平成21年9月19〜22日 薬師沢小屋

9/19 (土)  8:40 折立 出発
   9:35 アラレちゃん 通過
   10:10 三角点 通過
   11:00-11:20 五光岩ベンチ
   11:50-12:15 太郎平小屋
 14:10 薬師沢小屋 着
     
9/20 (日)  終日 薬師沢小屋でお仕事
9/21 (月)  終日 引き続き薬師沢小屋でお仕事
     
9/22 (火)  10:15 薬師沢小屋 出発
   11:35-12:25 太郎平小屋
   14:00 折立 着

 

 さて、今回のは別に「山行記」ではない。まともな行動をしていないもの。
 秋の山を静かに楽しむつもりだった居候が予想を遙かに超えた大混雑のまっただ中に飛び込んでしまい、ひたすら働いてきました、というお話です。

 去年は結局黒部源流には行けずじまいだったので、今年はなんとしても行きたかったのである。高天には一昨年も行けずじまいだし3年前は高天原に行きはしたものの、風邪をひいて寝ただけで帰ってきてしまったので、もうかれこれ3年も高天に行っていない。
 高天は長い休みがなければなかなか行けないところなのだが、今年は5連休もあるし、なんとしても高天に。

 ま、ただ高天に行くだけなら、もう通い慣れた道なのでもうひとつ面白味に欠ける、ということで、今年はテント泊も入れてみようと思ったわけである。途中、雲ノ平か三俣あたりでテント泊を1泊入れようと。
 目論見では、初日が薬師沢、2日目に三俣テント泊、3日目に高天、4日目に薬師沢、5日目に下山、という心づもりだったわけである。

 そんなわけで今回はテント装備だった。まあ食糧は1泊分しかないのでたいしたことはないのだが、行動食は例によって最後に小屋で開放してくる分も持っているので、それなりの重さである。10kgを少し超えているくらいの重さである。

 さらに熟慮した結果、今回は登山靴で行くことにした。いつもはこのあたりは沢靴でうろうろしていて登山靴など履いた試しがないのだが、今回は三俣から水晶岳あたりにも行きたかったので、まあ尾根を歩くなら普通に登山靴で行くかと。というより、登山靴を選択した時点で今回は沢は歩かず、日の当たる堅気の道を歩くんだ、と決めてしまったわけだが。まあいつもとは少しパターンを変えてみたわけである。

 ところが。

 そんなケチな目論見など、折立に着いた時点で吹っ飛んでしまうのであった。

 

折立

折立・・・のずっと手前

 

なんじゃこりゃ・・・

 なによ、この車の列は。
 5連休だから人は多いだろうとは思っていたけどさ。駐車場に停められるとは最初っから期待してなかったけどさ。
 結局、車を停めることができたのは、折立のトンネル出口付近である。

 この時点でもう帰りたくなった。

 でも、この調子だと小屋はかなり混んでいるだろうし、9月も末だから短期バイトはもういないわけで、人手は足りていないはずだし、助けに行こうか・・・と気を取り直して歩き始めたのだが・・・

 なんじゃ、この人の列は。

 とにかく折立の歩き始めからず〜〜〜っと人が繋がっているのである。道が狭いので抜くに抜けないし、これだけ行列が続いていれば無理して何パーティーか抜いてもすぐ詰まるだけである。

 仕方がないので集団のペースに合わせて登っていたら、三角点まで1時間半もかかってしまった。しかも、この時点で私はまだ鼻で息をしていた
 これだけペースが違うと、見慣れた景色を見ても「今この辺り」というのが判らなくなってしまうのね。

