山小屋バイト日記(昭和61年)

 

 学生時代、私が山小屋でバイトしていたことは他でも書いたとおりなのだが、その時の日記なんて恐ろしい代物が発掘されてしまったのだ。他のものを探していて偶然見つけてしまったのだ。
 しかしなぁ・・・日記なんてつけていたなんて・・・マメだったんだね>20年前の俺

 ただし出てきたのは昭和61年のものだけである。薬師沢の小屋へは昭和61-63年の3年間入っていたのだが、その他の年も書いていたような記憶はあるのだが、見つからない。いや、見つからなくてけっこうなのだが。

 この年の入山はノートによると7月19日で、バイト終了は8月31日のようである。なんだ、普通の短期バイトとかわらないではないか。
 ただし、ノートによると入山前には剱に入っているようだし、下山してからも1週間もしないうちに再び入山してきて岩苔小谷のルート図なんて描いていたりする。9月の下旬には大学の試験があるのでさすがに下山していたはずだが、試験が終わるとまたさっさと入山し、確か10月の20日頃まで太郎でゴロゴロしていた年だった。ま、下りボッカで足の靱帯を断裂したため下山して授業に出たくても動けなかったのだが。
 まあそんなわけで要するに7月初旬から10月中旬過ぎまでの3ヶ月半ほどの間で下界にいたのは2週間もなかった、という生活だったのであった。その2週間のうち1週間は試験だからな・・・なにやってたんだか。

 というわけで、さすがにちょっとどんな生活だったか読み返してみると・・・

 ちなみに数字はそれぞれの食数であり、宿泊者数ではない。素泊まりもいるから、宿泊者数は食数の最大値より多くなるのが普通。
 また、「朝食数」はこの日泊まったお客さんに対する数なので、翌日の朝食の数である。
 スタッフ数は小屋の従業員数のことで、+1とか−1は増減である。太郎、薬師沢、高天、スゴの4つの小屋が同じ経営なので、その小屋間でのスタッフの異動もけっこう頻繁にあった。(+1)などの()内の増減数字は居候である。なので基本的に1日限りである。

日付

夕食数

朝食数

弁当数

スタッフ数

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7/19

 

 

 

4人

折立から太郎を経て薬師沢に入山 1)

7/20

8

6

2

4人

雨で動けず

7/21

8

7

1

-1,+1

 

7/22

25

18

0

 

 

7/23

11

11

9

 

 

7/24

25

22

5

 

 

7/25

46

44

10

 

 

7/26

85

79

69

+1

怪我した 2)

7/27

32

33

15

 

 

7/28

52

47

18

 

 

7/29

35

30

7

 

 

7/30

52

47

17

 

 

7/31

76

63

32

 

風邪を引いて体調最悪

8/1

107

85

56

(+2) 3)

相変わらず風邪

8/2

113

99

39

 

 

8/3

76

62

26

 

 

8/4

36

35

9

 

太郎に野菜ボッカに行く

8/5

15

15

1

 

 

8/6

53

46

9

 

 

8/7

116

107

60

 

 

8/8

31

31

9

 

 

8/9

96

76

44

 

 

8/10

41

24

23

 

まだ風邪が治りきってないらしい

8/11

54

35

5

 

ヘリの日

8/12

44

40

8

(+2)

 

8/13

88

71

17

 

 

8/14

143

121

36

 

難民キャンプ状態 4)

8/15

85

63

19

+1

 

8/16

107

92

39

-2 (+1)

 

8/17

18

16

7

 

 

8/18

14

10

8

-1

 

8/19

7

7

2

(+2)

半日休暇 雲ノ平へ 5)

8/20

26

24

13

 

ビールボッカ事件 6)

8/21

7

7

4

 

8/22

20

19

0

(+9)

なんと居候9人!

8/23

23

16

6

 

太郎にボッカ

8/24

12

12

2

(+1)

 

8/25

8

9

4

-1

8/26

9

8

3

 

 

8/27

22

18

6

 

高天にビールボッカ

8/28

12

15

0

 

 

8/29

9

9

0

 

 

8/30

15

15

4

+1

三俣の鬼窪さんが泊まる

 

1) 入山日は高校時代の山岳部からの友達の堀田と一緒に入った。
 で、太郎に着くなり2人でそのまま薬師沢に言ってくれと言われ、しかも大きなクーラーボックスを持って行けと言われたらしい。
 なぜか背負子も使わず、太郎から薬師沢まで2人でクーラーボックスを持って行った、と書いてある。
 私はバイト終了後にいろいろ遊ぶつもりでザイルやらなんやらの登攀具を大量に持ち込んでいたのだが、この時はすぐ取りに来るつもりで太郎小屋に置いていった。結局それらを回収できたのは8/23になってからだったが。

 堀田は高天に行かされたのだが、翌日は雨で沢が増水して動けず、7/21になってようやく彼は高天に移動した。入れ替わりに短期バイトが1人太郎から来て、しばらく小屋番の小池さん、長期バイトのHさん(女性)と合計4人で仕事することになる。

2) 7月末の最初の山場。この日、太郎からもう1人補強され、お盆過ぎまで5人体制になった。
 この日、あまりの忙しさにバタバタしていて怪我をした。
 シチューを作っていてコンビーフを入れようとしたのだが、缶をくりくり巻いて開けようとしている時に慌てていて上手く巻き取れず、ばらけてしまった。で、私は何を考えていたのか(何も考えていなかった)、そのほどけた鉄の切れ端を素手で持ち、力任せに引っ張ったのだった・・・
 当然、缶が空くどころか右手人差し指をざっくりと、深々と、ばっさり切ってしまったのだった。たかが指先だが動脈をぶち切ったので、そりゃもう景気よく出血すること
 かといって騒いでいる時間さえ惜しく、ビニール袋で指先を覆い、根元を輪ゴムでぎりぎりに縛ってそのまま仕事を続けていた。ほどくのを忘れていたのでもう少しで壊死するところだった・・・
 ともあれ、この日のお客さんは鉄分サプリメント入りのシチューを飲んだわけである。

