赤牛岳でのお話
赤牛岳は数ある山の頂上の中でも、私が非常に好きな場所である。といってもなんせ奥地にあるので、体力とヒマと血の気が有り余っていた学生時代ですら、それほど足繁く通ったというわけではない。2〜3回しか行ってないのではないだろうか。
なんといっても赤牛岳は奥地である。頂上から街どころか人の気配がする物がほとんど見えない山というのはかなり珍しいのではないだろうか。敢えて人の気配がする物といったら黒部湖くらいなものである。その他はとにかく見渡す限り山また山。しかも今はどうか知らないが、昔は山頂にも三角点の他は人工物なんてなかった。小さな道標が1本だけ建っていたような記憶はあるが・・・
他から見た赤牛岳もけっこう好きなんである。隣の水晶岳がとにかく格好良くて、しかもこれがまた比較的人が多い雲の平や裏銀座方面からは特に格好いいときている。まるで右斜め前からしか撮影を許さなかったフリオ・イグレシアスのようである。雲の平からはしっかりカメラ目線まで寄越しているような気すらする。(とこきおろしてはみたが、水晶もやっぱり好きな山)
それがどうだ。隣の赤牛岳は、「見られている」ことなんかまるで意識していないかのようにだらしなく寝そべっているじゃないの。「そんな格好で寝ていると牛になるぞ」と言ってやりたいくらいに。北の俣岳とだらしなさでは良い勝負である。
まあそんなわけで、如才なく愛想を振りまいている水晶岳の隣で、我関せずとばかりにビール飲んで赤い顔してだらしなく寝そべっている赤牛岳は、なんだか他人とは思えなくて好きなんである。
という赤牛岳では、なぜか妙な出来事が多いのである。
頂上でばっちり読図をした挙げ句に明後日の方向に降りだしてしまったおじさんの話は「山の基本技術」のとこに書いてしまったが、もう2つほどあるのでここで書くことにする。
叱られてしまった事件 その1
昔々、高天原から赤牛岳の裾を巻いて奥黒部ヒュッテに達する高天原新道という道があった。私が高校1年生の時にバイトに入った時は、既に廃道になって久しかったので、おそらく30年近く前に廃道になったものと思われる。ま、高天原から奥黒部ヒュッテまでコースタイム10時間、その間山小屋はおろかエスケープルートも皆無、というルートではむべなるかな、である。
現在では竜晶池あたりまでは道が残っていて、その先もまだ少し道はあるようなのだが、高校生の時に当時高天原の小屋番の大山さんに赤牛沢まで連れて行ってもらったことがあるが、はっきりいって道なんてなかった。猛烈な笹ヤブであった。
その高天原新道の途中にいくつか湿原があって、姿見平とか薬師見平という名前が付いていた。姿見平の方は今となってはどこにあるのか、どうも判然としないが薬師見平の方は2.5万図にもはっきりと湿原と池の記号が描かれているので特定は容易である。地図で見ると高天原湿原の半分ほどのスケールの平地に荒れ地マーク、小さな池がいくつか。(きっと湿原だ!)
