平成21年8月7〜10日 穂高

8/7(金)  8:00 上高地バスターミナル 出発
   9:00-20 明神
   10:05-40 徳沢
   11:45-12:20 横尾
   16:00 涸沢キャンプ場 着
8/9(日)  7:00 涸沢キャンプ場 発
   8:20 ザイテングラード取り付き
   9:20-50 穂高岳山荘
   10:35-11:25 奥穂高岳
   12:00-12:30 穂高岳山荘
   14:10-14:55 涸沢小屋
   15:00 涸沢キャンプ場 着
8/10(月)  7:30 涸沢キャンプ場 発
   8:50-9:05 本谷橋
   10:05-10:25 横尾
   13:10 小梨平キャンプ場

 

 今年は長男の大も中学3年である。つい先日、中学に入学したと思っていたら、部活(硬式テニス部で部長をしていた)も引退してしまい、なんと受験生なのである。
 来年、高校生になったらもう家族山行なんかにゃ参加できないだろうから、これが4人揃っての最後の夏山になるかもなぁ・・・ということで、今年の夏山は去年からちょっと気合いが入っていたのだった。まあ3年前も「大も来年は中学だし、家族4人揃っての夏山はこれが最後かも」と思ってはいたのだが。
 で、H家と去年から「来年の夏は穂高に行こう」という話になっていたわけである。H家のTOMOちゃんも中学生だし、2家族8人が揃って山に行けることも、今年を逃したらそうそうあるまいと。

 夏の穂高は私も行ったことがないので新鮮な気持ちである。これまで冬しか行ったことがなかったので、当然涸沢には行ったことがないのだ。
 ・・・でも、涸沢のテン場で山を見ていたら、残雪期に一度来たことがあるような気が。涸沢から奥穂にダイレクトに突き上げるマイナーなバリエーションルートを登った記憶があるんだな・・・学生時代のことなんだろうけど。なんせ多い年は年間200日も山に入っていたので、いちいち憶えちゃいないのだが。

 さて、というわけで日程調整もなんとか終え(2家族の都合が合う日程が確定したのは半月前だった)、準備も着々と進めていたわけだが、今回はこれまでの雷鳥沢と違い、ベースキャンプに到達するのがたっぷり1日コースである。これまでのようにザックに入りきらない食糧をトートバッグに入れて手提げで運搬するなど不可能である。
 さすれば、ちょっと真剣に軽量化をせねばなるまい。

 というわけで出発前日、荷物の重量を量ってみたのだが、私がダックスの70Lザックでちょうど20kg、カミさんがオスプレーの45Lザックで8kg、大がモンベルの60Lザックに10kg、生がミレーの30Lザックで5kg、4人の総重量が43kgであった。ちなみに水は入っていない。水は今回、合計6L分の水筒を持った。それとカミさんの化粧道具やらで出発時に1kg弱の追加があった。
 まあ1人当たり11kg程度ということで、3泊4日ならまあまあの軽量化である。もっと削れるのだろうが、食糧は昨年までと比べるとずいぶん質素になったが、それでもまだ量も多いし贅沢もしているし。

 このサイトでは軽量化命みたいなことを書いている私だが、現実にそこまで意地になって軽量化をすることはあまりない。別にそこまで軽量化しなくても人並み以上のスピードで歩けているし、なんて嘯いてみるのだが、H家の軽量化は半端ではない
 下山後だが、大がHさんのザックを持ってみて「俺のより軽い」と言っていたから、4人の中で最も重いはずのHさんのザックでおそらく10kg前後。とすると、4人の総重量はひょっとすると20kgを切るのではあるまいか?少なくとも25kgを超えることはなさそうである。すげー

 ちなみに今回のパーティーの最弱者はダントツでカミさんである。
 今回の山行の鍵は、カミさんがどれだけ歩けるかにかかっているわけである。
 さてさて、どうなることやら。

 前日、6日の夜にH家が大阪から我が家にやってきて、7日早朝、いよいよ上高地に出発である。
 梅雨明けが遅れて今年はどうなるのだとやきもきしたが、梅雨もようやく明けて天気図を見てもやや不安定なりに好天が続きそうな気圧配置だし、やるき満々で目覚めると・・・
 ん?雨が降っているぞ?
 ま、7日はまだ不安定な気圧配置だったし、なんとか今日涸沢まで登ってしまえば明日からは問題なかろう、と平湯からバスに乗って上高地へ。

