平成17年10月9〜10日 薬師岳

10/9 10:50 折立 発
11:40 アラレちゃん通過
12:10-20 三角点
13:30-45 五光岩ベンチ
14:30 太郎平小屋 着
10/10 7:45 太郎平小屋 発
  8:40 薬師平
  9:50 薬師岳山荘
  10:40-11:10 薬師岳
  12:30-13:40 太郎小屋
  14:55-15:10 三角点 
  16:00 折立 着
    2.5万図 「薬師岳」

 冬になる前に薬師岳に登らねばならぬ。どーしても行かねばならぬ。
 なぜかというと、今年7月に行ってきた薬師見平を今度は薬師岳から見たかったからである。薬師見平だけじゃなく、高天原から薬師見平まで辿ったルートを見たい。
 しかし夏はいつの間にか過ぎ、山の短い秋が足早に通り過ぎようとしている。PTAの行事とかなんやらかんやらを考慮すると、この10月の連休がラストチャンスになりそうだった。
 9月の連休後半にもチャンスはあったのだが、そちらでは高天原に行きたかった。高天原、というよりさらにその奥の薬師見平に行くルートを確認しに行きたかったのだが・・・なんせ7月に遊びすぎたので日程的にかなりきついものがあった。結局体調もいまいちだったので山に行くこと自体を中止してしまったのだった。

 この連休、予報では天気は良さそうだし今年のラストチャンスだし、当日の朝も予報に反して天候はあまり良くなかったのだが、出かけることにした。今日は太郎小屋まで入ればいいので朝もゆっくり気楽なものである。

 この日はこの界隈ではいろいろあった日で、折立〜太郎の登山道でも登山者が転倒して骨折するという事故があった。
 荷物だけを持って先行下山している人から三角点でその話を聞き、ちょうどエアギプスを持っていたので役に立てばと思っていたのだが、パーティーの中に看護師さんがいたらしく、バラしたストックを使って完璧な固定が為されていた。おまけに松葉杖まで製作されていて、五光岩ベンチの近くで事故ったというのに三角点の近くまで自力で歩いてきたらしい。変な言い方だが遭難者の鑑のようなパーティーだった。
 この日は(翌日もだったのだが)太郎小屋など標高が高い場所は綺麗に晴れていたのだが三角点から五光岩近辺では非常に濃いガスに覆われていた。そんなわけなので救助のヘリも現場に飛べず、結局太郎小屋に救助隊が降りてそこから走ってピックアップし、担いで搬送したらしい。そんなわけなので結果論的には移動しない方が良かったのかもしれないが、まあなんせ自力下山を試みることがやってしまった場合にまず考えるべきことだから。

 後で太郎小屋では従業員達が、「あんなところで転ぶかね?」と不思議がっていたのだが、何を隠そう私も多分ほとんど同じ場所で派手にすっ転び、右足の靱帯をぶち切ってしまったことがあるので、小声で「俺も転んだよ」カミングアウトしたのだった。転ぶときはどんな場所だって転ぶのさ。たまたま間が悪けりゃ骨折だってしちゃうのさ。

 

夕暮れの太郎平

夕暮れの太郎平

 太郎小屋の近辺は晴れたりガスったりを繰り返していたが、夕日が当たると今までドドメ色だった山肌が劇的に華やかなオレンジに染まり、すんごく綺麗である。

 

 


 小屋はもう4人くらいのスタッフで淋しくやっていると思って差し入れも用意してきたのだが、この日は高天原の小屋閉めを終えた小池夫婦もマスターもいたのでスタッフは6人、さらに居候も4人もいてえらい大所帯だった。・・・土産が足りん・・・
 「今日は太郎に泊めて」と言うと「えっ、薬師沢じゃないの?」と非常に不思議がられてしまった。無理もない、太郎に泊まるのは2年ぶりだし。
 お客さんも「10人くらいじゃないの?」とのんびりしたムードだったのだが、折立の駐車場がほぼ満杯だったのでもっと来るはずだと思っていたら、やっぱり50人近くになってしまい、メニューを組み直したり片づけてしまったテーブルを組み立て直したりで、バタバタと居候も交えて働いていたのだった。でも、厨房に8人もいるなんて、シーズン中よりも多かったのでは・・・?今年の7月末に300人を突破したときは、厨房に4〜5人しかスタッフがいなかったそうだし。

