平成15年9月25〜28日 高天原 前半

9/25 7:00 折立 出発
  8:00-05 アラレちゃん
  10:40 太郎平小屋 到着
  11:30    〃    出発
  13:30 薬師沢小屋 到着 (泊)
9/26 9:00 薬師沢小屋 出発
  10:00 A沢出合 通過
  10:25-45 B沢出合
  12:00-10 E沢
  12:50 高天原峠 通過
  13:50 高天原山荘 到着 (泊)
    2.5万図 「薬師岳」

関連ページ:大東新道A〜B沢出合間のルート詳細

後半へ

 まず最初に、先月(黒部川大増水)の後日談である。
 1つは私より遅れて薬師沢小屋を出発したために左俣の増水で第三徒渉点で足止めを喰ってしまった元警備隊の浦田さんのこと。
 私は下山してしまって知らなかったが、あの後薬師岳で滑落事故があったらしい。浦田さん達は下山直前だったのだが、第一報が太郎に入るやいなや薬師岳に向かい、滑落者をピックアップしたそうである。後日、救助された人から感謝状が届いたという新聞記事でそのことを知った。
 きっと神様がこのために浦田さん達を第三徒渉点で足止めしていたんだろうな。

 もう1つは、あの鉄砲水が起きた時、上ノ廊下に入渓者がいたこと。
 ちょうど太郎でその確認に追われていたことは書いたとおりだが、家族から捜索願も出たものの、無事薬師沢小屋に到達したそうである。さすがである。
 聞くところによると、あの9/1早朝の鉄砲水時には既に行動していて、最初の徒渉を終えた直後だったそうだ。「危機一髪だった」と薬師沢小屋に辿り着いた時に言っていたそうである。
 その前日の通常より遙かに激しい増水を無事にやり過ごしたのは経験と判断力だろうと思う。あのレベルの増水だと通常は安全地帯と思われている場所のいくつかは浸水してしまっていただろうし。
 でも、あの鉄砲水が起きた時に行動中で無事だったというのは、こりゃだよな〜、と思う。

 もう1つ。
 今回高天原に行った時、小屋番の小池さんに聞いたのだが、順子岩の対岸の岩が隠れるほどの増水は、まるきり見たことがないというわけではないらしい。(詳細は黒部の大増水2003を参照)
 だが、何回見たとははっきり聞けなかったので(2人ともかなり酔っていた)、とりあえずアバウトに薬師沢に関してはあれは5〜10年に一度の増水、ということにしておこう。
 本流に関しては、まああの程度の増水なら1シーズンに一度くらいはありそうである。吊り橋下のルートを示すペンキ印が隠れる程度の水量だったので、私もシーズンに1回は見たことがあるような気がする。
 小池さんの20年近くに渡る薬師沢小屋番経験の中で最も凄まじい増水は、(現地を知っている人でないと判らない話だが)小屋から釣り橋に行く途中に囂々と濁流が流れていたそうで、つまり先月の増水よりさらに1mは水位が高いことに。おっそろしい。
 それが夜だったというのがさらに恐ろしい。その時はお客さんを全員起こしてカベッケヶ原に避難する準備をしたそうである。

 さて、いよいよ本題の今回の山行の話である。

 今年はどうも私とカミさんが結婚して10年経つらしい。
 10年目の結婚記念日周辺でどこかに旅行に行こうかという話は春くらいからあったのだが、大名旅行をするほどの金はないし、2人とも山に行きたいしということで「どこか2人で山に行こう」ということになった。そのどこかだが、穂高という案もあったのだが、結局は前々から私より「いいぞぉ〜」と話だけ聞かされていた高天原に行きたい、とカミさんが主張したのだった。
 高天原山荘の小屋番の小池さんは、私が薬師沢小屋でバイトしていた時の小屋番だし、カミさんも下界では何度も面識があり親しかったのだが、ちょうどタイミングがいいことに地元チューリップテレビで「高天原物語」というテレビ番組があり、それを見てなおさら行きたくなったらしい。
 小池さんは3年ほど前に22歳も年下の奥さんをもらった。奥さんの香春さんは登山経験が全くない人なのだが、小池さんとの結婚を機に山小屋生活を知って今年で3年目・・・という番組で、シーズン始めの小屋開けからシーズン半ばまでの山小屋生活を密着取材していたのだが、主にイワナの会の内輪では「あいつが『イワナ釣りの達人』だってぇ?」なんてツッコミを入れられていたが、それはそれとして私的には丁寧な取材で好感が持てる番組だったのだ。カミさんも、2人が暮らす高天原の映像をテレビで見て、どうしても行きたくなったらしい。
 私も小池さんが高天原の小屋番になってからは高天原に行ったことがなかったので、やはりテレビを見て行きたくなってしまったのだった。
 そんなわけで目的地は高天原に決定、であった。

