南鈴鹿で発狂したお話

山と渓谷 83年?月号掲載文

by 池上

 それは去年の秋のことだった。
 もう時効だろうから白状するけど、高校山岳部に入っているY君と僕は土日を利用して南鈴鹿の仙ヶ岳、鎌ヶ岳の縦走を試みた。個人山行だった。個人山行は届出をしなければいけないことになっているが、当時クラブ山行の他に月2〜3回行っていた個人山行はみな無届けだった。本当に時効だろうな?

 さて電車を乗り継ぎ、バスを降りるともう夕暮れだった。一面の茶畑の向こうに仙ヶ岳の岩稜がそびえ立ち、山が真っ赤に映える。
 林道を歩き、林道終点、南陵取り付きに着いたときはもう真っ暗だった。ここで僕の病気が出た。僕は言った。「登ろう」。Y君も結局のところ病人だった。彼は言った。「登ろうか」

 さて、全く初めての山稜をヘッドランプ頼りの登山が始まった。途中変なガレに迷い込んだり、滝を落ちかけたり、無事に稜線まで辿り着けたのが奇跡だった。稜線でテント場探しが始まったが、ひどい痩せ尾根で見つかるはずもなく、もう道端でごろ寝を半分覚悟し、それでも寒いしごろ寝は嫌だなぁと思いつつ、これが最後のチャンスと、はっきり言って期待していなかったが南陵P1に取り付いた。ルートを間違えてしまい岩壁にモロに取り付くことになった。もうどうにでもなれとヤケクソになり(Y君はこれを「アジのひらきなおり」という)P1によじ登るとそこにネコの額ほどのスペースがあった!
 これ幸いと30分かけてあたりのヤブをなぎ倒しテントを張る。フライはじゃまくさいので張らなかった。

 翌日、日の出前に出発。昨日間違えて登った岩壁が傾斜も高度も意外にあるのに驚き、「昼間だったら登れなかった」という点で2人の意見が一致した。
 さて今日の行動は鎌ヶ岳を経て宮妻峡である。水がもう2リットルしかなく、宮妻峡まで水はないだろうというのが気がかりだった。今日は渇きとの戦いになりそうだ。

 仙ヶ岳を越し、いやになるほどアップダウンを繰り返す。そろそろ渇きが深刻になってきた。水を一口含んではぐちゃぐちゃとやってから飲んでいるが、それでも水は確実に減ってゆく。宮指路岳を越えて急にブッシュがきつくなり始めた。僕がトップで道を拾いながら行く。相当すごいブッシュだ。喉の渇きは深刻で、ササの葉などが口の中に入っても唾液が出ないため吐き出せず発狂しそうになる。振り返るとY君が喉をかきむしっている。彼の様子を見ていると、彼の精神はもう非現実の世界に逃避しているようだ。

 そのうちに周りの様子がおかしいことに気づいた。なにか主稜線をはずれた感じである。僕は地図を出して地形照合したがどうもおかしい。Y君は斜面に寝転がっている。そのY君が自分も何かしなければ、と思ったのか磁石を取り出して見た。その途端ギャーッと叫んだ。可哀想にとうとう発狂したかと思いながら彼の磁石を覗き込み僕も発狂した。針が全く逆の方向を指している。その途端、全ての謎が解けた。我々は支稜に迷い込み、反対方向を向いて歩いていたのだ。

 後は気落ちしてガクッとペースが落ちた僕と反比例してY君の調子は上がり、主導権は完全に逆転した。水沢岳の登りでバテ、鎌尾根で喉をかきむしり、発作的に訪れる笑いの衝動と闘い、やっとのことで頂上に着いたときは2人とも満身創痍だった。
 頂上でビールを飲んでいる許せないヤツもいて、長居は無用、谷に降りるのが先かぶっ倒れるのが先か、山を駆け下りる。やっと下り着いた下谷で浴びるほど水を飲む。何とか生きて降りてきたという感じ。

 さて、それから帰りの切符を買ってしまうと2人合わせて10円しか残らず、一時間の電車待ちの間、100円玉の姿を求めて駅の構内を目を皿のようにして探し回った。
 夜10時、やっとの思いで家に帰り着き、泥のように眠った。翌日からまた授業、そしてその週末には高体連の踏査大会がある。

 実は僕とY君を含めたパーティーはその踏査で優勝したのだが、その時の印象よりこの山行の印象の方がずっと強烈であった。

 

 この文章だけはケルンではなくヤマケイに掲載されたものである。「去年の秋」と書き出しているところからみて、どうやら83年のいつかに書いたものらしい。
 実はヤマケイにこんな投稿をして掲載されたことなどすっかり忘れていたのだが、同窓会で飲んだときに「Y君」こと横山氏に指摘されて思い出した次第であった。原稿料が7000円だかなんだか出て、横山氏が「出演料をよこせ」ということで私にたかったそうである。さっぱり記憶にない。たかったと言っても、どうせ当時の私達のことだから、せいぜい餃子の王将での食事1回と言うところだったんだろうな・・・

 この山行のことはこのサイト中で他に「山での食事(試練の記録)」にも書いている。「自販機の下を漁るの巻」のところである。2日目朝の水の残量等、細かいところの記述が食い違うが、書いた時点での記憶が新しい分、おそらくこちらの記述の方が正しいと思う。

 道に迷って横山氏がコンパスを見て発狂・・・のくだりは今まで忘れていたが、この文章を読んで鮮明に思い出した。笹ヤブだらけの斜面にザックを背負ったまま仰向けに寝ころんでいる姿まではっきり思い出した。
 発狂してギャーッと叫んだくだりだが、実際はギャーッという叫び声ではなく、何か意味不明の、この世のものとは思えない声であった。ちょうど私は地図を出して周囲の山と照合しようとしているところで、突然の叫び声にハッと振り返ると、横山氏がコンパスを手になにやら叫んでいた、というわけだった。・・・・怖かった・・・・

 ちなみにこの文章は、この文が掲載されたヤマケイを横山氏が保存していたらしく、FAXで送ってきたので書き写してみた、という次第である。
 高校時代の個人山行の中でも非常に印象に残っていた山行だったので、なんでケルンに書いていなかったのか今まで不思議に思っていたのだが、ヤマケイにもう書いてしまったからいいや、と当時の私が思っていた・・・のだろうな。

 

 

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