2019年秋 山陰ツーリング
Part I
日付 |
走行場所 |
主な走行路 |
走行距離 |
高速 |
高速距離 |
11/2 |
富山〜岐阜〜大津 |
R41〜せせらぎ街道〜名神 |
370.2km |
岐阜羽島〜大津 |
106.2km |
11/3 |
大津〜厚狭(ビジホ) |
名神〜山陽道 |
547.2km |
京都東〜山口南 |
481.2km |
11/4 |
厚狭〜下関〜角島〜俵山〜阿武町(テント) |
R191 |
248.6km |
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11/5 |
阿武町〜温泉津〜鳥取砂丘(テント) |
R191〜R9 |
370.8km |
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11/6 |
鳥取砂丘〜宮津〜敦賀〜富山 |
R178〜県道47〜R312〜R418〜R27〜北陸自動車道 |
498.5km |
敦賀〜流杉PA |
194.1km |
合 計 |
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2035.3km |
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781.5km |
<前振り>
なんか年々秋のツーリングに行く時期が遅くなっていく(笑)
今年はなんせ豚コレラ問題が大きかった。昨年9月に岐阜市で初発を見た時期では隣県とはいうものの200km以上の距離があり、ピリピリとした緊張感はあったものの、まだそこまで切羽詰まってはいなかったのだが、春先にイノシシの感染域が北上を始めるといよいよ緊迫感が増してきた。
思えば長期ツーリングに行くなら7月がラストチャンスだったのだ。
7月末に遂に富山県内で感染イノシシが発見されるに至って、秋に長期ツーリングに行くことはほとんど絶望的になってしまった。
………ま、言いたいことは山ほどあるのよ。特に国(農水省)のほとんど行政的不作為と言いたくなる硬直した無策ぶりには。
まあそういう趣旨のサイトではないので控えるけどさ。
とにかく、感染イノシシが発見された地点から10km圏内の、いわゆる監視対象農場を6戸も持ってしまった我が事務所は、事務量も増えたし何より万が一発生すれば直ちに現地の防疫活動をしなければならない立場上、ほとんど休暇を取る余地がなくなってしまった次第。富山を離れることが難しくなってしまったので、お盆の帰省もカミさんだけで行ったりしていた(カミさんの実家じゃないんだが笑)
土日や連休も些細なことで出勤しなければならず、もはやツーリングなど諦めていたわけだが…
9月末、遂に豚に対するワクチン接種を行う方針を農水大臣が公表した。
まあ、時期や方法論にも言いたいことは山ほどあるのだが、それもここでは控えるとして、とりあえずワクチンを打ってしまえばようやく一息つげる。
というわけで、富山は10/25から8日間かけて県内の豚にワクチンを接種、ということになったわけである。
このワクチン接種は家畜防疫員すなわち県に在職する獣医師が行う、ということになっているので、土日返上、連日の早朝出勤を経て11/1のめでたく計画通り初回ワクチン接種を完了したのだった。
実はワクチン接種で一息、とは書いたが、それは発生するリスクが大幅に低下する、というだけの話で、仕事量が元に戻るわけではない。
それどころか11月は追加接種、免疫付与状況確認検査、さらに10月に後回しにしてしまった通常業務と、日程表を見ただけでうんざりするほどの仕事が待っている。
しかししかし、初回接種終了直後だけは一旦はぽかっと空白に近い数日間ができるのだ。いや、そこには通常業務が入ってはいるのだが、何はともあれ休暇を取ることができそう、という意味では空白日程も同じ(笑)
というわけで、11/1に初回ワクチン接種が終了した翌日の11/2から旅立つことにしたのだった。連休後の休みは11/5-6が精いっぱいだったので、わずか4泊5日ではあるが、行けないよりは100倍マシだ。
行く先は、さすがに11月に東北に行く根性は今回はないので、目標は南とする。四国もこの日程ではとても足りないので、学生時代から長くご無沙汰している山陰、ということで。
<11/2〜3>
さて、ほとんどまともに準備をする余裕さえない慌ただしい日々の後、いよいよ出発である。
実際、前日の11/1までワクチン接種をしていて翌日に出発なのだ。まともにじっくり準備などできるわけもなかろう。
さらに加えて、連日の連続注射器使用のために右手の握力がやや低下している(連続注射器は"握る"ことで注射液が射出される)、腰が痛い(連日長時間、中腰になってワクチンを打ち続けたため)、足は痣だらけ(豚どもに激突され、足を踏まれ続けたから)等々、満身創痍の旅立ちなのだ(笑)
日程が少ないので今回は前半の2日間は、ほとんど単なる移動である。とにかく下関までは一気に行ってしまおうと。
今回の積載システムがこれだ |
今回の積載システムはこんな感じ。
前年の60L防水バッグと20L×2のサイドバッグに加え、今年は30Lのボックスが加わった。雑誌の懸賞で当たったのだ!