 子供達は2人とも娘に預けたのだが、4日間もの間夫婦揃って子供達と離れるのは初めてだったので、その点ちょっと不安はあった。だがそんなものは山に入ってしまえばどうにもならないのである。ましてこの山は、登山口ですら携帯もバリバリの圏外だし(docomoは太郎小屋周辺で通じるらしいが)、公衆電話だって太郎小屋にしかない。不安だろうがなんだろうが連絡さえ付かないのでは開き直って楽しんでくるしかないじゃないか。

 そのカミさんだが、実は彼女は究極の晴れ女である。登山経験は極小のくせに、美味しいところはしっかりせしめているという、人生をナメた経歴の持ち主である。
 ちなみにカミさんの初めての登山は、私の大学山岳部の夏山合宿にお客さんとして合流しての剱岳である。初登山のくせに長治郎雪渓〜剱岳〜平蔵雪渓というバリエーションルートを登ってしまった。快晴で雪渓の状態も良く、何の問題もない1日だった。平蔵雪渓を滑落した事故を目撃した以外は。この時、雷鳥沢のテン場で山全体が燃えるような見事な夕焼けを目撃し、それが夕焼けの基本形だと勘違いしてしまった。
 2回目の登山は6月末の雲の平。小屋開け直後の薬師沢小屋に連れていってイワナの会のメンツとどんちゃん騒ぎをし、翌日快晴の雲の平に連れて行った。雲の平の小屋はまだ営業しておらず、1日中誰にも会わなかった。静かな雲の平で昼寝をして雷鳥の声で目を覚ますという、それはそれは贅沢な山を知ってしまったのだった。
 3回目は娘も連れて9月の立山。見事な秋晴れ。
 その次は8月の剱。これは結婚するちょっと前だったか。この時初めて雨が降ったが、剱岳登頂には支障がなかったし、頂上では雨も止んでダイナミックに動く雲とその切れ間から覗く山々の展望を楽しんだ。
 そんなわけでカミさんが山だけでなく人生もナメてしまったのは仕方がないことかもしれん。

 一方私は、どちらかというと雨男である。学生時代は山行というと最低1週間くらいの行程だったので、それほど雨に降られてばかりという印象はないし、山小屋生活の合間に山歩きをする時は、当然晴れなければ行動しないのでやはり晴れの記憶ばかりである。
 しかし落ち着いて良く思い返せば、1人で行った短い山行で絶好の天候に恵まれたことって、ほとんど記憶にない。雨や吹雪の間隙を縫うようなクリティカルな想い出ばかりである。大増水に遭遇したり鉄砲水を目撃したりと、けっこう凄い目に遭っていたりする。
 この私の雨男とカミさんの晴れ女、どちらが勝利するか?という問題は、実は私的にかなり注目していた。
 山行予定日の9/25-28の天気予報は、1週間前は雨雨曇り曇りで、私の勝利は確実かと思われたのだが、日を追うごとに晴れマークが増えてくる。前日の天気予報では、曇り雨、雨晴れ、晴れ、晴れの予報になっていた。恐るべし晴れ女パワー。

9/25 折立〜薬師沢小屋

 折立から歩き出すとのっけから雨だった。初日の行動開始からカッパを着ることって、実はほとんど経験にない。まあそれは「降ったら行かない」というポリシーを守り通していたからなのだが。
 9月なので雨は冷たく、三角点を越えて草原地帯になると横風も加わってけっこう辛い行動になった。カミさんは、「今から降ってるということは天気が前倒しになっているからで、だから明日は朝から晴れるよ」なんて人生をナメたことを言っている。
 ヘロヘロ体力のカミさんなので、行程にどれくらいの時間がかかるか未知数だったのだが、太郎小屋までの所要時間は3時間40分。なんだ、まあまあじゃないか。かなり強い雨だったので薬師沢の状況が不安だったが(つい先月あんなものを見てしまった後だけに余計)、小屋で聞くと「やや増水」という状況だという。まあ橋さえ流されなければどうにでもなるので、これ以上増えないうちにとさっさと薬師沢小屋に向けて出発した。

第三徒渉点 

生まれ変わった第三徒渉点

 先月流された第三徒渉点の橋は、新たにFRP製の橋が架けられていた。
 やや増水しているが、これなら問題なしである。

 


