昔々描いたルート図3枚
ぜんぜん関係ない別の物を探していて、とんでもないものを見つけてしまった。
昔々に遡行した黒部源流域の沢の遡行図である。昔はこんなものをきちんとつけるほど律儀だったんだなぁ。
あまりに懐かしいので載せてみることにした。ただし、なんといっても20年以上前に描いたものなので、くれぐれも遡行の際の参考になんかしないように。
ちなみに同時に山小屋でバイトした時の日記も出てきた。まあ書いていることはともかく、毎日食数(夕食、朝食、弁当の数)を付けていたので、今見ると面白い。ただ86年だけしか出てこなかったのはちょっと残念だが。87-88年の方を読んでみたかった・・・
一応、日付順に並べてある。
赤牛沢 1984.8.25遡行 |
まず赤牛沢である。これは単独で遡行している。
別にロープの確保が欲しくなるようなやっかいな場所はなく、ほとんど全ての滝を直登でさくさく登った記憶がある。というより谷そのものよりも、水が切れてからのガレ場が長かったような・・・
下流の大崩壊地を高天原新道が横切っているが、当時既に廃道になって久しかった。その3年前の1981年に、当時高校1年生だった私は、高天の小屋の大山さんに連れられて高天原新道をこの赤牛沢まで来ている。その時はもう既に廃道になって久しく、湯ノ沢から先は道なんてなかった。
ただ、この赤牛沢を横切るところは笹ヤブの中に微かに踏み跡が見えていた。このあたり、ルート図には「大崩壊地」などと書いているが、河原への土砂の押し出しは凄かったが、両岸は傾斜の緩い笹ヤブで今から思えばたいしたことはなかったのだ。
今年、21年ぶりにこの場所を横切ったのだが、両岸30-50mはえぐられたように崩壊していて、ロープを使わなければ降りることができなかったくらいである。当然、高天原新道もどこをどう横切っていたのやら、もうさっぱり判らない。その下にある小滝群も、全て土砂で埋まっていた。
大崩壊地の上にある、小岩稜沿いの滝は今回も見えていたが、あの上流は今どのようになっているのだろうか・・・
ちなみにこれは、赤牛岳で叱られた事件その2の時のものである。
赤木沢 1984.8.29遡行 |
次は赤木沢である。上の赤牛沢の4日後である。
初めて赤木沢に行った時に付けたもので、この時はどこまでもまっすぐ沢を詰めて中俣乗越に出てしまった。
その後、太郎のバイトの案内、イワナの会の移植放流等で数え切れないくらい赤木沢には行っている。どんなに少なく見積もっても10回以上は行っていると思う。
ちなみに赤木沢の遡行で最も技術的に難度が高いのは、赤木沢そのものではなく黒部川本流である。本流に3mの滝と小さなゴルジュ記号が描いてあるが、実はこのゴルジュの突破が最も難度が高い。といってもせいぜい膝上くらいの徒渉を2回ほどやれば突破できてしまうので(今年の7月に散歩に行った時は腿くらいまであった)、別にたいしたことはないのだが。
今年(H17)の7月、久しぶりに赤木沢の出合いまで散歩に来て、このゴルジュに巻き道が付いていることに驚いた。ここを巻くか??
それなりに壁の高さもあるし、巻けばけっこう時間もかかるし大変だと思うのだが・・・
この程度のゴルジュの徒渉中に万一流されてしまってもまず死にはしないが、高巻きの最中に落ちたら死ぬよ。
ちなみにこの3mの滝も、当時から左岸に立派な巻き道が付いていた。でも私はその存在を知らず、毎回右岸の壁を直登していたのだった。別にそれほど難しくはないのだけど、出口がちょっと被っていてしかホールドが細かく、少ししょっぱい。ここを素人の女の子を、確保もせずに登らせていたのであった。
この滝は、今年来てみたら残置ピトンが1本打ってあった。確かに「ここにホールドがあればすごく楽なのに」と思う場所に。
岩苔小谷 1986.9.8-9.9遡行 |
3枚目は岩苔小谷である。初めて遡行した時に付けたルート図である。
この時のメンバーは高校時代の山岳部仲間3人。他の2人もこの年は太郎小屋チェーンでバイトしていたのだった。
この年は上に書いた「バイト日記」によると、8/31にバイトを終わり、一旦下山している。でもそれから1週間後の9/8にはもう既にこんなとこに来ていたりする。
確かこの時は、薬師沢の小屋から黒部川本流を下降して岩苔小谷を遡行し高天原の小屋で泊まった。で、翌日は高天の大山さん夫婦とバイト(というか既に居候)数名、さらに三俣の女の子までいて総勢8名で小谷の上部ゴルジュを覗きに行ったのだった。
上手く遡行できれば私を含めた前日の3人は小谷を遡行し、大山さん達5人はゴルジュを巻いて上流の湿原に遊びに行く、という予定だったのだが、入り口の滝を越えることができず、結局みんなでゴルジュごと高巻くことになってしまった。
この入り口の滝は去年高天原に行った時に写真に撮ってきた。これがその写真である。
当時はこの滝の手前にバカでかい大岩がゴルジュに挟まっていた。このチョックストンを越えることができなかった。
高巻きもけっこう激しいヤブであった。途中のルンゼから一度谷に降りてみたが、上下ともほとんど手の着けようがなかったので大人しく湿原探検隊に合流したのであった。
ちなみに岩苔小谷大滝の写真はこれである。これはこの次の年に、当時薬師沢小屋の小屋番だった小池さん(現在は高天原山荘の小屋番)と行った時に小池さんに撮ってもらった写真である。
その次の年も、また別のバイトの人と行ったので、この岩苔小谷は3回行ったことになる。
最初にこの3人で行った時に大滝を巻いたルートは、それはそれはヤバイルートだった。下手にコンパクトに巻こうとしたのが仇になった。特におそらく雪崩が通った跡で60m下まですっぱりと切れ落ちた斜面を、手首まで入る苔だけをホールドにトラバースした場所は、3人とも無事で通過したのがラッキー、と思ったくらい際どかった。ザイル持ってなかったし。今もう一度行ったら、今度は生きて帰る自信がない。
これほど際どい目に遭ったくせに、その後もやっぱりザイル持たずに通ったのであった・・・毎回、「今度は持っていこう」と一度はザックに入れるのだが、いつもザイルを出してビールをザックに入れてしまっていたなぁ。