好きな山あれこれ−黒部源流の山々

 この界隈の山を初めて知ったのは中学生の時に両親に連れられて登った時だった。
 その時は、折立〜太郎(泊)〜雲の平(泊)〜黒部源流〜三俣〜双六〜鏡平(泊)〜新穂高、という行程だった。その3年前、立山黒部アルペンルートに行った時に黒四ダムも見ていたし、冠松次郎の本も読んでいたりしたので、雲の平から三俣に向かう最中に黒部の現頭部に立ち、「ここがあの黒部川の一番上なのかぁ」とちょっとした感慨を持って川を見ていた。
 意外だったのは、あの険谷をもって知られた「黒部川」の源流が、あんなにもたおやかで優しげな山々の中を穏やかに流れていたことだった。

 高校生になったら山小屋でバイトする、ということは中学生のうちから決めていた。その小屋がなぜ雲の平でも双六でもなく、太郎だったのかは今となってはよく憶えていない。たぶん、三俣系列には湯俣山荘、双六系列にはワサビ平小屋という「下界に近い」小屋があり、高校生だからといってそっちの方で働かされてはたまらない、という計算でもあったのだろう。太郎系列なら全て「山の中」だから、どこの小屋に行かされてもOKOK、というわけである。

 実際には高校生の時は高天原の小屋で1ヶ月働いたのだが、この世にこんな美しい場所があるのか、と思った。登山の形態として「沢」に興味を持ったのもこの1ヶ月の山小屋生活がきっかけてもあった。
 だが、山よりも私の人生観に大きな影響を与えたのは、そこで働く「人」だった。
 それまでの私は、中学の頃は試験で100点は当たり前、たまに80点なんて点数を取ると青くなるほどの「優等生」だった。まあ高校はそれぞれの中学でトップクラスの学生ばかりが集まってくる高校だったので、一筋縄ではいかず、現に高校に入って最初の中間試験で数学が7点という凄まじい成績を取ってしまったりもしていたのだが。
 まあいずれにしろ、勉強して大学に入って、それから・・・というごく普通の価値観しか持ち得なかった高校生に、山小屋に集まる人たちの個性は強烈だった。

 学生の短期バイトは別として、長期で山小屋に入る人達って、どこか普通の社会生活に適応しきれない人達である。まあ根本的に「他人とコミュニケーションが取れない」人は普通の社会生活ではもちろん山小屋に来たって同じことで、そういう意味ではないのだが。
 まあ、高校生の自分から当時社会を見ていて、こんな複雑怪奇な網の目をくぐり抜けて生きることができないとまっとうな人として認めてもらえないの?という漠然とした恐怖は常に抱えていた。なので、そういうのを拒否しても生きることができる場所がある、ということが驚きでもあり喜びでもあった。
 その人達は人間的にすごく魅力的に見えたし、何よりそういう社会のしがらみに適応しきれない人達でも、こうしてちゃんと世の中の役に立つ仕事ができている、ということが大きな発見だった。そういう場所って、たぶんあちこちにあるんだ。
 「なんだ〜、何やったってちゃ〜んと生きていけるんじゃ〜ん」ということをどこか心の奥底で悟ってしまった1ヶ月だったのだ。
 まあたまたま今は、まさにその「複雑怪奇な社会」のまっただ中に生きていて、しかもそこそこ適応できてしまっていたりするが、それも、いつも自分が今歩いている道がプツっと途切れてしまっても、別にそれでこの世から自分の居場所が消えてなくなってしまうわけではない、と思うことができているからかも。

