平成16年9月18〜22日 高天原
9/18 | 07:10 | 折立 発 |
08:00 | アラレちゃん通過 | |
08:20 | 三角点 通過 | |
10:00-11:25 | 太郎平小屋 | |
13:30 | 薬師沢小屋 着 | |
9/19 | 11:10 | 薬師沢小屋 発 |
11:40 | A沢 通過 | |
11:50 | B沢 通過 | |
12:20 | C沢 通過 | |
13:30 | 高天原峠 通過 | |
14:10 | 高天原山荘 着 | |
9/20 | 10:00-14:30 | 温泉沢〜岩苔小谷 |
9/21 | 07:15 | 高天原山荘 発 |
07:50 | 高天原峠 通過 | |
08:55-09:05 | 雲の平山荘 | |
10:40 | 薬師沢小屋 着 | |
9/22 | 10:00 | 薬師沢小屋 発 |
11:30-12:40 | 太郎平小屋 | |
13:40 | 三角点 通過 | |
14:30 | 折立 着 | |
2.5万図 「薬師岳」 |
先月、息子を連れて薬師沢に行った時、台風接近中にも拘わらずギリギリで雨を避けることができた。
これでこの2シーズンの間でのこの界隈での雨ヒット率は以下のとおりである。
時期と場所 |
パーティー |
天 候 |
雨ヒット率判定 |
H15.6 薬師岳 | 単独 | 曇り 下山途中から雨 | ぎりぎりセーフ |
H15.8 薬師沢 | 単独 | 2日目以降雨 大増水と鉄砲水 | アウト |
H15.9 高天原 | カミさんと2人 | 初日だけ雨 以降晴れ | セーフ |
H16.7 薬師沢 | 単独 | 晴れていたが雷に遭遇 | アウト |
H16.8 薬師沢 | 大と2人 | 台風接近中だが曇り 下山直後に雨 | セーフ |
つまり、私単独時での雨ヒット率は2/3の75%である。薬師沢まで入ったときの雨ヒット率は実に100%である。しかもただの雨ではなく、大増水に鉄砲水、雷とロクな目に遭っていない。それに対し、カミさんと高天原に行ったときは前週からの予報はロクなものではなかったのにも拘わらず、行ってみればこれ以上ないくらいの好天下の秋山を楽しむことができたり、大と薬師沢に入ったときは台風が接近していたのにも拘わらず、山にいる間は天候が保ち、折立に下山するのを待っていたかのように雨が降り出すというラッキーぶりだった。
つまり私はよ〜っぽどの雨男なのか?
というわけで、この山行で私の真価が試されているのであった。
前週からの週間予報は、最初初日は曇りで19日は晴れ、20日の月曜日が雨マークとなっていた。以降曇りである。まあまあじゃないのよ。
ところがこの週間予報、日を追うごとに悪化していき、入山全日での予報はついに全日雨マークとなってしまったのであった。それを見てカミさんが笑うったら。
だがこの連休、23日からの後半は生の保育所の運動会に町の健康マラソン大会の役員と用事が詰まっているので日程を動かすこともできない。それに合わせて土日出勤日を25日にしてもらって21-22日に強引に休みを取ってしまったことだし。
だから行くしかないのである。
実は今回は4泊もあるので、そのうちの1泊くらいは雲の平でテント泊にしようと思っていたのであった。まだ雲の平で幕営したことがなかったし。
だがその目論見も出発間際の予報を見て儚くも潰えたのであった。テント泊なら防寒具も充実させなければと極薄のダウンジャケットも買ったのだが、悔しいので持っていきはしたものの、小屋泊まりではほぼ無用の長物(軽いけど)となるのは明らかだった。
ともあれ、いつものように折立から出発。天候はどんよりとした曇り。
いつも薬師沢に入るときは小屋のスタッフへの土産を持っているので荷物はさほど軽くならないのだが、今回は高天原まで行くつもりなので(天気が良ければ)土産も多いし、沢歩きもするつもりなので(天気が良ければ)着替え類もいつもよりやや多い。なのでけっこう一人前の重さである。