 土砂降りの雨の中、薬師沢小屋に到着。ゴアテックスのカッパを着ていてもさすがに全身濡れネズミである。
 さっそく乾燥室を使わせてもらうが、ザックカバーを使わなかったのと、ザック内の防水対策を横着したおかげで、着替えまでがけっこう濡れていた。まあ着干ししたのであまり問題はなかったが。
 薬師沢小屋には先月と同じ面々が揃っていて、先月撮った増水の写真を持っていったので(こいつの防水対策は完璧)それを見ながらあれこれ話したり、例によって宴会になったのであった。(明日もあるので早い時間にお開きになったが)

9/26 薬師沢〜大東新道〜高天原

 朝起きると、まだ空は雲で覆われているものの、午前中にも晴れてきそうな空模様である。カミさんの言ったとおり、天候はどうも前倒しになっているらしい。鼻高々のカミさんはまた人生をナメてしまうのか・・・
 この日は薬師沢小屋バイトの景子ちゃんも休暇を取って高天に行く日である。彼女は雲の平〜祖父岳〜水晶岳〜温泉沢〜高天原というロングコース(コースタイムで10時間くらい)を予定していた。朝食を食べながら景子ちゃんが小屋番の坂本さんに、「私、何時くらいに出発したらいいですか?」と聞いたら坂本さんが、「う〜ん、部屋掃除が終わってからだから8時半くらいかな」と答えたので、一瞬彼女の目が点になったのを私は見逃さなかった。
 そうだよなぁ〜、小屋でバイトしていた時は部屋掃除を免除して出発させてくれ、と言うのは、例え休暇といえど非常に後ろめたかったものだった。
 なんだったら、「部屋掃除は僕らも手伝うから、彼女を早く出してあげたら?」と助け船を出そうかと思ったのだが、私が何も言わないうちに坂本さんが「あ、コース長いんだったね。だったら7時半くらいでいいよ」と言ったので景子ちゃんもホッとしていた様子だった。
 ま、口には出さなかったが一度は心に思ったことだし、元より早立ちする気もさらさら無かったので我々夫婦は部屋掃除を手伝い、きっちりコーヒータイムまでこなしてからゆったりと出発したのであった。

吊り橋より 

吊り橋より下流を望む H15.9.26

 前日増水していた川もおおむね平水に戻っている。
 ただ、先月の増水で流れがやや変わっていた。8/31の増水前の写真と見比べて判るだろうか。
 先月の本流の鉄砲水で薬師沢が堰き止められたようになったせいか、薬師沢の河床が一段高くなっているようだ。また、右岸の写真で見ると中程の位置に大きな淵が新たにできていた。これは下にあった大岩が流されてしまったためだろう。

 


 

大東新道を行く 

1.大東新道を歩く

魚飛の滝

2.魚飛びの滝

イワナ

3.イワナ

 大東新道はB沢出合までの1時間ほどは河原歩きである。
 何カ所かに小さく高巻きするような道はあるが、右の1の写真のように河原を歩く区間が多い。
 それにしても増水の直後で水量がやや多いせいもあるが、昔はもうちょっと河原部分が広かったような気がする。なんだか川が全体にだらしなく流れている感じである。この部分などはちょっとでも増水したら通行不可能になってしまうだろう。
 流れの真ん中に取り残された赤ペンキマークの岩もいくつかみかけた。

 右の2の写真は通称「魚飛びの滝」と呼んでいる場所である。写真の奥に見えるのが魚飛びの滝。
 落差は3mほどだが、長さが10mほどもあるので「滝」と言えるかどうかは微妙なところ。私の基準だと「滝」ではない。つまり、沢登りの最中にこのような地形が出てきても、遡行図に滝マークは入れないと思う。
 「滝」かどうかはともかくとして、なぜ「魚飛び」なのかというと単純明瞭で、ここで「イワナの滝のぼり」を見ることができるからである。
 午後になると滝の下の淵にイワナが集まってきて、次々と滝をジャンプして越えていく様子が昔はよく見られた。ほとんどは失敗して滝の下に戻されるのだが、たまに滝越えに成功して上流に抜けていくイワナがいた。ずっと見ていても飽きない光景だった。

 今でもそれを見ることができるのだろうかと薬師沢小屋の従業員に聞いてみたが、知らないと言うことだった。まあ、午後3時とか4時頃のことなので、一番忙しい時間帯の山小屋従業員が見に来ることができるわけはないのであった。私だって見たのは居候していた頃だもの。

