平成17年7月23〜31日 薬師見平

7/23 折立から薬師沢へ入山(単独)    
7/24   薬師沢小屋の手伝い (赤木沢出合いまで散歩)    
7/25   薬師沢小屋でパーティーと合流    
7/26 7:30 薬師沢小屋 発  
9:05 A沢  
9:50 B沢  
10:50 C沢  
11:45-12:25 E沢  
14:30 高天原山荘 着  
7/27 停滞日(台風通過)  
7/28 4:25 高天原山荘 発  
5:00 夢の平 2050m* (2050m)
5:45 湯ノ沢 2020m
8:30 赤牛沢 2000m
  11:50 無名沢A 2020m  
13:15 姿見平 2105m
  14:30 無名沢B右俣 2045m  
  15:30 無名沢B二俣 1845m (1830m) 
18:00 薬師見平 着
7/29 6:20 薬師見平 発 2150m*
  8:30 無名沢B右俣 2045m  
9:40 姿見平 2095m
  10:00 無名沢A 2000m  
  10:50   〃 1835m  
12:30-13:30 立石 1800m (1740m)
  15:15 夢の平分岐 2100m (2060m)
  16:00 高天原山荘 着 2145m (2130m)
7/30 7:30 高天原山荘 発  
10:20-12:20 雲の平山荘  
14:30 薬師沢小屋 着  
7/31 9:45 薬師沢小屋 発  
11:25-12:05 太郎平小屋  
13:45 三角点  
14:20 折立 着  
    2.5万図 「薬師岳」  

注)数値は高度計が表示した標高。
  *は地形図から高度計をキャリブレーションしたことを示す。また()内の数値は地形図より読みとった標高。

 

 さて、実はこの山行は富山テレビの取材であった。
 この時の映像は10月17日のBBTスペシャルで放映された。実は放映されるまで「テレビの撮影で行った」ことが判るようには書かないという約束だったため、随時写真やテキストを追加するような形になってしまい、つぎはぎだらけの一文になってしまった。ま、ガイドの志水哲也氏のブログには「テレビの取材」云々と堂々と書かれていたし、ここでぼかした書き方をしてもあまり意味はなかったのだが・・・
 そんなわけで放映も終わったことだし、全面的に書き直すことにした。

 さて、なんでテレビ取材に同行して薬師見平に行くことになったのかというと・・・

 始まりは、あの岳人の記事だったのである。岳人が薬師見平に入り、それを特集記事に組んだ。それを本屋で立ち読みした私はこんな文章を書いた。
 一方、富山テレビのプロデューサーのY氏も同じ岳人の記事を読み、翌年に薬師見平を取材することを考えたということ。
 そこで登場人物として薬師見平に熱い想いを抱いている人間を捜していたところ、このサイトにヒットしたのだとか。

 それで結局、「長年薬師見平に憧れ続けていた男にBBTが協力し、プロガイドの案内で訪れる」という構成になった次第である。つまり私、主役である。恐ろしい・・・

 そんなわけであの岳人の記事がきっかけになって、薬師見平を訪れる機会が持てたわけである。

 決まってからも紆余曲折あった。
 とある山小屋関係者が「薬師見平にテレビカメラを入れることはまかりならん」という圧力をかけてきて、一時は実現が危ぶまれた。
 理由は、テレビ放映されて我も我もと薬師見平に押し寄せると薬師見平の自然が破壊されてしまう、という趣旨だったそうだ。それは確かに一理あるのだが、でも我も我もと薬師見平に出かけても、到達できるパーティーはほとんどないのでは・・・と思ったものだった。
 太郎小屋のマスター(五十嶋博文氏)は、薬師見平を目指すパーティーが増えると事故が増えるのでは、という心配をしていた。こちらの方は私もすごくよく判る。事故っても迅速な救出は難しいだろうし。ヘタすると「発見できない」ことにもなりかねないし。

 そのような経緯を経て、まず放映日が変更になった。
 当初は8月末頃に放映の予定だったのだが、この10月17日に変更になった。つまり、この番組を見て「おお!行ってみよう!」と思い立った人がいても、もう今シーズンは間に合わないという時期、である。テレビを見て思い立った程度の人だと、来シーズンまではまず覚えていまい。