9月とはいうものの、連休ということもあってか駐車場に停められている車の数はけっこう多い。歩き出してもけっこうな数の登山者が前を歩いている。
太郎小屋に上がると今日はヘリの日だった。
荷揚げ(実は荷下げ)作業中 |
・・・ま、「ヘリで降りる」のは今でも実現可能なのだが・・・したくないけど。
太郎小屋で聞いた話によると、2日前から大山町のイベントで40数人が山に入っているらしい。雨続きで大変だったらしいがその団体が今朝6時に高天原を出発して太郎に向かって行動中なのだとか。
すると昼前に薬師沢小屋で大休止して今まさに太郎に向かって行動中だろう。40数人もの団体と足場の悪いところですれ違ったら面倒なので、どこか広いところですれ違えるようこちらの行動を調節することにする。第三徒渉点を過ぎたところのベンチでしばらく時間を潰していると、果たしてやってきた。これは計算通りとほくそ笑んだのだが、全員がまとまって行動していたわけではなかったのでやっぱり高巻きの足場の悪いところでも20人くらいとすれ違うハメになった。それでもみんな「大勢で済みません」と恐縮しながらやってくるし、最後尾の人は「私で終わりです」とか「後にまだ10人ほど来ます」などとちゃんと申告してくれたので、思ったほどのストレスにはならなかった。
薬師沢は今シーズンでもう3回目。いつものメンバーでいつものように仕事していて、もはや取り立てて書くことすらないくらいである。
ただ、宿泊客が50人弱とこの時期にしてはかなり多く、やはりありがたがられたのであった。9月に食堂2回戦である。
去年のこともあるし今回も天候はあまり期待できず、もしかしたらまた景気よく増水するかも、とチラッと思ったので、とりあえず吊り橋の上から「平水時の写真」を撮っておくことにした。すると小屋の前をヘルメットをザックにぶら下げたいかにも「赤木沢に行きます」って感じのパーティーが太郎方面から降りてきた。見ていると小屋の前を素通りして吊り橋手前から上流方面への河原に降りていく。違反テントである。
上流に向かう闇テンパーティー |
小屋に戻って小屋番の坂本氏に「えらく大勢行ったよね」と言うと、パーティーの1人がビールを買おうとして小屋に入りかけたが、「どちらに行かれますか?」と声をかけたらビールも買わずにそのまま無言で立ち去ったそうである。
その後、太郎からの無線でそのパーティーの身元が判明した。意外にも地元の山岳会であった。ちょっと情けない。
ちなみに薬師沢小屋前から重量の河原に降りる場所には、下の写真のような立て札が設置されている。
闇テンパーティーは全てこの立て札を読んでいるはず |
ま、川の中で好適地を探して幕営する(またはビバークする)のが沢登り本来の姿なのは間違いないのだが、少なくとも黒部源流はもはやそれができる場所ではなくなっている、という認識は、地元山岳会であればなおさら持っていて欲しいと思うのだが。
闇テンパーティーの件はともかく、その晩は夕食数も多くしっかり働かせていただき、土産で持ってきた焼酎のボトルをあらかた自分で飲んでしまったのであった。ほんとは高天に持っていこうと思っていたのだが、重かったのでここで開放してしまったのは内緒である。
翌19日。
天候は昨夜から朝にかけてけっこう降っていたらしく、水量がやや増えていた。朝のうちはやはり小雨がぱらついていたが、予報ではなんとこの先好転するらしい。となると高天に行かない手はなかろう。
というわけで高天に行くことにしたわけだが、全日の宿泊者が多くきっちり全室使っていて私が従業員用スペースに寝ていたくらいなので、部屋掃除にもやや時間がかかった。にも拘わらずきっちりティータイムまでこなしてから出かけたので(いつものことだが)、出発したのは午前11時を回っていた。
午後から天候が良くなるという予報ではあったが、天気予報も日替わりであまり当てにはならないし、出発したのが遅かったこともあってとにかく飛ばす。
