沢の夜は更けていくのであった・・・
 その晩はみんな歩き疲れていたので意外にお開きも早く、9時半頃には寝てしまったような・・・(曖昧な記憶)

 さて、翌31日。
 起きると雨が降っていて、黒部川本流が少し増水していた。前日の宴会メンバー全員が3秒で停滞決定である。
 「せっかく赤木沢を諦めたんだから、もっとがーんと増えたところを見せてくれぃ」と私が言ったからではないと思うが、午前9時頃から本格的に増水し始めた。
 バイトの女の子は「こんなの初めて〜」とはしゃぎながらカメラを持って小屋の周りを走り回っていた。かくいう私もけっこう喜んでカメラ小僧になっていた。
 以前、このサイトで黒部の鉄砲水というページに増水前と増水後の薬師沢の水量を比較した写真を載せたが、この写真に写っている河原の大岩は順子岩という名前が付いている。太郎小屋チェーン関係者でのみ通じている名称だが。由来は22年前、私が高校1年生でバイトに来た同じ時にやはり高校3年生でバイトに来ていた順子ちゃんらしい。なぜ彼女の名前が付いたのか?というのは「この岩の上で順子が昼寝をしたから」とか「この岩の上から順子がヌードになって川に飛び込んだから」とか、諸説があってどうもよく判らない。後者の説は多分尾鰭の部分だと思うが・・・
 「動かざること順子のごとし」という謎の言葉まで残っていたりする。どういう意味なのかいまいちよく判らない。
 ま、由来はともかく、この順子岩、薬師沢の増水度を測る格好の目印になっていて、後で太郎小屋でマスターに「どれくらいの増水だった?」と聞かれても「順子岩が被るくらい」とか言えばだいたい話が通じるようになっている。

 私はこの順子岩が上まで水が被るくらいの増水は何度も見ているが、完全に隠れてしまうほどの増水は見たことがなかった。見たことがある、という人は何人かいるので、数年に一度はその程度の増水はあるようだ。
 だが今回は、この順子岩が完全に隠れてしまったのみならず、対岸のどんなに増水しても出ている岩まで完全に被って見えなくなってしまった。
 小屋の直下、基盤になっている石垣の下を水が流れていた。
 さすがにちょっとビビッた。特にその最大水量に達した時にいっそう激しく雨が降りだした時は。
 現小屋番の坂本さんに「こんなの見たことある?」と聞いたら、ないと言う。彼は薬師沢の小屋番は今年が2年目。私が3シーズンバイトしていても(全営業日ではないが)これほどのは見たことがない。3シーズンのバイトとその後の居候生活で、私の薬師沢小屋滞在日数は多分250日前後に達しているはずなのだが。
 ということは・・・この増水は少なくとも「5年に一度の大増水」ということだなぁ。高天原の小屋番の小池さんが薬師沢の小屋番を15年くらいしているので、小池さんに聞けばもう少し正確な数字が出せるはず。今度高天に行った時に聞いてみよう。

 まあ今回は最初から雨→増水は予想していたので、こんなこともあろうかと平常時の川の写真も撮っていて、増水時も同じ場所から同じアングルで写真を撮ってみた。雨の中カメラを持って走り回っていたので、カメラに浸水してレンズが内側から曇ってしまったが。(しばらく放置したら直った)
 写真の数が多いので、別に黒部の大増水2003というページにまとめてみた。

 雨は午前中に小やみになり、川も早くも減水し始めた。山では増水も早いが減水も早い。
 雲の平から降りてきた登山者が釣り橋に行けずに立ち往生しているのを小屋番の坂本さんがザイル持って助けに行ったりしていた。
 昼頃太郎小屋から無線で沢の状況を聞いてきたのだが、太郎〜薬師沢間の登山道の状況が判らなかったので、ちょうどヒマだし散歩がてらに私が偵察に行くことになった。遭対協の無線をレインウエアのポケットに入れて出発。
 薬師沢左俣に架かる第三徒渉点まで辿り着いたら、見事に橋が流されていた。上の写真で言うと、手前と真ん中の丸太で組んだ橋が流されていた。ただし、手前の丸太は跡形もなかったが、真ん中の一番長い丸太は向こう側がまだロープで繋がっていて、大きく振られた状態でぶら下がっていた。水量は平常時より多いものの、かなり減水していた。
 その場で無線で「第三徒渉点の橋が流されています」と報告し、薬師沢小屋に帰ってから詳しい状況を報告した。真ん中の丸太が流失していないので、減水したらすぐ復旧できそうだね、ということで一同ホッとした。
 ちなみに太郎からも偵察員が降りていて、第二徒渉点が流されているのを確認したらしい。