これで総積載量はなんと130Lに。なので今回は防水バッグはかなり余裕がある。土産物のひとつやふたつ、軽く積めそうである。
これだけ余裕があれば、チェアーとテーブルも積めそうだなぁ。うーん、買おうかなぁ。
実はこの旅から帰ってから買ってしまった(笑)
写真のコンビニで、このサイトのエストレヤに乗っている読者さんから声を掛けられた。
最近は山に登ってないのでバイクの記事しか書いてないのだけど、山とバイクってけっこう親和性が高い趣味だからなぁ。
さて、11/2は大津の実家まで。R41からせせらぎ街道を通って岐阜に出たのだが、なんせこんなに車が多いせせらぎ街道は初めて。さすが連休というか、せせらぎ街道もメジャーになったというか…
岐阜に出た頃は混雑にうんざりしていたので、てっとり早く高速を使って大津へ。(実際は米原で降りるつもりが降り損ねた)
11/3は山陽道をひたすら下関へ。
やはり高速はあまり好きにはなれないな〜。単に移動している感がありありだもの。
さ、ともかく、11/4からいよいよ旅の本番だ。
<11/4>
11/4も晴れ。しかも早朝だというのに暖かい。絶好のツーリング日和。
まずは下関近辺をうろうろと(笑)
壇ノ浦古戦場 |
長州砲 |
上の写真は2枚とも同じ場所である。つまり壇ノ浦古戦場と馬関戦争は同じ場所だったと。
壇ノ浦ってもっと瀬戸内海の広いところというイメージがあったけど、こんな河みたいに狭くなった関門海峡そのものの場所だったんだ。
長州砲なんて対岸の九州まで届きそうなものだけどな。潮流も速くて昔の船では海戦どころか航海そのものが難しそうにも思えるのだけどな。
さて、下関でもうひとつ見たいのは巌流島である。
渡し舟はあるのだが、別に行きたいわけではない(笑) 見たいのである。
あれが巌流島か! |
ところが。
見ようとするとこの巌流島、とてつもなく困難であった。
このあたり、海岸には工場や造船所が立ち並んでいて、普通に一般人が海を見ることができないのだ。
さんざ苦労して、狭い道を何度も行きつ戻りつして場所を探して、ようやく見つけたのが上写真の場所だ(笑)
対岸の門司側からは道からあっさり見えそうだけどね(笑)
…意外に大きな島やんか。
引き返すのがまたたいへんで(笑)
道があまりに狭いので、3〜4回切り返さないと転回できない。大型だったら入ること自体を躊躇うほど狭い道。
この後、R191に乗るまで下関市内でしばし迷う(笑)
意外に地形が複雑で。
さてさて市街を出ると急速に田舎っぽくなる道を、いよいよツーリングも本領と浮かれながら次なる目的地、毘沙ノ鼻を目指す。
ライダーたる者、「端っこ」は押さえておかねば(笑)
R191を外れて田んぼの中を走って到着。
本州最西端、毘沙ノ鼻にて |
駐車場から2〜3分歩いて毘沙ノ鼻に到着。景色が大きくてひたすら気持ちいい場所だ。
特牛駅 |
さて、次に来たのは山陰本線の特牛駅。これで「こっとい」と読む我が国でも屈指の難読地名。というか、知ってなきゃ絶対読めない。
で、この特牛駅、鉄ちゃん達の間でも人気が高い駅らしいが、来てみればそれもなるほど、実に素敵な駅舎じゃないか。
(私は鉄道そのものにはそれほど興味がないが駅舎が好きな駅舎鉄)
まあ、富山地方鉄道にはこのくらいの駅舎はたくさんあるけどね(と意味もなくドヤ顔笑)
特牛駅の待合室 |
待合室も良い感じ。ホームへの引き戸とゲートが木なのはポイント高い。
この駅、「四日間の奇蹟」という映画のロケ地にもなっているらしい。映画は未見だが原作は読んでいて、なかなか良い話なのだけど、別に山口県が舞台というわけではなかったはず。この先の角島もロケ地になっているので、舞台のイメージは原作とは少々異なるようだ。キャスティングもちょっとイメージが違うけどね。そのうちレンタルででも見てみよう。
特牛駅の待合室で微睡んでいた猫たち(4匹いる) |
特牛の漁港 |
特牛の漁港は小さな街で、2分もあれば走り抜けてしまうほど。
このちょっと手前に道の駅北浦街道ほうほくがあり、大混雑していたが寄ってみた。そういえば職場への土産物を送らねば、と。
最近は出先から職場に土産物を発送することにしている。特に今年は忙しい中で休みを取っているし。
ついでに自分も少し腹に食べ物を入れて、さあいよいよ角島である。
はるばる来たぜ、角島〜! |
よ〜く見れば能登島大橋とスケール感はさほど変わらないのだが(笑)、走りながら見える海の景色は断然こちらの方が良い。
(実際は角島大橋が1.7km、能登島大橋が1kmなのでスケールはかなり違う)
かなり低い位置に橋が架けられているし、サイドのガードレールも低いので「海の中を走ってる」感は圧倒的だわ、これ。
角島大橋 手前はどこかの誰かです(笑) |
写真を撮るのに一番良いポジションは写真のZXRに先に取られてしまっていた(笑)
まあいいや、とにかく渡ってみよう。
角島灯台 夢ヶ崎にて |
渡って本土とは反対側まで来ると、やはり島、雰囲気がずいぶん違う。
このあたり、男鹿半島の入道崎のような草原が広がっているのは、かなりの強風に晒されて背の高い樹木が育たないのでは。
映画「四日間の奇蹟」のロケ地にもなった…トイレ(笑) |
上の写真は角島大浜キャンプ場のはずれにある教会風のトイレである(笑)
「四日間の奇蹟」のロケ地にもなったらしい。吉岡秀隆が石田ゆり子を背負っている映画のイメージショットの背景にもこの教会が写っている。
だがしかし…、教会、ということはこれはクライマックスのあの千織(に憑依した"僕")が「月光」を弾くシーンではないか?