大東新道A〜B沢間のルート状況は基本的に去年と同じだった。
ただ、流れが多少変わっていて雲の平側を流れる水量が減っていて、比較的容易に(と言っても膝下くらいの水中飛び石)中州に徒渉できそうだった。来年になればもっと流れが薬師岳側に戻り、中州ルートが復活するかもしれない。大東新道ルート詳細の@〜Aの部分は膝下程度までだったが楽に水中を行くことができた。増水後で水量は平常時よりやや多かったことを考慮すると、中州の雲の平側の水量はかなり減っていると判断して良さそうである。
また、Dのチェーンハシゴの下降地点も去年は水中だったが、今年は完全に水の上だった。これは小屋関係者が下降地点に石をたくさん置いて高くしていたこともあるだろうが。
ただ、Cの壁に登る補助ロープの位置がやや下流側に振られていた。(写真で言うと奥)
これだと壁が完全に立っているしホールドも細かいので、わずか3mほどだが3動作ほどの「普通にV級」程度の岩登り動作になってしまう。それだと補助ロープは持つと却って危険である。
補助ロープの取り付け位置が去年(すなわち写真)とはやや異なる位置に変更されたため、何かのはずみにこのやや難しい位置に振れてしまったのかもしれないが、どちらにしても自分で登りやすいルートを見つけてロープを移動させるくらいのルートファインディング能力は必要だろう。
来年か近い将来、中州に容易に徒渉できるようになるとA〜B沢間は劇的に楽になるが、水量が多いときのためにこの壁沿いのルートは残されるだろうし、その時には「中州と壁沿いのどちらを選択するか」という判断も必要になるわけである。そういう意味ではこの道は、的確なルートファインディング能力が要求される、「一般ルート」としてはやや難易度が高いルートだと思う。
ちなみに去年開拓された「大高巻きルート」は、崩壊のためあっけなく消失したそうである。こんなことなら1回くらい通っておけば良かったかも。
と書けば長いが、実際はそんなに丁寧に分析しながら歩いていたわけではない。快調に飛ばしていてA〜B沢間も一瞬のうちに通過していたので、この件は後から思い出しながら書いていたりするのであった。
その後、大東新道鬼門のB〜C沢間のきつい登りもペース配分が上手くいき、快調に飛ばして3時間で高天原に到着した。
高天原峠付近からの赤牛岳(左奥) |
高天に着けばなにはともあれ温泉である。
ビール片手に温泉まで下りのんびりと温泉に浸かっていると、最初は私の他に1人しかいなかったのが続々増えてきた。
私は最初からいた人といろいろ話をしていたのだが、他の人の会話を聞くともなしに聞いていると「大東新道がきつかった」という話がいくつか聞こえていた。
A〜B沢間の補助ロープを持ったまま滑落して肩を脱臼した人もいたらしい。他の人も河原部分のルートファインディングに神経を使わされてきつかった、と言っていた。
確かに河原は流れがしょっちゅう変わるので、流れの中に取り残された赤ペンキマークなんてのも散見されるし、平水時には不要の高巻きルートの入り口にもマーキングされていたりするので、単に赤ペンキマークを追っていくだけの人にはちょっと辛いかもしれない。考えようによっては河原歩きほど迷わないルートもないので(川の流れというこれ以上ない道標が常備されている)、馴れてしまえば楽なんだけどね・・・
また、実はこのあたりの山は、登山靴では歩きにくいのである。河原歩きの場合、水中の岩の方が安定している場合が多いので、大東新道の薬師沢小屋〜B沢間全体的に、積極的に水の中に入った方が断然歩きやすい。A〜B沢間はその傾向が顕著で、ルートどおりに岩場をへつるよりも壁下を膝下くらいまで水に入って通った方が早いし、何より中州に徒渉してしまえばそれが一番楽である。
また、このあたりの山は河原だけでなく木の根が露出した樹林帯の道が多く、この濡れた木の根も登山靴では非常に滑って歩きにくい。