 この日は大増水でどこにも誰もどこにも行けず、増水前の早い時間帯に雲の平に向かった数人と雲の平からやってきた数人が入れ替わっただけで、お客さんもほとんどが停滞だった。
 警備隊の浦田さん達も、夕方減水してから釣りに行っていたが、やはり恐ろしくてあまり遠くには行けず、ほとんど釣果はなかったそうだ。
 その晩の宴会は、みんな停滞で体力が余っているせいか夜遅くまで続いた。9時半に発電機を止めてランプにしてからが本番で、お開きになったのは11時近かった。
 寝る前にもう一度川の様子を見ておこうと食堂の窓を開けて川をヘッドランプで照らそうとしたら、激しく酔っていたせいかヘッドランプを窓の外に落としてしまった。翌朝捜したが見つからなかった・・・ヘッドランプ1つ、ロスト。

 翌9月1日。
 朝5時半少し前に雷の音で目が覚めた。
 なんちゅー非常識な起こし方を・・・とボヤキながら起きあがって窓の外を見ると、黒部川の本流が濁っていた。水量はまだ平水時とさほど変わらなかったが、今日もまた増えるの?と思いつつ階下に降りてみると、玄関先に従業員やお客
2トーンカラーになった黒部川 

くっきり2色になった本流と薬師沢

さんが勢揃いしている。何事?と思いながら玄関に出て本流を見て絶句した。前日以上に増えている。この間、わずか5分である。

 本流はのたうつようにダイナミックに暴れ狂っていて、見ているとかなり恐ろしい。
 なのに薬師沢は完全に平常水量、しかも水は綺麗に澄んでいる。
 小屋の前で見ると、薬師沢と本流が綺麗に2色に分かれていて、かなり珍しくて面白い光景だった。
 薬師沢の鉄砲水は2回ほど見ていて、その時には本流が澄んでいて薬師沢が濁流、という右の写真の逆パターンになる。絵的にはその方が派手で面白い。


 お客さんは「すごい珍しいんでしょ?こういうのって」とはしゃいでいるが(雲の平方面に向かう人はげんなりしていた)、これは上の廊下に入山者がいたら、と考えるととてつもなく恐ろしい。
 実は過去に見た鉄砲水は、いずれも7月初旬だった。7月は基準水量が多く集中豪雨に対するキャパがないことやスノーブリッジの崩壊など、鉄砲水が起きやすい条件が揃っていることはなんとなく判る。8月は基準水量も少なくなっているし、雨に対するキャパも7月より増えているはずで、このような鉄砲水は起きにくいはずで、事実8月の鉄砲水は見たことがないしほとんど聞いたこともない。
 まあ、こういう年なら8月に起きる、ということもこれまたなんとなく判るのだが・・・

 7月初旬だと、上の廊下に人が入っていることはまず考えられないので、鉄砲水が起きてもそんなに心配しないのだが、やはりこの時期は怖いと思う。
 後で太郎小屋に上がってから聞いたのだが、果たして28日に上の廊下に入山したパーティーがあるそうだ。リーダーが大ベテランなので、よもや31日の増水に巻き込まれていることはないにしても(それでもこの増水だと一般的な「安全圏」は通用しなかった、と思うが・・)、この鉄砲水は微妙だ。
 まだ安全圏の幕営地にいたのなら、飛びきり恐ろしい思いを味わうだけで澄むかもしれないが、もし既に行動を開始していたとすれば、これはもう例えどんな大ベテランだろうが神様だって助かるまい、と思う。
 朝の5時半。微妙な時間帯・・・

 ともあれ、これで雲の平方面へは完全に封鎖されたも同然の状態になったわけだが、薬師沢は平水で行動可能である。雨は相変わらず降っているので、こちらも増水してくるのも時間の問題で、行くなら早い方が良いだろう。
 小屋番の坂本さんは、太郎方面へ下山するお客さん11人を連れて6時半に出発するという。第三と第二の徒渉点でお客さんが徒渉するのをヘルプするためである。
 警備隊の浦田さん達も「俺達もヘルプしようか」と言っていたし、私もまあ何か手助けくらいはできるか、と思ったのだが、同時出発するには時間がなく(6時過ぎに朝食採りながらその話をしていた)、まあ順次出発して追いつこう、ということになった。

