大学時代前半 山岳部

 山岳部には入学式のその日に入部した。
 そのまま特に1年生の時は1年365日のうち200日近く山に入るというディープな生活をしていた。おかげで2年生を2回やるハメになったが。
 ただ、「大学に入れば休みがいっぱい♪」というのはただの幻想だった。夏休みは高校に毛が生えた程度の7/10〜8/31だったし、10/1〜10/10まで試験休みというのがあったが冬休みは高校と変わらない2週間。ただ春休みは少し長かったかな。3/10くらいから4/10までだったので、ほぼ1ヶ月あった。
 だが、2年生前期までの教養課程の間こそ、時間割を自分で組むことができたが(そのせいで留年したが)、専門に入ると選択科目なんて週のうちせいぜい1コマであった。月曜の朝から土曜の昼まで、ほぼ必修科目でびっしり、である。午後は毎日実習なので、終わる時刻も時として予測不可能だったし。
 獣医学科は30人しかいないので、代返も効かなかった。それでも見破られるのを覚悟でずいぶん活用したが。

 山岳部の山行は、新人合宿、夏山合宿、冬山偵察や冬山予備、そして冬山合宿、春山偵察と春山合宿といった「定例」の他に、ほぼ毎週末の御在所岳での岩登りがあった。上に書いた年間山行200日の半分くらいは、この御在所で稼いでいる。御在所には私はオートバイで行くことが多かったのだが、2日間岩登りをしてパンパンにあがった腕で帰りの運転は辛かった。というより、ブレーキもクラッチも握れなかったりして。

一壁正面右トラバースルート  一壁3ルートの下降 
御在所岳一壁正面右トラバースルート(X-)をリードする私
死ぬかと思った・・・
一壁3ルートを懸垂下降する

 ただ、私は岩登りははっきり言って下手だった「A0の池上」なんて言われたものである。(岩登りをしない人にはなんのこっちゃ?だろうけど、判る人には判るこの情けなさ)
 テント場の横にウサギの耳という岩塔があって、そこにいわゆるハードフリーのルートがいくつか開かれていた。その正面のルートが確か5.8がついていたと思う。(今手元に持っている82年刊行の日本登山大系にはRCCUグレードでY−とある)
 このルートをトップロープで登るのにほとんど1年かかった。自分が1年かけてようやく登れたルートを、「今日初めて岩登りに来たんですぅ」なんてやつがすいすい登ってしまうのを見ると、こいつは俺にはセンスがないのでは・・・と嫌でも気づく。
 上の左の写真は、一壁の正面右トラバースルート(だったと思う)を、何を血迷ったかリードしている写真である。確かX−がついていたルートで、フォールこそしなかったものの、本当に死ぬかと思った。もう二度としない、と心に誓ったものだった。
 この上の左の方の写真は、同じ一壁の3ルートを登った後、懸垂下降で降りてきている写真だが、このルートくらいが私の実力にはちょうど良かった。このルートは写真で私が下降している左手のジェードルを登るものだが、Wだったと思う。快適なルートで、御在所に来ると日曜日はたいていこの一壁で2本ほどやってから前尾根に行く、というのが常だった。前尾根はピークごとに何本ものルートがあるので、VやWから5.12まで、その日によって様々なルートを登った。
 正直、5.10なんてデシマルグレードのルートは、却って気が楽なのだった。だって登れるわけないもん。そういうルートはすべからくトップロープなので、気軽に落ちることができるというものである。腕が上がったらトップロープのまま、ずりずり降りてくることもできるし。怖いのはRCCUグレードでXとかがついたルートである。血迷ってそういうルートをリードした日には(上の写真の一壁以外にも数回あり)、それこそ死ぬ思いを味わったものである。そして、たいていのルートはA0化してしまった・・・(ちなみにA0は"エーゼロ"と読む)