 三角点を過ぎると道が広くなるので、ようやく追い抜きながら歩けるようになってペースも戻ってきた。
 もう十分すぎるほどの暖機運転を済ませているので、ペースを上げてガツガツ歩いていたら、心臓破りの坂の下あたりでどうも見覚えがある人を追い越した。
 あれ?今マスター(太郎小屋チェーンのオーナー)を抜いたかな?と思ったのだが、もう足が止まらずそのまま坂を登り切り、五光岩ベンチでちょっと待ってみることに。
 抜いた時のペースの差からすると、10分ほど待たなくては来ないと思っていたのに、3分も経たないうちにマスター登場。やはりさっきのはマスター。
 しかも速いぞ。マスターも集団を追い抜きながら歩いていたので、さっきのペースの差はたまたま前の人に引っかかっていただけだったのか。

 「おお、池上君、来たのか」と言いながら足も止めず、マスターは行ってしまった。しかも、速い。
 去っていくマスターの後ろ姿を見て、「これはもう追いつけない」と悟った私は、五光岩でたっぷり休憩をとってから行動を再開したのであった。
 だって、追いつこうとして追いつけなかったら私のケチなプライドに傷が付くではないか。いくらテント装備とナップザックの荷物の差があるとはいえ、70歳になろうという爺さんに負けてしまったら悔しいではないか。
(ちなみに私は空身でもあんまり速くならないので、荷物が同じでも多分負ける)

 五光岩で20分も休んだ割には、太郎には3時間を僅かに10分オーバーしただけで到着。結果的にむちゃくちゃ良いペースである。

 しかし・・・太郎小屋の前のこの人混みはなんなんだ。

 

太郎平小屋

太郎平小屋

 

 「秋の山」とはとても思えない風景である。

 帳場を覗いてみても受付が大混雑していて、とても声を掛けられる状況ではない。
 仕方がないのでそのまま食堂に入ってスタッフに声を掛けて、この連休の予約状況なんぞを聞いていたところにマスターが登場。
 「池上君、高天に行く予定はあるか?」と聞かれたので、
 「明日か明後日に行こうかと思ってますけど」と答えたら、
 「明日、行ってやってくれんか」と頼まれたのでokした。目論見では明日は三俣テント泊のつもりだったのだが、まあ仕方あるまい。この状況だと三俣のテント場も混んでいるだろうし、そんなところでテント張ってももうひとつ楽しくなさそうだし、小屋も大変そうだし。

 バタバタと夏山最盛期のような人混みなので、あまり落ち着いて誰かと話し込んだりすることもできず(みんな忙しくて相手してくれないし)、さっさと薬師沢に行くことにする。
 高橋さん(太郎の厨房主任)から「今日の薬師沢は凄いよ〜」と脅されつつ。何が凄いのか聞かなくても判ってる聞きたくないし。

 薬師沢小屋の責任者は今年から入っている赤塚智樹君という若い男なのだが、私は面識がなかった。去年までは太郎やスゴにいたらしい。
 でも、厨房主任の加藤さんは長い間太郎の帳場にいたのでよく知っているのである。
 薬師沢の小屋に到着したら、その智樹君が受付にいたのだが、既に受付の前には長蛇の列ができていてとても声を掛けられる雰囲気ではない。
 仕方ないのでそのまま奥に入って厨房を覗くと、加藤さんが私を見つけて「来てくれたの〜」と地獄に仏が来たような大歓迎をしてくれたのだった。

 聞けば、この日は予約だけで100を超えているのだとか。はぁ?なんすか?その数字は?お盆じゃあるまいし。

 しかしこの受付の前にできた長蛇の列。予約で100ということは、もしかしたら130くらい来てしまうのか??

