プチピンチ クライミング編

前振り

 私がクライミングをやっていた20年ほど前は、「フリークライミング」という大きな波がやってきた変革期だった。
 技術的にも大きな変革が進んでいた。なんせそれまでは「トップは岩にかじりついてでも落ちてはいけない」と言われていたアルパインクライミングから、「落ちるのが前提」のフリークライミングに主流が移行しつつあった時代である。
 それまでのアルパインクライミング(当時はそういう言い方はせず、単に岩登りあるいはロッククライミングと呼ばれていた)が「落ちてはいけない」とされていたのは、トップの墜落を確実に確保する技術や器具が存在しなかったからである。それが落ちて当たり前のフリークライミング(これも当時はハードフリーとか呼ばれていた)が盛んになってくると、確保技術が進歩しないと屍の山ができてしまう。つまり確保技術の進歩とフリークライミングは車の両輪のようなものだったわけである。

 当時の「岩登り」において、トップの確保は肩絡みによるボディービレイが主流だった。
 これでトップの墜落を止めることができるのか?という疑問については、「止めることができない」というのが正解であった。だからトップは岩にかじりついてでも落ちてはならなかったわけである。単純明快な理屈である。

 また細かい話になるが、当時「制動確保(ダイナミックビレイ)」「固定確保(スタティックビレイ)」のどちらが良いか、とよく議論されていた。
 ダイナミックビレイとは、トップが墜落してザイルが流れたとき、いきなり止めてしまうのではなく、ある程度ザイルを流しながら徐々に止めていく、という確保の仕方で、スタティックビレイはいきなりザイルを止めてしまう方法である。
 20年前当時の主流としては、スタティックビレイでいきなり止めてしまうと、1)ザイルがその衝撃で切断される恐れがある、2)アンカーやプロテクションに過大な荷重がかかり、やはりそれらが耐えられずに破壊される恐れがある、3)墜落者がその衝撃に耐えられない恐れがある、などの理由で、いきなり止めるのではなくダイナミックビレイで徐々にザイルを止めるのが良い、とされていた。ザイルなどの取り説などにもそう書かれていた記憶がある。

 しかし。

 止まらないぞ、それでは。

 大学の裏手にヤブ山があり、そこに最大100mほどのヤブだらけだがけっこういろいろできる岩場があり、練習に通っていた。
 そこでボクシング部から麻雀の勝ち分としてかっぱらったサンドバッグを持ち上げ、当時は現在のようなクライミング用の荷揚げ器(プーリーとか)がなかったので工事用の滑車などを駆使して「確保練習場」を作っていた。
 サンドバッグといってもたかだか30kgほどの重さなのだが、肩絡みのボディービレイでダイナミックビレイをやると、絶対に止まらなかった
 いったんザイルが流れ出してしまうと、身体の摩擦や握力などで止まるものではない。
 そんなわけで早々と、「ボディービレイの際は、墜落の瞬間に目一杯ザイルを握りしめて、それで止まるかどうかが勝負」という結論に達した。というかそうやってもザイルは流れるのである。ザイルに肉を削られても離しちゃいかん、というわけである。「絶対流さないぞ」と目一杯止めようとしてですらそうなのだから、これが「ダイナミックビレイ」をやろうとザイルを流す気でいると手が付けらなかった。実際、たかだか30kgのサンドバッグが止まらないときも多々あったのである。
 体格の小さな者が大きな者を確保することも非常に難しかった。なのでザイルパートナーが小柄な女性だったりすると異様なプレッシャーがかかったものである。そんな時に自分がトップで墜落するとほぼ確実に心中である。

 実戦では、1回だけ墜落を止めてもらったことが。
 最後のランニングビレイから5mほどからの墜落だった。墜落係数はいくつになるんだろ?相棒のセカンドは肩絡みボディービレイ。ザイルに引きずられて岩に顔を打ち、唇を切っていた。落ちた私より重傷だったが、とにかく2人とも無事だった。

