2019年秋 山陰ツーリング

Part U

日付

走行場所

主な走行路

走行距離

高速

高速距離

11/2

富山〜岐阜〜大津

R41〜せせらぎ街道〜名神

370.2km

岐阜羽島〜大津

106.2km

11/3

大津〜厚狭(ビジホ)

名神〜山陽道

547.2km

京都東〜山口南

481.2km

11/4

厚狭〜下関〜角島〜俵山〜阿武町(テント)

R191

248.6km

 

 

11/5

阿武町〜温泉津〜鳥取砂丘(テント)

R191〜R9

370.8km

 

 

11/6

鳥取砂丘〜宮津〜敦賀〜富山

R178〜県道47〜R312〜R418〜R27〜北陸自動車道

498.5km

敦賀〜流杉PA

194.1km

合       計

 

2035.3km

 

781.5km

 

<11/5>

 

 この日も早朝だというのにあまり冷え込まず、暖かい日だった。

 さてさっさと撤収してR191を東に進む。
 ここからがいよいよ本格的に絶景ロードが始まるのだ。

 

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R191 絶景ロード!

 

 青森のR101に勝るとも劣らない絶景ロード!
 やっぱり海沿いの道は良いなぁ。

 ただ、山陰地方には山陰道という高速道路がブツ切れ状態で開通しているのだが、このあたりは無料区間ということもあってか、油断するとそっちに引き込まれるのだ。いずれ全線繋がったら有料化されるのだろうけど。
 でもそんな高規格道路を走りたいわけではなく、街中を通る旧道を走りたいので、時には国道を外れながら良い景色になりそうな嗅覚を頼りに東進する。

 すると何やらとっても良さげなキャンプ場を見つけた。

 

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田万川キャンプ場

 

 田万川キャンプ場というらしい。隣には田万川温泉があって、テントから歩いて風呂に入りに行ける。

 いいなこのキャンプ場。昨日、もうちょっと頑張ってもう25km走ればここに張れたのか。
 キャンパーに聞けば幕営料は1,000円だって。ちょっと高いけど、ここなら払っても良いな〜。

 次に来たときはここに張ろう。

 

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益田市の海岸線

 

 益田でR191は終わり、R9が引き継いで海沿いを走る。

 学生時代に同級生と2人で山陽〜山陰ツーリングをしたことがあって、1泊程度ならともかく、数日間に及ぶ長期ツーリングをソロ以外でやったことはほとんどないので比較的覚えているのだけど、確かこのあたりに1泊したような。
 確か、深夜岐阜を出てその日は尾道まで行き、2日目が秋吉台から萩を経て島根県のどこか、3日目が鳥取砂丘の近く、4日目にR9から京都を経て岐阜に帰還、という日程だった気がする。
 3泊4日ではなく4泊5日だったような気もする。下関で泊まった記憶も萩で泊まった記憶もあるのだが、このあたりは何度か来ているので、果たしてそのE君と来た時のものかどうかがもう分からない。彼と2人で泊まった記憶があるのは尾道、島根のどこか、鳥取の3ヵ所なのである。
 でも尾道から秋吉台、萩を経てここ益田までとすると、ちょっと1日の行程としては長すぎる気もするし、下関で泊まったとすれば尾道〜下関が短すぎる気がする。益田ではなく浜田とか大田だったとすれば、今度は鳥取までが短すぎる気がする。
 というわけで、この島根県内のどこに泊まったかがもうひとつはっきりしないのだが、景色はよく覚えていて、とにかく国道沿いの長い砂浜の海岸線に1軒だけポツンと建っていた国民宿舎、だったんだよね。

 で、益田の手前あたりでそれらしい建物を見かけたのだ。国民宿舎じゃなく普通の民営のホテル名だったし、既に廃業して廃墟になっていたのだが、どうもこの建物だった気がする。

 上の写真はそのホテル跡のすぐ近くの海岸線なんである。
 うーん、ここだったのかなぁ。島根県の海岸線をひととおり走ってみないと分からないね(笑)