 覚悟を決めて居候の本分を果たすことにする。
 しっかし・・・来るわ来るわ。夕方5時頃になっても受付の前の列が短くならないのである。夕食、5時からなんですけど。
 まあ到着が遅い人が多いのは昔からのこの小屋の特徴なのだが、それにしても受付の光景はまさに20年前のお盆である。

 ちなみに薬師沢小屋のスタッフは先に挙げた智樹君と加藤さんの他にもう1人、あらちゃんがいた。
 居候は私、去年のバイトの松下さんとその彼女の美穂ちゃん、今年のバイトの信太郎氏の4人である。従業員より居候の方が多い。
 しかも2人は去年と今年のバイトで、つまりまだ現役バリバリである。私だって居候歴は長いぞ(自慢か?)。
 これだけ粒が揃った7人がいるなら、まあなんとかなるでしょ。

 我々の寝る場所も怪しいと言うことで、ザックを厨房まで引き上げてくる羽目に。

 結局この日の宿泊者数は173人。夕食数は143人である。こんなの私の現役時代以来である。それに松下さんたちと私は今日、折立から1日行動してきているので、間髪入れずにこの人数はさすがにちときつい・・・

 夕食は4回戦。
 現役時代、忘れもしない昭和63年8月13日に200人越えを記録した時は、夕食数は178人だったので夕食は6回戦だった。当時はテーブルを1つ、自炊用に空けていたので1回戦が32人だったのである。現在は独立した自炊部屋が新たにできたので食堂は40人を入れることができる。
 それにしても100人越えですら、居候では数えるほどしか経験してないのに、143人という夕食数は現役時代を入れて3位の数字なのだ。疲れない方がどうかしている。

 従業員部屋もお客さんに開放したので、智樹君とあらちゃん、信太郎氏と私の4人の野郎どもは食堂で寝ることになった。女子従業員部屋は最後の砦として守り通した。

 この日は玄関に4〜5人、食堂に10人くらいのお客さんを寝かせることになった。
 私も食堂のテーブルの下にシュラフとマットを敷いてそこで寝ることに。
 このテーブルの下、意外に寝心地が良いぞ。適度な囲まれ感がテントの中で寝ているような安堵感を与えてくれるのだ。
 1日の行動+ハードワークの疲れのせいで、横になるやぐっすりと眠ってしまった。

 翌朝の朝食も97人ほどだったので、堂々の3回戦である。
 テーブルの下は寝心地が良い、と書いたが、朝は配膳が始まるとさすがに目が覚めてしまう。頭のすぐ上で食器ががちゃがちゃ音を立てるわけだからして。
 とりあえず1回戦がスタートするまでは寝かせてもらえるのが居候の特権なのだが、この日ばかりは早くに起きてしまった。ま、他の居候はもっと早くに起きてるんだけどね。彼らはつい最近まで現役だったので、習性が現役なんだな。

 朝の無線で、太郎から居候が2人、高天に入るという連絡があった。ということは、私は無理に高天に行かなくてもよくなったわけだ。
 正直、昨日の疲れはさっぱり取れていないので、これから高天に行ってまた手伝うのは辛い。現在、雲ノ平の小屋が改築工事のため8/31をもって今年の営業を終了しているので、昨夜薬師沢に泊まった大量の登山者の多くは今日、高天に泊まるのだ。高天が修羅場と化すのは必定である。
 だいたいよく考えてみれば、現役時代ですら「行動してそのまま修羅場突入」なんて無茶はしたことがない。ちょっと無理。

 というわけで、私は薬師沢残留ということに。加藤さんが今日も7人体制でやれると確定してほっとしていた。

 となれば仕事である。
 部屋掃除も7人でやれば楽である。現役時代はだいたい5人体制だったので部屋掃除は3人でやっていたのだが、4人でやると感激するくらい楽なんだよな。

 それにしても、お客さんが去った後の部屋、なんだかきちんとしているなぁ。昔、100人越えの翌朝の部屋は、布団や毛布が元々の配置場所が判らないほど廊下にまで散乱していて、ゴミや忘れ物も大量に出て「死屍累々」という感じだったのだが、なんだか今日はきちんとしている
 そういや昨夜もみんな整然として食事も済ませていたし、マナーが良くなったのかなぁ。昔のお盆はお客さんも従業員も殺気立っていたのに。
 食事の際も、1回戦目の人が食事している時にはもう次の人が廊下で手ぐすね引いて待っていて、テーブルが空くやいなや速攻で席を取ろうとするお客さんを制止するのに必死だったのだが(先に座られると片づけも配膳もできないではないか)、昨夜は呼びに行くまで客室から出てこなかったりするのである。