 器具を使った確保もそろそろ流行りだしていた。剱の岩場ではまだほとんどのパーティーが肩絡みで確保していたが、御在所などでは徐々にエイト環を使うパーティーが出現していた時代である。
 私達もサンドバッグを使った練習で、ボディービレイの限界は嫌と言うほど知っていたので、エイト環による確保の研究には熱心に取り組んでいた。

 現代では、ATCやグリグリなどの器具をボディーに装着し、器具を使用したボディービレイというのが主流になっているが、当時はそういう発想はまだなかった。
 なのでアンカーを設置してそこにスリングやカラビナを経由してエイト環などの器具を取り付け、それでもってパートナーの確保をする、というやり方になった。

 このやり方の利点はなんといっても「止まる確率が高い」ということと「ザイルからの脱出が容易」ということだった。
 だが、このやり方にもかなり重大な欠点があった。それは「アンカーの強度に全てを頼ってしまう」点だった。なんせそのエイト環なりの器具を留めている支点に全ての荷重がかかる仕組みになってしまっているため、そのアンカーが耐えられなければ全て終わりである。サンドバッグを使った練習でもアンカー(ハーケンだったり立木だったり)が弾け飛んだことは二度や三度ではない。
 ましてクライミングの途中、確保ポイントではセルフビレイにも信頼に足るアンカーが必要である。それとは別にビレイ用のアンカーも十分な信頼性を持ったものを設置しなければならないとなると・・・
 セルフビレイだって普通はハーケン1本では取らない。最低2本で取る。それに加えてビレイアンカーを2本のハーケンから取るとすると、ビレイポイントに信頼に足るハーケンが最低4本なければならないことになる。
 剱なんかの岩場じゃ、そんなにハーケンは残置されてない。数こそたくさんあるビレイポイントもあるが、信頼性は限りなく低い。じゃあ打つかと言っても、当時剱や穂高あたりのクラシックルートでしかクライミングをしていない連中は、自分でハーケンを打ったこともない人が多かった。また、クリーンクライミングなる宗教がフリークライミングとセットで流行りだしている当時のご時世、剱あたりでハンマーを振っていると白い目で見られるのが落ちだった。

 なのでこのエイト環ビレイ、剱などのクラシックルートではほとんど登場することがなかった。使っているパーティーもあまり見たことがない。
 沢登りではよく使った。場所によっては立木などのアンカーが取り放題だし、ハーケン打ちまくってもガタガタ言うやつもいなかったし。まあハーケンはもちろん回収してくるわけだが、それは別にクリーンクライミングがどうのといった理由ではなく、単にもったいないからである。
 滝が20ある沢に入って、1つの滝ごとにハーケンを5枚打つとして、20個の滝なら100枚のハーケン、なんて持っていけるわけがなかろう。当然打ったハーケンはセカンドが全部抜いてくるんである。ついでながらチタンのハーケンは一度曲がると二度と復元しないので不人気だった。あれは残置してくるのが前提のハーケンであった。高いのに。

 まあ、主に支点の強度の問題で、このエイト環ビレイにも疑問を持つようになった。
 その他にも、ザイルの流れに対してちょっとシビアだった。シビアなのはどんなビレイ方法でも同じなのだが、このエイト環ビレイはトップが墜落してザイルにテンションがかかると同時に、エイト環が跳ね上がる。これは狭いビレイポイントで凶器が暴れ回るのと同じことで、跳ね上がったエイト環に自分のアゴをぶち抜かれた、という事故を間近で目撃したことがある。

 とはいってもこのエイト環ビレイ、セカンドを確保するには便利で現在でもわりと使用されている技術なのではないか。セカンドの確保ならアンカーの強度にもそれほどシビアにならなくても良いし。

 そうこうしているうちに、ATCなどの器具が出てきて、「器具をハーネスに装着し、ボディービレイを行う」技術が出てきた。確保に関しては今のところこの方式が決定打なようである。