 「薬師に登る」というとなぜか小池さんに「えっ?」と驚かれてしまった。そういやそういう「普通の登山」て昔からあまりしたことがないな。まあ今回も薬師に登るのが目的ではなく、薬師見平を見に行くわけなので別に突如改心したわけでもないのだけど。

 翌日、天候は曇り。太郎周辺は視界はあるのだが、下は雲海で上にも雲。薬師岳は東南稜分岐が完全に雲の中である。
 マスターと小池さん、居候4人は朝一番で下山するそうだ。
 小池さんとの間でこんな会話が。

 「池上はどうする」
 「薬師に登るよ」
 「天気、悪いぞ」
 「登ってるうちに晴れるかもしれないし」
 「へっへっへ」

 ・・・なによ、この最後の「へっへっへ」は。そんなに私が普通の登山をすることが珍しいのだろうか。珍しいんだけどね。
 ちなみに私は過去、薬師岳頂上ではあの祠以外のモノを見たことがない、つまり晴れている薬師岳に登ったことがない。今回もちょっと嫌な予感がしたことは確かである。

 でも今回はやる気を出して7時45分に出発したのである。7時45分のどこがやる気だと言われるのは確実だが、私の居候歴としては悪天候でトンズラでもない限り、こんなに早い時間に行動開始したことはまず滅多にない。

朝の太郎平

朝の太郎平(薬師平手前から)

 が、「ぢゃ、薬師に登ってくるから」と大見栄切って小屋を出た割には、薬師峠のキャンプ場に着く頃にはすっかり気持ちは萎えていた。だって頂上は相変わらずガスの中だもの。今回はガスっていたら何の意味もないのである。
 薬師平のあたりでは雲も厚く黒く暗い。
 太郎平あたりは視界も良く、写真のようにけっこういい雰囲気なのだが、なんせ頂上付近が真っ黒な雲の中というのが決定的にやる気を削ぐのであった。

 

 


 ま、だいたい薬師平から薬師岳山荘まで1時間以上かかっていることが、いかにやる気がなかったかを示しているな。薬師岳に登るってことについて別に誰かに何かの義理があるわけじゃなし。
 そんなわけで薬師岳山荘への尾根道で写真を撮ったり、東南稜にクマらしき物体が移動するのを発見して定点観測を始めてしまったり(結局樹林帯に入られてしまって再確認も撮影もできなかった)して、時間潰しモードに入ってしまっていた。

薬師岳への尾根から赤木沢出合

薬師岳への尾根から黒部川源流(480mm相当)

赤木沢出合

上の写真の等倍トリミング
これはまさしく赤木沢出合じゃないか!

 ちなみにけっこう「こんなところからこんなモノが見える!」という場所が見えていて面白い。

 右の写真は黒部川源流が見えていたので1枚撮ってみたのだが、カメラのモニターで拡大表示すると、どうも見えているのは赤木沢出合のようである。
 確かに位置的には赤木沢出合付近のようである。

 帰宅してからPCで等倍表示すると、写っていたのはまさしく赤木沢出合どんぴしゃりであった。
 赤木沢出合いの淵の下の棚、いわゆる「ミニ・ナイアガラの下段」がしっかり見えている。
 この時はどんよりした天候だったので、さすがに画質的には苦しいものがあるが・・・

 他に薬師沢左俣の連瀑帯も見えていた。
 しかもちょうど300mmの望遠レンズで撮ったとき、連瀑帯が1画面に収まるスケールである。これはこの沢の長さと、連瀑帯の短さを考えるとかなり奇跡的なことのように思えるのだが、あまりにマニアックなのでこの写真は掲載を見送ることにした。