 

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道の駅 ゆうひパーク三隅

 

 R9に入ってしばらくは道は山の方を走っている。時間がゆっくりあるときに、ここの海岸線も走ってみたいな。
 そしてR9が海に出る地点に「道の駅ゆうひパーク三隅」がある。ちなみにこの手前に例によって山陰道に誘導されるのだが、山陰道に入ってしまうとここには来れない。

 にしても、「夕日」って日本海側の道の駅にはいったい何ヵ所あることやら(笑)
 島根県内ですら、他に「ゆうひパーク浜田」ってのがあったりする。
 ただこの三隅は、上写真のように小さな入江のような湾の手前を山陰本線が走るという絶好のロケーションなんだけど、この湾はほぼ真北に向いて口を開けているんだぞ?
 期待して夕方まで待っても、この湾のど真ん中に夕陽が沈む光景は決して見られないはずだ。この広場の一番右端まで行けば、左の岩場近くの海に沈む夕陽が辛うじて見られる、といったところか。

 でもこの湾、なかなか秘境感があって良いよ。
 山陰本線の線路は、両側ともトンネルに入っているのが秘境感あって良いよね。

 なおも迷走(好きなように寄り道しながら走ってるだけだけど笑)は続く。

 人から温泉津温泉はいいよ、と聞いていたので、温泉津という名前も良い響きだし、ちょうど風呂にも入りたくなってきた頃だし(まだ昼だけど笑)寄ってみよう。

 

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温泉津港

 

 温泉津は江津市と大田市の中間ほどの海沿いにある温泉で、現在の所在は大田市温泉津町になっているので、多分平成の合併で大田市と合併するまでは温泉津町という町制だったのだろう。
 (調べたら平成17年に温泉津町と大田市が合併していた)
 小ぢんまりした素敵な港だ。
 ここにゆうゆう館という温泉案内所があって、そこのおばちゃんに教えてもらい、歩いて温泉街へ。

 

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温泉津の街並み

 

 昭和っぽい。ところどころ昭和よりもっと古いのでは?という建物もあるが、全体としては昭和から変わってないと思われる街並みが続く。
 昔は石見銀山からの銀の輸出港だったらしい。そりゃ栄えたことだろう。

 

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温泉津温泉 薬師湯

 

 温泉街には2ヵ所、元湯と薬師湯が日帰りでも入れる共同浴場があるらしいが、どうも元湯の方は営業中止しているようで、ゆうゆう館ではこの薬師湯の方を教えられた。
 昭和、それも30年代か、と言いたくなるレトロな建物。入り口から男湯と女湯に分かれている。

 

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薬師湯内観

 

 と思いきや、中に入ったら同じ(笑)
 「番台」のおばちゃんが丁寧に「温泉の入り方」を教えてくれた。

 この薬師湯は明治5年の浜田地震の時に湧出した源泉のようで、隣の旧館が大正初期の建物、こちらの新館は昭和初期の建物、なんだそうだ。

 

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薬師湯2階ロビー

 

 この2階ロビーなんかは明治を感じるけどね〜。一瞬、斜陽館を思い出したほど。

 お湯もとても良かった。これは確かに何も考えずにだらだら入っていたら簡単に湯あたりしそう。
 身体がポカポカに温まってしまったので、今日中に鳥取まで走らなきゃ、とか考えていたのがどうでも良くなってしまうのだけど(笑)、風に当たりながらちょっと冷静に考えると、こんなところで泊まったら明日は富山に帰れない、ということに嫌でも思い至ってしまうのである。

 や、ゆうゆう館のおばちゃんも薬師湯のおばちゃんも親切で気さくで、それと何より綺麗な人だったので、思わずここに泊まってしまおうかと(笑)
 一時の気の迷いでした(笑)
 でも島根に住んでいたら、月に一度は通いそう(笑)

 さて。

 落ち着いて地図を検討してみれば、やはり今日中に鳥取までは行っておかないと翌日がきつい。
 鳥取砂丘の隣に良さげなキャンプ場があって、そこで張りたいとは前から思っていたのだけど、そこから富山までまだ450kmもあるんである。これ以上手前で泊まってしまうと、明日は1日中マジメに走り続けるしかなくなってしまう。

 しかし。
 この温泉津から鳥取砂丘まで、まだ200km以上あるのだ。
 ここから先はマジメに走るしかないのか〜?