 山岳部時代も夏山合宿で剣定着を経て縦走に入り、三俣で皆と別れて小屋に居候で転がり込んでいた。なので7月20日に入山して8月13日頃まで定着、それから縦走に入り8月20日に三俣でみなと別れて小屋に入り、最終下山は9月2日、とか早い話が夏中ずっと山の中、だったりした。
 なんせ1ヶ月近く風呂に入っていないので、まずは高天の温泉で一風呂浴びて・・・とか贅沢なことをやっていた。
 当時の高天の小屋番の大山さんは、いい若い者が小屋でブラブラしているのが大嫌いな人なので、「ブラブラしてんとどっか行ってこい!」と小屋を追い出されることもしばしばだったが。そんなこと言ってもねぇ、今までほとんど1ヶ月のテント生活で、なんせ屋根の下で寝るのが1ヶ月ぶり、とかだよ。おまけに1ヶ月ず〜っと行動し続けていたんだよ?ブラブラしたくなるのも人情でしょうに。
 とはいえ、体力は有り余っていたので追い出されればじゃあ行ってくるかと、赤牛沢から赤牛岳に登ったりしていた。朝、出がけに温泉の横を通ると朝っばらから風呂に入っている人がいて、夕方赤牛岳から下りてくると同じ人がまだ風呂に入っていたのは驚いた。

 高天も滞在が延びると大山さんに鬱陶しがられ始めたので、それでは場所を変えてと薬師沢の小屋に移動したのだが、そこにたまたま居合わせたのが後に黒部源流のイワナを愛する会を立ち上げた常連客の高原さん達であった。で、高原さんにイワナ釣りを教えてもらったものの、「お前はガツガツしすぎるから釣りには向いてない」と宣言されてたった30分で見切りを付けられ、それ以後は奥の廊下での違反テント設営とか釣ったイワナの塩焼きとか、ほぼ召使いのようにこき使われたのだった。人には「ガツガツするやつは釣りは無理だ」とか言っていたものの、当時の高原さんはそれこそギラギラした中年で(当時の高原さんと今の私と同じくらいの年齢?嗚呼・・・)、「この釣り方のどこがガツガツしていないのだろう?」と見ていて不思議だったのだが。ま、今考えると単に面倒くさかったのだろう。その時はまさかこれほど長いつきあいになるとは思ってなかっただろうし、適当にあしらっていたのね。
 後に私は薬師沢の小屋で3シーズン働き、その時も高原さん達イワナの会の創設メンバーはシーズンに3回くらい小屋に現れた。そのうち彼ら常連客と薬師沢の小屋番の小池さんを中心としてイワナの会が発足した時、私は高原さんの召使いという理由で釣りもできないのにメンバーに入れられたのだった。もう数年、会費を納めてないけど、まだ籍はあるのだろうか・・・

 剣は常に何らかの判断や決断を強いられる山だった。まあここでは脳天気に遊び狂っていたようなことしか書いていないが、剣沢から長治郎に入った瞬間から、心のどこかにある一定の緊張というかテンションは保っていたし、そうでないと危険だった。まあそのテンションが剣岳で感じる喜びでもあったわけだが。
 それに対比して黒部源流の山々は、自分に「何も要求しない山」だった。もちろん「安易な山」というつもりはないが、それでもぶっちゃけた話、剣で要求される判断や決断と黒部源流の山で要求されるそれは、質も量も天と地ほど違う。
 この「何も要求されない山」というのは、その場その場での判断や決断という意味以外でもそうだった。それ以外の意味でも、私に何かの決断を求めてはこなかった。そういう気持ちになれる場所だった。
 高校生の時に初めてこの山で暮らした時に感じたことは、当時の気持ちとは少し意味合いは違ったが、それでもやはり正しかった。とりあえずここでは激しく屈折した心を抱えていても、ちゃんと生きていることができる山だった。

 とはいうものの、別に山そのものが何かを人に要求したりしなかったり、はしていないのだけど。
 よく山に行って、「私は自然に生かされている」と感じる話を聞くが、山は生かしも殺しもしない。ただそこに存在しているだけだと思う。「山に生かされている」と感じる人は、自分が遭難して死ぬ間際、「山は私が生きることを許さなかった」と思うのだろうか?それとも「山に裏切られた」と思うのだろうか。
 別に山に限ったことではないが、致命的なミスを犯しても何事もなく生き続ける人もいれば、何も落ち度はないのに突然命を落とす人もいる。「山に生かされている」と感じるのが「今自分は生きているしこれからも生き続けることができるだろう」という気持ちを前提としている以上、自分が一番大事、な人間の勝手な思いこみなのだろう。
 「自分は今、山と同化している」と感じる瞬間は確かにあるが、その時に、今目の前でイワナに食われてしまった川虫と自分の命がまったく同等のものだと心の底から思えているか?と考えると、そう感じることすら思い上がりのようにも感じる。