 


 ところがそうこうしているうちになんだか明るくなってきたのでふと見上げると、なんとガスが晴れてきているのだ。しかも見ているとだんだん青空さえ見えてくるではないか。
 こうなったら薬師見平を見ずに帰ってしまったら冬の間ずっと後悔する。突如としてやる気を取り戻した私は、慌ててカメラをしまい、いそいそと登りだしたのだった。あまりにのんびりしすぎたので、昼頃に太郎小屋に帰るにはかなり飛ばさねばならぬ。
 マジメに歩いて10時40分頃、薬師岳頂上に到着。実は薬師見平は東南稜分岐から見えていて、避難小屋まで登ってきて薬師見平を見た途端、その場に座り込んで見ていたい気持ちになったのだが、ここはやはり頂上から見なければ、と珍しく頂上に拘ったのだった。

薬師岳からのパノラマ

薬師岳頂上から赤牛岳方面
写真をクリックすればもっと大きな写真が別ウインドウで開きます

 相変わらず上空に雲は多いのだが、視界は全開である。薬師見平も、高天原から薬師見平に至ったルートも全て見える。

 この上の写真は44mm相当の画角で撮った3枚の写真を合成してパノラマ写真にしているのだが、高天原はさすがに丘のあちら側の斜面なので小屋は写っていないのだが、小屋の横の湿原は部分的に写っている。登山道も見える。竜晶池も見えているし、湯ノ沢、赤牛沢、2本の無名沢を経て薬師見平に至るルートが全て手に取るように判る。
 実際に2ヶ月半前に歩いたルートなのだが、こうしてみると「よく行ったなぁ・・・」と思う。長いわ、このルート。

 というわけで、今回は超望遠ネタばかりであるが、マニアックな画像を。

竜晶池

竜晶池
ちょっと判りづらいが、画面中央に黒く池が見えている

赤牛沢

赤牛沢
大崩壊して工事現場のようになってしまっている

赤牛沢拡大画像

上の赤牛沢写真の中央部等倍画像
赤い線が7月に薬師見平に行った際、下降したルート
(点線部分はヤブこぎで実線が30mのロープダウン)

薬師岳から薬師見平

薬師見平
幕営地点、薬師岳に落ちる夕日を眺めていた場所、写真を撮った場所、全て明瞭に判別できる
薬師見平のページの最初に載せている池越しの写真で構図に入れた3本の木も特定できる

 赤牛沢の下降ルートとか薬師見平の3本の木などはあまりに細かすぎて、はっきり判別できたのは帰宅してPCで画像を見てからだったのだが、実は写真を撮りながらガラにもなく感動していた。
 なんつーか、昔惚れて一晩だけ共にした片思いの女性を、駅のホーム越しに見かけたような気分である。一晩は共にしたけど、やっぱりまだ片思いなんだよな。山頂からの景色でこんなに感動したことはちょっと記憶にない。

 山頂を立ち去りがたい、と思ったのも初めてなのだが、いつまでもここにいるわけにはいかず、時計を見てそろそろ行かなきゃ、と歩き出す。
 東南稜分岐で薬師見平とはお別れである。振り返ると足が止まりそうなので気持ちを「太郎小屋へのタイムアタックモード」に切り替えていたのだが、やっぱり振り返って足を止めてしまった。
 でも、その後は一生懸命飛ばしたので、頂上から太郎小屋まで1時間20分で降りてきたのだった。まあまあのタイムか。

 太郎小屋はマスターや小池さん達が下山してしまっていたので、スタッフは4人になってしまっていた。「薬師見平に会ってきた」というこっちの気持ちも重なって、なんだか「今シーズンが終わった」という気をひしひしと感じてしまう。

 そんなわけで「薬師見平に始まり薬師見平に終わった」今シーズンなのであった。

 