・・・・これはいいぞ。きっと脳みそが目から流れ出てくるくらい素敵な場所に違いない、と妄想は果てしなく膨らむのであった。ここから見る薬師もきっと抜群に格好いいぞ。地図で見ると正面に金作谷が真っ直ぐ駆け上がっていって、その辿り着いた先に薬師のピーク。うむむ、これはきっと格好いいぞ。
というわけで、高校生の頃から行きたくて仕方がない場所なのである。
道がないからよけいなんだろうな。
竜晶池がある夢の平だってすごい場所なんである。夢の平なんて「なんてクサいネーミングじゃ」とか思っていても、いざ行ってみるとこりゃ夢の平って名前しかあり得ないっ!て納得する。帰ってきて思い出してみると、何度行ってもいつも「あの景色って夢だったんじゃないだろうか」と思うのである。
たいして苦労もなく行ける夢の平ですらこれだものな。地図読んでヤブと闘って薬師見平に到達したら、その場で即身仏になってしまうかもしれん。
地図を見る限り、薬師見平に行く最も明白なルートは、スゴ乗越からスゴ沢を下降して上ノ廊下を渡り、対岸の中のタル沢を遡上するルートである。このルートだと迷うことはなさそうだ。スゴ沢は問題なく下降できることは知っているので問題は中のタル沢の状況が判らないことである。地図で見る限り、けっこうそれなりに厄介そうな谷である。まあ黒部川中流域のような絶悪さはないだろうけど、薬師見平直前の源頭部で毛虫記号が多いのが少し気になる。
このあたりの中のタル沢、口元のタル沢あたりは、いかにも面白そうな谷であるにも拘わらず、82年発行の日本登山大系にも記述がなかった。今の版にはあるのだろうか。まあどうせ志水哲也氏がどこかに発表していそうだけど。
それにしてもこのルートは、高天原で居候を決め込んでいる私には場所が悪かった。スゴの小屋まで一度行かなくてはならないとは。
上ノ廊下を下降して中のタル沢を登るという手もあって、それも実行に移そうとしたこともあったのだが、たまたま天候が悪かったりで行っていない。
で、ふと思いついたのが「赤牛岳の頂上から尾根を降って薬師見平に行く」という案だった。
赤牛岳の頂上から東にほぼ直角に折れる読売新道とちょうど反対方向、西に折れる尾根を降っていき、樹林帯の中の2210m三角点の手前あたりで左の斜面を降れば、そこは薬師見平である。
うんうん、こりゃいいや。上から薬師見平も見えるだろうし、ということでワンビバークの予定で高天の小屋を後にしたのであった。
前置きが長くなった。
温泉沢を駆け上がって赤牛岳の頂上に着き、地図を確認して下降する方向を確かめ、さていよいよ出発である。
尾根をとことこと軽快に駆け下りていくと、なにやら上の方で叫び声がする。なんだ?と思って振り返ると頂上から3人ほどのパーティーがこちらに向かって何か叫んでいるのである。立ち止まってよく聞けば、どうも「そっちは違うぞ〜」と言っているようである。まあ、そりゃあ違うよな。読売新道とは逆方向だし、誰が好きこのんでこの尾根を降りていると思うものか。
どうしようかちょっと悩んだのだが、無視して下降し続ければ追いかけてきそうな勢いでもあったし、面倒だけど登り返して説明するか・・・ともう既に100m以上降りていたのだけれど、えっちらおっちら登り返したのであった。
かなり急いで登ったので、頂上に着いた頃には息が切れていた。なんとか呼吸を整えてさっさと説明して早く降らなきゃ、と思っていたのだが、こちらの息が整わないうちにおじさん達の猛攻撃が始まってしまったのである。
「方向がぜんぜん逆だろ!」
「地図も読めずに山を歩いているのか!」
「だいたいその格好はなんだ!」
「もっと勉強してから山に来い!」
・・・ま、正直何を言われたかたいして覚えていないのだが、だいたい上記のような内容だった、と思う。
格好というのは、その時の私のスタイルがこれがまた「山を舐めきっている」と見えたらしい。ま、Tシャツにジャージ、ペラペラ運動靴に20Lほどのサブザック、という格好だったから、これは誰がどう見たって「間違って迷い込んだハイカー」だっただろうけど。