 と覚悟を決めて走り出したのはいいが、でもやっぱり山陽道は回避しながらのんびりと走り続けていたら、やはりというか何というか、松江付近で日が暮れてしまった。こりあたりにもいくつかキャンプ場はあるが…いかんいかん。

 日が暮れて何も見えないので諦めも付いたというわけで、潔く山陽道に乗ってひた走る。
 右手には雄大な大山があるはずなのだけど、暗くて何も見えん。

 それから、寒い!

 考えてみれば11月ならこの寒さで当然である。今朝までが暖かすぎたのだ。
 途中、寒さに心が折れてビジホを検索してみたが、連休は終わったというのに空き部屋がない。ようやく取れた!と思ったら直前に誰か他の人が同じ部屋を取っていたらしく、間髪入れずキャンセル通知が。

 もう仕方ない、キャンプ場を目指すしか。

 

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鳥取砂丘 柳茶屋キャンプ場 夜だ!

 

 というわけで、柳茶屋キャンプ場に到着したのは20時(笑)
 何張か先客がいるので迷惑にならないよう、静かに手早く設営してしまい、そのままテントには入らずに風呂と食事に鳥取市内に取って返す。
 市内のスーパー銭湯で風呂に入って腹も満たすと、さっきまで折れていた心も簡単に復活するもので、このままキャンプで良いじゃん、と一気に陽気に(笑)

 この日は距離も走ったし、何より寒さに耐えて耐えて温まるという循環が眠気を催さないわけがなく(笑)、帰りのバイクを運転している時に既に眠くなってくるほど(笑)
 朝まで爆睡でした。

 

<11/6>

 

 

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朝の柳茶屋キャンプ場

 

 このキャンプ場、寝心地が良い!
 すぐ隣は砂丘で、このキャンプ場は松林の中にある。
 つまり細かい砂地の地面に松葉が積もっているわけで、マット要らずの快適な地面なのだ。

 

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ここがキャンプ地だった!(笑)

 

 ちょっと撤収したくなくなる快適さ。無料キャンプ場なのに炊事場もトイレも完備されてるし。
 道理で11月という季節外れの平日に、他に何人かのキャンパーがいるわけだ。
 バイクで来ている人も何人かいて、1人は私より遅く到着して早朝にさっさと出発していってしまったが、もう1人とは撤収してバイクに荷物を積みながらしばらく話し込んでいた。
 私と同年代なのだが、早期退職して日本一周しているらしい。
 それだそれだよ!俺もそれをやりたいんだよ!

 

 さて。
 撤収したくなくなるほど居心地が良いキャンプ場なのはやまやまなのだけど、今日は頑張って走らないと富山に帰れない。
 さっさと走り出さねば。

 

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岩戸から鳥取砂丘

 

 R9とは早々にお別れしてR178を走る。
 といってもそのR178も無視して海岸沿いの楽しそうな道に入るのは、まあ仕方ないよね(笑)

 

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居組漁港

 

 すると何やら見たことがある景色が。
 ここは居組漁港なのだけど、数年前にカミさんと車でこのあたりを走った時に見たぞ。

 結局、人の行動パターンってあまり変わらない、ということか…(笑)

 峠道で挟まれた小さな漁港、東北でもたくさん見るけど好きな光景だなぁ。

 

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居組駅 ああっ!新しくなってる!

