平成24年9月22〜23日 御嶽
9/22 | |
9:20 | 濁河温泉登山口 発 |
10:20-35 | 湯の花峠 |
11:05-20 | のぞき岩避難小屋 |
11:25-12:20 | 太郎平小屋 |
11:55 | お助け水 通過 |
12:20-45 | 33番標識(2580m) |
13:30 | 五の池小屋 着 |
9/23 | |
10:35 | 五の池小屋 発 |
11:25-35 | お助け水 |
11:55 | のぞき岩避難小屋 通過 |
13:15 | 濁河温泉登山口 着 |
2週連続になるが、今度は木曽の御嶽である。
この日に御嶽に行くことになったのにはちょっと経緯があって、最初は9/15あたりに行こうと言っていたのだ。
それがやまちゃんが、22-23に行くから誰か行かない?とfacebookに投稿してきて、「俺は15〜16に行くつもりだけど」とレスしていたのだが、なんと飯田さんがこの日に来るという。それならとあっさり22-23に変更。
ちなみに飯田さんというのは、私が高校1年生の時、つまり今から31年前に初めて高天原山荘で山小屋のバイトをしたときに大学生で同じ高天原に入っていた人で、宿題を手伝ってくれなかった阪大生である。会うのはそれ以来なので、つまり31年ぶりである。こりゃ楽しみ。
ちなみに私は山小屋に客として泊まるのは実に10年ぶりである。立山高原ホテルに泊まったのが最後。高原ホテルは「山小屋」じゃないと言うのなら、さらに10年遡って、就職直後にカミさんを連れて剱岳に登ったときの剱沢小屋か。
なんせ35年近くになる登山歴の中で、山小屋に客として泊まったのは10泊あるかないか、というところなので(従業員や居候としてなら何百泊もしてるが)、今回普通にお金を払ってお客として山小屋に泊まるのも楽しみなんである。ただし混みそうだが。
御嶽は山岳部時代、冬山訓練でよく来ていた山である。冬山訓練では富士山にもよく行ったが、大学から近い御嶽にも毎年のように11月末か12月初旬に来ていた。
なので無雪期の御嶽は初めてだし、登山口の濁河温泉も大学時代以来であった。あの永遠に続くかと思われるようなクネクネ道のアプローチ、カミさんは果たして耐えることができるのだろうか・・・
やはり耐えられなかった。
大学時代は小坂から入っていたのだが、今回は富山からなので高山〜美女高原〜秋神温泉というルートで濁河温泉に入った。それでもクネクネウネウネとした道を延々と走ることには変わりない。秋神温泉からの道は舗装も剥がれてほぼダート状態なので、道の酷さでは天下一品である。
カミさんにとっては、このアプローチが山行で最大のヤマ場
なのであった。
案の定、カミさんゲロゲロ。
まず美女高原キャンプ場の前でゲロゲロ。「美女高原」なのに周囲にいるのはゲロを吐くカミさん1人・・・
続いて秋神温泉を越えて県道441に出て、濁河温泉まであと6kmという地点で、道ばたに車を停めてゲロゲロ。
濁河温泉に到着しても30分ほど動けずゲロゲロ。
・・・ようやくカミさんも復活し、登山開始である。天気も良いし、清々しい気分。カミさんも胃液まで吐いて清々しい気分だろう?