 

河童橋にて全員集合

河童橋にて全員集合

 というわけで、河童橋の前でお決まりの記念写真である。
 細かい霧雨が降っている。山は見えない。
 上高地には、11月に1回と冬に数回来たことがあるが(夏のハイシーズンは初めてなので人の多さに驚いた)、これまで河童橋から何かが見えた試しがない

 


 

河童橋にて

わざわざ河童橋を渡る生とYUTA

 生とYUTAはよほど気が合うらしく、H家と遊ぶ時はいつも2人ではしゃぎ回っている。
 無意味に河童橋を渡ってまた引き返してくる2人であった。

 

 


 

 さて、河童橋を出発してから明神、徳沢と順調に歩いていったのだが(それにしても天気が悪い横尾までの道って、単なる10kmの林道じゃないか)、横尾で昼食を摂っている時に遂に雨が本降りになってきた。
 うへぇ〜、もしかして今日は雨中の設営か?とげんなりしながらも、まあ今日を乗り切れば明日からは・・・という期待で涸沢への道を歩き出すの8人だであったのだ。ここからようやく登山道、横尾まではアプローチの林道10kmである。

 雨は時間と共にますます強くなり、本谷橋を渡る頃には土砂降りと言って良い降りになっていた。
 本谷橋を渡ってしばらく急登になるのだが、ここまでけっこう良いペースで歩けていたカミさんが遂に遅れだした。まあだいたい、このパーティーのペースがテント装備としてはかなり速いのだが・・・(でもH家の荷物だったら小屋泊まりでもこれ以上担いでいる人はいるぞ)
 雨は強いし、カミさんのこのペースに付き合わせていたら、今度は子供達がバテるかもしれないので、Hさんもいるし私がカミさんについて他の6人には先行してもらう。

 遅いと言っても、別にバテているわけでもなく淡々と歩いているので心配するほどのことではないのだが、時々不意に立ち止まるのが後についている私には堪えた。雨が強いのでフードを被っている。すると視界が狭いのでカミさんが立ち止まっているのが直前にならないと判らない。すると私も中途半端な姿勢で止まらねばならず、それが私の体力を消耗させた。今になって思いついたのだが、前を歩けば良かったのね。
 とはいうものの、結局横尾から3時間40分で涸沢に着いているのである。なんだ、良いペースじゃんか。

 さて、涸沢。憧れの涸沢。
 ・・・土砂降りである。なんも見えん。そのくせけっこう混んでいて、ヒュッテ(トイレも水場もヒュッテの中にある)からかなり離れた場所しか確保できなかった。
 おまけに涸沢のテント場はモレーンの中にあるので、基本的に岩だらけである。その岩をならしてサイトを作っているのだが、4人用のテントが張れるサイトは少ない。2人用のテントなら張れる場所はたくさんあったのだが。

 土砂降りの中、設営を済ませてテントに潜り込むと、そこは極楽である。トイレに行くのにもえらく気合いが必要だが。
 池上家はザックカバーをしていないのでザックはずぶ濡れである。こんなモノをテントの中に入れるわけにはいかないので、外にツェルトにくるんで放置した。着ていたものとマットが濡れてしまったが、他は濡れたモノは少なく(ザック内の防水はかなり厳重にかけていたため)、それなりに快適な居住空間である。
 H家はザックカバーを過信してしまい、結局かなりのモノを濡らしてしまったそうである。うちも濡れたマットの上で寝ることになるのでシュラフも相当湿気るだろうし、明日は雨が降らなくても停滞かな。濡れたモノを乾かさなきゃ。

 テント場の中に夏山相談所があって、その前に天気図と天気予報が張り出してある。
 みれば、昨日まではなかったはずの前線がまた復活しているではないか。明日からの予報もかなり悪い。

 ここでモチベーションがガタ落ちになった8人であった。天気が回復しなければ1日速い撤収も視野に入れ、H家と「ともかく明日は停滞日ね」という相談をして、疲れからあっという間に眠りにつくのであった・・・

翌8日。

 天候は曇り時々雨。たま〜に一瞬日が差す。
 十分行動も可能な日だったが、とにかく濡れたモノを乾かそうということで停滞日にした。

 