 9月末の今頃のイワナは産卵期を控えていて、もう既にペアリングはしている時期である。
 この魚飛びの下の淵にも、既にカップルとなったであろうイワナが2匹、悠然と泳いでいるのが見えた。2匹同時に写真に撮ることができなかったのは残念だったが、とりあえずカメラには収めてみた。3の写真がイワナである。


 

A沢手前の案内板 

A沢出合手前にある案内板

A沢出合付近

A沢出合付近

B沢出合

B沢出合

 

 黒部川は薬師沢小屋〜A沢出合付近までは広々としていてのんびりした河原歩きなのだが、A沢から下流では川幅も狭くなって両岸の壁も立ち、そろそろ「奥の廊下」の様相を呈してくる。
 それでも昔はA沢〜B沢間は中州が通行できたため、比較的楽に通過できたのだが、今年は中州が通行不可能になり、右岸の壁通しに行くしかなくなってしまった。
 その壁通しのルートも、一般登山道としてはやや際どく、また増水時にはまったく手も足も出なくなってしまうので、今年新たにA沢から尾根ごと大高巻きをしてB沢上部に出る道が開かれた。それが130mのアップダウンという話なので、そりゃもう聞いただけで疲れる。
 どうせ昨日の雨中行動で靴の中までぐちょぐちょに濡れているし、たとえ膝までの徒渉があったとしても壁伝いルートの方が良いと躊躇なく沢伝いルートを選択した。

 このA〜B沢間壁伝いルートの詳細は、別に「大東新道A〜B沢出合間ルートの詳細」というページにまとめた。

 へつりや水中へのハシゴ下りなどもあって、なかなか楽しく通過するといよいよB沢出合である。
 大東新道はここから黒部川本流を離れて雲の平の斜面をトラバースするように登っていく。

 カミさんがこの河原部分をどれだけのスピードで歩けるかを心配していたが、案外スムースに歩いてきた。河原歩きにはたぶん独特のコツがあって、たまにかなりのベテラン、それも本格的なロッククライミングの経験者ですら河原をヨタヨタになって歩く姿を見ている。
 また、整備された「登山道」を歩いた経験しかない人には、どこを歩いても歩ける河原だと却ってどこを歩いて良いか判らずにルートファインディングに苦労しているようだ。
 薬師沢小屋で働いている頃、よくお客さんに「道標がないではないか!」と叱られた。道標建ててもすぐ流されちゃうんですよ〜。
 また、水量が多くて河原通しに行けない時に高巻くための道も何カ所かに付けられていて、それらの入り口にも当然赤ペンキでマーキングしているのだが、たいていの人が水量が少なくて必要もないのにマーキングを拾って高巻き道に入るらしい。
 「不必要にアップダウンが多い!」と怒られても・・・ほんとに不必要なんですけど。

 その点、カミさんは不必要な高巻き道へのマーキングを平然と無視して河原を直進したのはさすがだが、それはもちろん何も見ていなかったからだということは言うまでもない。


 

B-C沢間の登り 

B-C沢間の尾根道の急登

 

 右の写真はB沢〜C沢間の尾根道である。かなり急な登り。
 この上り下りをB-C-D-E沢と繰り返して高天原峠に達する。
 実はこの写真の場所近辺にはと〜っても良いことがあるので、夏も終わりに近くなるとバイトや居候総出でこの近辺をくまなく探索したものである。
 道を外れて本流の壁の間近まで行ってしまい、非常に危ない思いをしたことも二度や三度ではない。

 小屋で働いていた頃、私はこの大東新道が大嫌いだった。小屋からB沢までの沢通しの区間は大好きなのだが、このB沢から高天原峠までのアップダウン区間は毛嫌いしていた。陰気だしじめじめしてるし、やたら上り下りが多いし。
 沢から高天原に遊びに行った時など、午後3時までに小屋に帰らねばならないので、帰りの大東新道は飛ばしに飛ばすのが常で、高天〜薬師沢小屋間は2時間で行かないと遊べなかった。だが、この連続するアップダウンはペース配分が難しく、よくペース配分に失敗してタイムアウトしてしまい、小池さんに怒られたものだった。
 逆に薬師沢から高天原に遊びに行く時は、ほとんどこの大東新道を選択したことがなかった。嫌いだったから。
 たいていは黒部川本流を立石まで下り、竜晶池に登る道を歩いて高天原に行くコースだった。薬師沢の部屋掃除が終わった午前9時から行動を開始し、高天の温泉で風呂に入ってビールを飲み、大東新道を走って午後3時に薬師沢小屋に帰還、というのが標準的な半日休暇の過ごし方だった。風呂に入ってビールまで飲んでしまった後の大東新道の辛いことったら・・・それでこの道が嫌いになったのか。