 6時半に予定どおり坂本さん&お客さん達が出発し、6時50分に私が出発した。
 警備隊の2人はもう玄関でザックも用意していたが動く気配がないので、「じゃ、先に行きます」「おお、じゃあ後で」なんて会話をして私は出発したのだが、その直後に歩きながら、あの2人は7時の定時交信を聞いてから出発するつもりだったのかな?と思い当たった。
 が、このわずかな差が明暗を分けてしまったのである(ちょい大げさ)。

 出発直後から雨が激しくなり出し、黒部五郎方面で雷がゴロゴロ鳴っていて、いかにも嫌ぁ〜な感じだった。
 先行した坂本さん&お客さんから20分遅れで出発したわけだが、どんなに彼らのペースが速くても徒渉には手間取るはずで、従って第三徒渉点で追いつくはずと読んでいたのだが、まさにそのとおり、第三徒渉点で彼らに追いついた。
 坂本さんは流れた橋から30mくらい上流に徒渉点を選んでいた。まだ水はそれほど増えおらず、しかもありがたいことにまだ濁っていなかった。
 私が追いついた時には、既に大半のお客さんが徒渉を終えて対岸にいたので、最後尾についてなんなく徒渉してしまった。水位は膝下の飛び石、つまり飛んだ先が膝下くらいまで水に浸かっている石、という徒渉で、水が澄んでいたのでなんてことない徒渉だった。
 初日に折立で私が追い越した赤木沢を目指していたおばちゃん5人組も無事徒渉を終え、第二徒渉点に向かって行進が再開された。

 この第三徒渉点あたりで既に土砂降りになっていて、水が増えてくるのは時間の問題だった。第二徒渉点が増えて徒渉不可能になり、第三徒渉点も増水してしまえば、すなわち閉じこめられてしまうのである。
 坂本さんと私は行列の最後尾にいたのだが、坂本さんが私に「やばいですよね」と言うので「ひじょーにやばいよね」なんて会話をしていた。私やお客さんは第二徒渉点を越えれば、もう太郎まで問題になる場所はないのに対し、坂本さんは再び薬師沢に帰らねばならないのでやばいのは坂本さんの方なのである。
 「ちゃんとツェルト持ってるよね」
 「ええ。でもずぶ濡れのビバークなんて嫌ですよ」
 なんてケラケラ笑いながら話していたのだが、もちろん1日中減水せずに閉じこめられっぱなし=ビバークなんて事態はまず考えられない。だからこそ気楽に話していたのだけど。

 さていよいよ第二徒渉点。
 水はまだ増えていないが、もう濁っている。ギリギリ徒渉可能な状態だった。
 水量は膝上かせいぜい太股までなのでたいしたことはないのだが、登山靴を履いたお客さんを渡さねばならない。
 坂本さんが一番深いところで待機してお客さんを1人1人渡し、私はその少し手前でお客さんを渡していたのだが、じっと同じ場所に立っていると少しずつ水量が増えているのが判る。
 おばちゃん5人組の1人を渡す時、おばちゃんがバランスを崩したのでひょいと支えた瞬間、右手に2本まとめて持っていたストックを離してしまい、1本川に流されてしまった・・・
 水の中でおばちゃんのザックを支えたんだよなぁ。そりゃストック、離すよなぁ。ストックが流れた瞬間、身体を捻ってストックを追いかけるのは自制したが(それをやったら自分も流されてしまう)、首はしっかり捻って流されていくストックを見送ったのだった。ストック1本、ロスト。
 なんか今回はよく物をなくす山行だ。

 第二徒渉点を渡し終えると、坂本さんはまた徒渉して薬師沢に帰っていった。
 私はそのままお客さんの列の最後尾についてとぼとぼとロストしてしまったストックのことを考えながら歩いていた。
 そのうち太郎山への登りでお客さん達が休憩し始めたので、早く太郎小屋に無事お客さん達を渡したことも報告したいし先行しようとしたら、おばちゃん5人組が私を呼び止めた。
 何かと思ったら、防水袋に入れたお札を1枚、私に渡そうとするのだ。
 固辞したのだが、「あなた達のおかげで私達、無事に帰れるのだし、私達のせいであなたはストックを無くしちゃったんだから、これは私達からのカンパ」と強引に私のカッパのポケットにお札をねじ入れた。
 ありがとうございますぅ〜。
 おかげで帰宅してすぐさま、新しいストックの注文を入れました。