 

 で、居組駅にも寄ってみたのだが、なんと新しくなってた。
 ここはカミさんと来た時には雰囲気がある古い駅舎があったのだが…

 でもここに自転車が3台停められている、ということは、少なくとも3人の常時利用者がいる、ということなんだろうな。
 多分中高生なんだろうな。

 

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2016年3月の居組駅 駅舎

 

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2016年3月の居組駅 ホーム

 

 カミさんと来た時、というのは次男が春の高校選抜全国テニス大会に出た時に会場の博多まで試合を見に行って、その帰りに中国縦貫道に乗ったり降りたり迷走しながらドライブして帰ってきたのだが、その時にここに辿り着いたのだった。2016年春のことである。
 その時にはこんなに風情がある駅舎にホームだったのになぁ。
 建て替えなければならないほど老朽化していたのかなぁ。

 

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湯村温泉

 

 さて、ここは湯村温泉。浜坂から10kmほど山の方に入ったところにある温泉である。
 なぜ湯村温泉に寄ったのか?まだ朝だし温泉に入る気分でもないのに。

 「夢千代日記」というトレビドラマをご存じだろうか?
 80年代前半にNHKで何部かに分けて放映されたドラマで、この湯村温泉が舞台になっていた。吉永小百合が演じる夢千代という芸者(と思っていたが調べ直すと置屋の女将だったそうだ)が主人公のドラマで、樹木希林や秋吉久美子がレギュラーで出ていた記憶がある。
 そんなにはっきり覚えているわけではないのだが妙にそのドラマが好きで、学生時代にもこの湯村温泉には来たことがある。

 

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夢千代の像

 

 学生の時は知らなかったが(昭和60年建立なら、自分が来た時にはあったはず)、夢千代の像もあった。吉永小百合にはあまり似てない気もするが。
 恒久平和、と銘があったり広島市が絡んでいるのは、夢千代が被爆者という設定があったからで、確かドラマ開始時点で余命は何年もない、とされていたはず。

 

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夢千代日記の銘板

 

 何か実在の人物と間違えそうな(笑)
 映画にもなっていたのは知らなかった。調べたら、夢千代はその映画で亡くなるのだとか。

 温泉街には夢千代館なるものもあったのだが、まだ午前9時、開館してなかったので次へ。

 夢千代日記、湯村温泉と来れば、次はやはり餘部鉄橋でしょう。
 というのは、ドラマは毎回、夢千代が乗った列車がこの餘部鉄橋に差し掛かるシーンから始まっていたのだ。神戸の病院に行った帰り、ということらしい。
 地上50mの鉄橋を列車(山陰本線は今でも大部分が電化されておらず、この区間もディーゼル機関車が走っている)が渡るという、ちょっと異様なシーンを覚えていたので、初めてここに来たときはやはり驚いた。

 

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余部鉄橋 …もう鉄橋じゃないけど

 

 その餘部鉄橋、今はこうなっている。一部の骨組みを残してコンクリート製の近代的な陸橋に架け替えられている。
 そしてその直下には道の駅がある。

 初めて来たときは何にもないただの田舎の家並みの中にすっくと聳え立つ鉄橋、という光景に驚いたのだが、1986年12月に、通過中の列車が突風に煽られて転落し、6人が亡くなるという痛ましい事故が起きた。この事故も新聞やテレビで大きく報道されたので記憶にある。
 その後、紆余曲折を経て2010年に現在の橋に架け替えられた、ということらしい。なんだつい最近じゃないか。
 初めてこの鉄橋を見た時、いつか列車が落ちるぞ、と思ったのは事実だが、明治45年に運用を開始して2010年までのほぼ100年の間で、列車が転落した事故は86年の一度しかなかった、というのだからたいしたものだ。

 

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餘部駅への道から

 

 今度は餘部駅にも登ってみた。
 この餘部駅、開業はなんと昭和34年。
 つまり、この鉄橋ができて47年目にようやく駅ができたのだそうだ。
 それまではこの餘部の人たちは頭上にこんな巨大な鉄橋があるのに駅がなく、汽車に乗るには山を登ってこの鉄橋を徒歩で渡り、隣の鎧駅まで線路横を歩いていたのだとか。
 げっ、この鉄橋を歩いて渡ってた?
 むむ、正直ちょっと羨ましい気もするけど、列車が落ちるとか言う前に人が落ちる事故がなかったのが不思議なほどだ。
 しかも鎧駅までは4つもトンネルがあるという。線路横に歩道などないので、ほんとに事故がなかったのが不思議。