極めつけは木道である。太郎〜薬師沢間の多くの部分や雲の平の大部分、それに今年は高天原にもかなりの区間で木道が新設された。この木道、雨などで濡れるとスケートリンクのようによく滑る。登山靴ではかなり危険である。高天原や薬師沢付近一部の架設年度が新しい木道は、濡れても比較的滑らないような処理がなされているが、古い木道、薬師沢の大部分や雲の平では最悪である。
なのでこのあたりの山は、比較的「登山靴が苦手とする」タイプの道が多いのである。
私は去年からこのあたりの山を歩くときは、沢登り用シューズのページで触れたキャラバンのCA-4という靴で歩いている。これは河原歩きでは濡れた岩でも乾いた岩でも無敵のグリップだし、濡れた木道でもしっかりグリップする。当然濡れた木の根もあまり気にしなくても良い。
欠点は、形状がほとんど普通の運動靴なので、足首のホールド性はゼロに近い。よって岩稜地帯の下りなどは非常に神経を使う。この界隈の山で言えば、太郎から折立への下りのうち、三角点から上部の道がかなり神経を使う。油断するとすぐひっくり返る。樹林帯でも靴自体のグリップは調子良いのだが、足首のホールドが弱いので下り自体、気を遣って歩かないとすぐひっくり返ってしまう。あ、太郎から薬師沢第一徒渉点への尾根道の下りも嫌である。
ま、ローカットシューズなので下りでは注意しなければならないのは当然なのだが、それでもトータルでこの界隈の山を歩くには登山靴よりよほど歩きやすいと思う。
ま、それはともかく高天原山荘の今夜はこの時期にしてはやや宿泊客が多かった。食堂2回戦であった。なんか私がお客を集めながら歩いているような・・・
高天原山荘 |
今年の高天原山荘は、小池さん夫婦は相変わらずなのだがバイトに松村君という新しい顔が入っていた。噂どおりなかなかの好青年であった。
仕事の合間を縫ってこのあたりの山はあらかた歩いてしまったとか。
その彼と岩苔小谷の上部ゴルジュの話をしていて、彼は部分的に高巻いたものの突破したのだとか。ええ〜っ??と内心かなり驚いた。
だって岩苔小谷の上部ゴルジュって、現役バイト時代に一度覗いたことがあるが、完全な廊下で最初の滝すら越えることができず、ぜんぜん手も足も出なかったんだけど。(この話は他にちょっと書いている)
これは私の記憶が違うのか、はたまた渓相が変わってしまったのか、是非とも見てみなくてはなるまい、と内心思ったのであった。
この日の夕焼けは、去年カミさんと来たときほど赤くはならなかったが、それでも綺麗だった。
夕焼けの水晶岳 |
この写真、去年撮ったカミさんと香春さんが写っている写真とほぼ同じ画角である。わざわざ意識してそうした。
実際、去年の写真は空は快晴だったのだが空の青は飛んでしまっているのに対し、今回の写真は雲混じりだったのにも拘わらず辛うじて青が残っている。やっぱカメラの実力の差ということなんかね〜。(ちなみに去年の写真はSonyのS85)
ちなみにこの上の写真、RAWで撮影した上でけっこう時間をかけて現像処理をした。よって水晶岳の夕焼け色なんて実物より遙かに綺麗である。こんなに焼けてませんでした。写真のウソというやつである。
というわけで翌20日。
空模様は雲がなんとなく多いが予報はなんとか1日保ちそうである。ただし翌21日ははっきり悪い。うーん、どうするか。
22日には下山していなくてはならないので(23日に生の保育所の運動会が・・)、21日は薬師沢まで移動している必要があるだろう。ま、高天から1日で下山できないことはないが、やっぱり薬師沢小屋でもう一晩飲みたいし、天候悪かったら1日下山も難しい。
が、その21日の天候が悪いというのであれば、今日のうちに薬師沢まで移動しておくのが賢いのではなかろうか・・・などといろいろ考えているうちに移動する気をなくしてしまった。せっかく高天に来て日程に余裕があるのにどうしてたった1日で去ることができよう??