そしてその後は…という涙なくしては読めないクライマックスなのだが………トイレ?
まあいいや(笑)
映画もそのうち見てみよう(笑)
さて、この時点で昼を回っている。
6日には富山に戻ることから逆算すると、今日中には山口県を出て島根県に入っておいた方が良いのだが…
山口県はまだまだ見どころも多いしなぁ…と思案にふけるのだが、実はちょっと面白そうな場所があることを人から聞いていた。
その名も「麻羅観音」
ん〜、少し山の中に入らなければならないけど、行ってみないわけにはいくまい(笑)
というわけで行ってみた。麻羅観音。
俵山温泉近くの麻羅観音 |
小さなお堂の周囲に立ち並ぶ麻羅、麻羅、麻羅…
確かに麻羅だらけ(笑) |
よく見ると1本1本、長さや太さや形が違う。
だがリアルかというとそれほどでもなく、少なくとも"棒"の部分はどれも直線状でたいしてリアルでもないのに、"頭"の部分だけに製作者の情熱が傾けられている気もしないではない。
それもふと気づくと皮を被ったモノが1本もないではないか。
つか、"頭"と"棒"の継ぎ目の横縞、包茎手術痕に見えなくもないぞ。
これ、青森にあったら「イエス・キリストが青森に来た」説の証拠の一つにされるのではなかろうか。
「その証拠にほら、ここにある"麻羅"には割礼の痕跡があります」って(笑)
いや待て待て。
キリストが青森に来た時、いきなり八戸や十三湖まで船で来て直接青森に上陸したわけではなかろう。
きっと博多あたりに上陸して陸路を北上したに違いない。
だからここにキリスト来訪の遺跡があっても特に矛盾は…とか考えていたら、ちゃんと伝承があった。
麻羅観音の由来 |
へぇ、意外に最近の話なんだ(そりゃキリスト時代に比べりゃ笑)、というよりこんな悲惨な話だとは。
しかしちょっと待て。
この話でどうしてこんな代物ができる?
歓寿丸は確かに哀れだが、里人は"歓寿丸が殺された"ことを哀れんだのではなく、"死後、ペニスを切り取られた"ことを哀れんだのか?
哀れむポイントがそこ?
さらに、その観音の「ご利益」が子孫繁栄や健康増強?いやあからさまに言えば精力増強だよね、これ?
なんかズレてる気がする…(笑)
もうひとつ言うと、歓寿"丸"と言うからには彼はまだ幼児か、せいぜい少年だったことだろう。
皮は剥けてなかったと思うぞ?
という下らないことを考えていたら、もう日も傾いてもう空気はすっかり夕刻。
こりゃまずい、11月の日は短い。さっさと寝場所を確保しなきゃ。
一時はこのまま俵山温泉に泊まろうかとも思ったのだが、こんな山口県のまだ中央部で泊まってしまったら明日以降がかなりきつくなる。
何より温泉宿なので貧乏ツーリングで気軽に出せるほどお安い値段ではなかったりする。
ここはやはりキャンプ場を探さねば、と地図で適当なキャンプ場を見つけて、あとはマジメにひた走る。
今回は秋吉台も秋芳洞も萩もお預け。
そして阿武町という小さな町にある遠岳キャンプ場に滑り込んだのは日没間際の午後5時だった。
ここをキャンプ地とする! (遠岳キャンプ場) |
海岸沿いのキャンプ場なので予想はしていたが、案の定海水浴シーズンだけ開設されているキャンプ場らしく、期間外でトイレも閉鎖され、水も止められていた。
まあ問題ないけど。
設営だけ済ませて少し手前にある道の駅阿武町の温泉に入り、コンビニで水と食料を買い出してキャンプ場に戻った。
そういやこのキャンプ場、イスとテーブルがないな。たいていのキャンプ場にはあるんだがな。
そうなると炊事はともかく、食べるときにちょっと不便だなぁ。やっぱりこの旅から帰ったらチェアーとテーブル、買うかなぁ…と真っ暗なキャンプ場であれこれ考えるのであった。
ちなみにこの日は230km程度しか走っておらず、ちっとも疲れてないので眠くならなくて困った(笑)