古〜い地図

 私はモノを捨てない方なので、高校時代から数えて5回の引っ越しを経た今でも、けっこう昔のものが出てきたりする。
 カミさんは捨てたがっているのだが、黙って捨てるとえらいことになるので(怒)箱に整理して置いていたりするのである。
 そんなわけで、高校時代から使っていた地形図が「地図」とカミさんの字でマジック書きされた箱にまとめて現存しているわけであった。

 ちなみに私が独身時代持っていた3q@.sビデオは、いのつまにか「良くんのたからもの」とカミさんの字でマジック書きされた箱に入っていた。

 それはさておき。
 その地図を見ていたら妙に懐かしくなってしまったのでここに書いてみることに。

北小松
比良山

比良の地図 (北小松&比良山)

 1枚目は比良の地図である。比良の地図は「北小松」と「比良山」を3枚ずつ持っているのだが、この2枚が昭和56年刊のもので持っている中では最新である。
 当時は歩いたルートに赤線を入れるというウブなことをしていたので、現地に持っていく地図は書き込みをせず、書き込み専用にもう1枚地図を持っていた。そのおかげで、20年以上経っているにも拘わらずけっこう綺麗である。

 眺めているとけっこういろいろ思い出すものだ。
 蛇谷ヶ峰北の入部谷越で赤線が止まっているのは、大学に入ってから猪谷を遡行したとき、入部谷越で幕営している母校の山岳部のテントに遊びに行ったからである。自分たちのテントは武奈ヶ岳直下の口の深谷源流部に張っていたので、後輩のテントに潜り込んで1晩寝た後は、また縦走路を武奈ヶ岳まで戻ったのだった。だから入部谷越から下山する道は歩いたことがないのである。

 貫井谷は、やはり口の深谷源流に幕営し、朝一番で武奈ヶ岳から梅の木集落にまっすぐ降りる尾根(細川尾根)を下って取り付いた。
 1回目の時はなんでもない支流に間違って入り、時間切れでテントを残したままバスで帰るハメになったが、ご丁寧にその間違ったルートまでちゃんと書き込みがしてある。
 ちなみに話が前後するが、その翌週にテント回収のついでに猪谷を遡行し、そのついでに蛇谷ヶ峰まで行ってしまったわけであった。
 だが、書き込みでは貫井谷は右俣左俣両方遡行しているが、右俣の記憶はなかったりする。

 記憶にないルートは他にもけっこうあって、細川尾根の北側の沢や貫井谷の1本南の沢(三舞谷)も記憶にない。三舞谷はこれも右左の両俣をやってるいので、少なくとも2回は行ったはずなのだが・・・
 また、タンヤマ谷も書き込みがあり、「源頭部のヤブが酷かった」という手記まで残っているのだが、記憶にはさっぱりである。

 ちなみに蛇谷ヶ峰は、今じゃ朽木村に立派なリゾート施設ができて、そこからの登山道が整備されているようだが、私の高校当時はそんなものはなく、入部谷越への林道をえっちらほっちら歩いて登るのがほとんど唯一の登山道だった。朽木村からも地図に波線があるように道はあったのだが、あまり紹介も整備もされておらず一般的ではなかった。
 また、畑集落からボボフダ峠に登る道は、確か夏道もあったように記憶しているが主に積雪期のルートだった。地図に書き込まれている2本の赤線は、高校3年3月の卒業山行の時に歩いた道だろうと思う。この時の記憶がこれまたほとんどないのだが・・・

薬師岳

薬師岳

 もう1枚は北アルプスの「薬師岳」である。こちらは昭和50年刊となっている。
 この地図は高校1年の時に高天原山荘にバイトで入ったときに持っていった地図なのだが、上の2枚とは違って実際に山にもかなり持っていったので、程度はかなり酷い。染みだらけである。
 こちらは多くのルートを大学生になってから歩いているので、さすがにほとんどのルートを覚えている。
 が・・・C沢を本流から登山道まで遡行しているんだ・・・記憶にないなぁ・・・

 薬師沢の源頭部の沢筋に2本、赤線が書き入れてあるが、この通称「奥の右俣」は薬師峠のキャンプ場に直接出る沢で、「奥の左俣」は太郎平小屋の水源の沢である。6月中の残雪期は太郎から薬師沢方面に下るのにはこの沢を降りた方が早かったので(沢が雪で埋まっているため)、この2本の沢はこの季節にはよく利用した。

 水晶岳から高天原に下る場合、温泉沢の頭から下るルートがある。道標などはほとんどまともなものは今でもないらしく、ガイドブックなどには「一般ルート」とは少し違う紹介のされ方をしているが、道ははっきりしている。
 で、水晶岳から高天に行く場合は当然この道を下るのだが、反対側の赤牛岳から高天原に下る場合は温泉沢の頭まで行くとえらい遠回りになるので、適当なところを温泉沢に降りていた。なので、この水晶岳から赤牛岳に至る尾根のうち、一部分は歩いたことがないことにこの地図を見ていて気がついた。

 上ノ廊下はスゴ沢の出合いより少し下のあたりで赤線が途切れている。
 これは、高天の小屋から下れるだけ下って1ビバークし、翌日そのまま登り返して薬師沢の小屋に行くというやり方をしたからで、従って下の黒ビンガはまだ見たことがないのである。
 ちなみにこの時、現在位置の同定は極めていい加減だったので、赤線が途切れている位置はあまりあてにはならない・・・

 黒部川本流の立石より少し上流に、薬師岳側にほんの少しだけ赤線が入れてある。
 これは立石奇岩の対岸に、薬師岳から綺麗な連瀑を落としながら入ってくる沢があって、その沢を滝を3つばかり試登してみたときのものである。とても綺麗なスラブ状の滝をガンガン落としている谷で、下から見た限りではそれほど苦労せずに登れそうだったのだが、沢の源頭部が薬師岳東南稜の末端とあって、沢そのものよりその後が苦労しそうだったので、結局登らずじまいだった。
 この沢は私が持っている古い日本登山大系にはスダレ状の滝の沢(仮称)という名前で掲載されている。

 それにしても、この1つの山で2.5万図の大部分を占めてしまうほどの巨大な薬師岳に、たった1本の赤線しか入っていないのがやはり気になる。あっちからもこっちからも登ってみたいのだが・・・

 ちなみに高天原周辺にモザイク処理がかけてあるのは、登山道から外れた湿原や池がたくさん書き込んであるからである。
 ここは内緒なのである。

 

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