 ただ、どこだったか完全にハングしたクラックのルート(5.10がついていた)を、例によってトップロープで登っていた時は酷い目にあった。岩登りは下手といっても、レイバックとかジャミングといった「力業」系はまだ比較的得意で、このルートももう少しで行けるところまできていた。登れば私の最高グレードになるところだったのだが(結局5.8なんである)、もう少しというところでバランスを保てず、クラックに左手の指2本残して宙吊りになってしまった。素直に落ちればトップロープなので何の問題もないのだが、不幸なことにジャミングはバッチリ効いており、左手の指2本がクラックから抜けない。完全にハングしたクラックなので、一度ぶら下がってしまえば、もうクラックに足が届かない。確保している仲間にもどうすることもできん。その残った指2本は、クラックの中で交差させてジャミングを効かせているので地獄であった。

 夏は毎年、剣で3週間定着して岩登りをしてから槍ヶ岳あたりまで縦走、というものだった。

源治郎尾根 

剣岳源治郎尾根2峰にて

 あまり記録を残していないので、写真もいつのものだか判然としないが、この右の写真はおそらく1年生の時のものだと思う。源治郎の2峰だろう。背後に見えているのは剣岳本峰である。
 見ると私は夏山だというのにプラスチックブーツを履いている。高校の時にモニターでもらったものだった。高2の冬の池小屋山の写真で既に履いているから、この時点で既に3年は履いている靴だったはず。雪渓では無敵だったが一般登山道ではロボット様歩行になってしまって大変だった。


6峰? 

八ツ峰6峰Cフェース?

 

 右の写真は・・・どこだっけ?背後に見えているのが長治郎雪渓だとすれば、八ツ峰の6峰フェース、それも多分Cフェースの剣稜会ルートだと思う。というか、平蔵雪渓だとすれば、こういう角度で見えるルートは記憶にないし、チンネだとすれば三の窓雪渓は逆方向なので、たぶん6峰フェースだと思う。

 6峰Cフェース剣稜会ルートは、グレードはVで簡単すぎ、部の他の連中は行くのを嫌がった。新人のトレーニングで行こうかといっても「え〜?今さら〜?」って感じだった。
 でも、私はあの並はずれた高度感は好きだった。確かにこのリッジに出るまでの数ピッチはひたすら退屈なのだが・・・


長治郎雪渓 

長治郎雪渓最上部にて

 

 3週間の間には、OBが友達を連れてきたりもした。
 右の写真は、OBが友達夫婦を連れてきた時のもの。確かこの日は長治郎雪渓〜剣岳本峰〜平蔵谷雪渓というルートだった。後ろから2番目に私がいるが、その前にいる女性は、何故か今は私のカミさんになっていたりするのが人生の不思議なところだったりして・・・


冬の御岳 

冬(たぶん11月)の御岳

どこだ?

ど・・・どこだ??

5月の槍平

たぶん5月の槍平

 

 冬山は夏山にもまして記録やメモが残っていないので、写真を並べてもいつのどこのものか、すっかり忘却の彼方である。
 この右の一番上の写真は、たぶん御岳。御岳も何回も登っているが、メンツを見れば確か2回くらいしか一緒に行っていないOBがいるので、おそらくは2年生の11月末の御岳だと思うのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 2枚目の写真になると、もうさっぱり判らない。こんな風景、いくらでもある。

 

 

 3枚目の写真はまだ推察が可能だ。
 私が右手にウッドシャフトのピッケルを持っている。2年生の秋にはシモンを買ったので、これは1年生の時の写真のはずである。
 ということは、おそらく5月の新人合宿の時、場所は槍平だと思う。
 確かこの時、家型テントをベースキャンプに張ったが、季節はずれの大雪に見事にテントが潰され、ピッケルでポールを継ぎ足して一晩中雪かきをした記憶がある。
 その翌日は晴天にも拘わらず、徹夜がたたって行動できなかったはずで、写真はおそらくその時のものだろう。

 

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