涸沢キャンプ場

とにかく干す

 日が差していなくてもけっこう乾く。
 むしろ陰干しになって良いかもしれない。
 山にいる時は気が付かなかったが、こうやって写真を見るとカミさんの顔が浮腫んでいる。そういや頭が痛いとか言ってたなぁ。軽い高度障害だったのだろう。

 


 

 一瞬日が差すと、下の写真のようないかにも「夏山!!」という風景にも出会えるのだが、すぐ日が陰り、どうかすると雨がぱらつく天候だった。その度、慌てて干していたものを取り込むことの繰り返し。

 レインウエアも裏返して干したのだが、裏側の濡れが一番少なかったのは意外にも大が着ていたオンヨネのレインウエアだった。
 ま、発汗量も人それぞれなので一概には言えないのは判っているが、オンヨネ侮り難し、である。
 ちなみに一番濡れが激しかったのは、私が履いていたドライライトテックを使用したモンベルのバーサライトパンツであった。ま、ドライライトテックの透湿性はやや劣ることは前から判っているし、予想通り。

 

涸沢キャンプ場

一瞬の夏山!

 

涸沢キャンプ場

涸沢キャンプ場を流れる夕刻の霧

 

 夕方、夕食を作ろうかという時刻になってゴロゴロと不気味な音が・・・
 パラパラと雨が降ってきたのでテントの外で炊事を始めていたのをテント内に避難させた途端、土砂降りの雨に!
 カミさんと大がちょうどその時、トイレ&水汲みのためにヒュッテに行っていて、ずぶ濡れになって帰ってきた。おまけに慌ててテント内に炊事を移動した際に、テント内に水をひっくり返してしまった。

せっかく乾かしたのにまた濡れた・・・

 なんにしても明日も今日と似たような天気のようである。
 とすれば、行動可能なので奥穂には行けるな、もし強い雨が降っていたら1日速く撤退しよう、とH家と打ち合わせて眠りについたのであった。

 さて翌9日。

 朝、テントから顔を出して驚いた。
 写真のような見事なモルゲンロートである。でも別に好天というわけではなく、細かな雨がパラパラしているような天候なのだけどね。
 慌てて一眼レフカメラを引っ張り出してテントから顔を出したままの体勢で取った写真が下である。露出などをいじっているヒマも惜しく、絞り優先モードでF8.0になっていたそのままでとりあえず撮った。シャッタースピードが1/6secという手ブレ必至の遅さだったので、絞りをもう少し開けてもう1枚、と思ったら、もう色が消えていた。

 

涸沢の朝焼け

涸沢のモルゲンロート

 

 時折小雨はぱらつくものの、十分行動可能な天候なので奥穂に登ることにした。登っても何も見えない可能性が高いけど。
 急いで朝飯を食って荷物を作って出発である。

 

出発前の集合写真

奥穂にアタック!

 奇しくも池上家もH家も、母は空身、という荷物の設定になったとさ。

 


 

 ヒュッテの横からザイテングラードへの道に入る。
 途中、雨が降ってくる。レインウエアを着る、すると雨が止む。暑いなとレインウエアを脱ぐ、するとまた降ってくる。これを「着る止むの法則」あるいは「脱ぐ降るの法則」という。まあマージャンの「切る来るの法則」と同じようなニュアンスである。目まぐるしくレインウエアを着たり脱いだりしながら登るのであった。

 

ザイテングラードにて

ザイテングラードの鎖場

 ザイテングラードに1カ所ある鎖場にて。
 全体的に痩せた尾根で、なんだか御在所の中尾根みたいな雰囲気だな〜とか思いながら登っていた。(といってもほとんどの人には判るまいが)

 


 

ザイテングラード

ザイテングラードにて (Hさん提供)

 

 

 


 

 ザイテングラードから涸沢を見おろした時、前穂高岳に伸びる雪渓のカタチが日本地図に似てると誰かが言いだした。
 言われてみればそんな気も・・・
 雪渓が大きすぎて1枚の写真に収まらないので2枚に分けて撮ってみた。左写真が九州と四国、紀伊半島、右の写真は能登半島から北海道にかけてである。似てる?能登半島は巨大すぎ、北海道は地続きの上、小さすぎるが。
 3億年前の日本列島、とか言われたら「ああ、なるほど」と思いそうなカタチである。

