双 眼 鏡

 実は私は双眼鏡マニアである。まあマニアと言っても、世の中にはもっと凄い雲の上のような方も大勢おられるわけで、私などマニアを名乗る資格はないのかもしれないが。

 なぜ双眼鏡かというと、大学時代にクマの調査をしていたのがきっかけだった。
 クマの調査では、もちろんひたすら山を歩いてクマの糞を採集したり円座(秋にクマが樹上で採食する際の痕跡)をカウントしたりといった地味な調査もするのであるが、定点観測といって山の定点に陣取り、ひたすらクマを探すという調査もやっていて、それには双眼鏡が不可欠だったわけである。
 定点観測の時は1日中双眼鏡で山を見て、クマらしき物体を見つけるともっと倍率が高いフィールドスコープで確認して観察を続けるという、双眼鏡の使用状況としてはかなりハードな使い方をしていたものだった。
 そういうわけで、いろいろ双眼鏡を取っ替え引っ替え試しているうちに、双眼鏡にはやたらうるさくなってしまったというわけである。

 だいたいぱっと見たときは良くても、1日中双眼鏡を覗いていると激しく頭痛がしてくるものだった。
 しかし、ツァイスも含めていろいろなメーカーのいろいろな双眼鏡を取っ替え引っ替え使ってみたが、ニコンの双眼鏡だけは1日中覗いていてもあまり頭痛がしなかったのだった。
 当然、見え味にもうるさくなる。誰かが持っていたツァイスの双眼鏡も当時貸してもらって使ったことがあるが、コントラストと色はぱっと覗いてみた瞬間、衝撃を受けたほど素晴らしかった。そりゃあ〜、当時30万円もした双眼鏡だからなぁ、ぱっと覗いて他のと同じだったら困るのだが。
 でもそのツァイスでがっかりしたのは、視野周辺の画像の乱れが激しかったのである。いろいろサイトを検索してみると今でもそうらしいが。そのせいか、1日中覗いているとやっぱり頭痛がしたのだった。

 それがニコンだけは明らかに違った。いろいろなメーカーのいろいろな双眼鏡を数機種使った挙げ句、ニコンの8x30のダハプリズム双眼鏡(機種名までは覚えていない・・)に落ち着いたのだが、これの使い心地が素晴らしかった。ツァイスほどではないけど解像感もコントラストもばっちりだし、色がとても自然でこれが気に入るとツァイスは「どぎつい」とさえ思ったものだった。
 何より視野の周辺まで像の乱れが少なく、フラットな視界だったのが頭痛軽減に効果的だったのかな。

 それ以来、私はニコン党である。(でもカメラはキヤノン・・・)

 ちなみにそのニコンの双眼鏡は、当時つきあっていた彼女にプレゼントしてもらったものだった。
 その後、彼女に双眼鏡を貸したまま別れてしまったのは痛かった。彼女はともかく双眼鏡は返してくれ、と言いたかった・・・
 ま、なにぶん昔のことなので記憶が定かではないが、もしかしたら彼女は私にプレゼントしたのではなく貸しただけのつもりだったのかもしれん。私はもらったつもりだったが。それとも別れが近い状況で、高額物品の双眼鏡は回収しておこうという確信犯だったのか。今となっては何とも言えない、というよりどうでもいい話なのだが、とにかく双眼鏡は惜しいことをした・・・

 で、大学を卒業してしばらく双眼鏡熱も冷めていたのである。別に双眼鏡を使う仕事をしていたわけでもないので。

 それがふとしたことでぶり返すわけだが、それは筑波に3週間ほど研修に行っていたときのことだった。
 筑波は国や民間の研究機関が集まってできているような街なのだが、国の研究機関に留学したり研修に来たりする人のための共同宿泊施設がある。今でも年に数回は研究機関に実験しに行ったりなんだかんだで行くと、そこに泊まることになる。
 そこの購買で売っていた双眼鏡をふらふらと衝動買いしてしまったのである。まあ典型的な安物双眼鏡なのだが。

 安物双眼鏡は店頭でぱっと見た瞬間は「お、けっこう良いじゃん」と思っても、買って帰ってじっくり覗いてみると、すぐに床に叩きつけたくなってしまうのである。

 さて、この時は2人部屋だったのだが、彼に双眼鏡を貸してみたらばけっこう気に入ってしまったのであった。安物で視野周辺の歪みは酷かったしコントラストも色もさっぱりの代物だったのだが、対物レンズ径は40mmほどあったのでとりあえず明るかったのである。その双眼鏡で夜の駐車場(別になんにもないんだけど)を覗いて「おお〜っ」とか感動していたのである。