 ということなんぞを思いながら部屋掃除を済ませて、後は昼寝あるのみである。昼寝しないと身体がもたん。

 とりあえず薬師沢小屋の最も快適な寝場所である2階のAの下で寝ていたのだが、昼に起きたら私の横にザックが5つも置かれていた。
 どうやら午前中に早くも宿泊客が入り、このAの下とBの下を割り当てられたらしい。寝ている私の横でザックを置いたりサブ行動の荷物を出したり、けっこうバタバタしていたはずなのだが、まったく気づかずにぐっすり寝ていた私であった。

 まだ寝足りない。

 今日の予約数も昨日と同じくらいあるのだが今日は従業員部屋は死守するというので、午後は従業員部屋に潜り込んで昼寝の続きをする。

 3時に起きて仕事に復帰したのであるが、この昼寝(ほとんど1日中寝ていたわけだが)は効果絶大であった。
 なんと晴れやかで爽やかな気持ちか!もう「100人でも200人でも来るなら来いや!」という気持ちである。

 まあ結局は、昨日よりちょっと少ない135人という夕食数であった。

 そうそう、この日のメニューはカレーだったのである。前日の疲れと合わせて食材の厳しさがそうさせたわけである。普通ならもう部屋も半分くらい片づけて小屋閉めの準備をしながら過ごしている時期だぞ。こんなシーズン終了間際にこれほどの人に来られると、予想が立っていなければ食材が瞬時に底を突くのは当然である。

 カレーはさすがに仕込みは楽だ。「なんか我ながら凄く"手抜き感"があるよね」と言ったら加藤さんが「それを言わないで〜」と悲鳴を上げていたが、でもそれとそれとして良い臭いがして美味そうである。
 ・・・これは米が足りなくなるかも・・・いつもの1人1合計算では足りないかもよ?と思っていたら、案の定。

 夕食が始まるや否や押し寄せる「おかわりお願いします!」の嵐。
 米は1回戦スタート時に既に2回戦目の分まで炊いていたので、予想を遙かに上回るおかわり攻撃にもなんとか耐えられたのだが、カレーの方が・・・1回戦目の途中にして、「こ・・・これはもう2回戦目の分も足りてないかも」というほどカレーの消費が激しかったので、急遽増量を実施。ま、水とルーを加えて煮込むだけで増量できるのもカレーの良いところなのだが、すると具が淋しく。なんでもあるモノをぶち込んでいたわけだが、終了してから我々の食事をすると、最初に味見した時とはずいぶん味が変わっていた・・・

 

薬師沢小屋の夕食光景

薬師沢小屋の夕食光景

 

 こういう写真は、少し余裕ができた2日目だからこそ撮れたわけである。初日は写真なんて撮ろうという気にも・・・

 

薬師沢小屋の厨房光景

薬師沢小屋の衆望で働く居候たち

 

 こちらは厨房の様子であるが、これはまだ1回戦目が始まった直後なので、「これから戦争が始まる」といった状況である。

 さて、この日は夕食数135という「修羅場」であったわけだが、前日に143人を経験していると言うだけで、なんだかずいぶん楽である。メニューがカレーというのもあるが。仕込みだけでなく、洗い物も2点少なくなる(ご飯茶碗とみそ汁の椀)だけでずいぶん楽である。
 寝場所は最後まで確定せず、一時は再び食堂のテーブル下の可能性もあったので、やっぱりザックを厨房まで引き上げることに。
 でも結局従業員部屋に入れることになったので、この日も厨房で寝る羽目になった智樹君に「シュラフとマット、使って良いから」と託して寝たのであった。

 この日の注目の的は、「高天がどんな状況になっているか?」であった。
 で、7時の定期交信の時には全員が帳場の無線機の前に集まっていたわけである。

 高天の交信は、まだこの時点では集計ができていないとのことだった。おおお。2人行った居候も、太郎から高天まで行動していきなり修羅場に投入されたわけだ。
 その居候2人は明日も高天にステイするという。ん〜、だったら私が無理に行かなくても良いわけだな。人数だけ増えても高天の狭い厨房が混雑するだけだし、さてさて、私は明日どうするか・・・?

