平成18年9月14〜17日 高天原〜某沢
9/14 | 8:00頃 | 折立 発 |
12:00〜1:00頃 | 太郎小屋 | |
15:30頃 | 薬師沢小屋 着 | |
9/15 | 11:20頃 | 薬師沢小屋 発 |
16:00頃 | 高天原山荘 着 | |
9/16 | 9:00頃 | 高天原山荘 発 |
12:30頃 | 薬師沢小屋 着 | |
9/17 | 9:30頃 | 薬師沢小屋 発 |
12:30頃 | 太郎小屋 着 (某沢経由) | |
13:20頃 | 太郎小屋 発 | |
15:30 | 折立 着 |
*今回は正確なコースタイムは記録していないので、大雑把なコースタイムのみ
今年はなんとこれが初の黒部源流行きである。なんとしたことだ。例年はシーズンに3回は入っているというのに。
というのも、今年職場が変わったおかげで、今まで月に1回だった休日勤務が2ヶ月に1度は月に2回回ってくるようになり、日程の調整が少し難しくなったことや、たまたまであるが8月と9月の土日絡みで県外出張が続き、貴重な休みが潰れていたことなどが重なっていたのである。
そうでなくてもこの季節、運動会だなんだと行事も多いのである。
また、日曜日勤務〜県外出張〜日曜日勤務〜運動会と数週間連続して仕事や行事が続き、少々疲れていた・・・のかもしれない。(伏線)
というわけでこの9月の連休を逃せば、なんと今年は1回も黒部源流に入らない、という由々しき事態に陥るところだったのだ。この次の週はまた県外出張なので、マジである。
なのでこの日程で山に入ることは、というかこの日程しかないことはもう7月末頃から判っていた。
9月に入った頃、景子ちゃんからメールが来た。景子ちゃんとは3年前に高天原で私が入浴シーンを覗いてしまった彼女である。何故かそれ以来仲良くなってしまい、彼女が山に入るときとか降りてきたとき、私の自宅に寄っていくのが通例となっている。我が家に来ると息子どもが「絵描きのお姉ちゃん」としつこくつきまとい、絵を描け絵を描けとうるさい。
2年前まで太郎でバイトしていて、去年は黒部川下流の某山小屋で働いていた。その後山小屋生活からは足を洗い、すっぱり堅気になったはずだったのだが、最近なにやら山小屋が恋しくなってきたらしい・・・
ちなみに今年の7月の連休に太郎小屋に遊びに行こうとして我が家に前泊したのだが、豪雨で有峰林道が通行止めになってしまい、虚しく帰る羽目に陥ったことは、同じ日に豪雨に追い返されて我が家に撤退してきた腹ペコさん一家の記録に書かれていたりする。
さて、その景子ちゃんから山に行きたいとメールがあり、私がこの日程で入る予定だと返信すると、彼女も同時期に休みを取って一緒に登ることになった。そんなわけで今回は不倫旅行となったわけである。
ただ、これが決まってから突如として日本海に秋雨前線が出現し、がっつり居座ってしまった。直前の週間予報は全日程雨、雨、雨・・・
・・・7月のこともあるし、もしや彼女は超強力な雨女か?