 

雪渓日本地図 西日本 雪渓日本地図 東日本

雪渓の日本地図−西日本

雪渓の日本地図−東日本

 

 ザイテングラードではまだ視界もあったが、穂高岳山荘まで登ると完全にガスの中、であった。雨も降っているし寒いし。
 山荘内のモニターで「雨雲の動き」を映していた。それによるとこれからほんの少し天気が良くなりそうな気も・・・でも、西の方には巨大な雨雲があるので、どちらにしても天気は下り坂のような。
 こんなものより最新の天気図が見たい、と思って山荘内を探していたら、ロビーの先の廊下に張り出してあった。靴を脱ぐのが面倒だったので膝で這って見に行ったのだが、昨日のだった。がっかり。

 ま、さっさと登ろうということで奥穂高岳に向けて出発。
 いきなり鎖場&ハシゴである。冬に来た時にはバリバリの雪壁だったところで、「こんなところを一般ルートが通っているのか?」と思いながらピッケルを振っていたところだが、なるほどけっこうえぐい。高度感もたっぷりである。剱のカニの縦バイほどではないけど。
 鎖場を抜けると、あとは岩でガラガラの尾根を山頂目指して登るだけである。

 ・・・で、遂に奥穂高岳登頂である。視界ゼロ。風強し。小雨。

 

奥穂
奥穂

頂上での記念撮影 子供編と大人編

 20年ほど前の冬に来て以来だけど、奥穂の頂上ってこんなだっけ?この祠、こんな立派な石積みの上にあったっけかな?
 昔、北岳を抜くために2m以上の高さにケルンを積み上げた云々の話を聞いたことがあるけど、これがそうなのか?

 

 

 


 

 そろそろ降りようかという時になって、少しだけガスが晴れて視界が開けた。上高地〜西穂方面だけだったが、それでも何も見えずじまいよりは遙かに素晴らしい。

 

 

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奥穂頂上から上高地

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ジャンダルムが見えた

 惜しむらくは一眼レフを取り出すヒマがなかったのだ。よってバッテリーの切れかけたOptioで撮った写真である。
 Optioは穂高岳山荘の辺りからバッテリー切れの表示が出ていたが、ポケットに入れて暖めると復活するのであった。

 

 


 

 さて、景色も(少し)見たことだし、いよいよ下山である。
 下山といえば、あの鎖場を今度は降りなければならないので、穂高岳山荘までは神経を遣う嫌な下りである。自分自身は平気でも、他人、特に家族を連れてこういうヤバイ場所を通過するのは本当に嫌なんである。だから剱にも行ってないのに。

 ところが事件はその遙か手前の岩稜で起きた。
 生が足を岩に引っかけて、見事な前方宙返りを決めたのだった。いや〜、ヤバイ場所でなくてほんっとうに良かった・・・
 ま、これでYUTAとふざけながら歩いていたのが、真剣に歩くようになったので結果okなのだが。

 穂高岳山荘手前の鎖場はやはり嫌〜な下りだった。何が嫌かって、穂高の鎖場は登りと下りが同ルートなのである。剱では大半の鎖場は登りと下りが別ルートになっているのに。すれ違いに5倍神経を遣うではないか。しかも自分だけならまだしも、子供を含んだ8人パーティーだもの。

 ここに子連れで来るのはもう嫌だなぁ・・・と少々ゲッソリしながら穂高岳山荘に到着。
 ま、生ももう1〜2年すれば「子供」じゃなくなるので良いのだけど。

 

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昨年に続いて生のたんこぶ

 転倒直後はじっくり様子を見る余裕がなかったので、山荘で生の怪我を見る。
 ご覧の通り、見事なたんこぶである。頭から着地したのだからこれくらいで済んでラッキーである。傾斜が強かったり痩せ尾根だったりしたら、当然アウトの状況だったわけだから。

 生は去年に引き続き、見事なたんこぶを作ってしまったわけだが、今年はさすがにショックだったらしく、べそをかいていた。まあ、生きてて良かったね。

 


 