 ま、なんにしてもとりあえずこの山にいたおかげで、当面自分の屈折を棚上げしておけたことは確かなんである。

 

 黒部源流では赤木沢が有名だが、確かに綺麗だ。もう10回は行っているが、何度行っても飽きない。
 源頭部は大滝を越えてから何種類か取れる。本流と目される流れをひたすら忠実に辿れば、中俣乗越に出てしまう。太郎方面に帰る時は中俣乗越に出てしまうといささか辛いので、普通は大滝を越えてから適当に右手から合流する流れを詰める。するとたいてい赤木岳の直下あたりに出ることができる。
 大滝を超えてすぐ、小さな流れ(枯れていることが多かった)を無理矢理詰めると、赤木平の一角に出る。この赤木平、北の俣岳あたりの稜線から眺めても、いかにも快適そうな高原で、いつかここでテントを張ってみたい、というのが積年の夢だったりするのだが、山々のど真ん中にポカっと浮いた小さな高原で、なんとも素敵なところだ。
 ただ、赤木平もそうなのだが、そこから主稜線に登ろうとすると、そこは秋なら単なる気持ちのいい草原なのだが、時期によっては気も狂わんばかりに咲き誇る極大お花畑だったりする。
 ここをズカズカ踏んで北の俣岳に登る勇気がありますか・・・?
 私は、「こ・・・ここは行けん!」と音を上げて、反対側の薬師沢左股に逃げるように降りてしまったことがある。あの赤木平のお花畑を、私は密かに「Y級の花畑」と呼んでいる。
 まあつまり、赤木沢の詰めは、適当に右の沢を取りながら赤木岳の直下あたりに出るのが正解、というわけである。

 赤木沢は技術的には何の問題もない(沢登りとしては)沢なのだが、赤木沢出合いに至る黒部川本流の方が、やや手応えがある。といっても、もう既に上廊下や奥の廊下の面影はない穏やかな流れなのだが、一応膝くらいの徒渉はあるし、水量もあるので沢登りの未経験者にとってはそこそこ緊張するようだ。
 赤木沢出合いの手前に、ほとんど本流唯一といわれる滝がある。3m程度なのだが、まあ確かに滝である。
 その滝の淵は、遡上のためにイワナがたくさんいた。雨で増水した時に一気に越えるため、その淵に集まっていたのだと思う。普通に赤木沢を遡行しようとすると、その淵を朝早くに通過するため気づかないのだが、午後になるとどこからかうじゃうじゃとイワナが湧いてきていた。無造作に水面にカメラを向けて写真を撮ると、1枚の写真に10匹以上のイワナが写るほどだった。

 その滝にはどうやら昔から左岸(右側)に立派な巻き道が付いていたらしい。らしい、というのはかなり最近までその巻き道の存在を知らなかったからである。その滝はいつも右岸壁を直登していた。ちょっとホールドは細かいし、出口が上から被っているのでちょっとだけ嫌らしい。でも落ちたって例の淵に落ちるだけだし、なんにも疑問に感じたことはなかったのだが・・・
 赤木沢にはバイトの女の子などもよく連れていったのだが、彼女たちが後で口を揃えて「あの滝が怖かったですぅ」と言うので、ある日不審に思った薬師沢の小屋番である小池さんが私に聞いた。
 「お前、あの滝をどうやって越えている?」
 「え?左側の壁を登ってるけど」
 「なんで」
 「え〜?右からはちょっと登れないよ」
 「・・・・・・お前、もしかしてあそこには巻き道があるのを知らないのか?」
 「ええ〜っ?」
 というわけで、翌日早速見に行ってみたら、確かに立派な巻き道があった。なんで今までこの道に気づかない?というほど立派なのが。
 でも、巻き道はやっぱりつまらないので、その後もやっぱり右岸直登なのであった。