 それまで双眼鏡になど興味がなかったような人がハマッてしまう瞬間は様々なのだが、夜に使ってみてその明るさに感動したという人はけっこう多いのではなかろうか。ある程度前玉(対物レンズ)の径が大きな双眼鏡だと、確実に肉眼より明るい。特に星を見るとハマるパターンが多いように聞く。
 で、彼が見事にハマッてしまったので、カメラ屋からニコンのカタログを取ってきてあれこれ説明して当時評判が良かったエスパシオを買わせてしまった。5万くらいした双眼鏡である。
 その頃、私は何を思ったか秋葉原で天体望遠鏡なんてものを衝動買いしていたので(今でも家にある)、彼のエスパシオを覗いてみて「しまった・・・天体望遠鏡なんて買うんじゃなかった・・・」と後悔したのだが後の祭りであった。エスパシオ、良かったのである。

 で、富山に帰ってからも「エスパシオ欲しい・・・」と悶々としていたわけだが、実は私は結婚を控えていた。富山に帰ってすぐ、独身時代最後のボーナスが出たわけである。
 結婚した後では、5万円の双眼鏡なんてまず買えまい・・・ならば今のうちに買ってしまおうと思い立ったが吉日、カメラ屋に走った次第である。

 ただし。その時買ったのはエスパシオではない。どうせ大枚はたいて買うのなら差をつけたいではないか。

 買ったのは10x70IFという機種である。さすがにSPは買えなかった・・・
 これ、あれから15年経った今でもまだ売られているのである。
(ニコンの双眼鏡[プロフェッショナル]のページ)

 当時で8万円近くした双眼鏡なのだが、注文を入れた時(もちろんこのクラスの双眼鏡は店頭になんて置いていない)、「このモデルは今まで富山空港の管制塔にしか入れたことがない」と店員に驚かれた。
 見え味は素晴らしかった。嫌味がない視野周辺までフラットな視界と高いコントラストは見ていて気持ちが良かった。
 ま、確かに重い双眼鏡である。なんせ重量はほぼ2kgである。とんでもない重さである。
 でも、私はこれを手持ちで星も見ていたのだけど、別にそれほど不都合は感じなかったな・・・さすがに長時間は辛いけど。
 後に10x70SPを覗く機会があって、さすがに感動した。10x70IFよりさらに5万円高いだけのことはある。
 ただ、その後自分の10x70IFを覗いていて嫌になったかというとそうでもなく、「これはこれで良いじゃん」なんて納得して使い続けることができたので、まあある程度良いモノを買えばなんとかなる、ということか。

 双眼鏡で星を見るのは楽しい。月を見ればクレーターがはっきり見えるしアンドロメダやオリオンなどの星雲も形が綺麗に見えて感動すること請け合いである。
 特に楽しいのは惑星で、10倍の双眼鏡でも木星は「面積を持った円」に見える。他の恒星は何倍の望遠鏡を使っても点だけどね。その円も、さすがに縞模様までは10倍では見えないが、完全なソリッドではなく何か不均一な色、くらいのところまでは見えるのである。
 土星も輪は見えないが円ではなく楕円に見える。
 天体望遠鏡で見た木星や土星はもちろん感動的だが、手軽に持ち歩いている双眼鏡でここまで見えてしまうというのが素敵である。
 木星も土星もアンドロメダも、毎日頭上を巡っているのに、こんなに素敵な姿をしているのに今まで気づいてやれなくてごめんね、なんてちょっと謙虚な気持ちになったりして。
 ちなみに20倍程度あれば木星の縞や土星も輪も識別できるそうである。
 ただし20倍という倍率は手持ち限界を軽く越えているので(手ブレでまともに見れない)、使う時は三脚必須だし、それこそ安物だと暗くて使い物になるまい。(ホームセンターで売っているような安物高倍率双眼鏡には、昼間ですらまともに見れないほど暗いのも多々ある)
 ニコンの18x70IF、欲しいなぁ・・・14万かぁ・・・

 さて、10x70IFは10年以上我が家にあったわけだが、双眼鏡熱が再び冷めてテニスやら山やらに熱を上げていたこともあって、結局売却してしまった。手持ちで見るのはともかく、気軽に持ってウロウロできない重さと大きさのせいで使用頻度は落ちていたし。

 これでしばらく、双眼鏡がない時代が続くのである。

 再びぶり返したのは、とあるQ&Aサイトで双眼鏡の質問を見つけたのがきっかけだった。
 その質問とは、端的に言って7x50トロピカル7x50SPのどちらを買おう、というものだった。天体観測も風景も鳥もみんな見てみたいとのことだったので、だったら10x70クラスは重いので鳥見には向いていないし、SP買う予算があるのだったらトロピカルとモナークを買ったら?とアドバイスしたわけである。
(ニコンのスタンダードクラスの双眼鏡)

 ま、いろいろやりとりがあって結局、その質問者は7x50SPを買ったようである。ま、考えてみればそれでいいのかも。今は全予算を投入して一番良いモノを買い、別の用途にはまた全力を傾注して別のを買えばいいのだから。まあSP見ちゃうともう引き返せないだろうし。