 「制動か固定か」という問題に関しては、ザイルの伸び率が向上している現代では、ほぼ固定確保で問題ない、ということになっているようである。グリグリのような一定以上の速度でザイルが流れると自動的にロックがかかるような器具が出ていることからもそれが推測できる。

 ただ、墜落して確保される人間の立場で言うと、できることならやんわり止めて・・・と思うのだぞ。

 リーダー研修会で雪壁からの墜落者の役割をやらされたとき、ソリに乗って滑る(というより飛ぶ)のだが、ザイルにテンションがかかったときの衝撃は凄まじかった。
 40m一杯の上から墜落を始め、落ちている間確保者は精一杯ザイルをたぐり寄せる。だいたい10〜15mくらいはたぐり寄せ、そのマージンを使い切るまでに止めきるという、紛れもない制動確保そのものなのだが、それでも最初にザイルにテンションがかかるときの衝撃といったら・・・
 これがマジに固定確保、すなわちザイルをたぐり寄せることもせず、いきなり40m一杯でドンッと受け止めたら、いかにスタンディングアックスビレイといえど、多分確保者も巻き込まれてしまう。それもそうだが墜落者の身体も保たん・・・と思う。内臓破裂で死ぬぞ

 ザイルの伸びで墜落者とアンカーにかかる衝撃を緩和し、ザイルの流れ自体は器具のブレーキで止めてしまう、という今の技術は、トップの墜落に関してもかなりの確率できちんと止めることができるそうな。というより、きちんと修得すればほぼ確実に止めることができるのだとか。

 ATCが出てきた頃、私はもうほとんどクライミングをやらなくなっていたのだが、講習は受けたことがある。その時も人工岩場の上から砂袋を落としてそれを確保したのだが、すごく簡単に確保できてしまったのが驚きだった。

 ま、そういう器具を含めた技術の向上には、遙か昔から数え切れないほどの人柱による事故や訓練や実験が関わっていて、彼らの屍の果てに現在があるのだなぁ。その流れに私もちょっとは関わっているのである。

 

 前振りが長くなってしまったが、まあ要するにそういう時代の話である。

 

ビレイ解除!事件

 それは5月のリーダー研修会で起きた事件である。

 実地研修3日目、受講生はそれぞれの班ごとに剱岳の登頂を目指したわけだが、我々5班が取ったルートは平蔵谷S字雪渓〜源治郎2峰コルというルートだった。
 夏はS字雪渓の終端は滝が出ているのだが、5月はそこが綺麗な雪壁になっていて、そこを3ピッチほどのダブルアックスによる登攀で越えると言うルートだった。
 取り付きで2人ずつザイルを組んで登攀開始、である。パートナーの名前や大学は忘れた。講師は鈴木という姓と、当時シモンの輸入をする会社を興したばかりという以外のことは忘れていたのだが、どうやらアルテリアの鈴木 惠滋 氏である。

 さて、この話の前振りがまた必要なのだが、岩でも雪でもザイルを組んだ登攀の場合、お互いの行動はコールによる。
 コールの方法は別に統一されたものが決まっているわけではなく、団体ごとに少しずつ違うのだが、概ね以下のようであった。
1.トップがピッチを登り切り、確保ポイントに到着する。
2.トップはセルフビレイを取り、セカンドにコールする。「ビレイ解除!」
3.それを聞いたセカンドはトップに対するビレイを解除し、トップにコール。「ザイル引け!」
4.それを聞いたトップは余ったザイルをたぐり寄せる。
5.余ったザイルが全て引かれてしまうと、セカンドはトップにコールする。「ザイルいっぱい!」
6.トップはビレイの体勢を取り、セカンドにコールする。「準備よし!」
7.セカンドは「登るぞ!」とコールしてセルフビレイを解除し、登攀を始める。