 今、カミさんとゆっくり歩いてみると、なんだこの道もまんざら捨てたものではないな、と思う。展望は利かないのだが、それでも樹間から薬師岳の東南稜や黒部川の河原がちらほら見えるし、よくよく見れば太郎方面も見える。昔のように「腰までの徒渉なら散歩のうち」というほど血気盛んでもないし、高天に行きたければこれからはこの道とも仲良くしなければ・・・

 後で小池さんに聞いたら、D沢とE沢に設置していたハシゴを撤去してしまった後だったらしい。「今日俺達が行くことは判っていたのにぃ?」と苛めてみたが、てっきり雲の平周りで来ると思っていたらしい。ん〜、私の大東新道嫌いも知ってるからね〜。
 それにしても、「え、ハシゴなんてどこに付けていたの?」と思うくらい、別に何にも支障はなかったのだが。

 

高天原 

高天原山荘手前の湿原

竜晶池

竜晶池

 

 というわけでようやく高天原に到着。きっちりコースタイムどおりの5時間かかった。同じ距離でも5時間かければ5時間分疲れる、ということが判った。

 小屋に着いて小池さん夫婦と再会を喜び合う間ももどかしく、とにもかくにも荷物をまとめて温泉である。

 まず温泉を通り過ぎて竜晶池に向かった。
 「高天原物語」の取材で来ているチューリップテレビのクルーとは温泉ですれ違った。竜晶池に行って帰ってきた頃には彼らも小屋に帰っているだろうし、よしよし温泉は貸し切りだぁ。

 竜晶池は薬師岳を写し込んだ写真が有名なので、敢えて反対側の赤牛岳の稜線をバックに撮った写真を載せてみた。それにしてもこのあたりの雰囲気というか素晴らしさは、とてもじゃないけど写真には写せない。ポケッとしていると脳みそが融けて耳から流れ出していくような気がする。
 ハイテンションなカミさんもここでは静か。

温泉全景 

温泉全景
下から女性用内湯、混浴露天風呂、女性用露天風呂

温泉

混浴露天風呂にて

高天原山荘

高天原山荘

 

 竜晶池でポケーッとした頭のまま温泉に戻ってきた。
 温泉は下から女性用内湯、混浴の露天、女性用露天の3つの風呂がある。
 ちなみに10年ほど前までは、このうち女性用内湯だけが存在していて、露天風呂は対岸にあった。崩壊に巻き込まれて今では跡形もないが。脱衣所の囲いの波板だけが土砂の間から少しだけ顔を覗かせている。

 さて、3つのうち2つの風呂が女性用だが、今は9月も末、我々夫婦の他には誰もいないのである。となれば当然、全ての風呂を制覇せねばなるまい。
 と思って一番下の内湯の扉を開けた途端、「キャ〜!」という黄色い悲鳴が響き渡った!なんと景子ちゃんだった。いや〜、まさかいるとは。
 河原を見ると確かに彼女のザックがあったりする。あたふたと上の混浴風呂に向かう私であった。

 この「覗き事件」はその夜の高天と翌日の薬師沢の小屋で、すっかり酒の肴になってしまった。こんなことならもっとしっかり見ておくべきだった(爆)。

 結局混浴風呂の方でカミさんと2人でのんびりしていた。
 脱衣所に腕時計が1つ忘れられていたのだが、これは三俣から風呂に入りに来た人のものだと判明した。高天原峠経由で帰る途中で私達とすれ違っていたのだが、そうかぁ、確かに幸せのあまり脳みそが融けたような顔をしていたものなぁ。
 腕時計は高天原山荘で預かっています。

 高天原山荘に帰ったら、今夜は一般のお客さんはゼロでテレビ局と私達だけ、つまり「身内のみ」だということが判明した。香春さんが「今夜はパーティー」とウキウキしながらビールをたくさん冷やしていた。

 それにしてもこの小屋、前からボロだったが遂に「直線」がなくなってしまった。床も水平な場所などない。窓など不規則四角形の窓枠に実に器用にはめ込まれている。
 昔から「北アルプス三大ボロ小屋」として有名なのだが、ではあとの2つはどの小屋なのだろう?薬師沢小屋と水晶小屋か?
 薬師沢小屋もそうだが、この小屋も床が傾いているので、中で歩き回っていると微妙に平衡感覚が狂ってくる。酔っていると効果も倍増である。寝て朝起きると布団が偏っている。
 でも、いつか建て替えられて綺麗な小屋になってしまったら、きっと淋しいだろうなぁ・・・


 

後半に続く

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