 余談1

 太郎に赤木沢を遡行したとおぼしきパーティーがいた。
 なぜか彼らはまだハーネスを装着していたし、1人はヘルメットまで被っていた。そんなもん、稜線に出たときに外せよ。
 その彼らのハーネスには、1人7〜8枚もカラビナがぶら下がっていた。そんなにいらん。
 その割にはシュリンゲを持っているやつがいなかったのだが・・・ザックに仕舞ったのかな。シュリンゲだけ?ハーネスは着けたままなのに?
 しかも彼らは、そのままのスタイルで折立に下山していったのだった。ハーネスを装着して石畳の道を降りていく彼らの姿は、かなり違和感が炸裂していた。
 ちょっと小屋内で噂のタネになっていたのだった。

 余談2

 東南稜分岐で、頂上から下山途中の家族連れとすれ違った。
 その家族連れは、昨夜は太郎小屋に泊まっていたので3人の子供のうち真ん中の女の子がたいへんハキハキしていて可愛い子だなという記憶はあった。
 その後、下山途中に薬師平の下で追い抜き、私が太郎小屋で休んでいる間に先に下山を始めたので折立の直前で再び追い抜いた。
 その時、挨拶して追い抜くとその真ん中の女の子(小学校3年生なんだそうだ)が決まって私に張り合うようについてこようとするのである。
 2回目に追い抜いたときはとうとう折立までついてきてしまった。なんというか、えらく覇気のある子であった。
 でもね、知らないおじさんについてっちゃダメだぞ〜

 余談3

 今回はいつもの沢靴でも最近めっきり登板機会が減った安物トレッキングシューズでもなく、ガルモントの冬山用登山靴で行った。
 というのは、安物トレッキングシューズのミッドソールがもう限界に近く、いつソールが剥離してもおかしくない状態だったことと、たまに冬靴を履いて足慣らしをしておかなくてはと思ったからである。
 実際安物トレッキングシューズは、立山では普通に履いていて上手くいけばもう数回の山歩きには耐えそうな気もするのだが、マイナスドライバーでもミッドソールにねじ込めば、もうソールを剥がすことができそうなくらいの状態である。
 そもそも、考えてみれば当たり前の話なのだがミッドソールが剥離寸前にまで劣化しているということは、その本来の機能である衝撃吸収能力ゼロに近い程度にまで低下しているということである。履いてあるけばはっきり判る。歩き心地がすこぶる悪い。普通に履いて立ったときの踵の位置まで少し下がっている気がするくらいである。

 で、ふと不思議に思ったのだが、「山歩きの最中に突然ソールが剥離する」という事件は山では日常茶飯事に起きているのだが、その靴はそのかなり前から新品時とは比較にならないほど歩き心地が劣化しているはずなんである。なんで気がつかないで剥離してしまうまで履くのだろう???

 それはともかく、冬靴で夏道を歩くのはハードであった。
 なんせソールがまったく曲がらない。この靴はカーボンフレームまで入っていて「意地でも曲がらないもんね」というソールなんである。しかも最近の靴は爪先が少し上がっているソールが多いのだが、この靴は見事にフラットである。アイゼンを装着している状態しか想定していない靴である。
 従って普通の道を歩くと後ろ足の蹴り上げに爪先や足首を使えず、モロにふくらはぎに負荷がかかる。
 段差があって急な上り下りやザレ場はまだそれほど違和感がなかったが、木道や石畳の道などのフラットな路面をこの靴で歩くことは、まさに苦行であった。
 おかげで久しぶりに脹ら脛が激しい筋肉痛に襲われている。下山してきた日の夜から始まり、2日後の今日もまだ痛い。
 第一歩いていてちっとも楽しくないんだよな〜。白馬の雪渓ではあんなに楽で歩きやすく、楽しい靴だったのに。
 ま、この靴は足慣らしも雪の上でやらないと、という靴なんだろう。