 鎖場といえば下りのザイテングラードの鎖場でも事件が。

 このザイテンの鎖場は、下から登ると斜上バンドをピークを巻くように登り、最後にハシゴで尾根上に出るわけだが、この出た尾根もけっこう痩せている。
 これが下りだと、まず痩せ尾根を降りてハシゴを下るわけだが、尾根の上からはハシゴの基部までしか見えず、鎖場は見えない。

 この鎖場で20人ほどの大パーティーとすれ違った。先頭のガイドらしき人は「20人もいるから構わず行ってくれ」と言ったのだが、下からひっきりなしに登ってくる状況で、子供を含んだ8人パーティーが突っ込んでいってすれ違いなんて嫌である。仕方がないので全員通過するまで待っていたわけである。
 ほんとに20人か?と思うほど大勢通過していって(多分別パーティーも混じっていた)、ようやく人が切れたので(最後尾の人にも確認して)下り始めたわけだが、ハシゴの上部に来た時、ハシゴの基部に親子連れが登ってきた。
 「なんて間が悪い」と思ったが、こちらはもうハシゴまで来てしまっているし、痩せて不安定な尾根の上で8人がすれ違いするのはちょっと嫌らしいので、「すみませんが行きます」と声をかけてそのまま下った。生とYUTAだけでも降りてしまえば、あとの大人達は尾根上ですれ違いさせても心配ないし。

 ところが相手の親の方がぷりぷり怒って「登り優先だろう」とか言いだし、まだYUTAがハシゴを下りきっていないのに登り始めたのである。
 生もYUTAもまだ安定した足場まで来ていなかったので、一瞬ヒヤリとした。
 彼らに遭ったのがまだここで良かった。奥穂への鎖場でこんなことしやがったら、鎖場から引きずり落としてやるぞ。

 「登り優先」というのは普通の登山道での話であって、狭くて不安定な道や、まして鎖場ではまったく別の話だからね。安定した足場にいる者が不安定な場所にいる者に道を譲るのが鉄則だろう。
 あの親子、どこかで事故らなければ良いけど。事故るときは自分ではなく他人を事故らせるだろうから。

 

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涸沢小屋近くの石舞台

 バカのおかげでしばらく怒りモードだったのだが(生までが「あのおっさん嫌い」とぶつぶつ言ってた)、後ろの方では何があったのかよく判らなかったらしい。

 ザイテンを降りると道が2つに分かれる。
 登りはヒュッテ横からの道だったので、涸沢小屋に降りる道を下ることにする。

 この石舞台、晴れた日にこの上でトカゲすると気持ちいいだろうなぁ・・・

 


 

 さて、涸沢小屋の方に降りてきて、名物のジョッキパフェを食してみた。
 これはもし1人で食ったら腹壊すぞ・・・

 

涸沢小屋のジョッキパフェ

涸沢小屋名物 ジョッキパフェ!

 なんて嬉しそうな顔を。

 


 

 というわけで無事下山である。

 

18_goal.jpg

無事下山

 荷物をテントに放り込むと、今さっきまで涸沢小屋でパフェ食っていたばかりというのに、いそいそとヒュッテの方へ。


 

 あまり暑くないのでいまひとつ盛り上がらないが、でも行動後はやはり生ビールを飲まないわけにはいくまいて。
 生ビール800円、おでんが1品100円、ラーメンが800円である。まあ安いと言えるのでは。雷鳥沢ヒュッテの生ビール500円が安すぎなんである。

 

涸沢ヒュッテにて

YUTA相手に何を力説しているんだ・・・? (Hさん提供)

 涸沢ヒュッテのパノラマテラスでビール♪

 

 


 

 天気図を見ると、翌日もあまり良くなさそう。せめて撤収の時は雨が降らないと良いなぁ・・・と思いながら寝たわけだが、夜半になってテントを叩く雨の音。
 うつらうつらしながら「朝までに止むと良いな・・」と思っていたのに、ますます強くなる雨の音。
 午前4時には、まさに「土砂降り」であった。ひでぇ〜。設営も撤収も土砂降りの中かよ〜。

 H家のテントの様子を伺うことすら面倒になる降りだったので、うちはとにかく撤収を先にやってしまおうということにした。撤収してからヒュッテの屋根があるところでビスケットでもかじって、その勢いでさっさと下山を開始しようかと。