 ま、少なくともこれらのコールは仲間内では厳密に決めておかないと、岩場で40m離れた場所で意志の疎通ができなくなってしまう。
 また、違う団体のメンバーとザイルを組む場合は、このコールをよ〜く打ち合わせしておかないと、やはり意志の疎通ができなくなる。
 6を「ビレイよし!」としている団体はけっこう多く、そうすると1の「ビレイ解除!」と紛らわしい。その辺まで考えて打ち合わせをしないと大変である。

 さて前振りが長くなった。
 私がその時組んだ相手は、ちょっと変わったコールをする団体から来ていて、1で「ビレイよし!」とコールし、それを受けたセカンドが「ビレイ解除!」とコールしてセルフビレイを解除する、という大学だった。
 もちろん研修期間中は、「研修期間専用コール」が決められて、それをみな覚えて登攀に望んだわけであるが・・・そのコールは基本的に上に挙げた1−6と同じで、具体的なセリフがいつもとは多少違う程度だったので、私にとっては覚えるのは苦労しなかったのだが、私の相棒にとっては大変だったらしい。

 さて、S字雪渓の登攀であるが、私が1ピッチ目のトップをやった。相棒は1ピッチ目のセカンドで登るとそのまま2ピッチ目のトップになる、いわゆる「ツルベ方式」で登ったわけである。
 2ピッチ目の途中で雪壁の傾斜が少し緩くなり、従って相棒は登っていくと私の視界から消えていった。
 そのうちロープの残りが僅かになってきたので、こちらから「残り10m!」とコールし、それを受けて相棒はビレイポイントの設置に取りかかったようでザイルの流れが遅くなり、やがて「ビレイよし!」のコールがかかった。

 いやぁ・・・研修期間専用コールではピッチ終了のコール(すなわち1)は「ビレイ解除!」だったんだけどな。ついいつも自分達で使っているコールを叫んでしまったんだろう。ま、意味は通るから細かいこと指摘しなくてもいいや、と思ってセルフビレイを解除した。
 すると手順どおりザイルがするすると手繰られていく。一杯手繰られたところで手順どおり「ザイルいっぱい!」とコールし、「準備よし!」のコールを待った。

 すると・・・なぜか上から聞こえたコールは、「ビレイ解除!」だったのである。
 セルフビレイなんかとっきに外してるぞ。今さら何言ってるんだ?
 でも、ザイルはいっぱいに張られているし、状況は「準備よし!」というコールがかかるはずである。ま、相棒の所まで登ったらちゃんと確認すればいいや、とそのまま登り始めてしまったのである。

 2mほど登ったところで、急にザイルがだらりと下がってきてしまった。2mは下がってきた。
 「えっ?」と思ったのだが、その間にもザイルは小刻みに上下している。
 「コ・・・コレハモシヤ、ヤツハセルフビレイヲカイジョシテイルノデハ・・・???」という戦慄の啓示が頭中に閃いたのだが、時既に遅し、私は2本のピッケルのピックとアイゼンの前爪だけで雪の壁に張り付いたハエのような格好である。
 今、俺が落ちたら2人とも雪壁を真っ逆さま・・・という重大なリスクより、その時の私の最大の恐怖は、「コ・・・コレヲスズキセンセイニミラレタラ、コロサレル・・・」ということであった。怖かったのよ。
 多分凍り付いていたのは2分くらいの時間だったのだろう。壁に張り付いたままじっとしていると、上から「ビレイよし!」というコールが聞こえてきた。今さらビレイよしじゃないだろう!とかなり怒り狂ってそのピッチをドカドカと登り、ビレイポイントで小声で(近くに鈴木先生がいた)問いつめると、果たしてビレイを解除していたらしい。つまりあの2分間、雪壁の中でコンテと同じ状態になっていたわけである。

 ま、その時は講師の鈴木先生に知られずに済んだことにほっとしていたのだが、結局良心の呵責(?)に耐えきれず、その夜テントの中で自白してしまった。
 別に殺されはしなかったが、その時、どういう経緯で何が原因で行き違いが起きたか、徹底的に検証することを命じられた。