3) この日も修羅場だったのだが、ちょうどやはり高校山岳部の友人である横山氏がふらりと小屋を訪れた。
 で、これ幸いと彼の宿泊費を私が奢ることにして小屋の仕事を手伝わせたのだった。
 彼は翌年は笠ヶ岳の小屋にバイトに行っていたが、9月になってひょっこり薬師沢に現れた。この時は堂々の居候扱いであった。

 その他にもちょくちょく友達が小屋を訪れている。
 山岳部の隣の部室だったワンゲルに親しい友達がいたのだが、彼はこの年、合宿途中と個人山行の2回、薬師沢に来ている。
 合宿できた時、パーティーに可愛い女の子がいた。もちろん部室が隣だったので知っている子だったのだが。
 その時は「可愛い女の子と山を歩けていいなぁ」と指をくわえて見ていたのだが、それから10年くらい経ってから別のワンゲル部員とばったり会って飲んだ時、「あの子、お前のことが好きだったんやで」と言われた。そーゆーことはその時に教えろよ

4) この日の宿泊数及び夕食数は、薬師沢小屋の新記録であった。が、その記録はそれから毎年更新され続け、昭和63年の8月13日にはついに夕食数178という空前にして絶後の記録をうち立てたのだった。なぜか私がバイトしていた3年間、記録を更新し続けたわけである。この178という記録は未だに破られてはいないらしい。
 ま、この日は143程度の数字で「史上最悪の日だった」などと書いているが、この時はまだその翌年、さらに翌年の地獄を知らないのである。

 飯炊きを命じられて1年目だったので、この年は律儀に毎日炊いた米の量と出来具合を記録している。なんてマジメな>20年前の俺
 この日は2.5升炊きを6釜、2升を1釜炊いたらしい。米を計るのがリットル升だったので、2.5升といっても実際には3升ほどあるのだが。
 当時使っていた圧力釜はあまり大きくなかったので3升を上手く炊くのは至難の業だった。案の定、この日も2釜ほど芯飯を炊いてしまっている。
 また、圧力釜は3個しかなく、しかもそのうち1個はこの前年に当時のバイトが爆発させてしまって以来、非常に調子が悪く2升炊きですらなかなか上手く炊けなかった。そうでなくても釜ごとに癖が違ったので、炊き具合を揃えるのは難しかったな。
 これらの圧力釜、今はもうその役目を終えて薬師沢小屋の雑庫で余生を送っている。(まだあるんかい!)

5) お盆が過ぎてヒマになったので、半日休みをもらって雲ノ平に遊びに行っている。
 長期バイトの女性と2人で行っているようだ。彼女は毎年あちこちの山小屋を転々としている山小屋ジプシーのような人で、普段は仏頂面でつきあいも悪く(毎日毎日飲んでいたのでつきあいきれなかっただろうが)、取っつきにくい人だなぁなんてことを日記に書いていたりしていた。
 が、2人で山を歩くと、まあ仕事中とは着るものも違うし新鮮だったのか「可愛いじゃん」みたいなことを書いていたりする。
 でもその3日後にはまた「つきあい辛い〜」なんて書いていたりするのだった。

6) ビールボッカ事件。
 これは何かというと、高天原の小屋でビールが足りなくなったというのだ。ビールはもちろん自分たちで飲む分ではなく、売るビールである。高天原は温泉があるのでビールがよく売れるのだ。
 で、薬師沢は若干ビールが余っているので、では高天にビールボッカをしてやるか、ということになった。
 ちょうど居候が2人来ていてこの日は高天に行くというので、では単にボッカしてもつまらないし、みんなで行こうということになった。
 小屋番の小池さんも含めて4人で、それぞれのザックにビールを入るだけ突っ込み、奥の廊下へ。
 ここで大東新道を通らずに奥の廊下に行くあたりで既に確信犯なのだが、立石に着いた我々4人はそこでボッカしてきたビールを飲み始めてしまったのである。またタイミングがいいことに、立石には山岳写真家のI橋さんが仕事、つまり写真を撮りに来ていた。
 I橋さんも参加し、5人で宴会を始めてしまったものだから、ボッカしてきたビールは半分以上飲んでしまったのだった。

 その後、居候2人は残ったビールを担いで高天に登り、私と小池さんはまた奥の廊下を薬師沢小屋に戻ったのであった。
 この時に立石〜薬師沢小屋間を1時間半という快記録を樹立した。普通に行ったら4時間くらいかかるかな。たまに1日かかるパーティーもいたりしたが。腰までの徒渉が4〜5回あるルートなので。

 薬師沢小屋に帰った私達は良かったのだが、高天に行った居候2人は大山さんにすごく怒られたらしい。
 「小池達が飲んでしまったのでビールが足りません」なんて冷ややかな無線がきたので、27日には私がビール3ケースを背負子で担ぎ、再度ビールボッカをすることになったのであった。

 

 この年はバイトの間の人間関係が一番複雑な年だったので、読んでいるとなかなか面白い。
 狭い小屋でずっと顔つき合わせて仕事していると、けっこうつまらないことで煮詰まるものであった。

 でも楽しかったな、山小屋の仕事は。

 

 

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