 もうひとつは、非常に「薬師見平に到達することは大変である」ことを強調した構成になった。
 薬師見平を巡り、五十嶋マスターを始め国土地理院などに取材していくのであるが、そこで佐伯郁夫氏は「もし今また薬師見平に道を通しても、今の登山者は非常にレベルが低いから事故が増えることが予想される」と言い放っている。そりゃまあ・・・この人に「レベルが低い」と言われたら、誰も反論できないなぁ・・・

 また入山してからもガイドの志水氏は、「難しい」「辿り着けるか判らない」「祈るのみです」というセリフを繰り返した。

 そうして「大変なところだぞ〜」と視聴者を脅すような造り方をした薬師見平への道は・・・放送以上に大変なところであった。
 なんせ高天原の小屋から薬師見平まで14時間の行動、その間カメラを回せたのは高天の小屋、夢ノ平、湯ノ沢、赤牛沢、笹の原、無名沢の二俣、そして薬師見平、それぞれ数十秒である。あとはひたすら歩き続けていたわけである。休憩時間など、高度計と地図をチェックして現在地と時刻をノートに記録すると、他にはタバコを1本吸う時間もままならなかった。
 放映された番組を見て、「登山シーンが少ないね〜」とか「薬師見平もチラッとしか出てこないから神秘性があって良いよね〜」なんて感想を聞いたが、なんのことはない撮った画はほとんどあまさず使っている。到達するのに精一杯で十分な画が撮れなかっただけ、なんである。
 「これ・・・尺が足りないんぢゃ・・・」とは入山中から判っていたんだけどね。

 パーティーを紹介すれば、BBTからプロデューサーのYさん、ディレクター兼カメラマンのTさん、BBTの撮影助手(富山大学の学生)のN君とY君、ボッカ(富山医薬大の山岳部員)のO君、ガイドの志水哲也氏、そして私の7人パーティーであった。

 25日に薬師沢の小屋で合流した時点では、志水氏も含めて大部分の人と初対面だった。翌日の高天原への移動日、その翌日の休養日と、最初はお互いの経験も体力も性格も判らないし、ちょっと妙な雰囲気のパーティーだったのだが、だんだん打ち解けてきて最もきつかった薬師見平への行動日、そして高天原への帰還日はとても楽しく、体力的にも状況的にもかなり辛い2日間だったのにも拘わらず、笑いが絶えないパーティーだった。

 特にBBTの撮影助手バイトのN君とY君は、本格的な登山は今回が初めてだったのである。体力的にも山馴れしていなくて辛そうだったし、どうなるんだろうと思ったのだったが・・・
 でもさすがに若いってすげぇ。日が経つにつれて目に見えて強くなり、下山日では後ろからがんがん煽りまくるまでになってくれたのだった。
 それでも悪場は辛そうだったな。そりゃぁ・・・初めての登山であんなガレ場の上からロープ1本で降りろって言われても・・・「話が違〜う!」とか思いながら歩いていたそうである。でもこの薬師見平から下山した次の日は、またもBBTの取材で志水氏の案内により、餓鬼の湯に向かうという激しい山行に赴いたそうな。登山を始めて2週間で、普通の人の10年分くらいの経験をしたね。

 ボッカのO君はバリバリの現役山岳部員であった。ヘルメットに「心眼」マークがぺたぺた書き込まれていたのはバカな学生らしくて大好きである。さすがに体力はピカイチであった。

 

7/27

 台風が夜半から早朝にかけて通過したので昼前まで天候が悪く、この日は休養日となった。
 2日間連続で行動してきたパーティーは溜まった疲れを取るため、昼近くまでぐっすり寝ていたのだが、私はパーティーより2日早く入山していたしその間赤木沢の出合いまで散歩に行ったくらいしか行動していないので、体力は有り余っていた。
 なので1人で風呂に行ったり湿原で写真を撮ったりして時間を贅沢に潰していた。

 

高天原湿原

高天原湿原はニッコウキスゲが真っ盛り

 それにしてもこのニッコウキスゲが凄い。よくよく考えてみれば7月中に高天原に来たことなんて数えるほどなのだが、それにしてもこれほどの大群落は記憶にない。
 高天の小屋の小池さんに聞いても、これほどのは珍しいそうな。
 小池さんの奥さんの香春さんが「散歩に行く」と高天の小屋を出て、高天の湿原に出た途端に「きゃあ〜」と黄色い声を上げていた。
 ・・・毎日見てるくせに・・・