 というわけでその質問者は心の平安を得たのかもしれないが、問題は私の方である。
 いろいろ回答しているうちにまた欲しくなってきてしまったのである。そうなると立山に間に合わせたいわけである。

 で、最初は山に持っていくのだから軽量コンパクトなスポーツスターEXあたりが良いかなと思ったのである。安いし。
(ニコンのコンパクトクラスの双眼鏡)

 このクラスだったらカメラやの店頭にも置いてあるし、さっそく出かけて見てみた。
 ・・・ん〜、なんか物欲が湧かない・・・

 悪くはないのよ。ホームセンターによくある1980円の双眼鏡と比べると別世界、というより比較すること自体が失礼である。
 だけど・・・いつの間にか見え味の評価基準が長年使っていた10x70IFになっているわけで、それと比較すれば見劣りがするのは当然である。判ってはいるのだけど、物欲が湧かないのは如何ともしがたい。

 つーことはやはり、せめてもう少し大口径のものでないとダメか。

 まあそんなこんなでゲットしたのが、エスパシオ10x40である。考えてみれば15年前に「欲しいよぉ・・」と悶々としていたモノをようやく手に入れたわけで。
 ヤフオクでゲットしたのでけっこう安く買えた。

 

Nikon ESPACIO 10x40

ニコン エスパシオ 10x40

 

 15年前はけっこう感動した見え味も、今見てみると「うんうん、こんなもん」という程度である。10x70IFと比較するとさすがに視野周辺の歪曲とかはあるよな。ほとんど気にならないけど。

 ところが、ゲットして早々悲しい出来事が。

 この双眼鏡、程度は非常に良かったのだけど、前玉が少々汚れていた。
 なのでクリーニングしたわけである。無水エタノールと綿棒で。
 その作業の最中、手を滑らせてしまって前玉にエタノールをたっぷりぶっかけてしまったのである。前玉を上にして置いていたので、瞬時に内部にエタノールが入ってしまった。乾かしてみると、プリズムにまでエタノールがしっかり付着してしまった・・・
 こりゃあ・・・オーバーホールしか手はないか・・・

 ニコンのサービスに電話をかけて聞いてみると、やはりオーバーホールしか手はなさそうである。でもその時は立山登山の10日前。間に合うのか?
 サービスに聞くと通常10日から2週間かかるらしい。それでは間に合わないではないか。
 次の週末に使いたいのだけど、と言うと「努力してみます」と言ってくれたので速攻で送った。すると実際には1週間で帰ってきた。

ニコンサービスの皆さん、ありがとう

 オーバーホール代は約1万円。安いモノである(まだカミさんにした借金、返してないけど)。

 

 ま、これで平和になったわけではなく、これからなんだよな・・・
 なんせ双眼鏡という代物は、ハマると1台では絶対に済まないものだからである。いろいろな用途に最適なモノが違うからなぁ。
 星見には明るいモノか高倍率が欲しくなるし、もっとコンパクトなものも欲しくなるし、40mmクラスのモノなんて凄く良いのとか面白いのがいくらでもあるので、これまたいちいち欲しくなるし。
 まあない袖は振れないので、少なくともしばらくは大人しくしているはずである。

 

 双眼鏡の市場って、ちょっと変である。
 というのは、まともな製品が堅気の人の目に触れることが極端に少ないのである。
 ホームセンターで売られているような双眼鏡はまともではない製品がほとんどである。ちょっと覗いてみただけでその場に叩きつけたくなるようなモノがほとんどだし。
 だいたい、その手のモノは「定価19000円の8割引」なんてまともではない値段で売られているのが多い。その店だけでなく、どの店に行っても同じものが同じ8割引で売られていたりするので、要するに定価が詐欺的に高いだけなんである。8割引の3800円ですら不当に高い、と思うような代物ばかりだし。そういう値段の付け方って、いつ見ても夕刊紙に「本日だけ半額でご案内!」と広告を打っているどこぞの風俗店みたいである。
 そういう堅気じゃない商売をしているのは、ケ○コーなんかが代表格かな。ビ○△ンも天体望遠鏡じゃそこそこ認知されているメーカーなのに、双眼鏡ではそういうゲリラみたいな広告をよく見る。
 これらのメーカーは、まともな製品も作っているらしいという話は聞くしそれは事実なのかもしれないが、とりあえずそういう良識を疑う商売をしている時点で永久に購入対象外である。

 で、ホームセンターは論外としてもカメラ屋にも良いモノはほとんど置かれていないのである。
 1万円クラスのコンパクト系のモノがせいぜいで、例えばニコンのモナークなんて「売れ筋」と思うようなモデルでも、店頭に置いてあるのを見たことがない。都市部ではそういう店もけっこうあるんだろうけど。
 なので欲しい場合、注文を入れるしかないのである。これじゃ「判っている人」しか買えないよね。店頭でちょっと覗いてみたらあまりに綺麗に見えるので衝動買いしてしまった、みたいな市場の拡大は起き得ないのである。

 

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