 普通のトレッキングシューズが欲しいな。
 まあ、登板機会が少ないのでなかなか買いにくいのだが。黒部源流はずっと沢靴だけだし、トレッキングシューズなんて夏の家族連れ立山くらいしか履かないから。

 余談4

 上の方で「あまりにマニアックな写真なので掲載は見送る」と書いたけど、やっぱり載せてみることにした。

薬師沢左俣

薬師岳への尾根から見た薬師沢左俣の連瀑帯 (480mm相当)

 1枚目は薬師平から薬師岳山荘に登る尾根の途中から見た薬師沢左俣である。
 この薬師沢左俣という谷、出合いからこの連瀑帯までひたすら単調な河原歩きが続く。そしてこの写真に写っている連瀑帯を抜けると、再び源頭まで単調で長い河原歩くが続くのである。
 なのでこの谷、連瀑帯は楽しめるのだがその前後があまりに退屈なので、普通「沢登り」の対象にはならなず、釣り師が魚留めの滝(写真中央やや下に見える斜瀑)まで釣り師が入るか、あるいは赤木沢からの下降路に利用される程度なのである。
 ちなみにここでいう「楽しめる」とは、恐怖と緊張で顔が強張りながらもどこからか「うぇヘヘヘヘ」という不気味な笑い声が聞こえて、「だ、誰ぢゃ!」と思ったら自分の笑い声だった、という類の変態ちっく「楽しめる」ではなく、昼食後の腹ごなしにロープも何も持たずに丸腰で出かけ、滝やゴルジュの壁を「うぇへへへへ」とヘラヘラ笑いながら遊ぶ時の「楽しめる」である。(どっちにしても変態ちっくという抗議は却下)

 そんなわけでやたら長いドマイナーな薬師沢左俣のほんの短い「楽しめる」部分が、ここから一画面にちょうど収まるように見えている、という点がこの写真の「おもしろさ」なので、まあ誰にも判るまい・・・あまりにマニアックで掲載をためらった所以である。

 ちなみにこの魚留めの滝の直下に人が写っているんである。等倍表示してもすぐには人と断言できない程度なのだが、何枚か撮った写真で移動しているので人と判る。
 それにしても、この日に薬師沢左俣に入渓した登山者がいる、という情報は小屋では把握してなかったはずなのだが。宿泊者でないとすると、幕営者かあるいは闇テンか。
 それもこんな谷に何しに入ったのかが謎である。釣り師かなぁ。でも10月から禁漁なんだけど。

薬師座竹から高天原

薬師岳から高天原 (84mm相当で撮影、トリミング)

 この写真もマニアックである。

 写真の右端、尾根の影に入るぎりぎりに見えている草原が高天原である。
 ただ、小屋とその横の湿原ではない。おそらくその湿原に出てくる直前あたりである。昔のテント場(といっても判らない人がほとんどだろうけど)の反対側の斜面あたりが見えている。
 画面中央の紅葉した谷の右手の丸い尾根が下りきった影あたりに高天原山荘がある。
 画面左端近くにナメ滝が見える。温泉の手前で見える滝である。この写真ではさすがに見えないが、等倍で見るとこの滝の下の草原状の斜面に、山荘から温泉に行く道が見えている。
 その右手に大東鉱山跡も見えている。等倍で見ると洞穴の入り口まで見える。
 画面中央下の荒れた沢は温泉沢だが、温泉はもっと上流である。左端のザレが温泉沢左岸のザレで、このあたりが温泉のはずである。
 というわけで、非常に情報量が多い写真なのであるが、しょせん超マニアックな写真ではある。

薬師見平候補?

薬師見平の西方、1974m付近

 スーパーマニアック写真その3である。
 高天原新道開通当時のオリジナルの薬師見平候補地である1974m標高点付近である。
 池はさすがになさそうだが、見る限りは笹の原っぱでそれなりに「なんとか平」という名前が付いてもおかしくなさそうな場所である。

 ここに高天原新道が通っていたのだろうか?

 

 

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