 

竜晶池

竜晶池から薬師岳のお決まりの構図

 午後からまさに「台風一過」と言うに相応しい快晴になった。
 この日はもう最初から停滞日と決めていたので、みんな昼前まで寝ていたのだが、午後は温泉や竜晶池まで来てみた。
 上の写真はガイドブックなどにも必ず出てくるお馴染みのアングルである。

 

竜晶池から薬師岳本峰

お馴染みの超望遠ネタ 竜晶池から薬師岳本峰を望む

竜晶池から薬師岳本峰

上の写真の等倍トリミング 人が見えま〜す

 毎度毎度の超望遠シリーズである。
 竜晶池から薬師岳の本峰が見える、という認識は今までなかった。てっきり東南稜の陰に隠れて見えないものだと思っていた。
 が、写真を撮ってみるときっちり見えているではないか。しかも頂上を示す指導標や祠、そこにいる人まで見えている。
 ちなみに撮影して液晶画面で拡大してみても、人までは判らなかった。祠と指導標で、「あ、ここが頂上なんだ」と判るくらい。
 人がちゃんと写っているのが判ったのは、PCに転送して等倍表示で見た時である。

高天原温泉

高天原温泉にて取材中

 8月に放映された「北アルプスの温泉」特集(同じくBBTスペシャル)で高天原温泉も紹介されたのだが、その取材風景である。同時取材だったのだ。
 なんだ〜、そんなことならあのレポーターの女の子、連れてくれば良かったのに〜。

 


 

高天原で飲むオヤヂ達

高天原山荘で飲んだくれるオヤヂ達・・・

 その夜は、翌日はいよいよ薬師見平行きの強行軍なので「今夜は飲まずに早く寝るぞ!」と宣言しておきながら、やっぱり飲んだくれるオヤヂ達であった。
 ちなみに左手前の志水哲也氏は私と同じ年である。

 


 

高天の夕焼け

高天原の夕焼け(もうほとんど終わりかけ)

 飲んだくれていたせいで見事な夕焼けをほとんど見逃してしまった。
 気づいてカメラを持って小屋の外に飛び出した時は、もうこの写真のとおりほとんど終わっていた。

 


 この晩の夜空は凄かった。
 台風一過で空気が澄んでいたおかげで、天の川が白い帯にしか見えず、星座が判らず、死兆星が5つくらい見えてしまう星空だった。
 あまりにも星空が凄いので、高天の小屋はランプの小屋なので漏れてくる灯りは暗いのだが、それでも湿原の方まで出るともっと凄いかも、と思い立ってオヤヂ2人でベロベロに酔っぱらったフラフラの足取りで湿原まで出かけたのであった。2〜3回転んだし。
 んでもってオヤヂ2人「あれがアンタレス」とか「蠍座はあれかな?」とか語らいながら星空を見上げていたのであった・・・
 このオヤヂ2人というのが、上の方の集合写真で「間違って山に迷い込んだ工事現場のオッサン」に見える2人、というのが笑える。1人はもちろん私であるが。

7/28

 いよいよ薬師見平へ向かう日である。
 午前4時出発である。まだ暗い。
 夢ノ平にある標高点の横で高度計の数値を合わせている頃にだんだん明るくなってきた。以降の行動はある意味高度計頼りである。

 湯ノ沢までは細々と途切れ途切れではあるが、なんとか道がある。
 登り返しの道がもはや判らず、しばらく手分けして探すが、見つけたルートは滝の上の急傾斜の笹ヤブを斜上するルート。ちょっとヤバイ感じである。ズルズルいったら滝を落ちてしまう。
 というわけで、放映されたとおりここで最初のアンザイレンということになったのだが、これがまた苦行なんだなぁ・・・

 ちなみにヤブこぎで何が難儀だったと言えば、「ヤブの中のアンザイレン」であった。
 もちろんガイドの志水哲也氏の指示によるものなのだが、猛烈なヤブの中を7人がアンザイレンしてコンティニュアスで歩くのは辛い。
 私はセカンドを歩くことが多かったのだが、どうかすると前からも後ろからもテンションがかかるのである。足場の不安定な急傾斜地で後ろからテンションがかかって立ち止まらねばならない時など、本当に辛い。
 また、ヤブの中だと例えば1本の木を先行者は右から、自分は左から抜けてしまうとたちどころにスタックしてしまう。なのでザイルの流れも注意して追わないとダメなんである。