つーわけで、朝の部屋掃除を終わってティータイムになる頃には、「今日は停滞」と決めてしまった。松村君が「赤牛にでも行ってくるんですか?」なんて聞いてきたが、そんなガツガツ歩くほど若くはないのよ。な〜んにもせずにここ高天でボケッとしていることこそが無上の喜びという境地に至っているんである。ここに来て1日停滞と来れば、行く場所は決まっているだろう。温泉である。
というわけで温泉へ。
といっても温泉で1日過ごすとさすがに湯あたりしそうなので、まず別のある「秘密の場所」にちょっと寄ってから温泉に着いた。それでもすぐに風呂に入る気はしなかったので、とりあえず温泉沢を上流へ。どこまで行くというあてもなく、てくてくと沢を詰めていった。
温泉沢は昔はもう少し狭くて陰々滅々とした沢だという記憶があったのだが、なんだかやたら広い。部分的に狭くなっていてはいるのだが、そのうち呆れるほどだだっ広い河原に出た。中州までできている。こんなとこ、昔はなかったぞ。
この膨大な石は、川の左右に崩壊地がないので全て源流の赤牛岳の稜線から運ばれてきたものなのだろう。見上げる温泉沢左俣の斜面がかなり崩壊が進んでいる感じである。この広大な河原のすぐ下で沢が狭くなっていて、押し出されてきた土砂が全てこの河原に留まっているために、こんなに広くなってしまっている感じである。これらの土砂がもっと下まで押し出されてくると、すぐに温泉なんて埋まってしまいそうである。
温泉沢から見上げた赤牛岳付近の斜面 |
この上の写真を撮った場所で、しばらく放心状態でボケッとしていた。クマでもいないものかと望遠レンズを双眼鏡代わりにして探してもいたのだけど。とにかく静かで頭が空っぽになった。
温泉に帰るとおっちゃんが1人で風呂に入っていた。
さっそく私も風呂に入り、なんとなくああだこうだとおっちゃんと話していた。おっちゃんが「ここは良いところですね〜」と言うので、竜晶池(夢の平)に行ってみることを勧めてみた。もっと良いよん。
しばらくしておっちゃんは竜晶池に行ってみると風呂を出ていった。私は風呂に入りながら松村君に分けてもらった酒を飲んでいたのだが、やはり入浴しながらの飲酒はちょっと効いたのか、1合くらいしか飲んでいないのに風呂場で転んで掌を怪我してしまった・・・
のぼせてしまったので風呂から出て、さあどこに行こう。
竜晶池にも行ってみたかったのだが、さっきおっちゃんが向かったのでパスしておくことにした。静寂もあの場所の大きな価値なので、せっかく1人で浸っているところに私も行ってしまうとお互いにちょっとがっかりしてしまうから。あの場所の定員は1人なんである。
というわけで、昨日松村君と話してから気になっていた岩苔小谷上部ゴルジュを覗いてみることにした。
温泉沢を今度は下流にてくてく下る。上流とは対照的に下流は両岸の崩壊が激しい。これだけ両岸から土砂が来ているのに、流れが濁っていないのはちょっと不思議である。30分ほど下降すると岩苔小谷との出合いに到着。そのすぐ上が上部ゴルジュの入り口である。
岩苔小谷 上部ゴルジュの入り口 |
覗いてみて驚いた。ぜんぜん記憶と違うぞ。
1つ目の滝はこんなに広くなかった。それに滝の上のゴルジュももっと狭かった。
高校の同級生の堀田とここに来たときは、1つめの滝をチムニー登りで登ろうとして何度も淵に落ち、ようやく滝上に顔だけ出したら河原のない完全な廊下だったので諦めて再び淵にダイブしたんである。その後、右岸の壁を高巻きしながら覗き込んだり懸垂で少し降りてみたりもしたが、ほぼ数100mに渡って完全な廊下だった。それがなによ。滝上には大岩がゴロゴロと・・・
私が持っている日本登山大系の初版本では、この岩苔小谷の上部ゴルジュは「水量が多い上に釜が大きく、とても沢通しの遡行は不可能である」と書かれているので、私の記憶違いでもあるまい。両岸が崩壊して広くなってしまったのか。
まあこの様子なら、登山経験が全くなかったという松村君が単独で突破できてしまったのも頷ける。この写真の滝を抜けるのはそれほど苦労しない感じである。