やっと出発 |
この道、学生時代に何度も歩いているはずなのだが、もうさっぱり記憶がない。11月や12月初旬くらいなら、下の方はまだ雪がなかったはずなんだが。
比較的最近になって整備されたらしく、石畳か木道が延々と続いていて、自然のままの地面の上などまず歩かない、というほど。
それにしてもこの木道、歩きにくいぞ。雨の日などよく滑りそうだな・・・(伏線)
この木道、滑りそうだな・・・(伏線) |
とにかく段差には木の階段、木道、石畳と、ちょっとやり過ぎなのでは?と思うほど徹底的に整備されている。それが必ずしも歩きやすさに繋がっていないのがまた公共事業らしいわ。
確かに似てるが、ペイントするのは反則だろ |
濁河温泉から五の池小屋までの標高差はちょうど1,000m、コースタイムは3時間半である。ちょうど折立〜太郎の標高差、コースタイムと同程度。
ただ、距離は短くて4.3km。登山道横には100mおきに1から42番まで番号が書かれた標識がある。これ、順調な時はありがたいんだけど、バテたりしてるときは逆効果なんだよね。
カミさんが途中で腹が減ったと言い出して(そりゃあれだけ吐けば胃の中は空っぽだよな)、避難小屋でパンを貪り食っていたりした。
森林限界を越えて |
お助け水(ただし水はない)を過ぎてしばらく登ると森林限界を越えてハイマツが出てきた。
風の通り道になっているのか、部分的に風が強い区間もあったが、わりとあっさりと五の池小屋に到着。
五の池小屋に到着 |
五の池小屋の前 |
五の池小屋は去年、新館を増築して収容人数が以前の倍の100人になったらしい。
受付をして今宵の寝床を確保。やはり今日は混んでいて、布団1枚に2人になるらしい。
新館の我らの今夜の寝床(21と22番スペース) |
新館は綺麗だった。木の匂いがしていいぞ。
そしてナイスなことに枕元にコンセントが来ている。これで携帯の充電ができる。
ここは登山道も含めて携帯が通じるんである。登山口からバリバリの圏外という山ばかり歩いてきた私には新鮮。
ただ、歩いているときにヘッドの中の携帯がメール着信音などを鳴らすと、ん〜、携帯が通じないというのも捨てがたいな、と思う。音信不通になるって素敵じゃないか。電波が通じていると、やっぱり電源入れちゃうものな。
まあ、登りながらfacebookにアップロードなんてしているから、コメントがついてメールが着信するんだが。
というわけで、なかなか素敵な居室なのだが、1つ問題点を発見。
ここはカイコ構造の2階なのだが、そこに上がる階段が真ん中に1つしかないのだ。我々は端のスペースなので、真ん中に人が寝ていると、その人の足を踏まずに端に行くのはかなり神経を使いそう・・・
五の池小屋の近くから剣が峰 |
さて、みんな来ている?
やまちゃんは登山口に車があったのでとっくに着いているはずだが、昼寝しているらしく姿が見えない。
そのうち、飯田さんと大山さん(今回はピン子さんだけ)一行が到着。飯田さん久しぶりだよ〜。
というわけで、さっそく高天原ミーティングの記念写真。
高天原ミーティング |
小屋の中は広い土間があって、そこに薪ストーブが設置されている。奥にはカウンターでコーヒーやワインも飲めるらしい。薪ストーブではピザやケーキも焼いている。
こういうウダウダできるスペースがあるのって素敵である。これはいいわ。
食事は土間からあがったところに折り畳みテーブルが4つ。1テーブル6人なので1回戦24人か。小屋のキャパと比較するとちょっと少ないな。100人収容の小屋だから、いっぱいだと4回戦になってしまうじゃないか。
厨房は帳場と繋がっているので使いやすそうだけど、厨房をちらっと覗いた感じでは、食事数が増えるとちょっと苦労しそうな厨房。もうちょっと広かったらいいのに、という感じ。
やはりどうしても「元山小屋従業員」の目で見てしまうんだな。