 その結果判ったことは、相棒はセルフビレイを取ってザイルを手繰った時、ザイルの流れの方向を間違えてしまっていてアックスに向かうザイルとセカンドの私に向かうザイルが交差して絡まりそうになってしまったんだそうな。なので一時的にセルフビレイを解除してその絡まりを解いたそうなのだが・・・

 問題はその時に私にかけたコールが「ビレイ解除!」だったことだった。
 私達の大学も含めた当時の多数派として、このコールは「俺はセルフビレイ取ったからおめーは解除してもいいぞ」という意味なのだが、相棒の大学はそれとは逆の「今からセルフビレイ解除するから、おめーは俺をビレイしてくれよ」という意味で使っていたのである。

 研修期間専用コールはもちろん「ビレイ解除!」「あんたは解除しな」という意味なのだが、ザイルが絡まったとき、彼は思わず慌てて自分達のコールをしてしまった、というわけだった。そしてそれが明らかに不自然なコールだったのにも拘わらず、私が確認せずに登攀開始してしまったことが「雪壁中コンテ」をやってしまった直接の原因である、ということになった。

 また、最初に「ビレイよし!」というコールを聞いたとき、それは研修期間専用コールとは異なっていたにも拘わらず、私が「意味は通るからいいや」と確認、訂正せずそのまま続行したことも原因のひとつである、と指摘された。細かいことでもきちんと確認した上、訂正すべきだったのである。ここでツッコミを受けていれば、彼も「研修期間専用コール」をきちんと思い出せたはずである。

 そんなわけで、この時は鈴木先生の指導の元、数時間に渡って私達2人だけでなくパーティー全員で経緯を説明し合って議論し、整理した事件だったため、20年経った今でも非常に細かいところまでよく記憶している。

 クライミングではザイルパートナー間のコミュニケーションは、ほとんどコールが全てである。コールは言葉でやりとりされるため、この言葉はナメてはいけない。意味は通じるし細かいことは気にしなくていいや、と楽にしていると、通じている気になっているのは本人だけ、ということになっている場合もあるわけである。

 

相棒を後ろから引きずり落とした事件

 今度は沢登り中の事件である。これも事件後、相棒と2人で事細かに検証した事件だったのでよく覚えている。

 場所は白山の加須良川のどこかの支流だった。クマの調査のついでに沢登りをしていたような時期なのだが、この沢はかなり手強かった。
 その前の週に本流を遡行したとき(こちらもけっこう手強い谷だったが)、枝沢の1本が面白そうで、登攀具を珍しくかなり多めに持ち込んで意気込んで入った沢だった。

 出合いから上流の方にかなり高いゴルジュの壁らしきものが見えていたので期待していたのだが、なるほどゴルジュはあったが幅が広く、ほとんどの滝をノーザイルであっさり越えてしまい、拍子抜けしていた。このまま終わったらクソ重いハーケンとボルトの束をどうしてくれよう?という気持ちになっていたとき、次なるゴルジュが現れた。

 こいつは手強かった。中にかけている滝は高いものはなく、5mからせいぜい15mくらいだったのだが、なんせ壁が狭く安定した足場がない。ゴルジュの入り口でアンザイレンしたら、後はひたすらそのままツルベでピッチを切っていくのみだった。なんせザイルを解いて休む場所すらなかったのである。
 ゴルジュの壁のへつりも厳しく、部分的に人工になった。(アブミを使うエイドクライミングになった、という意味)
 その時の相棒のTはバリバリのフリークライマーだったので、やつがトップの時はかなり難しい滝やへつりでもフリーで行ってしまうのだが、私がトップの時は遠慮なくアブミを使った。
 そうそう、やつはクリーンクライミングにもかぶれていたので、ハーケンはなるべく打たずナッツなどを多用していた。でも沢ではそう綺麗事も言ってられないのだが。
 そういえば、拾った小石をクラックにねじ込んでプロテクションを取り、「これぞナチュラルプロテクション」と悦に入っていた記憶が。