 というわけで撤収開始が早かったのでH家が「え、早い」と焦っていたが、「うちは朝飯がまだだから焦らなくても良いよ」と言って撤収を続行。
 撤収した後のザックを、とりあえずツェルトでくるんでいたのだが、このままツェルトで屋根を張ってその下で飯食うか・・・?と思いついてしばらくその作業に熱中していたのだが(楽しかった)、生や大がさっさとヒュッテの方に行ってしまったので、力作もムダになってしまったのであった。後で発覚したのだが、ツェルトのベンチレータが大のザックの真上にあったので、大のザックだけ集中的に濡れていたという失敗作だったのだが。

 というわけで飯を食ったらもはや長居は無用。涸沢よさらばである。相変わらず土砂降り。

 

土砂降りの中の出発

下山開始! (Hさん提供)

 本谷橋でも土砂降り。横尾まで降りてきて、ようやく小やみになったか?という雨中行軍であった。

 

 


 

 横尾でHさんが、「このまま上高地までタイムアタックしたい」と言いだした。アスリートの血が騒いだか。
 それが大やYUTAは当然だと思うが、TOMOちゃんやH家の母までタイムアタックに参加すると言う。つまり、普通に歩くのはカミさんだけ?
 まあ仕方がない。付き合うか。

 雨はほぼ止んでいたのだが、明神に至るまでレインウエアを脱げばいいということに気づかず、「暑い〜」と言いながらだらだら歩いていた。
 登りでも思ったが、この上高地〜横尾の区間は天気が悪いとほんとにただの林道10kmである。苦痛じゃ。トラックでも通ったらヒッチハイクしたい、と思う道程であった。

 小梨平キャンプ場まで降りてくると、Hさん達が待っていた。きっちり1時間半で来たそうだ。途中で何人か脱落したらしいが。
 小梨平で大が昼飯を作って待っていてくれたので(焦げていたが)ありがたく食べさせて頂き、いよいよ上高地ともさよならの時が来た。

 

無事下山の記念写真

無事に下山してきました 河童橋にて  (Hさん提供)

 

 河童橋でベタベタで臭い集団に絡まれて写真を撮らされた観光客のお姉さん、ありがとう。

 さらにこの後、H家と富山の回転寿司で打ち上げをしてお別れしたわけである。私は翌日も休みを取っていたのだが、ウエアや道具の洗濯とメンテに1日完全に潰された。

 

 今回は過酷だった。レインウエアを着て行動している時間が大半だったし、テント設営も撤収も土砂降りの中だったし。
 H家と合同でなければ、きっとモチベーションが保てずに2日目くらいに下山していたかもしれん。
 また、2〜3年前だったら子供達が雨中キャンプに音を上げていたかも。4年前に雷鳥沢で雨中撤収をした時は、子供は2人とも小屋に避難させてから撤収したものなぁ。今回は大も生も雨中設営、撤収共にきっちり働かせた。まあ今だからできた山行だったのだろうね。

 穂高は確かに良い山なのだけど、涸沢のキャンプ場も含めて私はやっぱり立山と雷鳥沢が好きである。涸沢のテン場、岩がゴロゴロなので背中が痛くて。
 穂高も鎖場が上り下り共通なのは如何なものかと。特に鎖場でも登り優先を唱えて突っ込んでくるバカがいると危ないったら。

 カミさんは今回、みなについていけなかったことで自信を喪失し、「次は留守番の方が良いかも」とか言っている。
 でも、全体として普通にコースタイムで歩けてはいるんだよね。テント装備ならどちらかといえば速い方だろう。
 ま、これはH家の父と息子のアスリートコンビが速すぎるのである。この前月に2人で新穂高〜槍ヶ岳を日帰りでやっている2人である。私だってついていけん。学生時代の私でどうにか、というところである。
 まあでも、荷物はこの次はもっと軽くしてやらねばならんのか。

 これまでは生がヘタる、というより歩くのに飽きて、すぐカミさんにくっついては「しんどい」とか愚痴愚痴言っていたのが(決して私には愚痴らない)、すっかり大やHさんとタメを張るくらい強くなっていたことも、カミさんの孤独感を増幅させたらしい。気持ちはよく判る。他人が「しんどい」とか言い出すと、自分がバテバテであっても一気に楽になるもの。

 というわけで、来年はどうしようかな?と今から考えていたりするのであった。
 やっぱ次のステージは縦走かなぁ?

 

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