独断と偏見まみれのピッケル考察
ピッケルほど山屋の物欲を刺激する道具はない。
ピッケルより遙かに重要度が高いはずのアイゼンは、私は学生時代は部室に転がっているものを適当に使っていただけで、とうとう自分で買うことはしなかった。
ピッケルが「道具」以外の価値を持ったものであることは、ヤフーオークションでも大昔のウッドシャフトのピッケルが異様な高値で取り引きされていることでも判る。中にはスピッツェすらなくて、どう見ても「これはピッケルではなくツルハシなのでは・・・?」というものまである。
・・・ま、「山男の魂!」なんて言ってる割には、ピッケルのブレードでソーセージ切っていたりするので(難しい!)、魂がどうのというより単に物欲を刺激されているだけといった方が的を得ているのだろうが・・・・
私の初めてのピッケルは、スイスのファダースとかいうメーカーのモノだった。
高校の卒業アルバムより。 私が持っているのがファダースのピッケル。 それにしても、顧問のなんと多いことか・・・・ |
中学生の時、大津の「岩と雪」で購入したものだが、なんでも輸入の試作品として1本だけ入れたものが輸入計画そのものがポシャって、店内に1本だけ店ざらしにされていた物だった。当時、ピッケルは高額商品でどのメーカーの物も3万円は下らなかったが、この1本だけ1万2千円の値札が付いており、さらに値切って1万円で買ったのを記憶している。中学生の自分がどうやって1万円という大金を捻出したのかは記憶にないが。
今持っていればヤフオクで高値が付いたのに・・・と考えると惜しい。
中学の時はもちろん、高校時代もピッケルをピッケルとして使うことはなく、もっぱら先端にラッセルリングを取り付けて「ストック」として使っていた。
もっとも、高校でもピッケルを持っている人は少なく、一応滋賀県の高校山岳部の「合同冬山合宿」で雪上訓練もあったのだが、滑落停止は両手両足を広げて全身の摩擦で止めるというくだらないもので、ピッケルやアイゼンの使用方法といった講習もなかった。
大学に入るとまず5月の槍ヶ岳で雪上訓練をみっちり受けた。そこで初めて「ストック」以外の使い方、滑落停止とか確保の際の支点作りとかを学んだ。
この時点で既にもっと「まともな」ピッケルが欲しくなっていたが、やはりまだまだ高価でなかなか手が出るものではなかった。
当時はカジタが現在も人気が高いカジタックスを販売していた。これは当時3万円が当たり前だったピッケルに、いきなり1万円台前半という値段を引っさげての登場で、かなりのインパクトはあった。でも、このカジタックスだけは嫌だった。人気があって誰も彼もカジタックスを持っている、というのも理由の1つだったが、なんといっても嫌なのは、あの「色気も素っ気もない造り」だった。あのいかにも「打ち抜いた板を捻っただけでしょ」と言いたくなるヘッドの造り・・・
そんなわけで、未だにカジタックスだけは嫌いなのである。ちなみにシャルレも嫌いなのだが、これは理由が自分でも判らない。
その後、文部省のリーダー研修会(春山)を受講した。
これはもう、身に付いている雪上技術の全てがこのリーダー研修会で叩き込まれたもの、と言えるくらい有意義な研修会だった。
私は実力別に班分けされた10の班の中の5班だったのだが、最終日の剣岳登頂ルート、我が5班はS字雪渓だった。S字雪渓から源治郎の2峰コルに出て、そのまま剣に登頂するというルートだった。
S字雪渓の上部、夏には滝が出るところが5月はそれは綺麗な雪壁になっていて、2ピッチほどそこを研修生同士でアンザイレンしてダブルアックスで登攀した。これがまた底抜けに楽しい登攀で・・・
でも、その時初めて「ああ、このピッケルではこれ以上は無理だなぁ」と思った。ピックが水平すぎて効きが悪い。試しに講師(名前をどうしても思い出せない・・・)のシモンを借りてみたらこれがまた面白いように効く。ピックの形状以外に重量バランスなどもあるみたいだけど。
当時、シモンは輸入元が代わって大幅に安くなっていた。従って、下山して速攻でシモンを買った。モデル名はムスタングかジャガーのどちらかだったと思うのだが、さすがに思い出せない。
その1本目のシモンは冬の滝谷で岩壁から落としてしまった。(ちなみにアイゼン落としたこともある)
2本目のシモンは、どこかの山の帰りに電車の中に忘れてしまった。電車の中でザックにピッケルを付けたままだと危険だし周囲に迷惑なので、ザックから外して網棚に載せて置いたのを、出る時に忘れてしまっていた。ちなみにその時パイルとアイゼンも揃ってなくした。
3本目のシモン(右写真)は、これを購入した頃は冬山はほとんどやらなくなっていて、たまに剣沢あたりでグリセードでもして遊ぶ程度だった。