 気になるのは天気予報で、入山前は連休中はずっと良い(少なくとも雨は降らない)予報だったのだが、この時点で明後日すなわち22日から23日が雨、という予報に変わっていたことである。
 薬師沢で140人と130人の修羅場をやっつけて、その後修羅場を追いかけるように高天に行って、さらに2日間雨の中を行動して帰る・・・なんてのは、いくらなんでもちょっと酷くないか??
 高天に行って小池さんにも会いたいし風呂にも入りたいのはやまやまだけど、こんな修羅場の中では小池さんとゆっくり話すヒマもないだろうし風呂に行くヒマだって怪しいもんである。
 ならばこのまま明日も薬師沢ステイ、というのも十分考慮に値するよな・・・と考えながら夜は更けていくのであった。

 この日はちょっと余裕があったので、松下さんや信太郎氏と飲んでいたのだ。やっぱ飲まなきゃ薬師沢に来た甲斐がないのだ。
 9時に発電機を止めて消灯して、しばらく3人で飲んでいてそろそろ10時を過ぎてしまったかな?と思って時計を見たら11時半だった。

 さて、翌21日。

 無線で松下さんと美穂ちゃんの2人が呼び戻されることに。いや、バイトじゃないんだから別に無線1つであちこち移動させられる筋合いはないんだけどさ。ううむ、薬師沢小屋の戦力が一気に2名減か。
 この日は高天が予約や他の小屋の移動状況から見て最大の山場を迎えることが予想されていた。どうしようと少しだけ悩んだのだが、これで高天まで行動して修羅場に飛び込み、さらに明日と明後日の2日間を悪天候の中行動して下山するのは、いくらなんでもちょっと勘弁である。薬師沢小屋も2人減って苦しいので「池上さん、ここにいて?」と加藤さんに悩ましく迫られた私はあっさり薬師沢小屋ステイを選択。

 今日は余裕綽々なので昼寝の必要なし、である。
 なのでヘリポートで漫画を読みながらコーヒーでも飲もうと。優雅な午前、というわけである。

 するとそこに見たことがある人影が。

 登場したのはさぶちゃんと呼ばれている地元の人である。
 高天の小屋にサンマを食べさせようと、昨日折立から1日で高天原に入り(昨日通過した時は私は昼寝中で会えなかったようだ)、今日はまた1日で折立まで下山するという。サンマはクーラーボックスに氷詰めにして高天まで担ぎ入れたそうである。もう60を超えているはずなのに、なんという・・・

 この仲間たちはとにかく酒が凄い。学生時代に私の富山の人間に対する偏見を植え付けた人達である。
 とにかく朝食を食べながらお茶替わりに酒を飲んでいる人達である。

 現役時代、このグループのボスが午前中に薬師沢小屋に現れたことがあった。その日はもう9月でヒマな時期で、小池さんは1日下山していたので私1人で留守番をしていたわけだが、そこにボスが現れ、「まあまあつきあえ」とヘリポートで酒を飲まされ、飲むだけ飲むとボスは「じゃ俺は下山だから行くから」と去ってしまって泥酔した私だけが取り残されたことがあった。そのまま泥酔して小屋の裏で潰れていたら、小池さんが帰ってきた時には小屋の前に受付をまつお客さんが「読んでも誰も出てこない」と戸惑い、裏には泥酔した私が・・・

