第5回膳所高校山岳班同窓会
限りなく内輪ネタ
2年に一度の膳所高校山岳班の同窓会がやってきた。
どういう経緯でこの会合が始まったかは第4回のページを見ていただくことにして、要するに昭和58年と59年に卒業した学年で2年に一度集まって童心に帰っている集まりである。
今年はちょっと転機なのだった。
今までは毎回琵琶湖畔のリゾートホテルに一泊してやっていたのだが、前回の時に次回(すなわち今回)の幹事となった辰巳先輩が、夜中に泥酔しながら、「でもな?、俺な?、一度東京でやるのもいいと思うねん?」と、あの独特のテンポで主張していたわけである。
ほんとに東京開催になったらうちは参加できないなぁ〜と思っていたのだが、さすがにそこはいざとなると滋賀開催に落ち着いたのであった。
しかしそこは高校時代から人と同じことをするのが嫌いだった辰巳先輩、泊まりではなくオシャレなダイニングバーで宴会ということになったのであった。しかもその前に新築なった我が膳所高校の見学付きである。
私はその前日に長男のPTA行事で立山に日帰り登山していたため、大津に着いたのが午後早々、しかも酷い雷雨だったので出かける気をなくし、宴会からの参加であった。今回は家族連れの参加はうちと横山家のみだった。
もうひとつの転機は、今まで58-59年卒だけでやっていたのが、我々の1つ下の60年卒も参加したということか。
ただ参加は女性が2人だけであった。確かこの学年は女の子がもう1人と、男が5人ほどいたはずだったが・・・その名前をみななかなか思い出せず、全員の名前が判明したのは宴会もお開きに近づいた頃だった・・・
オシャレなダイニングバーで、他の客はカップルばっかであった。はっきり言って我々、場違いもいいところである。
あ、そうそう。
東郷先輩、また出ましたぜ!
前回、宴会の最中にあんな写真を撮られていた横山氏は、今年もこんな写真を撮られてしまったのだった。
ほぼ全員集合 |
バカ騒ぎをする我々の背後には、静かにデートを楽しむカップル達が・・・
ま、誰もそんなこと気にしちゃいなかったけどね。
恒例の花火なのだ |
さて、この集まりは花火をしなければならないことになっている。そうでなければ子供達が納得しないのだ。
さらに言えば、その花火には堀田氏がいなければ子供達を納得させることはできないのだ。誰も名前を覚えちゃいないが。花火のおっちゃんということで子供達には絶大な人気を誇っている。威勢よく火花をまき散らす花火を口にくわえて琵琶湖畔を走り回ったあの姿は、もはや子供達のカリスマである。
ということで急遽、コンビニで花火を買い集めて琵琶湖畔へ。
ファイヤー!!! |
堀田氏は、こいつだけが大人になり損ねたかのようにこの夜もテンションが高く、後退した生え際を庇いつつドラゴンを振り回すのであった。
とりあえず花火男と命名しておこう。
花火男の弟子その1 |
弟子その2 |
こういうことは子供は必ずマネをする。
それを注意する大人がいないというのも困ったもんである。親は・・・写真を撮っているし。
口から火花をまき散らす息子どもを見ながら、私は小学校時代に先生から慌てて口の中に隠し、爆竹を口の中で爆発させた友だちのことを思いだしていた。あの時は確か、戦争ごっこで点火した爆竹を投げ合うという過激な遊びをしていて、通りかかった先生に見つかって・・・
あの時、仲間達の中で私だけ2発殴られた記憶があるのだが、それが何故だったのか思い出せない・・・
ま、花火はいいのだが、ところがところがである。
どこからともなく守衛風のおっさんがやってきて、「ここは花火は禁止だぞ」と怒られてしまった。
え〜っ?湖畔のこんな広いところなのに〜?と抵抗してみたものの、仕方なく撤収である。どうせ買ってきた花火はもうほとんど点火してしまった後なのでいいや。
で、帰ろうとしたら湖畔の入り口にこんな看板が。
こんな看板があったとは〜! |
いや、マジで来たときは気づきませんでした。この看板の横を通って来たのだが。
そういえば横山氏の娘が、「ここ、花火禁止なんじゃないの?」と言っていたような気がするが、あれはちゃんとこういう根拠があってのことだったのか!!
正しいことを言ってるのに押しが弱いために無視されがちなのは父親似なのであろうか・・・
ま、この湖畔沿いにマンションが並んでいるんだよね。
これらのマンションは琵琶湖花火大会の時は真正面に花火が上がる特等席なのだ。それが我々の花火は迷惑なんだと。
なんだかF1のモナコGPを、美女を侍らせながら自室から観戦する王侯貴族が、同じ道路を普段走っている車を「うるさい」と苦情を言っているような、そんな「ええ、どうせ下々の者はうるさくご迷惑をおかけしてますだ」とひねてみたくなるような静かな怒りを覚えたのだった。
とりあえず、来年の琵琶湖花火大会は大雨で中止になりますように
敢えて名は伏せるがN先輩は、「納得いかんもん」とゴネながら、隠し持っていたネズミ花火を帰る途中の道路で点火し続けていたのであった。
例え間違っていようとも、ひたすら屁理屈を並べ立てることでいつの間にか押し通してしまうのはさすがN先輩・・・
と書くと、関係者全員から、お前が言うな〜!!と一斉にツッコミが入るのは判っていますとも。
さて、その後家族連れできていた横山氏は実家に帰り、他の山本、堀田、石島は私の実家に泊まりに来ることになった。別に前から決まっていたわけではなく、膳所駅から実家に電話して「今から3人行くから」と母に告げ、坂本駅まで車で迎えに来させたものの当然乗り切れないので2往復もさせた。
さらに。
4人で飲んでいると、やはり画竜点睛を欠くというか、1人足りないのが気にいらん、と言って堀田が横山氏に電話をかけた。11:40。
電話で「お前、来るやろ?」と無理矢理同意を取り付けるものの、既に電車はない。するとなんと堀田は私の母に近江神宮だかまで車を走らせ、迎えによこしたのである。もちろん自分も同乗していたが、天晴れである。この恐ろしい俺の母親をアッシーに使うとは・・・
あ、母は別に何も言ってなかったからね。たまにならこういうのも楽しかったそうな。
ま、何はともあれ、この堀田の無理を通せば道理が引っ込むテンションのおかげで、5人が勢揃いしたのであった。
つーわけで4時半まで飲んでました。
で、飲んでいるとなんつーか「20年ぶりに5人で山に行くか」という話が出たのだが・・・さて果たして実現するでしょうか。
その前に、実は次回の幹事が山本氏に回ってきたのである。
6回目にして初めて昭和59年卒の我々の代に幹事が来たわけである。
しかし。高校時代は山行の下準備もな〜んにもしなかった山本である。果たして次回は無事開催されるのであろうか・・・?