実は今回日程に余裕もあり、沢登り経験者の彼女と一緒に行くということで、岩苔小谷にでも久しぶりに行ってみようかと、ロープとハーネスなどのギアを持っていく段取りになっていたのだった。
が、これも前日に彼女が我が家に来た時点で、とてもそんなところに行ける天候ではなさそうと言うことでギア類は全て家に置いていくことに。
景子ちゃんは前日の朝に富山にやってきた。その日はカミさんと遊びに行っていたらしく、仕事中に「こないだ話に出たカレー屋はどこだ」とか電話がかかってきてうざかったのであった。
9/14
まあそんなわけで既にガツガツ登る気もせず、のんびり登り始める。
天候は曇りで時々小雨という感じである。濡れるのが嫌いだという景子ちゃんはさっさとカッパの上下を着込み完全武装なのだが、私はTシャツ1枚のままという程度の降り方だった。小雨でカッパを着ると蒸れて濡れてしまうのが嫌である。
それにしても太郎まで4時間はちとかかりすぎではないか。多少ペースを上げようが落とそうが、ずっと私のすぐ背後にひたひたと迫る彼女の靴音にプレッシャーを受けてペース配分を間違ったか・・・?ま、体力が落ちてるんだろうなと思っていたのだが、実は今にして思えば、この時から既に体調はおかしかったのであった。
イワナ釣りに熱中するK子ちゃん |
ゲット! (見にくいけど腰の横にイワナが) |
またゲット! |
太郎から薬師沢への途中、嬉々として竿を出す景子ちゃん。
雨続きで適度な濁りが入り、まさに「入れ食い」状態だったらしい。
私は釣りをしないので、彼女が釣りをしている間は適当に写真を撮ったりしていたのだが、どうも今にして思えばその頃は既に、妙な気怠さを全身に感じていたような気が。
今年の薬師沢は大きく変わったことがある。
去年まで長年(といっても5年ほどか?)小屋番を勤めていた坂本夫婦が辞めてしまったのだ。なので今年は太郎小屋の高橋さんと、なんと岩魚の会の村中さんが小屋に入っているのである。岩魚の会のHPでは、「7月には定年、老後の生活設計はまるでなし」とか書いていたのだが、こ〜ゆ〜ことになっているとは・・・
源流の熊 in 薬師沢小屋 |
いや〜、ちゃんと仕事してるわ、源流の熊さん。驚いた〜。
小屋で毎日飲んだくれているかと思いきや、他の従業員が下戸揃いで淋しい思いをしていたらしい。
「今日は久しぶりに楽しいのぅ」とか言いながら飲んだくれる源流の熊であった。
9/15
朝、目覚めると焼け付くような喉の痛みと全身を襲う倦怠感・・・やべぇ、風邪だ。昨日からどうもおかしいと思っていたのはこれだったのか。
なんとなく平衡感覚がおかしいのは、この小屋にいると仕方がないことなのだが(小屋が傾いているのでどうしても狂うのよ)、これではどうにもならん。
景子ちゃんはとりあえず釣りでもしていると言ってくれたので、風邪薬を飲んで寝直すことにする。まるで食欲はないのだが、ほとんど無理矢理朝食を腹に詰め込み、部屋掃除を少しだけ手伝ってから布団に入り直す。
とりあえず10時出発を目指して9時半まで寝ようと思ったのだが、9時頃目が覚めたらかなり調子よくなっていた。
下に降りていくと村中さんだけがヘリポートでじゃりんこチエを読んでいた。なんと昔、景子ちゃんと一緒に薬師沢でバイトしていた山ちゃんが来て赤木沢に行き、景子ちゃんとバイト君が2人で釣りに行っているらしい。ん〜、久しぶりだったのに山ちゃんに会えなかったなぁ。
10時出発という打ち合わせだったのだが、10時を過ぎても景子ちゃんは帰ってこない。結局景子ちゃんが帰ってきて高天原に向かって出発したのは11時半頃だった。
大東新道 A〜B沢間の様子 |
それにしても・・・大東新道のA〜B沢間はまた少し難しくなった。
特に途中1カ所、数mのトラバースが増えている。ここは、私達は2人とも沢靴だったのであっさり水の中に入ってへつったが、靴を濡らさずにへつろうとするとかなりしょっぱい。
去年までより、ロープ等の補助の設置は増えているのだが、ルート自体が難しくなっている。