 別の時にクマの調査で白山に登っていたのだが、私は早朝に南竜のキャンプ場を出て白川に下山した。
 すると、遙か下の尾根に何人か固まっているのが見える。こんな早朝から誰が?と思っていたら、相当時間が経過してもその人影は動かない。
 もしや事故って怪我でもしたか?と思いながらついにその現場に到着したら、ボスだった。休憩がてら、飲んでいたらしい。そこにはビールの空き缶が1ケースくらい担ぎ上げてきたのか?というくらい散乱していた。
 「おおお、妙なところで会ったのぅ。まあつきあえ」とさっそく飲まされ、またもや泥酔。ボスたちは「じゃ、俺たちは登るから」とビールの空き缶を回収すると軽くなったザックを担いでスタスタと登っていってしまい、私はふらふらになりながら下山する羽目になった。
 その直後、ようやく下山した私が温泉に入っていると、湯煙のむこうに人影が。どうも湯船に浸かりながら飲んでいるらしい。
 「湯の中で飲んで悪酔いしないのか?」と思っていたら、その人影はなんとさぶちゃんだった。私も湯船の中で飲む羽目に・・・

 その後もひょんなところでけっこう会うのである。いつ見ても飲んでるんだよな。この人たちも下界じゃ素面で仕事しているんだろうけど、想像できないなぁ。

 というわけで、さぶちゃんが現れた瞬間から私の覚悟は決まっていた。もちろん付き合うのみである。

 現れるなり、「ビールはないか?」と聞かれたのだが、あいにくビールは既に売り切れているのだった。智樹君が太郎からビールボッカしてくるのだけど、今は1本もありません。我々の賄いビールすらないのよ。
 そう告げるとさぶちゃんは心底がっかりした様子で、じゃあ仕方ないからとワンカップの日本酒をお買いあげされた。
 ん〜、ワンカップなんて飲み足りないだろうなぁ・・・と思った私は、「賄い酒ならあるよ」と従業員でもないのに賄いの酒(現役時代から不変の富美菊の紙パックじゃ!)を出してきて一緒に飲み始めたのだった。
 1時間ほどの間に1升の2/3ほど飲んだ。むろん、大半はさぶちゃんが飲んだのだが。
 で、彼はそのまま「じゃあまたどこかで」と泥酔した私を残してスタスタと去っていったのだった。いつものことだが。

 残された私はやっぱり3時頃まで寝る羽目に。

 起き出して仕事に参加しても、どうも酒が残っているようで頭が重かったのだが、1回戦が終了する頃になってようやく調子が出てきた。
 ちなみにこの日の夕食数は97だったか。

 この日は常連のお客さんである島さんが来ていて、夕食時にキムチ鍋を作ってくれるというのだ。しかもパーティーに本職のシェフがいるのだ。
 それを聞いたのも、この日の薬師沢ステイを決めた理由の1つだったわけだが、美味かった〜!薬師沢に残った甲斐があったよ。

 この日の夜の定時交信も注目である。高天、果たして何人入ったのか??
 注目の交信であるが、「・・・こちら高天、何がなんだか判りません。以上」という空前にして絶後の交信だった。ああ、恐ろしい。

 

 さて22日。朝から予報通り小雨である。高天に行かなくて正解だったよ。これだけバタバタ働いてこの雨の中帰ってくるのは滅入るよ。

 今日は居候は全員下山である。昨日太郎の応援に回った松下さんたちも今日は下山し、信太郎氏も一緒に下山して折立から私の車にみんな乗せることになっている。
 いつものように部屋掃除までしてティータイムには、余った行動食(というよりそもそも一切消費しなかったわけだが)を全て開放して豪勢なお茶を飲み、いよいよ下山である。

 

薬師沢小屋の従業員と居候

薬師沢小屋のスタッフと居候(左列)
前列右が加藤さん、その後にあらちゃん

 

 今日は信太郎氏と一緒に行動するわけである。
 この人、写真を見てもいかにも「やりそう」でしょ?学生時代はワンゲルだったそうだし、ガツガツ歩きそうである。まともに一緒に行動したらコテンパンにやられるのは目に見えているのだ。
 なので、「ゆっくり歩こな?」と念を押していたのだが・・・

