臨死体験〜雷〜

 といっても別に心霊ネタではない。もうネタ切れである。
 何の話かというと雷の話である。
 以前、薬師沢からの帰りに雷に捕まったという話 を書いたときに、その昔剱岳の八ツ峰で雷に捕まったときはもっと怖かった・・・みたいなことを書いたのであるが、その時のことを書いてくれというリクエストが前からあったんである。しばらく忘れていたのだが久しぶりに催促されたので、じゃあ書いてみるかと思った次第である。

 時は・・・たぶん1988年か89年頃である。年号でいうと昭和63〜平成元年頃だと思う。山小屋でアルバイトしていた時期と被っているのだが、入山前とかに剱に寄って軽くどこか登ったりしていた程度で、もう本格的なクライミングはほぼやらなくなっていた頃である。
 細かい記憶があまり残っていないのだが、たぶん梅雨明け直前くらいの時期だったと思う。剱沢にベースキャンプを張って、軽く八ツ峰上半でも縦走してこようという日程だった。「剱沢ベースキャンプ+八ツ峰上半」というあたりがもう既に社会人の臭いぷんぷんである。軟弱になったもんだ、などと自嘲気味に思っていた記憶が。
 ・・・ま、馬場島から池ノ谷経由で三ノ窓ベースキャンプなんて突き抜けた社会人もいるんだけどね、ここ富山には。

 さて、ペースキャンプ出発は早かったのだが、6峰のAフェースかCフェースだったかを1本攀ってから八ツ峰上半縦走を開始したので、その日上半に入ったパーティーの中では我々が一番遅かった。8峰でもう昼くらいになっていたと思う。
 その日は快晴で、抜けるような青空の下、快適なクライミングを楽しんでいたのだが、ふと気づくと毛勝方面だから北の方角ににょにょにょと真っ直ぐに立ち上がる一筋の雲が。

 「竜の巣だ〜!」なんて叫んでふざけていたのだが。後で思えばふざけている場合ではなかったのだ。

 8峰の下りを懸垂下降でさくさくと下り、最後の八ツ峰の頭に向かう登りで、アンザイレンした相棒がするすると登っていったのを見送り、彼が視界から消えたその時である。

 なんだかふっと暗くなった。

 あれ?と思って頭上を見上げると・・・そこにはいつの間にか頭上に聳え立つ竜の巣 が・・・

 でかくなってる。
 しかもすごい勢いで谷間からガスが駆け上がり、その竜の巣に合流してますます竜の巣が大きくなっていくような・・・
 つい今の今までぎらぎら照りつける太陽と白く乾いた岩肌しかなかった世界なのに、あっという間に白いガスが視界を塞ぎ、鮮やかな極彩色だった視界がグレー一色に塗り替えられていく光景を見ていると、さすがにぞくっと寒気がした。そういう天候の急変は、山では別に珍しいことではないのだが、非常に不気味に感じたのは「今自分達がいる場所は安全地帯ではないし、近くに安全地帯は存在しない」というプレッシャーもあったのだろう。

 別に難しい場所でも何でもなく、パーティーによってはノーザイルで行ってしまうようなルートだったのだが、そのたった40mを相棒が登るのが、かなり長い時間に感じた。
 やがて相棒が終了点に辿り着き、「ビレイ解除!」のコールがかかり、手繰られていくザイルを送り、あとはセルフビレイを解除して登り始めるだけ、という状態になった頃は、既にもう周囲は夜かと思うくらい に暗くなっていた。

 これはもうあの竜の巣の中に入ってしまっていることが容易に考えられたし、いくらなんでもやばいぞ。なのでザイルの端と端に分かれたまま、しばらく待機することにしたのであった。
 待機体勢に入った途端、かなり近くで「ゴロゴロ」と鳴った。ああやばかった、これは待つに限る、しばらく待てば雷も通り過ぎるさ、と待機することにした自分の判断を少し誇らしく思いながら雨具も着込み、悠々としていたのだが・・・

 突然、轟音が轟き渡った。

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 いやもう「ゴロゴロ」とか「バリバリ」とかいう擬音語で表現不可能な大音響だった。強いて擬音語で書けば「ドカーン」か?
 ほとんど心の準備もしていなかったので、落雷の直撃を受けなくても心臓麻痺で死ぬ、というくらいの大音響だった。

 その一撃(別に喰らったわけでもないのに)で、完全に金縛り状態かつ思考停止状態に陥ったのだが、それからのしばらくがまさに臨死体験であった。
 視界は午後2時だというのに真っ暗である。その真っ暗な中を青白い稲妻が上から下から右から左から、縦横無尽に飛び回っている。
 相変わらずもはや何がなんだか判らないくらいの轟音がひっきりなしに轟き渡っている。
 周囲の岩がじりじりと鳴り始め、青白くぼーっと闇の中に浮かび上がる。
 腰にぶら下げたカラビナが「ブーン」と唸りだす。

