第4回膳所高校山岳班同窓会

 高校の山岳部時代、1つ上の先輩達が妙に仲が良かった。
 その先輩達も卒業後、日本各地、というか果ては海外まで散り散りになったわけだが、お互いの結婚式には全員呼んでいたらしく(そりゃ我々だって同じだが)、その最後の結婚式の時、「もうこれで集まる機会もなくなるなぁ」という話になったのがきっかけで、「では同窓会をやろう」ということになったらしい。
 で、時期は皆が集まりやすいお盆、毎年やるのは大変なので2年に1回の開催、場所は皆の地元である滋賀、そして原則として家族同伴、という基本的な要領が決められたそうな。
 その同窓会が初めて実施されたのが平成10年、以後きちんと2年に1回開催し、今年が4回目というわけである。

 ちなみにその1つの上の先輩方と比較的仲が良かった我々の学年も初回からお呼ばれしているのだが、先輩方によるとあくまで我々はオマケであり、別にどうでもいい存在なんだそうな。なので幹事を我々の学年に回すという話も今のところはない。

 その辺の事情はあまりよく知らないのだが、別に地元開催と言うことも特に決めてはいないらしい。初回開催の形が前例になってしまい、そのまま4回ほぼ同じ形で続いているんだとか。

 で、開催場所は毎回、琵琶湖の畔に建つリゾートホテルなんである。
 私は初回は泊まらずに宴会だけ参加、2回目はテニスの試合が入っていてそちらを優先させてしまったので欠席、3回目つまり前回は家族で参加したのだが私だけ泊まってカミさんと子供は実家に帰った。今回は初めて家族全員で最後まで参加である。

 息子は外泊といえばほとんどテント泊まりしかしたことがないので「リゾートホテル」なんて初体験である。はしゃぐったら。
 ちなみにカミさんもほとんど初体験らしい。かくいう私も過去に数回しか経験がないのだが・・・

リゾートホテル

リゾートホテル初体験ではしゃぐ大とカミさん

 


 昼頃現地入りしたのだが、夜の宴会まで時間があるのでホテルのリゾート施設で遊びまくる。
 テニスコートに行くと小林先輩の奥さんが息子をしごいていた。ちなみに小林先輩本人は今回幹事なので、ずっとホテルの入り口に缶詰である。
 あまり暑さに1時間ほどで参ってしまい、プールに移動することに。
 プールで泳いでいたら新先輩がいた。私を見つけるなりゲラゲラ笑いだして、いきなり「なんや〜、その腹は〜」だと。2年ぶりに会ったというのに開口一番がそれかよ!

 夜の宴会になって初めて全員と顔を合わせた。
 今回は上の学年が3人欠席だった。どうしても仕事が休めなかったとか。そもそもこの同窓会の発起人の西村先輩が海外勤務で欠席だし。
 私の学年も今まで皆勤賞だった石島が欠席、堀田は仕事が忙しくて夜になってからの参加だとか。前回もそうだったが。
 堀田といえば前回、花火をしたときに点火した花火を口にくわえて琵琶湖の浜を走り回り、子供達に「花火のおっちゃん」として非常に強烈な印象を植え付けたのだった。
 子供達は堀田がいないのを見て「花火のおっちゃん、今年は来んの〜?」と心配そうである。

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宴会風景

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子供は子供で勝手に遊んでくれているのだが・・・

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相変わらず真っ先に酔い潰れる横山氏

 宴会中は大人は大人で積もる話が山ほどあるのだが、子供も子供達で勝手に遊んでくれるのは良い。
 良いのだが、比較的高学年の子供達は「分別」というものをわきまえているので良いのだが(一番上は中学1年生)低学年の子供達、そう、ちょうどうちの次男の生あたりの子供が何人か仲間を作ると、それはそれは危険である。子供が2人いればうるささも破壊力も2倍ではなく2乗である。

 

 


 このホームページだが、誰もメールの1本も寄越さないくせしてけっこう見ているらしい。
 宴会の席で東郷先輩が私を捕まえて、「ところで俺はいつ登場するん?」と聞いてくるのであった。
 いや〜、一応実名出すのは控えてるんだけど、と答えたら(私の学年に対しては既に気にしていないが)、ぜ〜んぜんOKなんだと。
 というわけで今回は全員実名で登場である。先輩方に対しては東郷先輩以外の人の了承を得たわけではないのだが、連帯責任である。

 東郷先輩、登場しましたぜ!

 で、昔の話になると記憶の断層に埋もれたエピソードが蘇ってくるのだった。
 山本が私を捕まえて「俺のテントをな〜」と始めたのでよくよく聞いてみると、1年生の秋に台高の明神平に行ったとき登場したのは、山本所有の小川テントなんだそうだ。
 山道具のテントのページでは、この時使ったのは私のツェルトと堀田型テントと横山のダンロップと書いてしまったのだが、それは間違いでダンロップではなく山本の小川テントだったんだそうだ。横山に聞いたら、その時はまだダンロップを買っていなかったということなので確かであろう。
 ちなみに私が横山にツェルトを売りつけようとしていたらしく、横山は先輩に「やめとけ」と忠告されてダンロップを買ったんだそうである。ん〜、まるっきり記憶にないが、いかにもありそうな話である。

 が、この件が山本の言いたいことの本題ではないらしい。
 山本が言うには、「俺のテント、穴だらけにしやがって〜!」なのだが・・・記憶にないぞ、そんなこと。

 なんでもいつだったか私にテントを貸したら、焚き火で焼け焦げと穴だらけになって帰ってきたんだそうだ。
 いやはやまるで記憶にない。どこでやったのかなぁ。鳴滝かなぁ。確かにあそこで穴や焼け焦げやゲロまみれにしたテントは2張りや3張りではきかないのだが・・・でも鳴滝なら山本も絶対参加していたはずで、それなら私が怒られる筋合いはないよな。

 とここまで考えてふと思い出したのが下の写真である。

比良山中にて

これが小川テントだったのか!