 太郎小屋に到着してマスターに無事登ってきたことを報告したのだが、なんと危惧どおりに坂本さんが第二と第三の間に閉じこめられてしまっているという。
 それどころか警備隊の浦田さん達も第三徒渉点まで来たものの、左俣を渡れずに待機しているのだそうだ。どーりで追いついてこないはずだわ。
 つまり、今現在、第三徒渉点で左俣の両岸で浦田さん達2人と坂本さんが、為す術もなく濁流を間に向かい合っているという状況なのだそうだ。
 まあその場の全員、間違っても流されてしまうような人達ではなく、時間が経って減水すれば何の問題もなく通過できてすれ違うことができるので、たいして深刻な事態ではないのだが、それだけにその場を想像しておかしくて笑ってしまった。
 マスターも、双方からてんでに「対岸に浦田さん達(坂本君)がいます」という無線が入ってきて、そのやりとりが面白かったのかクスクス笑っていた。

 別に心配しているわけではないのだが(私より遙かに技量も体力も上の人達だし)、まあせめて彼らの第三徒渉点無事通過を確認してから下山しようと思い、しばらく太郎小屋の帳場に張り付いていた。
 9時40分、どうやら第三徒渉点が通過できたようで、坂本さんと浦田さんからこれまたてんでに「今、第三徒渉点を通過しました。浦田さん達(坂本君)も無事渡っていきました」という無線が間髪入れずに入ってきた。
 坂本さんはこれで薬師沢小屋まで一直線だが、浦田さん達は第二徒渉点もあるし、ともうしばらく待っていたが何の無線も入らず、これはつまり何の問題もなかったということだな、と思って私も下山することにした。
 とはいうものの、それからまたしばらくマスターや従業員の人と話し込んでいたりしたので、小屋を出たのはもう11時近かった。
 小屋を出る前に家に電話を1本入れておこうかとも思ったのだが、例の上の廊下に入山中のパーティーのことでマスターが電話連絡に忙しく、小屋の電話を使うのは諦めた。

 折立に下山したら、おっちゃんが1人でボケッとしていた。
 9月1日から有峰口〜折立のバスは土日祝日だけになってしまい、平日はタクシーを呼ばなくてはならない。しかも折立に電話はないし携帯電話はバリバリの圏外である。つまり、太郎小屋でタクシーを呼んでから下山しなければならないのだが、おっちゃんは呼ばずに降りてきてしまったらしい。誰か別のパーティーと相乗りするつもりだというので、私の車に乗せて有峰林道を走った。
 車中で話をしていると、前日大増水して橋が流された第三徒渉点を突破しようとして靴を片方流されたらしい。つくづくロストに縁がある山行である。

 というわけで、赤木沢遡行はできなかったものの、宴会はきっちり楽しめたし、大増水も鉄砲水も見れた。
 元々赤木沢に行くのと薬師沢の小屋でボケッと停滞するのと、どちらも捨てがたいくらい幸せだ、という価値観なので、今回はたいへん楽しんだ山行だった。
 だが、帰宅するとカミさんはかなり心配していたらしい。下でもかなり天気が悪かったようで。
 「太郎小屋に電話すれば良かったのに」と言ったら「そんな気軽に電話していいんなら最初からそう言え!」と怒られてしまった・・・
 ま、薬師沢小屋で宴会しているところに「太郎から薬師沢。そちらに池上君はいますか?」なんて無線が入ってきたら酔いが醒めるかもしれんが・・・

 余談だが、そもそも赤木沢に行こうとした目的であるラバーソールの履き心地、これは素晴らしかった。
 濡れた岩も濡れた木道も、濡れた木の根っこすら、無敵状態のフリクションである。当然乾いた岩はさらにいいフリクション。さすがファイブテンのソールである。
 唯一の欠点は水抜けが悪いことかな。水の中に足を突っ込むとしばらく靴の中で足がタポタポする。ウォーターシューズを名乗るのなら、もっとシャキッと水が切れるようにして欲しい。

 

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