 また、こんな海の近くに鉄橋があるので潮風をたっぷりと浴びるわけで、錆びないわけがなく、この鉄橋には繕いのための塗装工が橋守として数名常駐していたとか、なかなか興味深い歴史があったりするのだ。

 上の写真で、赤い橋脚の上にあるのが保存されている当時の鉄橋で、新しいコンクリの橋はその隣に架けられていることが分かる。
 今はこの旧鉄橋にエレベーターで昇ることができ、それは「クリスタルタワー」と呼ばれているそうな。

 ああ、時間がないってのに、ここでまたたっぷりと時間を遣ってしまった(笑)

 

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鎧駅ホームから鎧漁港

 

 名前が出たついでに、隣の鎧駅にも寄ってみた。
 時間がないと言いながら…(笑)

 地図からはすんごく小さな漁港をイメージしていたのだが、確かに漁港は小さかったが鎧駅の周辺にも集落と言えるほどの人家があって、けっこう利用者も多そうな駅だった。

 この駅、今は単線だが昔は2線あって行き違いができる駅だったらしく、駅舎の対面にもホームがある。上の写真はその対面ホームからのものなのだが、線路は撤去されているのでこりホームは今では「鎧漁港の展望台」としての機能のみ有している、ということに。

 それでその対面ホームへの連絡通路だが、なんと地下道という、こんな田舎のローカル駅にはあるまじき近代的な造りなのだ。
 その地下道に、「ふたりっ子」のポスターが掛けられていた。
 なんだこれ?と思ったのだが、NHKの朝の連続ドラマらしい。けっこう視聴率も良かったドラマなのだとか。
 朝の連ドラだったら職場で無条件に流れているので(令和になった今でもだ!)、まるっきり記憶にないというのは不思議だ…と思っていたのだが、調べてみると平成8年下期のドラマらしい。あぁそれなら私は試験場に勤務していた頃で、試験場では朝の始業前や昼休みにNHKの連ドラをつける、という風習はなかったので、記憶がゼロというのも頷ける。

 

 うーん、いよいよ時間がないぞ。
 これから先はマジメに走るしかないのか…

 天橋立も宮津の町も京丹後も次の宿題にしてマジメに淡々と距離を稼いだのだが、それでも敦賀に着いた時点で既に暗くなってた。
 しかも寒い。
 あっさり高速に逃げることに。

 

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北陸自動車道 南条SA もうあと2時間!

 

 とりあえず高速に入り、南条SAで手持ちの防寒装備をフル動員する。
 すなわち、厚手アンダー上下とフェイスマスク、中間着にはこれまでの薄手化繊ウエアに替えて薄手だけどダウンに。これらは最終日最終行程に至って今回初登場である(笑)

 最初は「おおっ、ぜんぜん寒くない♪」と喜んでいたが、やはり寒いものは寒い(笑)
 こうして5日間にわたる旅も無事終わったわけである。

 

 ん〜、やっぱり4泊5日というのは短くて寂しいな。3日目にはもう「今日はここまでは走っておかないと」と考えながら走らなければならん。
 特に今回は初日と2日目が最初から宿泊場所が決まっていたため、全行程宿泊場所を考えながら走るというハメに。
 そんなことを考えるのは最後の2日くらいで、あとはひたすら行き当たりばったりで行きたいものだ。
 てことは、同じルートでもあと2日は欲しかったところ。

 まあ最初は駆け抜けるだけになりがちで、そこでたっぷり作った宿題を片付けにまた行けば良いのだけどね。
 でも青森でも四国でも宿題ができる一方で、それらの宿題を全て片付けるには人生はあまりに短い(笑)

 

 

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