 


 この写真、長い間謎だったのだ。
 謎とは、こんな好青年の私がなぜこんなにもジャバ化してしまったのか?ということではなく(それも大きな謎だが)、この私の背後に写っているテントは何者?ということであった。こんなテント、記憶になかったのだ。
 この写真は昭和59年の9月に、比良山系の口の深谷源流部にベースキャンプを張り、2週間がかりで比良の沢を総ナメにしたときの写真である。
 記録が残ってないのでうろ覚えだが、確か初日にここにテントを張ってから奥の深谷をやり、翌日は白滝谷と口の深谷、3日目に武奈ヶ岳山頂から細川尾根を下って貫井谷を登るはずが違う谷に入ってしまい、時間切れでテントを残したまま一旦帰るハメになった。ここまでは堀田と。
 で、翌週に堀田に加えて西村先輩も加わり、猪谷から入ってその日は蛇谷ヶ峰を越えて入部谷越えで幕営していた高校の山岳部のテントに転がり込み、翌日武奈ヶ岳まで縦走してきてテントに帰着、ここで堀田が下山。その翌日に西村先輩と2人で再び口の深谷を登った。もう1本どこかに登ったはずなのだが記憶にない。

 で、どうやらこれが山本から借りた小川テントらしい。
 よくよく考えてみると、当時テントを持っていたのは横山と山本(こちらは記憶になかったのだが)の2人だけであり、横山は関東の大学に進学していたのでこの時テントを借りることはできなかったはずなのである。
 そうかぁ・・・これが山本の小川テントだったのかぁ・・・
 ・・・・確かに焚き火、したかもしれん。ここのテントサイトは狭いからテントのすぐそばで焚き火、したかもしれん・・・

 そんなわけで記憶にはないものの、私が山本のテントを穴だらけにした犯人だと言うことは認めざるを得なかったわけだが、なんにしたって20年前のことを今さら怒られてもな、の一言で終わってしまったのであった。

 「誰もメールの1本も寄越さない」と書いたからかどうかは知らないが、これを読んだメンバーからメールが来た。
 横山氏からのメールによると、上のテントは山本氏所有の小川テントではないそうである。小川テントは家型なんだと。
 ん〜、そうすると謎が2つ。

その1.この写真に写っているテントは誰のだ??
その2.私が山本氏のテントを焦がしたというのはいったいいつのことなのだ?

 まさに記憶の断層である。さっぱり思い出せん。

 

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花火に興じる美少女2人

 宴会の後の花火の写真は写真館の方に何枚か載せたので、こちらには1枚だけ。
 ああ、娘が欲しかったなぁ。

 

 


 花火師こと堀田は花火が終わるまでとうとう姿を見せなかった。子供達ががっかりするな、と思ったのだが、いなけりゃいないでみんな楽しんでいたのであった。

 花火の後、部屋で二次会ということになってようやく堀田が姿を見せた。
 花火は欠席したものの、自分の体毛に火をつけるという芸でやっぱり子供達にバカウケしたのであった。花火を口にくわえて走り回る芸といい、体を張った芸が身上の堀田であった。

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芸人堀田

 


 

 子供達もカミさん方もダウンし、もう夜の1時を回っていただろうか、次回の開催をどこでするか、という話になった。
 次回の幹事は田村先輩なのだが、彼は仕事が忙しくここ3回は欠席しており次回も出席できるかどうか判らない。今回のメンバーで次回幹事を、となると辰己先輩になるらしい。
 で、辰己先輩はどうやら次回は東京でやりたいらしい。
 「俺な、ここでやるのもいいんやけどな、でもこう思うねん」と独特のテンポで語る口調も、その論理展開も高校生の頃とまるっきり変わっていない。それに応じてあーだこーだ返す他の先輩達も同級生も、議論の勢力図まで当時と同じである。
 こういう会話、高校時代にテントの中で延々と繰り返されていたのである。泥酔した頭で聞いているとタイムスリップしたような錯覚に囚われてしまった。

 それはともかく、ほんとに次回東京開催ということになったら、家族4人で東京に移動する経費とか東京に2泊する経費とかを考えると、うちは間違いなくリタイアだろうな。ま、蓋を開ければ次回も滋賀開催ということになると思うのだけど。

 そんなこんなで3時半まで飲んでいて、翌日寝不足と宿酔いの頭を抱えて撮ったのが、下の集合写真である。
 必ずしも夫婦が並んでいるわけではないのが面白い。なぜに両端に分かれているのだ>辰己夫婦

 もう何回かして子供達が大きくなり、ついてこなくなって夫婦だけで動けるようになったら、東京でもどこでもできるかもね。

 

集合写真

第4回膳所高校山岳班同窓会 集合写真

 

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