 まず、薬師沢小屋からカベッケヶ原までの急登を、ピタリと背後に着けてくるわけよ。しかも呼吸も乱さず。
 これは背後から「何をトロトロ歩いとんねん、しゃかしゃか歩かんといてまうど、ゴラァ!」と脅されているに等しい。
 おかげで気が付けば相当なハイペース。3日間食っては寝て、の生活でなまりきっているのに。
 「ゆっくり歩こて言うたやんけ〜」と言ってはみたものの、「いやぁ、着いていくだけで精一杯ですよ」なんてウソつけ。鼻で呼吸してるやないか。

 というわけで、1時間20分で太郎到着である。はえぇ。
 というか、第三徒渉点の辺りでは既にその気になっていたわけだが。タイムアタック、嫌いじゃないし。

 太郎小屋で松下さん達と合流できると思っていたら、もう1時間ほど前に下山したという。折立からの足を別に確保したのかな?と思ったのだが、「ゆっくり歩くので先に行く」ということらしい。
 結局太郎で昼食を食べていたので、松下さん達とは2時間のビハインドになってしまった。いくらなんでも追いつくのは難しいよ。

 とはいうものの、既にタイムアタックモードになってしまっているので、太郎からも飛ばすのだ。

 ガンガン飛ばしていたら、三角点で追い越したおじさんがついてくるのである。クマ除けのベルをザックに付けているので、後からチリンチリンと「おらおら、そんなもんかい!」とプレッシャーを掛けてくるような気が・・・
 一度立ち止まって「先に行きます?」と道を譲ろうとしても、「いやいや、ついていくのが精一杯で」と言うのでそのまま続行。振り切ってやろうと少しペースを上げてみたがそれでも食らいついてくるし、このペースで飛ばし続けたら転ぶかも・・と思ったので元のペースに戻してさくさく下った。

 で、太郎〜折立間を1時間半で下りきった。はえぇ。
 ベルおじさんには結局、ついてこられてしまった。振り切れなかったのぅ。

 結局松下さん達には追いつけず(いくらなんでも2時間のビハインドは無理)、彼らは折立で待っていた。「僕たちも今着いたところですよ」と言っていたが・・・けっこう待たせてしまったのではなかろうか。

 

折立にて

折立で再集結した居候たち
左から美穂ちゃん、松下さん、信太郎氏、私

 

 で、薬師沢小屋の居候が4人揃って同乗し、温泉にも入って帰ってきたわけである。

 今回は「山行」ではなくなってしまった。テントも持っていっただけムダに終わったわけだし(シュラフとマットは生きたが)、なんと薬師沢小屋の前の吊り橋さえ渡っていない。渡っていないのに気づいて渡ってはみたが、向こう岸に下りてないのである。
 でもまあ、たまにはこんなのも良いかな。現役時代以来の満員御礼を久しぶりに経験できたし、一緒に働く仲間とウマが合えば修羅場もまた楽し、である。

 それにしても高天は、結局朝の無線でようやく集計できたらしく宿泊者数を報告していたのだが、なんと170人越えである。

 あの小屋に物理的に170人が入るのか??小屋に収容しきれず前のテラスにテントを張って寝た人もいたらしいが・・・
 もう老朽化が進んでいる小屋なのだが、これでまた少し傾きが増したのではなかろうか・・・

 

 今回の大混雑は、5連休という休みの長さと高速道路1000円のETC割引、また予報がこの時期にしては珍しく晴天続きだったことなとが相乗効果となってこんな事態になってしまったのだろう。無限とも思えるほどの収容力を誇る立山駅の駐車場もついに限界を越えたらしいし。
 こんな異常事態はもう来ないだろうけど・・・こんなのが続けば、山小屋の従業員の雇用も根本的に考えないとダメだろうなぁ。

 

 

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