ペラペラ運動靴だったのは、薬師見平に行った後、そのまま降りて上ノ廊下を遡行して戻るつもりだったからで、このペラペラ運動靴は最強の沢登りシューズだったのである。(詳しくは沢登り用シューズのページを参照)
20Lのサブザックは、ちゃんと防寒具もコンロも食料もツェルトも入っていて、完全ビバーク対応装備だったのだが・・・
まあおじさん達が誤解するのも無理はないということは認識していたので、一方的に捲し立てられても別に腹も立たなくて、「あ〜、どこで説明しようかな〜」などと考えていたのだが、あまりにお説教が長いので、そのうち気が殺がれてしまって薬師見平に行く気そのものが失せてしまったのであった。だいたい最初に一言、「どこに行く気なの?」とでも聞いてくれれば会話というものが成立したと思うのだが、いきなりまくしたてられたので・・・
おじさん達は水晶から赤牛を往復して、今から高天原に戻るつもりだという。で、連れて行ってやると言うのである。ありがた迷惑な・・・と思ったのだが、もう今さら仕方がないので一緒に歩き出した。
だがこれが遅いんである。主稜線を歩いているうちはまだ良かったのだが、温泉沢の頭から急な傾斜を下り出すと、こりゃもう辛抱たまらんほどの遅いペースになってしまった。これはたまらんとさっさと先行して降ってしまった。後から何か言っていたが、さすがにもう無視して降ってしまった。
温泉まで降り着いて一風呂浴びても、おじさん達はまだ降りてこない。
このまま高天の小屋で一緒になると、自分が小屋の居候でこのあたりは庭のごとく歩き回っていると言うことがバレてしまうわけである。それも気まずいなぁ・・・と考えて、まだ午後も早いしそれだったら薬師沢の小屋に行ってしまうか、とエスケープすることに決めた。ワンビバークと言って小屋を出てきたから、今さら小屋に戻って大山さんにあれこれ説明するのも億劫だし、だったら小屋を通らずに行ってしまえと、温泉から立石に下って奥の廊下から薬師沢に速攻で行ってしまったのであった。
ま、おじさん達は連れていってやったつもりの私が高天の小屋にいなければ、当然大山さんに何か話すだろうし、そうやっておじさん達と大山さんの間で何らかの会話があれば大山さんにもだいたいの状況は判るだろうし、夜の定時無線で私が薬師沢の小屋にいることも判るわけだから問題はなし、という一瞬の判断であった。
そのおじさん達はどうやら高天の後は太郎から折立下山だったようだ。
翌日の夕方、魚飛びの滝でイワナの写真を撮っているところにおじさん達が通りかかった。昨夜、おじさん達と大山さんの間でどういう会話があっておじさん達が何を知ったのかは知らないが、おじさん達は何も言わず、目を逸らすようにして通り過ぎていった。
ちなみにその後、大山さんともその話は一切しなかったので、大山さんがどの程度赤牛岳の頂上で起きたことを理解していたのかは判らないままになっている。
叱られてしまった事件 その2
また叱られてしまった事件である。赤牛岳では何故か叱られてばかりなのだ。
その1より前の話である。
その日は高天の小屋から赤牛沢を登って赤牛岳にたどり着いた。竜晶池手前の分岐から(昔も今も道標はない)立石に下り、黒部川本流を数百メートル下流に行くと赤牛沢の出合いなので、それを詰めて赤牛岳に登ったわけである。
朝、温泉を通るとこんな朝早くから風呂に入っている親子連れがいた。
その日は赤牛岳の頂上では何もなかった。第一誰もいなかったし。
事件は温泉沢に向かって下降を始めた時に起きたのである。温泉沢の頭まで行くとかなり水晶岳方面に戻らなくてはならない。温泉沢の源頭部は扇状に広がっているのだが、その最も水晶岳寄りに登山道が付けられているのである。面倒なので適当な斜面を拾って下り始めたのだが、200mほど下ったあたりで上から怒鳴り声がした。もう遠くてよく聞こえないのだが、どうやら「道が違うぞ〜!」と怒鳴っているらしい。