あ、配膳の仕方や居室の布団の畳み方などが高天原(や薬師沢)の小屋とほとんど同じで、やはり太郎小屋チェーン出身者が小屋番だけのことはある、となんとなく納得してしまったのだった。
ここだったらほんの30分ほど厨房に入れば、忙しいときの入れ替えや配膳くらいの手伝いはすぐにできそう。部屋掃除も。
薪ストーブがある土間 |
私達は到着が早かったので食事が1回戦目だったのだが、ピン子さん&飯田さんパーティーは少し遅かったので2回戦目だった。
ピン子さんたちは旧館の方に泊まっていたので、私たちが自分の寝床に出入りする度に前を通るのだが、車座になって喋っていたので当然参加。
でも・・・あぁ、お茶で盛り上がっているんだ〜。そうか、ここは高天原ミーティングだったか。
私は今回は高天原ミーティングに参加させてもらっているが、最初は高天原だったものの薬師沢が長かったのだ。
薬師沢では食事前だろうが食事後だろうが、2人集まれば酒、なのだ。まあ大勢いる常連さんや居候の中には飲めない人ももちろんいるのだが、それでも6〜7人も集まっているのにお茶で盛り上がる、なんてことはあり得ない。
ま、そのあたりは小屋番のパーソナリティにも大きく依存するので、30〜20年前の大山さん(高天原)と小池さん(薬師沢)という、共に強烈な個性を持った小屋番が作ってしまった伝統、みたいな部分はある。
でも、小池さんが後に高天原の小屋番に移ったとき、高天原が宴会小屋と化したか、というとそうでもなかったので(小池さんも歳とっちゃった、というのもあるにせよ)、小屋そのものの性格もあるんである。
なんせ高天原は静かすぎる。「静寂」という言葉の意味をここに来て初めて知った、という人もいるくらい(いや、私が勝手に言ってるんだけど)、高天は静かな小屋である。そして総二階で上は大広間だけという小屋の造りからして、小屋内のどこで宴会をしても小屋中に筒抜けになってしまうのは火を見るより明らか。
こんな小屋で遠慮なく宴会をする度胸がある人はそうはいまい。薬師沢の常連くらいなもんである。
その点、薬師沢小屋はとにかく沢の音が大きいので、食堂でちょっとくらい騒いでいても二階の居室には何にも聞こえないのである。だからどうしても薬師沢小屋は宴会小屋と化す宿命なのである。客層も薬師沢は連泊の釣り客が多いので、朝なんて10時頃まで寝ていても何も支障がない、という人も大勢いたし。
で、たまに薬師沢の常連が間違って高天原に迷い込むと、あの静かな高天原の小屋で傍若無人に宴会を始めて大山さんを怒らせていたわけで、当時はなんとなく薬師沢派と高天原派にくっきりと分かれていたのであった。常連もバイトも居候も。
その高天原ミーティング、それも30年前のバイトの私は新参者、という濃いメンツである(40年前に既に居候、という大先輩までおられた)。酒なんて飲んでいるわけがないのだ!
(おおお、お茶だよ〜)と内心思ったが、郷に入れば郷に従いますって。ここで1人で飲むほどアル中じゃないし(筋金入りの薬師沢派ならここで飲むんだろうけど)。
お茶だし、ここは宴会小屋ではないので(土間のカウンター周辺はヒマな時期なら十分宴会小屋になりそうなムードはあるが)、消灯時間近くになるとミーティングも終了したのだが、私は何となく物足りなくて酒でも飲もうかな〜と土間の近くを未練がましくウロウロしていた。でも、他のお客はみんなワインを飲んでるんだよ。ちょっと違うんだな〜。そんな上品な酒が飲みたいわけじゃない・・・
ま、1人で飲んでもつまんないし(酒に激弱のカミさんを相手にしてしまうと、またゲロゲロになるのは目に見えているし)、やっぱり私も寝たのであった。
池も見えない濃霧と雨 |
さて翌日。これだよ。池も見えない濃霧に雨だ。剣ヶ峰登頂はあっさりなくなった。やまちゃんはここに15回くらいも来ていながら、剣ヶ峰には1回も登ってないらしい。
うだうだ |
というわけで、小屋の中でウダウダ。高天原ミーティング続行。
ピン子さん&飯田さんパーティーが下山 |
下山していく高天原ミーティング |