 まあ理由は判るのである。
 1つは滑落に備えて。かなり急傾斜の場所が多かったんである。特に湯ノ沢と赤牛沢の登り返しは渋い場所だった。ヤブの中なので心理的にあまり恐怖心は感じないのだが、足を滑らせてずるずる行くとまず助かるまい、という場所はいくらもあった。まあだいたい沢登りの事故って高巻き中が多いし。昔々からの記憶を辿っても、「もう1回あそこに行ったら今度は死ぬかも」と思うほどヤバイ場所って、ほとんどが沢登りでの高巻き中の場所だったりする。
 パーティーには超が付く初心者もいたことだし、安全確保のためにアンザイレンするのは確かに必要だったのだろう。ヤバイ場所を抜けてもなかなかアンザイレンを解く場所がなくて、危険じゃないのにザイルを引きずって歩くことが多かったのはうざかったが。
 それともう1つは「迷子防止」であったかも。
 なんせ3m離れると先行者が見えない、なんてところはしょっちゅうだった。誰か1人いなくなってもまず判らない。現にアンザイレンなしで濃いヤブに突入した時は、先頭の志水氏に食らいついていくと後続がよく私を見失ったようで、ヤブの中から「どこ〜?」と叫び声がしたものであった。「ここ〜」と叫び返しても声だけではさっぱり判らなかったりして。
 なので後続を振り切らないように注意しながら歩くと、今度は先行者の志水氏を見失ったりして。
 こうなると、うざいがアンザイレンした方がよっぽど安気であった。ああ、でもうざい。

 急な登りでぐっと踏ん張って登ろうとすると後ろからグイッと引っ張られて登れない。ああ、またかと思いながらそのままの姿勢でしばらく待ち(これが辛い)、もう良いかなと思ってもテンションは相変わらず。ちょっといらつきながら待っていると、なんと後続は私のすぐ後ろで立ち止まっているではないか。
 あれ〜?おかしいな〜。なんですぐ後ろにいるのにこんなに引っ張られるのだろうと思って、よくよくザイルを確認すると自分が踏んでいた、なんてことが数回あったな。自分の足元なんて見えませんてば。

 先頭の志水氏はアンザイレンすると立木を縫うように進む。これはもし誰か落ちても木のフリクションで止まるように、という理由なんだそうだ。
 確かに、笹ヤブの急斜面でストレートにザイルが伸びていたら、誰か1人落ちたら全員落ちる。ただの心中である。
 ただ、ここに落とし穴があって、後続はヤブの中でザイルの流れる先を正確に把握しておかないといけないんである。
 一度、急傾斜の下りで、立木の上をザイルが通っていたのだが、私の2人後ろの人がうっかり下に行ってしまった。
 そうすると登り返して立木の上を通ってこなければならないのだが、あまりに傾斜が強いのでたった2mが登り返すことができないのである。
 何度もトライするうちに、彼の目が虚ろになってきてしまった。これはヤバい。こんなところで体力を使い果たしてしまったらどうするどうする。
 私の後続(すなわちハマッた人の前)は少しでも登り返しが楽になるようにザイルにテンションをかけているので身動きが取れない。ハマッた人の後ろは急斜面の上にいるので手が出せない。
 仕方なく私がハマッている人の所に苦労して行き、ザックを下ろさせて空身にさせたのだが、ザックを落としてしまいそうでちと怖かった。落とし方によってはザックが丸ごと谷底にサヨウナラ、となりかねなかったので。
 で、やっとのことで立木をクリアしたのだが、私が移動したことでザイルが交差してしまっているので絡まらないように元のポジションに戻るのにちょっと苦労した。
 この間、約20分ほどかかっていたのだが、先頭の志水氏やさらに後続の人達は、何が起きていたのかさっぱり判らなかったらしい。
 「どうしたの〜?」とか声はしていたのだが・・・