その時はさすがにもうかなり遠いので無視してまた下り始めたのだが、しばらくすると上から何かガラガラと落石の音がする。ギョッとして振り返ると、なんとそのおじさんが石を蹴散らしながら降りて来るではないか。ガンガン岩を落としながら降りてくるのでかなり恐ろしく、そのまま逃げようかとも思ったのだが(そのまま下れば私の方が絶対に速い)、見てるとかなり危なっかしい歩き方なので転んで怪我でもしたらピックアップしなければ・・・とおじさんが降りてくるのを待っていたのだった。近づくとかなり怖いので手近なハイマツ帯に避難していたが。
おじさんは追いついてくるとぜいぜい息を切らしながら、やはりいきなり「道が違うぞ!」と怒鳴りだした。
「判ってますけど」
「ならなんでこんな所を降りてくるんだ」
「だって(地図を出しながら)ここからここの間だったらどこから降りても温泉に着くでしょ」
「だからといって道から外れるのは危ないじゃないか」(危ないのはあんただろう)
「なぜですか?」
「登山道でないところは石が不安定で落石が起きやすいんだ」
「僕はここまで来る間に1つも落石は起こしていませんよ。でも貴方は私がしたにいるのが判っているのにも拘わらず、ガンガン石を落としてきましたね?」
「・・・・・」
「そもそもこの下に誰かいると思っているんですか?」
「・・・・高山植物の植生を荒らすからいかんのだ」
「このあたりに植物ってあります?」(そこは見渡す限りの瓦礫の山・・・)
「・・・・・」
「もういいですか?僕はそろそろ行きますよ」
「・・・・・」
「おじさんはどうするんですか?またこれを登るんですか?」
「う・・・・・」
「・・・・僕と一緒に行きますか?」
「む・・・・・」
「どうするんですか?さっさとしないと置いていきますよ」
・・・ま、細かいところは記憶も曖昧だが、概ねこのような会話の後におじさんと連れだって歩くことになってしまった。
この時はその1の時とは違い、私もかなり辛辣だったのだ。怒鳴られただけならまだしも、上からガンガン岩を落とされてかなりむかっ腹が立っていたせいもある。
が、今書いていて思うのだが、このその1とその2での私の態度の違いというか、相手との力関係の違いってなんなんだろう・・・
なんとなく、それはどちらが息を切らしていたか、ということだけでその場の強弱関係が決まっていたような気がする。
ま、とにかくおじさんを連れて下り始めたのだが、やはりというかおじさんのペースは遅くて参った。私が前で歩くと上から石をガンガン落とされて危なくて仕方ないので、おじさんを先に歩かせたのだが、尻餅はつくわバカでかい岩も転がして落としてしまうわでハラハラしながら降りたのだった。
水が流れているあたりまで降りて「もう安全圏」と判断し(それまでだって別に危険地帯ではなかったのだが)、おじさんに「あとは普通に下っていけば温泉に出るから」と言い置いて先行してしまった。
風呂に着くと親子連れが入っている。「へぇ〜、よく親子連れに会う日だなぁ」と思っていたら、なんと朝会った親子連れだった。
聞けば何と朝から今までずっと風呂に入っていたらしい。おおお。「いやいや、昼頃ちょっと夢の平まで行ってきましたよ」と言うので、「へぇ〜、服来て夢の平に行って、また風呂に入ってるんですか?」と聞いたら、「あ、いやいや、ちょっとバスタオル腰に巻いて」だって。おおおおお。
なんとなく夢の平にバスタオル姿で行くと天罰が当たってしまいそうな気もするが、こういう贅沢な遊び方は大好きなので一気に盛り上がり、さっきのおじさんのことはコロッと忘れてしまったのであった。親子連れのおじさんがビールを山ほど持ってきていて(小屋で買い込んできたらしい)、そのお裾分けにも預かったのでなおさらであった。
夕食の手伝いをしている時、ハッとそのおじさんのことを思いだした。温泉沢の源頭部で放置してきたが、どこかで転んで泣いてないだろうか。
食堂を覗くと、そのおじさんがもそもそと食事をしている姿が目に入り、一安心したのであった。
まあ、その時も例によって沢登り用のペラペラ運動靴を履いていたし、担いでいたのはヒモのナップザックだったし、やっぱり間違って迷い込んだハイカーに見えたんだろうな。それにしてもいきなり怒鳴りつけるのはあんまりだと思うけどね。