まあ別に遡行するつもりで来たのではないので(そのうち・・・)温泉沢を登り返しながら記憶の糸を辿ると、あのやたら狭かった1番目の滝は、ゴルジュにバカでかい岩が挟まっていたチョックストンの滝だったということを思い出した。この滝の釜のすぐ下の一番狭いところにすっぽりと大岩が挟まっていて、それをチムニー登りで登ろうとしていたのだった。
登り返すときは温泉まで登るのが面倒だったので、少し下の枝沢に入った。思ったとおりナメ滝の沢で、少しショートカットできたのだった。
高天原山荘付近の紅葉 |
写真は高天原山荘近くの紅葉。
ナナカマドなどの「赤系」の紅葉は綺麗なのだが、黄色系の色はやはりもうひとつである。
夕食の時、小池さんと話しているうちに小池さんもチョックストン滝の存在を思い出した。
あと、いろいろ話していて岩苔小谷大滝の話になったのだが、今は魚止めの滝から大滝の高巻きまで、踏み跡らしきものは付いてしまっているのだそうだ。つまんね〜。私が行った頃は魚止めの滝を越えたところに焚き火の跡があった以外は人の痕跡なんて皆無だったのだが。
大滝の高巻きルートは、私は左岸コンパクトルートと左岸大高巻きルート、右岸ルートと3通り試してみて2番目の左岸大高巻きルートがベスト、という結論に至ったのだが(別のページで書いた)、今じゃ左岸ややコンパクトルートなるものが存在しているらしい。踏み跡があるんだそうだ。へぇ。誰が付けたんだろう。小屋関係者ではないらしい。小池さんも私と行った後は1人か2人連れていっただけだと言っていたし。やはり志水哲也氏なんだろうか。
それはともかく、高天原の夜は早い。
薬師沢では10時や11時まで飲んでいることなど珍しくはなく、午前様になることすらあるのに、高天では9時になると「すげぇ深夜」という雰囲気に充ち満ちている。静かすぎるんだよな、ここは。飲むには不向きな小屋である。まあその代わり、3時くらいから仕事しながらチビチビ飲んでいるんだけど。
香春さんが「この小屋で働いていると(神様に)見られている気がする」と言っている。それはとってもよく判る。同感である。
なので私は、たまにしか神様が見ていない薬師沢の方が暮らしやすい。
翌21日。
夜半から屋根を激しく叩く雨の音で何度か目が覚めた。やっぱりなぁ・・・
朝の天気予報では「曇り後雨」である。それも前線が通過する影響で「ところにより雷」ときた。雷、である。この雷、というタームに私は反応した。なんせ雷ではつい最近、恐ろしい目に遭遇したばかりである。
まず雲の平で雷に捕まったら非常に嫌だ。あんな平坦な場所でハイマツ帯の中で雷に捕まることなんて考えたくもない。
また、前線が通過するということは、激しい雨が降る可能性があるということで、それによって黒部川が増水してしまったら大東新道はもちろん、雲の平から降りてきても薬師沢の小屋に辿り着くことはできない。ま、その場合は待機していればいいだけなので雷に捕まるよりはずっとマシであるが。
いずれにしろ、こいつはさっさとズラかるのが得策だろう。(しかし・・・ズラかってばかりなんだけど)
そんなわけで今日ばかりは部屋掃除の手伝いを免除してもらい、朝食が終わってすぐ出発することにした。ルートは雲の平まわり。
出発する直前まで断続的に雨が降っていたのだが、出発するときは止んでいた。ただ、低く雲がたれ込めて暗い。
小池さんに挨拶して出発。雨具は着るつもりでスタッフバッグから出していたのだが、出発直前に雨が止んだのでザックの中に入れ直した。カメラはもちろん、衣類の防水対策も念入りにパッキングした。
高天原峠前後で相次いで数パーティーを追い抜いた。みんな雲の平周りで薬師沢小屋というルートだったので、今日の予報を伝えて「雲の平山荘で状況を確認した方がいいですよ」と言っておいた。
天候はまだ高天原峠あたりでは視界があるのだが、コロナ尾根の上部あたりではガスの中。おまけに風がめっぽう強い。
もう完全に「スピードは安全」モードで歩いていたので、高天原の小屋から雲の平の小屋まで2時間かからずに到着した。これは我ながら早い。
雲の平山荘付近ではガスで視界は50m以下。なんせ木道から小屋が見えなかったくらいの視界。おまけに降ってはいないものの、やたら風が強い。こんな中、Tシャツ1枚で歩いていたんである。雲の平の小屋でとりあえず「太郎の居候が高天から薬師沢に移動してます」という挨拶をし、後から同じコースを歩く人が4人来て、彼らには小屋で状況を確認するようにと言ってあるので、ということを伝えた。