 そうこうしているうち、左に90度曲がっている地点に来た。そこに辿り着いたのは私がトップのピッチなのだが、ザイルいっぱいまで偵察に出てみたら、2回ほど90度屈曲しながら落ちてくる15mほどの滝があった。ねじれながら落ちてくるようで迫力があった。
 もうザイルもいっぱいだし、そんなところでピッチを切ったら滝の飛沫をモロに浴びるので、屈曲点を戻った淵の壁でピッチを切った。下は深い釜になっていて流れも淀んでいた。
 安定して立てる場所もなかったので、ビレイはハンギングビレイ、すなわち壁にぶら下がったままのビレイである。

 相棒が器用にゴルジュの壁をへつってやってきて、苦労して身体を入れ替え、そのまま相棒が次のピッチをリードする。
 すぐ先の屈曲点を越えていき、彼の姿は見えなくなった。さすがの彼も苦労しているようでザイルの流れも遅い。

 ところでまたまた前振りが必要なのだが、沢登りでは(岩でも場合によりだが)、コールが聞こえないことが多いので(というか聞こえないのが普通)、私達は笛でコールしていた。笛だとあまり込み入ったコールは不可能で、「ピーッ!」と1回長く吹くのと「ピッピッ」と短く吹くのと、この2種類を組み合わせるだけである。ザイルいっぱい、それと残り10mのコールを「ピーッ、ピッ」にしていたが、後は「ピーッ」「ピッピッ」で返事するだけのコールだった。この「ピーッ」「ビレイ解除」なのか「準備OK」なのかは、順番と状況で判断するわけである。
 笛はいろいろ試したが、一番安物のプラスチックの玉入りのものが最も通りが良く、これを愛用していた。

 私は壁に両足で突っ張ってアンカーにセットしたエイト環を弄びながらビレイしていた。
 一度、ズンとテンションがかかり、相棒が墜落したことが判った。ザイルを握って止めていると、ザイルに断続的にテンションがかかるのが判り、これはもしかしたら滝の流芯に落ちたのでは・・・?と心配になる。もしそうなら、このままザイルを止めていると溺死してしまうかもしれず、適当にザイルを流してやらないといけない。
 ザイルを流そうかと思った矢先、再びザイルが流れ始め、なんとか滝から脱出したらしいことが判った。

 その後、どうもかなり難しい場所らしくザイルの流れが止まった。時々テンションがかかるところをみると、手近なところにハーケンか何かでプロテクションを取りながらトライしているらしい。
 が、そのうち全くザイルが動かなくなってしまった。待てど暮らせどザイルはピクリとも動かない。
 そのピッチが始まって1時間もした頃、さすがに同じ体勢でハンギングビレイを続けるのに疲れてしまい、セットしたエイト環の位置が絶妙で左手1本で握ればたいていの墜落は止めることができると踏んだ私は、体勢を変えようと思った。
 で、壁に背を向けてザイルにぶら下がった状態で腰掛けた瞬間、私の目に淵にぷかぷか浮いているプラスチックの笛の姿が飛び込んできた。や・・・やろう・・・落としやがったな・・・?

 この轟音の中、笛を失えば我々の意志疎通は不可能である。
 さっきからザイルはピクリとも動かないが、もしかしたらやつはとっくの昔に滝を越え、セルフビレイを取って私が登るのを待っているのではないか??
 ん〜、でも確認する方法がないのである。

 さらに1時間経過した。もうかれこれ2時間かかっているピッチである。ザイルは相変わらず動かない。

 しびれを切らしてちょっと引いてみた。引き返してくる手応えとかで意志疎通ができないか?と思ったのだが、妙に手応えが固くて引けない。
 屈曲しながら登る滝なので、ザイルもかなり屈曲して重いのかもなぁ、と思って今度はかなり強く引いてみた
 ・・・すると途端に手元にキックバックのように返ってくるガツンとした手応えと強烈なテンション。これはどう考えても墜落の手応え

 やべぇ、後ろから引っ張って落としちまった!