ま、さすがにいつまでもウダウダしているわけにもいかず、下山してからも長距離を走らなければならない飯田さん&ピン子さんのパーティーが下山していった。それを見送って我々はまたストーブの周りでウダウダ。ピザまで注文してしまったりして。
ピザを焼いてもらった |
まあ、いつまでもウダウダしているわけにもいかず、雨はやまないが下山を開始。実は今季初のカッパ着用である。これまでは雨が降っても傘で済ませていたのだが、さすがに森林限界を越えた稜線ではカッパを着ないわけにもいかず。
雨は降っているが、視界は昨日登ってきたときよりもある。展望を楽しみながら下る。
紅葉が始まりかけている・・ |
ところがさ〜。樹林帯まで下ると出てくるわけよ、あのイヤ〜な木道が。
どーしてこんなに歩きにくい道にしたのかね?これだけびっしり木を敷き詰めた道で、傾斜もけっこうあるんだよ。
こ・・・このタコ木道が! |
・・・で、やっちまったわけである。それも写真のようないかにも歩きにくそうな木道ではなく、けっこう歩きやすい木道で。
ちょっと変わった転び方をした。右足が横に滑って、あとは何をどうしたか、気がつけば登山道からダイブしていた。谷の横だったら死んでるぞ、をい。
転んだ瞬間、左足に鋭い痛みを感じて、軽く捻挫しちゃったかな?という感じだったのだが、歩くにつれて増してくる痛み。
まあ痛いと言っても仕方がないので歩き続けて下山。
温泉に入ったら、出るときに意外なほど痛い。温めたのがトドメを刺したの??
これでよせば良いのに、高山市街でカミさんが腹が減ったからこってりしたものを食べたい、というので高山市内に車を停めてけっこう歩き回ったのだ。痛い痛いと言いながら。
結局市内ではロクなところが見つからず、車で郊外に出たところでベタな選択だが焼き肉屋を見つけてイン。
翌月曜日、起きようとすると、こりゃいかん、というくらい痛い。これでは出勤しても仕事にならないと珍しく医者に行くことに。
以前、チャリで立ちゴケして左手首を痛めた時に病院に行き、レントゲンまで撮ったのにあまりの混雑ぶりに頭に来て帰ってしまったことがあった。結局請求が来た診察料も振り込みで払ってしまって病院には行かずじまいなので、その我が町唯一の総合病院の診察券は病院に渡したままで持ってなかったりする。
なので整形外科単科の医院に行ったのだが、そこも混んでること混んでること・・・
途中、カミさんから「今回は癇癪を起こさずにちゃんと受診すること!」というメールが来た。
でも、その時はマンガを読んでいたので帰る気はなかったのだが。
結局、そのマンガを7巻まで読破したところでようやく帰れた・・・ま、確かにマンガがなかったら癇癪を起こして帰っていたかも。
もしかしたら折れてるのか・・?と思っていたのだが、折れてはいなかった。
ただ、レントゲン写真を見て、自分の足首があまりにガタガタなのにショックを受けてしまった。関節の隙間、ないじゃん。こんな足首でよく平気な顔して歩いてるな>俺。
ちょっと体重を減らさないと、このままではこの骨が可哀想・・・と殊勝に思ってしまったのであった。
というわけで、今日も元気にチャリに乗っています。チャリだと足首があまり動かないので痛みが少ないのだ。ただしダンシングは痛くてできないので上り坂は回避、である。
ちなみにピン子さんのブログはこちら。
もうひとつこちら。
ん〜、さすがにピン子さん、食事には厳しいな〜。私はあれでけっこう満足したんだけどね。
まあ、発電機もなく当然ストッカーもない時代の高天原であれだけの食事を出していたピン子さんに「努力が足りない」と言われたら、誰も返す言葉がないよな〜。美味かったし、揚げ物もたくさんあったんだけどね。肉食系おばさんのピン子さんには通用しなかったか。
私としては、
>元小屋番としては、ザックを布団の上に置くな!!!
というあたりがピン子節炸裂で好きである。そうだそうだ!
もっと炸裂してくれればいいのに。