 ま、アンザイレンの必要性は十分理解できるけど、でも私が誰かと行ったら「ここはヤバイから死ぬな」とか「遅れずについてこい」の一言で済ませてしまいそうな気がする。
 そのあたりがプロのガイドとアマチュアの差か。

 

 次の赤牛沢への下降が、この日の行程の最難所であった。
 なんせ両岸ザックリと崩壊しているので、普通に歩いて降りることができる場所がない。というわけでロープダウンとなったわけだが、後日薬師岳からこのロープダウンした場所が見えていたので写真に撮ってみた。詳細はこちらのページを。
 まったくの初心者を含んでいたため、ロープワークも志水氏が作ったエイトノットをハーネスのカラビナに着けるだけ、しかできないメンバーがいる。なので普通ならここは懸垂下降となるのだが、志水氏が確保してのロープダウンとなった。心得があれば人の確保に任せるより自分でコントロールできる懸垂下降の方が気楽なのだが。
 ロープは50mを1本持っていっていたのだが、最後に志水氏が懸垂下降で降りてきたとき、ちょうど5mほど足りなかった。なので下降ルートの長さは約30m、ということになる。まあ上から見て「これは50mでは足りないのでは」とは思ったが。
 というわけで、もしガイドレスで行っていたら、ここは途中のブッシュで切って2ピッチにするか、最後の足りない5mを飛び降りるかしかあるまい。実際は最後の5m、なんとか歩いて下降できるルートがあったのだが、これは降りてみないと判らないことなので、もし単独で来ていたら、素直に2ピッチに切っていただろう。

 下降しながら「もし単独で来ていたら2ピッチに切るしかないよな」と思いながら、途中のブッシュでアンカーにできそうな立木を探していた。ま、あるにゃあったが、こんな不安定なところでいったんピッチを切ってセルフビレイを取り、ザイルを回収してセットし直す、のはかなり疲れそうであった。
 でも、そもそもヤブをこいで同じ場所に出てくることはほぼあり得ないので、このルート偵察が役に立つことはあるまい。

 赤牛沢からの登り返しもきついものがあった。ルートがどうのというより、崩壊が激しくて文字通り取り付く島がないのである。
 取り付き点を求めてかなり沢を下降したのだが、あまり下降しすぎると尾根の上に壁が立っているのがなんだか嫌であった。

 ま、要するにこの赤牛沢を登下降した時点で、旧高天原新道を追うという目論見はあっちゃむいてほい状態になったわけだった。

 

やぶ〜

笹藪の中で・・・

やぶ〜 その2

雲の平、黒部五郎岳が見える

 

 ヤブこぎの最中の一コマ。


 ヤブは概ね笹ヤブを主体とするが、樹林帯中では松などの針葉樹、時にダケカンバ(トゲトゲで痛い)、さらにシャクナゲ(堅くて進めな〜い)を交えるものだった。
 樹林帯の中の笹は時として背丈を超え、密生したヤブの中では酷い時は3mも離れると先行者がどこにいるのか判らなくなる。
 沢への下降や登り返しなどでは傾斜が強く、腕力だけでずり下がったり攀じ登ったりすることもしょっちゅう。
 その中で、たま〜に(2カ所くらいしかなかったが)腰くらいの丈の笹ヤブが出てくると、うっすら踏み跡も残っていたりでヤブこぎ中のオアシスのようだった。ただし太陽に直接炙られるので暑いったら。
 この暑い中カッパを着ているのは、Tシャツだとヤブで腕がズタボロになるからである。
 背の低い笹ヤブでは暑いだけなのだが、だからといって脱ぐと5分もしないうちにダケカンバのヤブに突入したりするので、結局1日中脱げなかったのであった。

 ちなみに放映でヤブをこいでいるシーンは、一番ヤブが薄い場所で撮影したものだった。濃い場所では撮影なんてできないし、仮に撮影したところでヤブ以外何も写らない。

 雲の平や黒部五郎岳が変わった角度で見えて楽しい。
 雲の平から手前に伸びる尾根がコロナ尾根。うんうん、遠くまで来たなぁ、と思うのだが、ここはまだ半分も来ていない場所である・・・

 