長らく我が家のタンスの肥やしとなっていたのだが、ついに去年ヤフオクで売ってしまった。
もう冬山もやらないだろうし、使うことはないだろうと思って売ったのだが、なくなれば淋しい。
で、今年になってから買ってしまったのが、下の写真のグリベルである。
これは富山の好日山荘で購入した物だが、何気なく手に取ってみた瞬間に「おお、こいつが俺を呼んでいる!!」とビビッときての衝動買いだった。
なんとなく身体に好ましいヘッドの形状とか重量バランスとかがインプットされているのだろうか。
ちなみに長さは58cm。前のシモンは3本とも60cmだったし、これ以上長いと邪魔で仕方ない。
「どうせ使わないし」と思ってほとんど見栄と物欲だけで買ったようなこのピッケルであるが、そのほんの数日後に早くもこいつは血を吸うことになる。
ピッケルを買い換えた。
別にエアテックに不満があったわけではないのだが・・・やっぱなんというか、昔からシモンばかり使っていたので、シモンが懐かしくなってしまって。
ようやく事実関係が判明してきたのだが、私がリーダー研修会で教わった講師は、アルテリアの社長の鈴木惠滋氏だと思う。
当時はシモンの輸入をしていて、それで私達研修生にシモンを勧めていたわけである。思い出してきたぞぉ〜。
シモンはそれまでどこか大手の輸入商社が輸入していて、どれもこれも3万円以上する高額商品だったのだ。ところが鈴木先生の興した会社に輸入元が代わった途端、1万5千円前後と一気に半額になってしまった。これはちょっと劇的だった記憶がある。
当時はピッケルは3万円以上が当たり前の商品だった。シャルレだってとても手が出ない高額商品だった。そこにカジタがいきなり1万円代前半、しかもジュラルミン製で超軽量というピッケルで殴り込みをかけ(確か中学生だったか?)、それからシモンなどの輸入物も値段が下がってきて現在に至っているようなわけである。
ちなみに件のアルテリアは、現在はペツルシャルレに鞍替えしている。というか、元々シモンとペツルの輸入代理店として発足した会社のようなので、シャルレがペツルに吸収されたことで(い・・いつの間に?)自動的にそうなったわけか。
私、実はシャルレは嫌いなんである。なんでかと聞かれても答えようがないくらい理由がないに等しいのだが、なんだか薄ボンヤリと、大嫌いなやつがシャルレユーザーだったような気がするところまで思い出してきた。記憶の糸を辿るに、どうもそいつはその時と同じリー研にいたような気が・・・ま、どうでもいいが。
で、そのシャルレだが、嫌いとはいってもガイドというモデルだけはいいなぁ、と店で見ながら指をくわえていたわけである。ああいうゴツイのが好きなんである。が、今年のペツルシャルレはガイドも一応カタログにはまだ載っているのだが、どうも販売の主力はコズミックとかいうニューモデルになったようである。このコズミックが・・・こんなのシャルレじゃねーぞぉ。
シャルレといえばアイゼンもそうだが、触れたら手を切りそうなくらいツンツンに研がれた刃、というイメージがあるのだが。ガイドなんてあんな大振りなヘッドなのに、ブレードでキャベツの千切りが切れそうなくらい鋭い刃だったんだけどな。コズミック、普通だぞ。
ま、シャルレの話はどうでもいいのだが、そんなわけで無意味にシモンがまた欲しくなってしまったのであった。確かによく見てみれば、エアテックの優美な、悪く言うと華奢な感じがするヘッドのデザインは、どう見ても私の好みではないはず。一時の気の迷いだったか。
そういうことで買い換えを企んだわけだが、どうもハミックスはシモンをそれほど多くの数は入れていないらしい。夏頃に好日に行ってその話をしていたら、もう今から注文を入れないと買えないかも、と言われた。
で、ジャガーかマーベリックかでちょっと悩んだのだった。
シモン・ジャガー |
シモン・マーベリック |
見るにジャガーとマーベリックは、ヘッド、それもピックの形状が違うだけで他の仕様はほとんど同じと見た。
そのピックの形状は、明らかにジャガーの方が扱いやすそうである。が、つまらない。普通すぎてつまらん。
まあそんなわけでマーベリックを注文したのであった。
注文を入れたのが夏の8月頃で、それが今日になってようやく入荷した。
台風にも拘わらず速攻で好日に行って入手してきたわけだが、やっぱ格好いいわ。いかにもミックスだろうが岩だろうが、ガンガン打っても平気でっせ、というムードである。
これ弄んでいると、ふと脳裏に5月の源治郎尾根か八ツ峰あたりで遊び狂っている自分を想像してしまうのだが・・・行かねーって。行かないのならこういうピッケルは無意味なのだが、大きなお世話である。