休んでいきますか?と言われたが(20数年ぶりに雲の平山荘の中を覗いたが、えらく小綺麗になっていて驚いた)、休むと身体が冷えてしまうしともかく雨が降る前に薬師沢の小屋に行きたかったので、そのまま再び歩き出した。
相変わらず視界はほとんどゼロ。風が強い。
雲の平をどんどん歩くと、少し標高が低くなって雲の層の下に出るのか、時々薬師岳方面が見えてくるようになった。黒い雲が頭上すぐ上に一面に張り付いていて、まるで天井のようである。
すれ違った夫婦が、薬師岳が見えると感動していた。東南稜の下の部分しか見えていないのだが、それですら呆れかえるほどの巨大な姿である。写真で見るとなんてことないんだけどね。実際に見るとあの巨大さにはいつも圧倒される。
いよいよ樹林帯に入り、あの悪名高き急降下である。苔生して滑りやすい岩が無造作に積み重なり、幾多の登山者の呪いと罵倒と恨みを受けてきたこの道も、この靴ならわりと楽に歩けるのである。ますますペースは上がり、この分では10時過ぎには薬師沢の小屋に着ける、と確信したのだが・・・
だんだん晴れてくるんである。
最初は単に雲の下に出たから視界が開けたのかと思ったのだが、よく見ると青空まで見えだした。なんじゃこりゃ?しかもどんどん天気は良くなっていく。青空が広がるにつれて私の足取りは重くなっていった。今頃雲の平は綺麗だろうなぁ・・・
雲の平の下りからの太郎平小屋 |
雲の平の下り、もうほとんど薬師沢の小屋近くまで降りてきたところから太郎の小屋が見えた。(天気が良ければ雲の平からも見える)
最近パターンになりつつある「超望遠ネタ」写真をまた撮ってみた。人がいれば完全に写る。
一番左の建物が今年できたバイオトイレである。
小屋の2階の扉から人が出ていれば(よくバイトが日向ぼっこしている)誰だか判別できそうなほどの解像度である。
ペースは落ちるわ、厳重にパッキングしたカメラを取り出して写真も撮るわ、おまけにメモリが一杯になって替えのメモリーカードを出そうとしたらどこにパッキングしたか判らなくなっていてしばらく探すわで、すっかりペースががた落ちになってしまい、薬師沢の小屋に着いたのは10時半だった。それでも高天の小屋から3時間半と無意味に早いが。(自嘲モード)
薬師沢に着く頃、空には青空が広がり、すっかり爽やかな秋晴れとなっていた。前線はどうしたんじゃい!
ま、気を取り直してまずコーヒーを飲み(なんと午前のティータイムに間に合ってしまった)、じゃりん子チエの続きを読み始めることにする。薬師沢小屋にはこのマンガ、全巻揃っているので去年から読破しているのだ。実はこれ、昔太郎小屋にあってその時に一度全巻読破しているのだが・・・
ヘリポートで寝ころんでマンガを読みながら昼寝。天気が良いので赤木沢にでも行こうかという発想はなかった。ま、この好天もいつまで続くものやらと高をくくっていたせいなのだが、意外にも夜まで保ってしまった。
夕方になって、朝高天原峠で追い抜いたパーティーが相次いで薬師沢小屋に到着した。彼ら、口を揃えて「雲の平、綺麗でしたよ〜」だってさ。ま、いいけどね。
薬師沢には遭対協の嘉指さんが入ってきていた。去年、浦田さんと2人で来ていて一緒に大増水と鉄砲水を見た人である。
役者は揃ったことだし、何かが起きるのか??と思いはしたのだが、別に天候の急変もなく平和な午後が過ぎていった・・・
下流に釣りに行っていた嘉指さんがゴミを拾ってきた。ストックの残骸だった。見るとモンベルのベントグリップである。へぇ〜、俺が使っているのと同じだ。山じゃレキとかICIのストックはよく見るけど、モンベルって意外に少ないんだよね〜。しかもベントグリップなんて使ってるの、俺くらいじゃないかな〜、なんて言いながら眺めているうち、ハッと気が付いた。
そのストックの残骸は、一番下のポールが失われていて2番目も固く噛み込んでしまっていたのだが、無理矢理回して2番目のポールを引き抜くと、そこには懐かしい曲がったテレスコのポールが・・・これ、俺が去年、増水した薬師沢をおばちゃんの徒渉のヘルプをしていて流したストックじゃん!