無名沢の滝で

薬師見平に続く名もない沢の滝にて

 放映で「薬師見平に続く沢」を歩くパーティーが写っているが、その直後にこの滝があった。
 右岸をへつりながら登っているのだが、一応ロープで確保はしている。でも、滑ったら滝の流れに落ちることは避けられないし、そうなったらロープを流さないと窒息しかねないので、確保があまり心理的な安心感をもたらしてくれないルートである。まあ落ちないけど。
 ちなみにこの写真は翌29日に、下降中に撮った写真である。ロープで確保しながらクライムダウンしている。

 この滝は当然撮りたかっただろう。登攀シーンなので絵になるよな。
 でも、この時時刻は既に午後3時半を過ぎていた。この谷は志水氏も登下降した経験はないらしく、この上にもこんなロープでの確保を必要とする滝がいくつか出てくれば、もう日没前に薬師見平に到達することは絶望的・・・とかなりピリピリしていたらしく、クルーに撮影を許さなかったそうだ。
 私は下でロープを確保していたのでそのあたりのやりとりは知らなかったのだが、医薬大山岳部のO君を2番目くらいに登らせたと思ったら、彼に他のメンバーを付けて先行させていたらしい。
 私は気楽なもんであった。沢は綺麗だし滝は格好いいし。実際、この沢は赤木沢に勝るとも劣らないくらい綺麗だった。
 最後に私が1カ所だけ取っていたランニングビレイを回収して滝上に登り、志水氏に回収したシュリンゲを渡そうとしたら、聞こえていないのか受け取りもせずにそのまま歩き出してしまった。ピリピリしていたんである。

 ま、幸か不幸かロープを必要とするような悪場はこの先は現れなかった。
 やがて谷は二俣となり、水量からは右が本流かと思われたが、ルートは左である。ここで水量がぐっと減り、楽しい滝やゴルジュが出てくるかな?という雰囲気はほぼなくなった。もしかしたら右俣はもう少し楽しませてくれる谷かもしれないけど。
 さらに数回、谷を左右に分け、最後には急傾斜のガレ場である。そのガレ場を詰め上がると突然傾斜が水平になる。
 すると針葉樹林帯の中に笹ヤブで覆われた一筋の水路が。
 その水路は平坦な台地の上をうねうねと曲がりくねって続いている。
 水路を笹をかき分けながら進んでいくと、突然目の前が開けて広い草地に・・・そこが薬師見平だった。

 この"演出"は最高だった。

 

薬師見平湿原

薬師見平湿原はワタスゲが盛りだった

 薬師見平に到着したのは午後の6時を回っていて、もう薬師岳の向こうに日が沈む頃だった。
 翌朝は曇っていて薬師岳は見えなかったので、撮影のチャンスはこの30分ほどしかなかった。

 

薬師見平から薬師岳

薬師見平から残照の薬師岳

 それにしても薬師見平から見る薬師岳は巨大であった。視界全てが薬師岳である。ひたすら横に長い。長い。長い。

 長年(実に24年間)、薬師見平にはずっと自分の中で勝手なイメージを膨らませ続けていたので、実は実際に行ってみるとがっかりするのでは、という一抹の不安はあった。
 が、期待以上の場所だった。地図から想像していた薬師岳の見え方は、そのスケール感が圧倒的に予想を上回っていたし、湿原のスケールが驚くほど大きい。
 ちょうどワタスゲが盛りで、広い湿原に白い点が散乱していた。

 1人で行ってたらその場で即身仏になっていたかも・・・

 到着と同時にカメラを回し始め、まず志水氏と私の会話シーンの撮影である。事前の打ち合わせも心の準備をするヒマも何もなく、全て地の会話である。
 その会話シーンと志水氏と私が並んで薬師岳を眺めるシーンの撮影が終わると、志水氏は解放である。さっそく写真家でもある志水氏はペンタックスの645を三脚に立てて自分の写真を撮り始めた。
 が、私はまだ単独インタビューの撮影が・・・
 こうしている間にも日はどんどん落ちていく。「俺も早く写真撮りてぇ〜!!」と内心思いながらインタビューを受けていたのだった。