 またもや断続的なテンション。また滝に落ちたか。ザイル流そうか?と思ったが今度はすぐに脱出できたらしい。

 さらに1時間経過。ようやくザイルが流れ出し、さらにグッグッと2回引っ張ってくる手応え。
 これは「ビレイ解除!」のコールだと解釈してセルフビレイを解除、ザイルが引かれていくのを止めて淵に飛び込み、まだ同じところでぷかぷか浮いていた笛を回収して登攀開始。

 登ってみるとどうやら相当手こずったらしいツルツルのフェースに遭遇。やつは苦労した挙げ句フリーで抜けたらしいが、私はセカンドにも拘わらずハーケンを打ち足して人工で突破。やつがリードに3時間かかったピッチを30分で処理した。

 後でよく「検討」したら、やはりそのフェースで苦労していたらしく、何度か落ちて(私は1回しか認識していなかったが)ようやく上手くいきそうなムーヴを編み出し、気合い一発登り始めたまさにその瞬間、下から強く引かれて為すすべもなく墜落したそうである。

 ま、そりゃ悪かったけどね、そんなにフリーに拘らずに苦労するところは人工でもなんでもやってとにかく抜けてよ。何も知らずに3時間も待たされる身にもなってくれ。おかげで滝の上、まだゴルジュのど真ん中なのに時間切れでビバークする羽目に。

 ちなみにその後、笛なしでの「ザイルを引っ張る」コールも研究したのだが、さすがにこれは実用にはならなかった。
 まあ、普通の岩場でも、風が強かったりするとコールなんてまるで聞こえなくなるから、そういう時の意志疎通をどうするか、という問題は普段からよくよく話し合っておく必要はある、と思う。
 それより我がパーティーでさっそく決められたことは、「1トライの制限時間は1時間」というルールだった。1時間以上粘っていると、後ろからザイル引かれても文句は言えない、というルールである。

 

おまけ 「ロープダウン!」事件

 これはコールとかの意志疎通とは直接関係ない話なのだが・・・

 懸垂下降する際は、支点にザイルを通して末端を結び、輪に巻いたザイルを投げて落とすのだが、その時は下に人がいないという保証はないので「ロープダウン!」とコールする。
 ちなみに40mザイルだと20mしか懸垂下降できない。40mの懸垂下降は40mザイルを2本使うのである。そうしないと下降した後でザイルを回収できない。

 2本使う場合も、支点にザイルを通してどちらのザイルを引けばザイルを回収できるか記憶した上で、ザイルを輪にして投げる。
 綺麗に投げることに成功した場合、するするとザイルが伸びていって一直線に落ちていく様子はなかなか快感である。失敗するとだらしなく広がったりして、これは下降の最中に引っかかったりしてロクなことにならない。

 ある沢でゴルジュを高巻きしていて、沢に戻るのに懸垂下降することになった。どう見ても40m1本では足りないので2本を結び、立木から取った支点に通して先端を結び、ザイルを輪にして、「ロープダウン!」と大声でコールした。下に誰かいるような沢ではなかったのだが、まあ習慣である。

 で、ザイルの輪を投げるとスルスルと輪が伸びていき・・・・全部落ちてしまった

 げげげ。結んだザイルが支点を通っていなかったのである。手持ちのザイルを2本とも、遙か眼下の谷底に投げ込んでしまった

 2時間かけて泣きそうになりながらクライムダウンし、擦り傷だらけでようやく谷底に降りてザイルの捜索である。ここでザイルが見つからなかったら、もはや無事に帰る手段はない。遭難したも同然である。
 見つけたザイルは20mほどの滝の落ち口の手前に引っかかっていた。狭くて流れが激しくて、取りに行くのに確保が切実に必要な場所である。しかしその確保のためのザイルは・・・

 ま、無事回収できたから20年後にこんなところでこんな文章を書けているのだが、ロープダウンの時にはくれぐれもザイルがきちんと支点に止まっているか、ご確認を・・・

 

 

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