 雨はそれはもう「雨」と呼べる代物ではなかった。消防車の放水を受けているような感じである。

 近くに数発は落ちた。
 視界がほとんどゼロの時は、真っ暗な闇の中を縦横無尽に駆け回る稲妻がどこか近くに落ちると、視界全体が青白くフラッシュのように光った。
 そのうち少しずつ視界が広くなり、数10mほど見えるようになったのだが(少し明るくもなった)、その時に近くに落ちると落ちたポイントから周囲の岩を放電が伝うのが見えた。あの範囲内にいたらアウトなんだ。

 「落ちる」という言い方はもはや適切ではない。
 積乱雲の中にすっぽり入っていたのである。その中では縦横無尽に放電していて、それがたまたま稜線に当たる、って感じであった。

 あの光景(音響も含めて)を何に例えれば良いのか判らない。とても文章にできないと思ったからこれまでこの話は書かなかったのだが、たぶん「この世の終わり」はこんな感じなのではないかと。

 たぶん30分くらいだったのである。「この世の終わり劇場」は。
 でもそれは私には永劫の時間に思えたし、雷が過ぎ去って雨が上がり、ちゃっかりと青空が広がってもまだ立つことができなかった。
 上から相棒の「生きてるか〜?」というコールを聞いてようやく苦労して立ち上がり(軽く腰が抜けていた)、セルフビレイを解除して登り始めたわけである。急速にガスが動いて山肌が姿を現していく光景が、天地創造のように見えた。
 終了点に辿り着けば、相棒がやはりこの世の終わりと天地創造を一度に見たような顔をしていた。あの消防車の放水のような雨のおかげで2人とも雨具を着ているのにも拘わらずプールで泳いできたようにずぶ濡れである。もしかしたら相棒は(私も)小便くらい漏らしていたかもしれないが、漏らしていても絶対に判るまい、というくらいの濡れ鼠だった。

 その後の行程は遅々としてはかどらず、長治郎のコルで敢えなく時間切れ、ビバークを余儀なくされた我々であったが、満天の星空の下で「雷の心配がないなんてなんて幸せ」と安らかに・・・眠れなかった。なんせ濡れ鼠でその夜は冷えたのでむちゃくちゃ寒かったのである。

 

 まあそんなわけで、それ以来、雷にはかなり過敏に反応する私である。遙か遠くでゴロゴロと聞こえただけで顔色が変わる。

 落雷事故は、毎年必ずどこかの山であるのだが、信じられないのは雷がゴロゴロ鳴っている中、平然と歩いている連中がいることである。
 むろん、予測を越えて早く接近してきた雷とかもあるので、落雷事故に遭った人全てがロシアンルーレットをしていたわけではないだろうが、少なくともゴロゴロ鳴っているのに行動を続けていた、という事例については、ちょっと神経を疑う。恐怖心がないのだろうか?

 雷なんてラムちゃんの愛情表現くらいにしか思ってない人もいるみたいだが、マンガと現実の区別くらいはしておいた方が・・・

 「父さんは生きて帰ってきたよ」なんていっても、父さんはどうか知らんが俺は死ぬ、とあの時は思ったものである。

 

 

 とはいえ山に登っていて雷を完全に避けることは難しく、何回かはやはり捕まってしまっているのである。
 まあ竜の巣のど真ん中に放り込まれてしまったような体験はこの時限りだが、何回遭遇しても雷だけは馴れない。

 薬師沢の帰りに捕まったのはいわゆる界雷である。
 つまり典型的な夏の夕立は熱雷と呼ばれるタイプで、高気温が上昇気流を生み、積乱雲になるタイプの雷である。
 これに対して界雷は前線に由来する上昇気流による雷である。
 どう違うかと言えば、熱雷は上昇気流で上がっていった水を落とせば終わりである。持続時間もあまり長くない。雨が降り出せばもうすぐ終わり、くらいの感覚である。
 それに対し界雷は前線由来なので終わりが読めない。持続時間もえらく長い場合も多々あるし(朝から起きて1日中なんてことも)、気流が複雑なので通り過ぎたと思った雷がまた帰ってきたりする。

 まああの日は日本の半分くらいがすっぽり前線に覆われていた日なので、落雷事故も多かった。その前日に大天井岳で、この同じ日に白馬の不帰の瞼でも死亡事故があったし、東北の方でも事故があった。
 こういう時の雷は、午後早い時間に宿泊地に到着するなどの一般的なセオリーが通用しないので嫌である。
 ほんと、雷だけは逢いたくないものである。

 

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