 そんなわけでようやくインタビューからも解放され、落ちていく光と競争しながら撮ったのが、この2枚の写真なのである。
 疲労と焦りで構図もろくに考えられず、なによりRAWで撮ることすら思いつかなかったのである。
 志水氏はこの短い間にもかなりの手応えがあったそうである。満足気に「良い写真が撮れたと思う」と言っていた。どこに発表されるのか・・・
 で、こちらの成果を「焦っていたからこんなのしか」とか言いながらモニターを見せていたのだが、「なんでRAWで撮らなかったの?」と言われて愕然としてしまったのだった。そんな余裕がなかったんだよぉぉぉ。

7/29

 往路に14時間かかった、ということは、普通に考えたら帰りも14時間かかる、ということである。
 だからといって薬師見平をまだ暗い午前3時半出発、なんてことにしたら何しに来たか判らないので、すなわち帰りは夜間行動になることは覚悟していた。
 それでも夜間のヤブこぎなんてどうすんのよ。
 ということで復路はルートを少し変えてみたのだが、これがまた非常に調子が良く、なんと昼過ぎには立石まで帰ってきてしまった。
 なんとなく立石まで来てしまえば高天に帰ったも同然、というムードがあったりするのだが、それでもまだ標高差で350mほどある登りが待っているのである。
 でも、後は一般登山道ではないにしろ道はあるし、岩苔小谷で徒渉があるかもしれないけどまあたいしたこともないだろうし、とすっかりリラックスしてしまったパーティーは、ついに昼寝まで始めてしまったのであった。この2日間の行程中、1時間も休憩したのはこれが初めてであった。

立石にて

立石にて 放心状態のパーティー

立石にて

立石にて

 立石で昼寝を始めてしまうパーティーの面々。

 


 

 高天原に帰り着くと、そこは戦場だった。なんと宿泊120人である。食堂5回戦である。
 シーズン終了後に聞いたら、この日が結局シーズン中の最多だったそうである。
 パーティー全員、交代で皿洗いを手伝うことになったのだが、みんな10時間の行動後だったにも拘わらず、予想より遙かに短時間で帰って来れたという嬉しさ故か、意外に元気でるんるんと皿洗いをこなしていた。学生3人など、温泉に風呂に入りに行く元気があったくらいである。
 私は帳場に張り付けられてしまった。高天の帳場に座ることは長年の野望だったわけだが(大山さんがいた頃は私のようなぺーぺーは帳場に座らせてもらえなかった)、こんな時にこんな形で達成されたのであった。

 この日は去年、薬師沢の第一徒渉点で声をかけていただいて以来のお友達であるいっちさんが高天原に来ていた日だった。
 事前にお互いの日程を確認した時はニアミスで終わるはずだったのだが、台風のおかげで日程がずれてお会いすることができたというわけである。
 しかし。せっかく会えたのだがこんなに混んでいる日では・・・ゆっくり話すことはできなかった。

 

 

薬師見平での記念写真

薬師見平での記念写真
古い古い看板が・・・

 ともあれ、長年の憧れの地だった薬師見平に到達できたのはパーティーのみなさんのおかげなのですが、単にそのこと以上に、久しぶりにパーティーで登ることの楽しさを思い出させてくれた楽しい山行ができたことに感謝したいと思います。ほんとに楽しかったのだ。

 

 薬師見平はおよそ24年間、「いつかは」と思い続けてきた場所である。
 今回、ひょんなことから実現してしまったのだが、行ってしまうと自分の中で何かが終わってしまうのでは、という漠然とした不安があった。

 でも、行ってみると別に何も終わらなかったな。
 かなり効率が良さそうなルートの見当もついたし、やはりもう1回薬師見平には行きたい、と思う。もっと早い時間に着いてもう少し薬師見平を探索したい。
 それに楽しそうな沢も見つけた。この沢を行くとすると薬師見平よりよっぽど日程的にきつそうなのだが・・・
 いずれにしろ、日程やパーティー、体力など条件が揃わないと難しい。技術的にはそれほど困難ではないことは判ったが、何かあった時に抜き差しならない状況に陥ってしまうので、やはり単独は避けた方が良さそうである。入っている山岳保険の補償額では足りない事態になりそう。
 なので一度行ったからといって来年もまた再来年も、というほど容易なものではなく、また条件が揃うのをのんびり待ちながら山行を重ねることになりそうである。
 それでも薬師見平は、一度行ってもやはりまだ憧れの桃源郷であり続けるし、他にも行ってみたい場所が増えてしまったのであった。

 

 

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