また、今回は翌日に高天原からの逆コースも辿ったわけだが、この逆コースの方がさらに難しい。ロープに頼ってのクライムダウンがどちら方向でもあるのだが、偽薬コースのクライムダウンは足場が遠くまた見えにくく、ここはヘタすると「下れない」と感じてしまう人もけっこういるのでは。
一般ルートとしてはもうぎりぎりなのでは、と思う。まあ剱や穂高の岩稜歩きの経験がある人だとそれほど難しくは感じないだろうが、でも岩は濡れてるし滑りやすいし、登山靴だとちょっと緊張するな。
ここはほんとうに、年々難しくなっていく。
下流(B沢側)からの眺め 薬師沢から来ると最後になるチェーン梯子は、着地点の河原が多少高くなったので少し易しくなった。 奥に人が見えるあたりが最初の外傾バンドで、ここは岩が常時濡れていて水垢も付いており、登山靴だとかなり気を遣う。 写真中央にペンキでマーキングしてある場所は、3年前にチェーン梯子が掛けられていた場所で、現在は深い淵になってしまっている。
|
|
チェーン梯子より1つ上の箇所 登りも下りも意外に難しい。 逆コース(B沢側から)だと、ここを下らなければならないのでさらに難度アップ。 |
とまあここまではわりと快調に来ることができたのだが・・・
つーか、河原歩きとへつりなら、たぶん38℃くらい熱があってもあまりペースは変わらないだろうが。
B沢からの登りでかなりへばった。やはりぜんぜん回復してなかったのだ。
別に立ち止まってぜぇぜぇ、ということはないのだが、急な登りが終わって平坦な道、あるいは下りになっても、まったくペースを上げることができない。別に足が辛いとか呼吸が、ということはないのだが、とにかく全身がだるい。
んなわけで高天原まで4時間かかった。同じルートを2時間なら2時間分、5時間なら5時間分疲れる、というのが私の持論だが、この日は4時間かかったのに8時間分疲れた。
岩苔小谷に架かる新しい橋 |
そうそう、岩苔小谷の橋であるが、去年の秋に新しくなったのだ。
今まで丸木組の素朴な橋だったのだが、ついに近代的になった。
ただし架かる場所も変わり、今までより少し上流側になった。ほんの100mほどだが歩く距離が増えたことは、この時の私には怒りの的だった・・・
小谷に着くと、景子ちゃんはまたも釣り竿を出して岩魚と遊びに行った。
私は写真を撮る元気もなく、これ幸いと河原で昼寝を始めてしまったのだった。
夕日に光る高天原 |
高天原に着いたのは4時前。もう夕方である。
草紅葉が始まりかけた高天原湿原に夕日が差す光景は、そりゃ美しい。
しかし私はこの写真を1枚撮るのが精一杯だった。それも今よく見てみれば、水平が狂っている。
高天原の小屋は、他のバイトももういなくて小池さん夫婦の2人だけでやっていた。
景子ちゃんは挨拶もそこそこに、風呂に飛んでいったのだが、私はたぶんこれで風呂に行ったら死ぬ、と思うほど絶不調。
帳場にある薬箱を漁り、風邪薬と抗生物質をもらって飲み干し、2階で睡眠タイムとなったわけである。
何回か目を覚ましたが、夜8時までほぼぶっ続けで眠っていた。
毛布にくるまっていたのに寒くて目が覚め、ダウンジャケットを着たのが1回。(多分この時は熱発していた)
今度は暑くて目が覚め、大量の寝汗をかいていたのでダウンジャケットを脱いで寝直したのが1回。多分目が覚めたのはこの2回であった。
小池さんによると、食事の時に起こそうかと様子を見に来たら、豪快な鼾をかいて爆睡していたのでそのまま放置したそうである。
さて、次に目を覚ましたときは、もう真っ暗だった。時計をたぐり寄せて見ると夜の8時。げ。もう食事も終わっているではないか。
さすがに空腹を感じたので下に降りてみると、小池さん夫婦と景子ちゃんが飲んでいる最中で、香春さんはちゃんと雑炊を作っていてくれたのであった。
腹にいくらか入れると人心地ついてきて、酒も飲みたくなってきたのだが、さすがにここで飲んで元の木阿弥になったら辛いので、会話には参加していたが酒には手を出さなかった。(飲みたいと思うということは少し回復してきているのか?)