 高天原の小屋から温泉に行く道の途中、右手に立派なナメ滝が見える。高さは30mくらいかな?ナメ滝の場合、どこからどこまでが滝、とはっきり言えないので高さの目算も曖昧なのだが。
 この滝は高校生の時、真っ先に登った。ホールドは細かいし上の方はけっこう傾斜もきついし当時はかなり難しく感じたのだが、まあW−かせいぜいWというところだろう。
 さて、登ったはいいが降りようとしてはたと困った。降りるルートがない。滝の左岸は広いスラブになっているのだが、どこも降り始めの傾斜が強くて怖い。
 一緒に登った大学生のバイトは「巻いて降りる」と言ってハイマツの中に突入していったが、彼がハイマツの中でもがいているのを見ると続けて突入する気にもなれなかった。
 しかたなく、登ったルートをクライムダウンしたのだが、実はかなり怖かった・・・
 上の方に懸垂下降用のハーケンを2本ほど打っておいたら、楽しい遊び場になりそうな気がする。

 岩苔小谷の大滝は、当時小屋番を10年以上やっていた大山さんや小池さんでも、「下から見たことはない」滝だった。
 こいつは是非とも行かねば、と小谷を3回も遡行したことは別のページに書いたとおりだが、実は小谷は大滝を超えて温泉沢を分けた上に、もう1つゴルジュを抱えている。
 それも覗いてみようと、ある時高校時代からの友人(高天でバイトしていた)や大山さん達と行ってみた。大山さん達は遡行までするつもりはなく、適当にそこらを女の子達を連れて散策する予定で、とりあえずゴルジュの入り口までは一緒に行こうと。
 行ってみたらば、そこはかなり悪いゴルジュだった。入り口の滝はほんの4mといったところなのだが、なんせ狭い。堀田と私が交互にチャレンジしたのだが、半ばより上に到達できずに淵に墜落。まあボルトでも打てば人工で越えられるだろうが、そんな用意も気持ちもなかったのであっさり諦めて散策隊に合流することにした。
 とはいうものの、諦めきれないのでゴルジュの壁に沿ってヤブこぎしながらところどころで谷の中を覗きながら行った。途中1カ所、谷の屈曲点で降りられるところがあったので降りてみたのだが、上も下も谷幅一杯に流れていてちょっと手が着けられない感じだった。
 別の日、ザイル持ってゴルジュの上から懸垂下降で谷の中を何カ所か覗いてみたが、どこも同じ。ザイルが細いもの(8mm)だったので、登り返す時にスリングのプルージックの利きが甘く、ちょっと難儀した。
 というわけで、岩苔小谷の上部ゴルジュは、敢えて行くとすればベタベタの人工になってしまうので、興味を失った。

 黒部本流の立石奇岩の対岸あたりに薬師岳から落ち込んでくる沢がある。
 格好いい滝で本流に落ち込んでいて、その上にもいくつも滝を架けているのが見えている。小池さんとここを通るたびに「この谷、行ってみたいよなぁ」と話していた。名前はどうもないらしく、日本登山大系には「スダレ状の滝ノ沢」と紹介されている。一応記録はあるみたい。
 下から見る限りでは、どの滝もそれほど難しそうではない。単独でザイルなしでも行けるかも、と思っていたので、今でもちょっと行ってみたい。
 ただ、谷自体は非常に短かそうなんである。下から見えているのがほぼ全てで、そのまま東南稜の末端に上がっているようで、そうなると谷そのものより谷を抜けてからがしんどそうである。東南稜の下部はハイマツ帯だし、滝はV級でもヤブはY級かもしれん・・・
 そのうち小屋で居候でもしている時に、ふと思いついて行ってしまうかもしれない。

 

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