いや〜、こんなこともあるんだね〜。このストック、川の中で越冬していたんだ・・・とっくに黒四ダムまで流れていたと思っていたが。
というわけでこのストックの残骸は、小屋番の坂本さんの釣り道具(タモ受け)として第二の人生を歩むことになったとさ。
その夜は夕方の4時くらいから手伝いを途中でリタイアして嘉指さんと飲み始めてしまい、夕食が始まる頃には既に2人とも泥酔していた。
そのまま夕食宴会に突入し、最後はやはり山ちゃんと2人で最後まで飲んでいたのである(山ちゃんは飲んでなかったが)。とはいうものの、飲み始めるのが遅かったので10時くらいには限界に達して私も寝てしまった。
さて最終日の22日。
天候はやはりというかなんというか、朝からしっかり雨であった。水量はやや増なのだが、どうも夜のうちに増水して今は減水している途中らしい。
別に激しく降りだして増水する気配もなかったので、いつものように部屋掃除してお茶飲んで、10時くらいに下山開始ということにした。
10時前、小屋の玄関でパッキングしていると太郎から無線が入った。
「池上君はもう出ましたか?」
「いえ、まだです。10時頃出発の予定です」
「了解」
・・・・なんなんだ?いったい。こんな無線は初めてだ。
もしかして自宅から電話でもあったのだろうか。だが、重大な用件(誰かに不幸があったとか)であれば、もう一言二言あるはずである。
ということは、たいして重大ではないけどカミさんが小屋に電話を入れてしまうような事態・・・例えば飼っているハムスターが死んだとかではなかろうか?などと考え考え太郎への道を歩くことになってしまった。
あ、雨に煙る紅葉はとても綺麗だったが、そんなわけで先を急いでいたので写真を撮る余裕はなかった。
で、着いてみて「あの無線って何よ」と聞いたら、なんのことはない、太郎の小屋番の高橋さんが一時下山するのに折立からの足がなく、私の車に同乗しようと考えて、私の下山時間を確認したかっただけなのであった。「ハムスターが死んだかと思った」と言ったらウケた。
というわけで高橋さんと2人で下山したわけなのである。
今回の山行では、事前では最悪の予報だったにも拘わらず、実際に雨具を着たのは下山日だけだった。これなら「雨男」の称号は返上しても良いのかな?ま、好天の恩恵を十分受けたとは言えない行動をしてしまったのであるが・・・
1人で山を歩く時の私の傾向だが、特に今回は「休憩なしで飛ばす」のが顕著だった。なんせ小屋〜小屋間は今回まったくまともな休憩はしなかったのだ。太郎から薬師沢までの間に団体とのすれ違いのタイミングを計るために休憩したのが唯一である。
また、だいたいどの区間もコースタイムより大幅に早いペースで歩いている。まあたまたま高天〜雲の平〜薬師沢ではその早さが仇になってしまった形になったわけだが、天気予報が当たって午後から土砂降り、そして増水ということになっていれば大正解だったわけなので、今後も同じ状況になれば同じように全速力で飛ばすだろう。やっぱりスピードは安全なのである。
何より学生時代とあまり変わらないタイムで歩けているのが嬉しかった。これだけ歩ければ行動や計画の自由度も増すというものである。