でも、夕方からこれだけ寝ているのにも拘わらず、この後また朝まで爆睡していたと言うことは、やはりまだまだ絶不調だったのだろう。
9/16
私は爆睡していて知らなかったが、この日の朝焼けはかなりのものだったらしい。小池さんが「昼から雨だ」と言っていた。
今朝は食欲もあって朝食も普通に食べることができたので、まあけっこう回復しているらしい。でもどれだけ復調しているかはやはり歩いてみないと判らない。
なので朝風呂も辞めて9時頃、薬師沢に向けて出発することにした。
だから今回は結局、高天原に寝に行った、ということに・・・
高天原峠で案の定、雨が降り出してきた。景子ちゃんはやはり素早くカッパを着込むが、私はカサである。
途中、ブルーベリーが大量に生っている木を見つけ、食べてみたらばこれがまたなんて美味い!こんな美味いブルーベリーは初めてだと感激して、以後ブルーベリー狩りを始めてしまったのでペースはがた落ちになった。これも今にして思えば、身体がビタミンを要求していたのだろうか。
ペースががた落ち、という割に3時間半で薬師沢まで戻ってきた。途中、A〜B沢間ですれ違いのためけっこう長時間待機していたりしたので、ブルーベリー狩りのロスタイムも含めると、実質3時間を切っていると思う。なんだ、けっこう快調じゃないの。
景子ちゃんは今日は太郎で泊まるというのでここで別行動である。
私はずいぶん復活してきているものの、ここでもう一押ししなければと睡眠タイムを取ることにした。
ということで布団の中にじゃりんこチエを数冊持ちこんで、漫画を読みながら眠くなったら眠ろうという幸せな算段をしたわけであるが、いっこうに眠くならず、持ってきたじゃりんこチエを全部読んでしまった。
そうか、もう身体はそれほど睡眠を要求してはいないのか。
となれば、今日は岩魚の会のいつものメンツも来ているし、夜は当然宴会である。
宴会に参加するには「回復した」ことを証明せねばならぬ。
ということでお客も20人くらいと少し多かったので、さっさと下に降りていって清く正しい居候モードに入ったわけであった。
9/17
今日は太郎で景子ちゃんと落ち合ってから一緒に下山、という段取りになっている。
睡眠は十分、食欲もたっぷり。おそらくほぼ完全復活である。
となれば昼前に太郎小屋に着くには、10時頃薬師沢を出ればお釣りが来るのだが・・・
しかし高天原まで寝に行っただけ、で終わるのも悔しいし、せっかく復調したのだから、とちょっと寄り道をすることにして少し早めの朝9時半に小屋を出たのであった。
寄り道とは、ある沢である。
私は初めてなのだが、太郎のバイトの間ではけっこう有名な沢で、半日の散歩にちょうど良い沢なんだとか。
いや、良いわ、この沢。
雨上がりでかなり増水していたので迫力があったのかもしれないが、「散歩」というにはちょっと手応えがあった。
少なくとも赤木沢よりは手応えがあるし面白い。
一番上の写真の滝は、左手の草付きから巻いた。
ちょっと不安定な斜面で、ここを下る気はしなかったために「もう引き返せません」モードに。
でもこの滝、単独ノーザイルでは試す気にならなかったけど、直登ルートはある、と思う。
2番目の写真の滝(上)は、釜の右手を腰上まで浸かってへつり、滝身をシャワークライミングした。
頭から水を被るシャワークライミングは、もう数カ所の滝で堪能できた。
3番目の写真の滝は、あっさり右手から巻いたが、釜を泳いで滝身に取り付けば楽しそう。
4番目の写真の堰堤みたいな滝は、どうにもならないので右手から巻いた。
これを直登するなら人工だろうなぁ。少なくとも私は。
この他にも無数の滝があって、それぞれ楽しめそうで良い沢だった。
この沢が赤木沢なみにメジャーになってしまったら悲しいので、沢の位置も名前も書かない。内緒である。でも、雑誌に載ったこともあるし、まるっきり秘密の沢というわけではないのだが。
それ以前に、薬師沢小屋から太郎小屋までの寄り道で行ける沢、というあたりで土地勘のある人にはだいたい判ってしまうのだが。
とにかく、私の中では赤木沢を抜いて、この界隈の沢ナンバーワンの座を奪取、である。あのナメの美しさはやはり赤木沢だけのものであるにしても、沢自体のおもしろさと楽しさではこちらが上かと。この沢だったら、ロープと三道具を持ち込んでみようか、という気になれる点で。
というわけで太郎小屋で景子ちゃんと合流して下山したのであった。
彼女は、「たった4日で下山なんて」と堅気を捨てるセリフを吐いていたのだが、案の定、来年は堅気を返上して山小屋生活を送る気になったらしい。うんうん、それがいいよ(と人の人生を無責任に後押しする)。
ま、なにはともあれ、やはり山で体調を崩すと辛いな。やはり日頃から体調管理はしっかりしておかねば。
・・・・という殊勝なことをこの私が言うと思われるか?
高天原まで行って寝ただけ、というのは不覚だったが、よく考えれば、あれだけボロボロに体調が悪くても、なんのことはない標準コースタイムはまだ同等か上回るペースで歩けているのである。なんだ〜、まだまだ捨てたものじゃないじゃん。
とはいえ景子ちゃんには迷惑かけた。小屋の皆さんにも心配かけました。少しは反省しております。
でもさ、太郎の人が私の風邪引きを知っていたのは景子ちゃんから聞いたのかと思いきや、無線で知ったというのは。私の体調不良が黒部源流地域の山小屋一帯に知れ渡ったわけでございますか。それは罰なのでしょうか。